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魔法殺し  作者: 駄文職人
青年と花
10/35

ベアトリス・クロムウェル

 小さな手足が、葉っぱにしがみついている。


 ベティは首を横に倒してそれを覗きこんでいた。

真っ白なワンピースが汚れるのもかまわず、葉を食む芋虫を熱心に見守る。


 少女の指先ほどの命は、自分が見られているのにも気が付かないで緑と黄の模様のついた全身を波打たせた。

自分が食べてしまった部分へ身を乗り出し、新たな食事を求めて移動を開始する。


 この芋虫はベティの唯一の友達だった。

昔はもっとたくさん友達がいたのだが、みんなベティから離れて行ってしまった。


 だから今のベティは、この芋虫の成長を見守ることだけが楽しみだった。

もっと大きくなりますようにと毎朝お日さまに向かってお願いをする。友達がもう自分から離れて行ってしまわないように。


「そこで何してるっ!」


 しわがれた怒声に、びくっと猫のようにベティは跳ねあがった。


 あわてて芋虫を手の中に隠し、通りをまたいで駆けて行く。

食事を中断された芋虫が抗議するように指の間でもがいていたが、かまわず建物の中へと逃げ込んだ。

ごめんね、また後で食べさせてあげるからね。


「また店の花で遊んでたのか! 今度見つけたらただじゃおかねぇかんなっ!」


 背後で年老いた店主が杖を振り上げて怒鳴っているのを、首をすくめてやりすごす。


 ベティは待合室を横切り、廊下を曲がって自分の部屋へと飛び込んだ。

ベッドは四つほど並んでいるが、今はベティしかいないのでベティだけの部屋だ。

 床に置きっぱなしにしていた瓶にしゃがみこみ、そっと手を開く。

ジャムの瓶に雑草を敷いたそれが、ベティの用意した芋虫の家だった。指先で芋虫を瓶の中へと誘導し、勝手に外へと出てしまわないように木綿のふたを載せる。


 ベティは床にぺたんと頬をつけ、瓶の中を見た。

 色あせた葉っぱの上でしばらく寝そべっていた芋虫だったが、丸い小さな手足でまたゆっくりと瓶の中を這い始める。

懸命に生きようとする命がそこにあった。

 ほっとベティは息をつく。


「あ、いたいた。ベティちゃん。どこ行ってたんだよ、探したよ?」


 また声がしたので、ベティは瓶を抱きしめて勢いよく振り返った。


 ベッドの足と足の間から、部屋の入口の扉が開きっぱなしになっているのが見えた。

声で誰がいるのか、ベティには分かった。扉の向こうにはよれよれのズボンとひもの取れかけたスリッパ、それから白衣の裾が確認できる。


 ドクターはベッドのそばまで歩いて来て、ひょっこりとベッドの下からベティを覗きこんだ。


「まぁた花屋さんに行ってたでしょ。だめだよ~、お店の商品をいじっちゃ。何本かお花買ってあげたでしょ?」


 たしかにベティのベッドの枕元には花を差した花瓶がいくつも並んでいた。

 しかしそれではだめなのだ。切り取って水に差しているだけの葉は、店で植わっているものと全然違う。色も新鮮さも、店に並んでいるものが一番だ。


 芋虫も、新鮮なおいしい葉の方がうれしいに決まっている。


「そろそろお薬の時間だから、お友達一度置いて診察室行こっか。いやいや、そんな顔されても困るよ。早く元気になって、パパとママのところに帰りたいだろ?」


 ドクターに促されて、ベティはいやいや立ち上がった。

 せめて、と日当たりの良い窓際に芋虫の家を置いてやる。今日はいい天気だから、芋虫も日向ぼっこができて喜ぶだろう。

 その時、廊下でパタパタと慌ただしい音がした。


「センセ、センセ。お客さんがお見えですよ」


 ドクターを呼びにきた看護師だった。若い女の人で、ベティの身の回りのことを世話してくれる。

 ベティはこの人があまり好きではなかった。

ドクターの前では良い娘を演じているが、他の患者さんについて時々悪態をついているし、ベティの大事な友だちのことも気持ち悪いから捨ててきてと言う。

 こっそりベティは看護師をにらみつけたが、恐らく気付いてはいないだろう。


「お客? 急患かな」


 お昼からは予約入ってないはずだけどなぁと呟くドクターに、看護師は興奮ぎみに言った。


「それが、すごく珍しい方なんですよ! わたし、驚いちゃってついうっかり握手をお願いしちゃいましたもの!」

「え、うそ、そんなすごい人?」

