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魔法殺し  作者: 駄文職人
魔法遣い
17/35

ドッグラン

 シロブドウは山岳地帯の植物なので、かなり急な斜面でも根を深く伸ばしまっすぐに育つ。

 そのため、シロブドウの畑は山や丘を利用しそのまま作られることが多い。畑の両脇や合間に人間がのぼれる階段を作り、手を伸ばして収穫するのだ。

 ちなみにシロブドウはそのまま食べると酸っぱいのでワインなどに多く使用される。

 一度凍らせてから果汁を搾ると甘みが深まるのだとか。


 そんなシロブドウの畑のふもと、獣避けの有刺鉄線で囲われた外ではロトトア近隣の若者たちが集まっていた。

 ぽつりぽつりと女性が混じっているがほとんどが男性で、ニコルと同じ制服姿も多く見受けられる。


 何より目を引くのが、各自が思い思いに持っている装備である。


 その辺りの木から拝借してきた枝、シャベル、金槌、フライパン、ニコルのように木製のスティックなど。

 中には一体どこから持ってきたのか、青銅の像をかついでいる者もいた。


 猫を捕まえた後、どうせだからちょっと付き合え、とニコルに誘われて〈ドッグラン〉なるものに参加することになった。


 のだが。


「あの……お祭りか何かですか?」

「んー。まあそんなトコだな。ほれ、あそこ見てみろよ」


 ニコルは一点を指さした。


 ふもとはなだらかな傾斜を伴った平地で見晴らしがよく、タムバートへ走る大陸縦断鉄道と、遠くには地平線が見えた。

 視界の端にはロトトアの町を囲う壁も確認できる。だがニコルが指さしたのは南の地平のさらに向こう。


 目を細めると、平地に点在する茂みの中を何やらうごめく小さな影がちらちらと見える。


「あれ……」

「あいつらがシロブドウの畑を荒らすワケよ。おれらはあれを退治するの」


 まだ遠すぎて視認できないが、集まった人びとの今か今かと待ち構える目を見れば、どれほどの獲物か分かる。


「そんなにひどいんですか、被害」

「へたすりゃ一夜で畑がなくなるな。たまにいるんだよ、寒くなると食糧求めて南からこっちまで上がってくる奴。

 群れがロトトアに近付いて来たら、こうしてガッコの授業中断して駆り出されるってワケ」


 毎年恒例行事でさぁ、と腕を回して準備体操をするニコル。

 どうやら自分も手伝い要員としてカウントされているらしいと気が付き、息をついてぐるりとまわりを見渡す。


 集まっているのは学生だけではない。農夫らしき中年の男性や、まだ学校にも入っていないだろう子どもまで武器を手に取りその時を待っている。

 この地方にとっては一大イベントのようだ。シロブドウ畑は広大なので、人も必然と畑を守るように縦に並んで集まっていた。


「何が恒例行事だ、くだらない!」


 突然、近くでそう吐き捨てる声がした。

 驚いて見ると、足音荒く男子生徒が後ろを横切るところだった。


「あり、ハイルじゃん。おたく参加しねーの?」

「参加だと? この僕が?」


 タムバートで会ったハイルと呼ばれた男子生徒がニコルをにらむ。

 ハイルは主席のバッジを付けた胸を張り、声高に言った。


「劣等生の君とは違って、優秀たるこの僕に参加する義務などないのさ! 貴重な時間をこんな泥くさいイベントに費やすぐらいなら、次の試験のために教科書を読みこむ方がよっぽど有意義だね!」

「ああ、うん。おれにゃぜってーできねー考え方だわ」


 劣等生などと言われてもけらけらと笑うニコル。

 それが余計に癇に障ったのか、ハイルは憎々しげに自分の持っていた箒をニコルに投げつける。


「うおっ」

「将来の輝かしい経歴のため、優秀たるこのぼくは丘の上で高尚な勉学に励むとするよ。せいぜい君はゴミのように犬にでも喰われてしまえばいい!」


 間一髪で箒をキャッチしたニコルは、なすすべもなくハイルの背中を見送った。


「……苛立ってますね。どうしたんでしょう?」

「あぁ、気にすんな。あいつ、テストの後はいつもこうだから」


 箒をもてあそびながらローに笑いかける。


「さっきもカリカリしてたし、あの様子じゃ今日の点数思ったより悪かったんじゃねぇの?」


 あいつぜってー人生損してるわー、とニコルは苦笑した。

 ローは畑をのぼっていくハイルを見つめる。


「おっ、動いたか」


 目の上に手をかざし、ニコルは声を弾ませる。

 ローが視線を移すと、ずっと平地をさまよっていた影が三つほどこちらに向かって跳ねてくるのが見えた。走るより跳ねるの方がしっくりくる動きだった。

 目をこらしていたローは近付いてきた生物を見て、


「……けっこう小さい?」


 畑に甚大な被害を与える害獣とは思えず首を傾げた。


 丸いフォルム。

 無数の突起を持つ背中。

 間近で見たつぶらな瞳は思いのほか可愛いと思った。

 短い手足で懸命に地面を蹴り、体躯のわりには大きな口を開いて雄叫びをあげる。


 グゲェェェェェェッ!


