お化け屋敷を訪れて
「ここ、まっすぐ登って行ったらレンガの家が見えるから。そこ目指してったらたどりつくよ」
「分かりました。ありがとうございます」
案内をしてくれた少年にきっちり頭を下げる。
周りは見渡すかぎりの田園風景だ。
小さな丘を越えてきたため蒸気列車のステーションはすっかり見えない。眼前にあるひときわ背の高い丘を見上げ、ほうっと息をついた。
ようやくか。
長い道のりを思って、つい感慨深くなってしまう。
船で十日、列車で丸一日。途中悪天候で足止めをくらったことを差し引いても、遠すぎる旅路だった。
「助かりました。ステーションを降りてから右も左も分からなくて……」
「それはお互いっしょ。おれだっておたくがいなかったら、今でも猫のケツ追っかけまわしてるところだぜ。言いっこなしさ」
道すがら、逃げた彼の飼い猫をたまたま拾い上げたのである。
「それにしても、めっずらしいなぁ!あの屋敷にまともな客なんてさ。おい、おたく知ってんの?」
「……?なにがです?」
首をかしげて尋ねると、くせのある金髪をかきながら彼は教えてくれた。
「あの家、ここらじゃ有名なお化け屋敷だぜ。とにかく奇妙奇天烈なモンばっか集まってくるんだから!」
◇
少年にもう一度礼を言って別れた後、重いトランクを抱えなおして丘を登りはじめた。
彼の言った通り、屋敷はすぐに見えてきた。まず三角屋根が畑のシロブドウの合間からのぞき始め、やがて真っ白なレンガが、強固にせり立つ敷地の壁が順にあらわになる。
そして最後に、槍を並べたような立派な門が目の前にあらわれた。
「すごい……」
城ではないかと見まごう、荘厳な屋敷だった。
レンガのあちこちに古い傷やひびが見られ、大した学がなくとも歴史ある建物だということがすぐに分かる。
重騎士の剣と盾のように塔が左右に控えてあり、その存在感を見るや堂々たるものだった。なるほど、たしかにこれはお化け屋敷だ。
門の鉄格子から中を窺うと、来訪を告げるノッカーが玄関の戸にぶら下がっているのがかろうじて見えた。
おそるおそる門に手をかけると、ぎぃぃぃぃっと金属のきしむ音を立てながら開く。
門から屋敷の玄関までは石畳がわたり、左右には奇抜な庭園装飾が出迎える。一瞬ひるんで息を飲んだが、意を決して御影石の上に足を踏み出した。
ところが歩き出して間もない内に、
かさかさ。
「……?」
何やら気配がして立ち止まった。
振り返ってみるが何も変わったことはない。ただ庭の草木が風に揺られるだけだ。
気のせいか、と再び歩き出すと、
かさかさ。
「!」
間違いなく聞こえた。
何やら草をかき分けてうごめくような音。
しかし、振り返ると音も止む。
「…………」
気味が悪くなってきた。
今度は注意深く周囲を見回す。
よくよく見ると庭の花は様々な色をしていてきれいだ。そう自分に言い聞かせて、不安と緊張を和らげようとした。
ほら、あの真っ赤な花なんてとてもユニークじゃないか。花びらがなんだか人の唇に似てる……。
と、唇に似ていると思った突然花びらがぱかりと開く。
中にずらりと並ぶ白い歯が確かに見えた。
「うわあっ!」
ぴぎーっ!
こちらも驚いたが、花の方も驚いた。
花は甲高い悲鳴を上げて、八方に広がる根をかさかさと動かし逃げ出してしまった。
風を切る勢いで建物の裏手へ消えてしまう、その動きは海底で泳ぐタコによく似ていた。
冷たい北風が吹き抜ける。
「今の……」
一体、何?