「すごいですよ! あぁ、早く行って差し上げてください!」


 たぶん自分も早く戻りたいのだろう。看護師はドクターを急かした。


「ごめんよ、ベティちゃん。後ですぐ行くから、先に診察室で待っててくれる?」


 そう言い残して、ドクターは看護師と一緒に行ってしまった。

 ベティは一人ぼっちになる。


「……」


 芋虫の家を見上げる。

 やっぱり、連れて行こう。

 一人だと、きっと寂しいから。


 ベティは背伸びをして瓶をとり、ぎゅっと両手にかかえて部屋を出た。

 診察室は待合室の隣にあるため、一度来客の相手をしているドクターたちのそばを通らなくてはならない。

ベティは廊下から息をひそめ、こっそりと待合室を窺った。


「うえぇぇぇっ! 一体どうしたんだよ、お前が自分からここに来るなんて! 今日は世界が終わる日なのか!?」

「……大げさだ。そういう日もある」


 お客さんは二人だった。

一人はベティが見たこともない、黒い肌と髪と目の人。一歩離れて、ドクターの驚き具合に苦笑いしている。

 そして、もう一人。


「……あ」


 ベティに気が付いた黒い人が声を上げて、もう一人の背の高い人もこちらを見る。

 穏やかな笑みを浮かべて、背の高い人が挨拶をした。


「こんにちは」

「……っ!」


 ベティはその場に凍りついた。


「ベティちゃん、またそんなものを持って! ぽいしなさいって言ってるでしょ!」


 目ざとくベティの持った瓶を見つけ、目尻を吊り上げた看護師が叫ぶ。

 とっさにベティは瓶を奪われまいと自分の背に隠した。


「えっと、カイさん? この子は……」

「ここの患者さん。ベアトリスちゃん」


 黒い人はしゃがみこみ、ベティと同じ高さに視線を合わせて笑いかける。


「はじめまして。ロー・グロウディアです」


 ベティはひゅっと喉を鳴らした。

 回れ右をして、そのまま部屋に逃げ帰ってしまう。

 後に、呆然としたローが取り残される。


「えっと……ぼく、何か悪いことしちゃいました?」


 前にもこんなことがあった気がすると思いながら、肩ごしに青年二人に尋ねる。

 ああ、と気まずそうにカイは頬を掻いた。


「気にしないで。彼女、誰に対してもそうなんだよ」

「で、でも……」

「対人恐怖症」


 ウェルフは目を伏せて言った。


「世の中では彼女のような症例をそう呼ぶ。多数の人に囲まれたり、誰かと目を合わせるだけで緊張し、パニック状態になる。ひどい時には呼吸困難に陥るケースもあるらしい」


 あ、とローは焦る。


「ご、ごめんなさい」

「ま、気にするなよ。今のはほとんどウェルフのせいだし」


 カイは恨みがましそうにウェルフを横目でにらんだ。


「来るなら来るで、連絡しておいてくれよ。ベティちゃんがお前のことどう思ってるか、知らない訳じゃないだろ?」

「……うん」


 珍しくウェルフが口ごもる。

 カイは看護師にベティの様子を見るよう頼み、ウェルフとローを診察室へと招いた。


「ホントは投薬の時間だったんだけどな。まあ、ベティちゃんが落ち着いてからにするよ」


 患者と同伴者が座るための丸椅子を二人に勧め、カイは自分用の椅子に収まった。


 診察室は真っ白なカーテンや寝台のシーツで清潔感がある。三人入るとさすがに手狭だが、話をするくらいなら充分だろう。

 白衣を着て診察室にいるカイは、身なりはだらしがないのにちゃんと医者に見えるから不思議だ。


「んで、どうしたのよウェルフ。お前が何の用もないのに僕の所を訪ねてきたりはしないだろ?」


 ウェルフはカイの診療所へ向かう途中、ずっと神妙な顔をしていた。

 今も、すぐには口を開かずじっと床を見つめている。


「ウェルフ?」

「……彼女を、見せておきたかった。グロウディア君に」


 あの少女を?

 ローだけでなく、カイも怪訝な顔を作る。


「ベティちゃんを、なんでまた?」

「『魔法』など所詮、幻想にすぎない。まして叶わない望みが世を乱すとすれば、なおさら捨ててしまった方が良い。

……そう思い込んでいると、彼女のような被害者を生みだしてしまいかねないからだ」

「え……?」




「ベアトリス・クロムウェルもまた、かつて『魔法』を発現させたのだよ。……半年ほど前だったか」

次回は22日23時に投稿します。

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