 首を絞めたイチワドリの声に似ていた。


「あれがロトトア名物、ドッグドラゴン」

「ど……?」

「あごの力が強いんだ。噛まれると肉持ってかれるから気をつけろよ」


 さすがに血の気が引いた。

 ドッグドラゴンの一匹が襲いかかる人間たちをかいくぐり、まっすぐローたちのいる方向へと駆けて来る。

 左右だけでなく上下にも動くため、なかなか狙いが定まらないのだ。

 ニコルは箒を手に、やって来る獲物を迎え撃つ。

 ばさりとブレザーを脱ぎ捨て、不敵に笑った。


「とうっ」


 地を蹴る。

 ニコルは頭の上に箒をかまえ、ドッグドラゴンが跳ねた瞬間を見計らって一気に振り下ろした。


 グゲッ!


 箒の柄はあやまたずドッグドラゴンの眉間を打ちすえる。


「おぉ」


 周囲がどよめく。

 空中から地面に叩き落とされたドッグドラゴンはぴくりとも動かなくなった。

 見事一匹を仕留めたニコルは振り下ろしたポーズのまま、きりりと顔を引き締める。


「安心せい、峰打ちぢゃ」


 よく分からないセリフを渋く決める。


「あ、くそ。第一号取られたか」

「大丈夫、本陣はこれからだ!」

「横取り反対!」

「格好つけてんじゃねぇぞ、ニコル! 誰も見てないから!」


 四方から様々な言葉が投げられる。


「うんうん。声援ありがとう」


 八割文句のそれに手を上げて答え、仕留めたドッグドラゴンを小脇に抱えてローの所に戻って来た。


「とまあ、こんな感じだ」

「……ちょっと可哀想じゃないですか?」


 初めて目の当たりにするドッグドラゴンは、その名の通り子犬ほどの大きさしかなかった。

 全身を青っぽい鱗で覆われている。

 箒が当たった部分は血どころか傷一つない。脳震盪を起こしただけらしく、思ったより頑丈そうだ。

 あごを持ち上げ、小さな身体の三分の一ほどもある大きな口をびろんと開けるとぎざぎざの牙が並んでいるのが確認できる。

 肉を持っていかれる、というクラウスの言葉は誇張ではないのだろう。


 口を開けた姿は凶悪だが、これも生き物。いきなり殴りかかるというのはいかがなものだろう。


「うん、初めての奴はみんなそう言うな。まあ大丈夫、その内慣れるから」

「で、でも」

「というか、おたく、あれ見ても同じこと言えるか?」


 親指で平地を指し示す。

 先程まで点でしか確認できなかった影が、数百単位の群れとなって押し寄せてくるのが見えた。

 ローは先程の三匹が斥候であったのだとやっと気が付いた。

 ニコルは、ほい、とローに自分の持ってきた木製のバットを持たせる。


「背中を叩いてもあんま意味ないからな。さっきみたいに頭を一撃当てたら気絶する。ドラゴンっつっても火も吹かないただのは虫類だから怖がんなくていいぜ。

 ただ囲まれたらヤバいから、そん時は全力で逃げろ。絶対に誰かのそばを離れるなよ」


 むしろ不安になるアドバイスを一通り教え、放心状態のローの肩をぽんぽんと叩き元気づけた。


「んじゃま、遠慮なくガンガンぶっ叩こう。一番退治できた奴には報奨金も出るからな!」




 収穫の季節から本格的な冬に移り変わる頃、ロトトア全域を挙げて行われるドッグドラゴン退治を地元では〈ドッグラン〉と呼ばれている。

 寒くなり始めると平地では食物が不足するため、なわばり争いに敗れた群れが年に一、二度食料を求めて北上してくることがある。

 畑を荒らされ対策を迫られたロトトアの農家たちが頭をひねって考えたのがこのイベントだ。


 どうやって退治した数を数えるかというと、丘の上では腕章をはめて監督する人びとが待機している。

 地元の有志やアルバイトで構成された彼らのジャッジにより、その年の優秀者が選ばれ表彰されるのだ。

 中には賞金目当てで遠方からロトトアに訪れ、参加する者もいるとか。


 手際の良い者は、次から次へと飛びかうドッグドラゴンを一撃のもとに撃沈させていく。

 が、これがなかなか難しく、慣れない者はちょこまかと動き回るたった一匹に延々苦戦させられてしまう。


 ローは結局一匹も退治できないまま、へたり込んでしまった。


「まんるーい! ホーム、ランっ!」


 グゲッ!