「どちら様でございましょうか」
背後から突然声がしたので、思わず飛び上がりそうになった。
燕尾服の老人が枯れ木のようにたたずんでいた。いかにも執事といった格好で、ぴんと伸びた背筋にまったく歳を感じさせない。
なんだか見下ろされている気がして、どきどきと言葉を探す。
「あ、あの、ぼく」
「もしや、グロウディア様でしょうか」
名乗る前に自分の名を言われ、まごついて頷いた。
「では、こちらへ」
流れるように玄関へとうながされ、先程の奇妙な花について――花かどうかも疑わしいが――尋ねることができなかった。
屋敷の中は見かけよりも質素だった。
その代わり、床の絨毯は塵一つゆるさじとばかりに掃除が行き届いていて、どこもかしこもぴかぴかに磨き抜かれている。
通された応接室はそれほど広くはなかったが、革のソファは身体が沈み込むほどやわらかかった。
机はガラス製。ここまで澄んだガラスは未だかつて見たことがない。
部屋の脇には小さな棚が置いてあり、上の陶磁器の壺や銀の皿などの調度品は人に触れられるのを拒むように輝きを放っている。
「しばらくここでお待ちください」
感情のこもらない声でそう告げ、執事は部屋から出て行った。
たった一人とり残されたのである。
(うぅ。い、居心地悪い……)
いや、ソファの座り心地は最高だ。
だが所詮は下流育ちの人間にとって、これほど上等な物に囲まれるという状況はプレッシャー以外の何物でもない。
『まったく、どうしてワタクシがこんな辛気臭いところにいなければならないのかしら。そう思いませんこと、ご客人?』
そんなことを言われても。
「……えっ?」
おっかなびっくり背後の壁を見上げる。
エキゾチックな柄のタペストリーの隣に、一枚肖像画がかけられている。
青いドレスを身にまとった貴婦人の絵。いや、それはいい。問題はこの絵から声がしたということだ。
まさか、と思いつつ肖像画を観察していると、中の貴婦人は大きな宝石のイヤリングを揺らしながら不機嫌そうに顔をしかめた。
『あら。置物でしたかしら? お返事くらいなさいな、つまらない方』
「……っ!」
お化け屋敷。
あの少年が言っていた言葉を正確に理解する。あれは決して比喩などではなかった。
人面花、喋る肖像。きっと今なら足元の絨毯が暴れだしても納得してしまう。
「す、すいません。絵に話しかけられるなんて経験、初めてで……えっと、マダム?」
肖像画の貴婦人は「マダム」と呼ばれたのに気を良くしたらしく、
『トラメ伯爵夫人と呼んでくださいまし』
と、すました顔で名乗った。
「失礼ですが、ここでは、その、貴女のようにお喋りをたしなむ絵は珍しくないのでしょうか……?」
『そんなこと、あるワケございませんでしょう』
トラメ夫人はいかにも貴族の女といった風に、右手に持った羽の扇子をあおいだ。
『ワタクシ、特別なんですの。えぇ、そんじょそこらの安価な絵と同じにしていただいては困りますわ。部屋の隅で埃をかぶるだけの装飾じゃあございませんの。
ワタクシ、ここに来る前まではヴィクタ・リクタの大美術館におりましてね。そう、ジャック・マーカスやヘクス・ギルベットが所蔵されている有名な美術館ですわ。みなワタクシを見るために高いお金を払って集まったものです。でも、勘違いなさらないで。ワタクシ隠居したつもりはさらさらございませんのよ!』
「はあ」
思いがけず始まった自慢話にあいまいに返事をした。
確かに動いてはいるがよくよく見ると、キャンバスには絵の具がべったりと塗ってある。
夫人が動くたびに、絵の具が紙面の上を這いまわっているのである。
こういう場合、絵が生きているというべきなのか絵の具が生きているというべきなのか。
「あの、こちらの屋敷のウェルフという方について伺いたいんですけど」
延々自慢話を繰り広げていたトラメ夫人が、ぴたりと口を閉ざした。
『……ご客人、あなたあの若旦那さまを訪ねていらっしゃったのではないの?』
皮肉に聞こえたのは気のせいではあるまい。
「どういう意味でしょうか……?」
『どうもこうも!あなたはどんなウワサを聞きつけていらっしゃったのかしら?
天才?悪魔?偉人?ご安心なさって、その全てが本当よ。若旦那さまを訪ねるほどですもの。そんなウワサ、あなた気になさらないでしょう?』
「今日はずいぶんとお喋りだな、夫人」
静かな声がするりと二人の間に割り込み、驚いてソファから立ち上がってしまった。
いつからそこにいたのか、件の若旦那が扉のそばで立っていたのである。