2.エルヴィン・ヨハネスの昔話
さらさらさら……。
「エルヴィン様、今生のお別れでございまする」
アンデッドの中のアンデッド、黒いスケルトンの体が崩壊を始めた。
エルドラ様を守り、戦い抜いた先の大戦より幾年月。いままで律儀に付き従ってくれた我が右腕にして、エルドラ親衛隊の副隊長が、消滅しようとしている。
「しっかりせよ! 気を確かに持て! 現世のことなど、根性と気迫で、大概どうとでもなるのだ!」
小脇に抱えていた首を石の床に下ろし、自由のきく左腕で、横になった副隊長の頭を支える。
我が名はエルヴィン・ヨハネス。エルドラ親衛隊の隊長にして、デュラハンである。
あの対戦の最中、勇者が放つ浄化の剣技、ホーリーギガスラッシャーを食らったまでは覚えている。
気がつけばどこかのダンジョンに居た。
配下のメイジ・スケルトンが、アストラルまでもをすべて消費して我等を転移させたのだ。
転移した5人の仲間とともに、部屋の主を倒し、そこに居着いた。
一安心したのもつかの間。
勇者最強の浄化技を食らったのだ。
時間とともに身体が崩壊していく定め。
いままで生きて(アンデッドが生きているかはともかく)これたのは、ダンジョンが魔物を生み出す生誕魔力によるもの。
だが、それでも消滅の時間を伸ばすだけの力にしかならない。
あの時来、私の利き腕は動かなくなっている。最近、足も踏ん張りがきかなくなってきた。
「おのれ勇者め!」
勇者の剣が洒落にならんかった。
片手剣のくせに全長3㎞とは、馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。
……それはそうと、あれをどうやって台座から抜いたのだろう? 解せぬ。
……いやいやいや、もとい!
あれから何十年経ったのであろうか?
飛ばされた仲間は一人、二人と力尽きていき、とうとう副隊長と私の二人だけとなっていた。
そして、最後の仲間が逝こうとしている。
「思い起こせば、エルヴィン様が幼き頃、おねしょ……もとい、粗相をされて泣きじゃくっていた頃より――」
「それを今言うな!」
誰も聞いていないのが幸いである。
「エルヴィン様。お慕い申し上げておりました……」
堰を切った洪水のように、一気に砂となって崩れ落ちる。
「マーガレット!」
乳母兄妹にして、元部屋付きメイドだったマーガレットが先に逝ってしまった。
とうとう一人になってしまった。
だが、まだ死ねぬわ!
左腕で我が生首を抱き、両の足で石の床を踏みしめる。
エルドラ様無き今、偉大なる事業を引き継ぐのは、この私! エルドラ親衛隊長のエルヴィン・ヨハネスしかいないのだ!
「うぐっ!」
膝が!
膝間接が砕けた!
立ち上がることが出来ん!
……もはやこれまでか?
いやだ! 私は諦めん! エルドラ様のため、マーガレットのため、人類を滅ぼすまでは!
「むぅ!」
背骨が! 腰骨が!
これは……身体が崩壊へ向かっている?
「うぉお! おのれぇええっ!」
おのれ、とは己のことか? それとも、だれかを罵っての言葉か?
腹が立つ! 情けない! 無念! 苛立ち!
首を床に置き、腰の剣を引き抜く。力の限り、怒りにまかせ振り下ろす。
カラン、カランカラン……。
伝家の宝刀が、手からすっぽ抜けた。
もはや、握力も無く……。
止めどなく涙流れ出す。デュラハンになってこのかた、涙を流したのは初めてだ。
「恨みますぞ、エルドラ様。なぜ――なぜ私を残して身罷られたか!」
その時であった。
ピチュン!
部屋を封鎖していた鋼鉄製の扉から、ピンクの光が飛び出した。
私の頭上1メットルを通り越していく。
鋼鉄製の扉が、私の身長ほどの直径の円を描いて、赤く光る。
一呼吸と置かず、扉が溶けて穴が開いた。
なんて事だ!