 ニコルは箒を気持ちよくスイングし、頭に喰らいつこうとしていたドッグドラゴンを打ち上げる。

 毎年参加しているだけあって、ニコルは上級レベルだ。

 額の汗を腕でぬぐい、地面に手をついているローを振り返る。


「おう。もうギブアップ?」

「……」


 疲労困憊で答えることができない。


 ニコルの言う通りドッグドラゴンはただのは虫類で、小ぶりだが獰猛な性格だ。

 自分より大きな敵にだって臆せず突っ込んでいく。うっかり気を抜くとすぐに飛びかかって来るのである。


 だが最も恐ろしいのは数だ。

〈ドッグラン〉参加者の人数も多いが、それをはるかに上回る数のドッグドラゴンたちが一斉に畑めがけて突撃するため、休む間もない。


 ニコルは地面にドッグドラゴンがごろごろと転がっている地獄絵図を見やる。


「あらかた転がしちまったからな。ちっと休むか」


〈ドッグラン〉開始直後と比べ、やって来るドッグドラゴンの数もまばらになってきている。そろそろ終盤といったところだろう。


 おれら前線抜けるわー、と周りに声をかけ、ローを伴って畑の階段を昇った。


「お疲れー」

「なんだ、もう止めるのかニコル?」

「手ぇ抜いてんじゃねーぞ、このやろう!」

「ラッキー! 優勝候補が一人抜けたぞ!」

「余裕だなぁ、おい。賞金もらったら俺らにも分けろよ!」


 背後から口々に声をかけられる。

 学生たちからだけではない、明らかに一般と分かる者からも声が上がっている。


「ニコルくん、優勝したんですか?」

「おう。去年な」


 手馴れているはずである。


 妙に顔が知られているのもそのせいらしい。もっとも、彼自身の人柄のおかげもあるだろうが。


 監督者たちがずらりと並ぶ畑の小道をさらに上へのぼり、人が周りにいなくなった傾斜の合間に二人は腰を下ろした。

 しゃんと伸びるシロブドウの木の間から、〈ドッグラン〉を眼下に眺められる特等席だ。


 座ったはいいが、なんとなくお互い黙ってしまう。

 ローは、先ほどのニコルの言葉が耳から離れない。


 おたくは本気で『魔法』を解きたいと思っているのか。

 おたくはそれでいいのか。


 分からない。

 ニコルに言われて初めて気が付いた。

 なぜ妹について調べないのか。

 その選択肢に、今まで気が付かなかった自分に驚いた。

 妹は架空の存在だと、そうずっと思ってきたから。


 でも、ここに来て『魔法』を知って。

 自分のこの体質の意味を知って。


 自分にとっての、妹という存在の大きさをようやく実感し始めた。

 恐らく自分の『魔法』を知る上で、避けることのできない壁がイェニなのだ。


「なあ」


 ニコルに呼ばれて、はっと我に返る。


「また何か考えてただろ」

「あ……」


 ローは慌てて自分の透けた指先を見た。


「ずいぶん不安定なんだな、それ」


 ニコルが、軽く何かを払う仕草をした。

 それだけで、指の感覚が戻ってくる。


「す、すいません……」

「そろそろ謝ったら怒るからな」

「う。ご、ごめんなさ」


 ぱちん、と自分の口を手で押さえる。

 気を抜くと口の隙間から謝罪の言葉が漏れてきそうだ。


 ニコルは苦笑した。


「片付けが終わったら、おたくを若旦那のトコまで送ってくよ」

「い、いえ。ここからならお屋敷まで一人で帰れます。ロトトアを寄ってからタムバートへお戻りになるのは大変でしょう?」

「おれも若旦那に用事があるんだよ。一発どつかないと気が済まん」

「へっ!?」

「こっちの話だ」


 わっと眼下で歓声が上がった。

 どうやら長かった〈ドッグラン〉にも区切りがついたらしい。終わりを告げるホイッスルが遅れて遠くで鳴る。


「一つだけ、忠告しとく」


 おもむろにニコルは告げた。


「頼むから、早まった真似だけはすんなよ」

「…………」

「おれはさ、おたくの事そんなに嫌いじゃねぇんだよ」


 にかっと白い歯を見せる。


「今日の〈ドッグラン〉、楽しかったよ。付き合ってくれてありがとな」

「あ……」


 まごついて俯くローをよそに、ニコルは立ち上がって大きく伸びをした。


「さ、そろそろ片付け手伝いに行こうぜ。あーあー、せっかくのブドウ畑が真っ黒」

「あの山のようなドッグドラゴン、どうするんですか?」

「だいたいは解体して革屋行きだな。肉は家畜の餌になるんだ。いや、丸焼きにして喰いてぇってんなら止めはしねぇが」

「け、けっこうです!」


 あのつぶらな瞳に食卓でお目見えしたくはない。


 どこからやって来たのかほろ馬車に積まれた檻がバケツリレーのように人びとの手に行き渡るのを見て、自分たちもと二人が階段を降りかけた時だった。


「ドクター呼んで! 早く!」


 悲鳴交じりの叫び。


「なんだあ?」

「怪我人か?」

「ずっと上で勉強していた学生の子の様子がおかしいの! どんなにゆすっても全然目を覚まさなくって……っ!」


 ローとニコルは互いの顔を見合わせた。

 降りかけた足を返し、全力で畑をのぼる。


「どこ!?」

「コンジキザクラのベンチです!」


 ニコルが声を張り上げると、混乱に泣きそうな顔をして女性が叫び返す。


 ニコルは自分の身長ほどもあるシロブドウをかき分けて、まっすぐ指さされた方へ駆けよる。

 ひときわ太い根のコンジキザクラには、すでに人だかりができていた。


「おいおい、ただ居眠りしているだけじゃないのか?」

「それがかれこれ十分近く起こし続けてんのに、ぴくりともしないんだよ」

「おーい、君! しっかりしろ!」

「わり、どいて!」


 人垣に小柄な身体をねじこみ、ニコルは怒鳴った。

 しかし屈強な農夫や好奇心旺盛な学生たちに阻まれ、なかなか前に進めない。

 後から追いついたローがニコルの肩に手を伸ばし、叫ぶ。


「ニコルくん!」

「!」


 ローの指がニコルに触れた瞬間、少年の姿は一瞬揺らぎ、いとも簡単に人垣をすり抜けた。

 おかげで思いっきりつんのめる形になる。


「うおうっ!」


 五歩ほどよろめいて、二人は人だかりの中心に辿り着いた。

 なんとか踏ん張ったニコルは、いきなり目の前に現れてぎょっとなる野次馬たちを尻目にローをぐりんっと振り返る。


「やるならやるって言えよ! 危なっかしいな!」

「ご、ごめんなさい」


 そんなことを言っている場合ではない。


「ハイル!」


 ニコルの学校の学年主席は、ベンチで静かに横たわっていた。


 きれいに整えられていた髪が乱れているのは、誰かにはげしく揺さぶられたからだろう。

 今も頬を叩かれ呼びかけられているのに、全く返事をしない。


「まさか、死……」

「いや、息はあるんだ」


 青ざめるローに、近くの野次馬の一人が答える。


「ただ、意識がない。一体どうしたっていうんだ」

「おい! ドクターはまだか!」


 切迫した声に、ようやく人びとに事態の深刻さが伝わる。


「ちょっと代わってくれ」


 ハイルに呼びかけ続けていた農夫が胡散臭そうに振り返ったが、同じ制服姿を認めると顔を引き締めて場所をゆずった。友だちだと思われたのだろう。


 ニコルはハイルの頭に手を乗せ、目を閉じた。

 刹那、ぴりりと風がざわついた。


「ニコルくん?」


 しばらくそうしていたニコルだが、やがて舌打ちして手をどけた。


「っの、バカ」


 吐き捨てるように言い、ぐるりと周りを見渡す。


「呼ぶならドクターじゃなくて丘の上の若旦那だ。ちょいと厄介なことになってるみたいだから」

「ウェルフさんって……もしかして、『魔法』ってことですか」


 ローのささやきに、ニコルはかすかに頷いた。


「それもそーとー面倒なタイプ。あんまおれやおたくが手ぇ出さない方がいいかも。

 とりあえず若旦那が来るまで待って……」


 と言いかけて、ニコルはローに目を向けはっと息を吸い込んだ。


「こっから離れろ!」

「え……?」

「いーから、早く!」


 ぐらりと視界がかしいだ。


「?」


 体のバランスが崩れる。ローはとっさにベンチに手をかけようとして、つかむ手がないのに気が付く。

 いつからそうだったのか、ローの身体は消え始めていた。


「そ、そんな……!」


 糸が切れるように力が抜ける。

 遅れて、周囲の野次馬たちがわっと悲鳴を上げてローから距離をとった。


 ニコルがこちらに手を伸ばすのが見えた。


 ローも手を伸ばそうとしたが、『魔法』の侵行が思いの外早く腕が形を失う。

 異常な眠気がローを襲った。


 ニコルの手は、とうとう何もつかむことなく空を切った。

次回は31日の23時に更新します。

※人名を変更しています。

ミケ→ハイル(15部参照)

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