「ロックですよー!」
大穴を開けた扉の向こうから聞こえるのは、幼い子供の声だ。
「ダンジョン攻略はロケンローラーですよー」
穴をくぐって現れたのは、10歳に手が届かない少女。
色が白くて、眉毛が太くて、蜂蜜のような金髪で、猫さんの耳みたいなニット帽をかぶってて、町娘の服に、買い物カゴを下げて、サンダル履きで……ご近所へ買い物に出かけた――、
「エルフ?」
「だっ! だれがエルフですかよー! わたしは普通の人間の美少女ですよー!」
エルフ訛り丸出しの少女は、ニット帽を深くかぶり直しつつ、大いに狼狽えた。
「わたしはアルフィス薬剤店のニアですよー! 普通の人間ですよー!」
……ああ、そういう設定ね。
「そういうお前は、エルヴィン・ヨハネス! 生きていたのですかよー! 良かったですよー!」
「なぜ私の名を知っている!」
警戒しなければならない。この者はただ者ではない!
「わたしですよー! えーっと、妾ですよー! エルドラの転生体ですよー!」
……エルドラ様って……。
いやまてよ。
エルドラ様はエルフと昵懇の仲! 後年、転生魔法の研究に勤しんでおられた! 一人称は妾! 以上の事柄より――
「エルドラ様!」
「今はエルフのニアになっているですよー! ニア・アルフィス・メッツェン・ティーフィアですよー」
「ニア様!」
これは天恵か! 神に背きし我なれど、今日この日この時こそ神に感謝したことはない!
「あれから! 外は! 世界は!」
「お、落ち着くですよー! 落ち着くですよエルヴィン!」
矢継ぎ早に繰り出した私の質問をやんわりと押さえるニア様。
「こほん! 勇者は、死闘の末、ついこの前倒したばかりですよ-!」
「なんですと!? 本懐を遂げられましたか!」
破壊神とも見まごうほどの勇者をついに倒されたか! さすがエルドラ様! ニア様!
「さらに! 憎き黒蹄騎士団を擁するトラントに調略の手を伸ばしているですよー。もはや中枢はわたしの思いのままですよー!」
おおお、ニア様は裏技もお使いになられるか!
このお方、全知全能に生まれ変わられたか!?
新しいお体は素晴らしいスペックなのだろう!
「現在はトラントに居城を移して攻略の拠点としてるですよー。今回は経済面よりの攻略も取り入れているですよー。外食産業と出版業、薬品と医療業界、そして冒険者ギルドは我が手中にあるですよー!」
ニア様ががっしりと、小さいおててを握りしめられた。すごく悪い笑みを浮かべて。
さすがニア様! わたしが主と唯一認めたお方!
安心したら、ある男の事が気になった。
「ハンゾウ殿は?」
「ニンジャといえど人間は人間。寿命を迎えたですよー。今は3代目ハンゾウが活躍しているですよー」
さらばライバルよ。されど、さすがライバルよ!
「こうしてはおられませぬ。さっそく私も加勢いたしまする!」
「当たり前ですよー。エルヴィンは……」
私の目を綺麗な碧の目で見つめるニア様。
「エルヴィンよ、その方は、足腰が立たなくなっても滅びるまで使いつぶしてやるつもりですよー! ロケンローラーは根性と気迫で、大概どうとでもするものですよー!」
「望むところ! ロケンローラーが何かは解りませぬが」
首をつかんで立ち上がろうとして――冷たい床に伸びてしまった。
指先が、肩が。足が、粉をふき始めている。崩壊が始まったか……
身体が、もう、言うことを聞かぬ……。
「も、申し訳ございませぬ。この身体、もはやお役に立つ事が叶いませぬ……」
これから盛り返そうというのに、私はお役に立てないのか?
デュラハンは神に背き死せる者。すでに死んだ者。この身体が滅んだときが最後。魂も滅ぶ。
もとより輪廻の輪より外れた存在。死後の世界も、生まれ変わりもない。
このまま、滅びてしまうのか?
く、悔しい……。
「エルヴィンの身体がわたしの役に立たぬのなら、エルヴィンの魂をわたしの覇業の役に立たせてもらおうか、ですよー」
「は?」
ニア様は、私の目の前に転がっている愛剣を拾い上げ……ようとして、重かったのか、柄の部分だけを手にされていた。
「エルヴィンの魂、しかと受け取ったですよー! 刃こぼれが出すぎて切れなくなるまで使ってやるですよー。その後は鋳つぶして鏃として使ってやるですよー。柄は売り飛ばして軍資金にしてやるですよー。エルヴィンの骨の髄までわたしの役に立ってもらうですよー」
「ニア様……」
身体が崩れていく。それを首だけが横から見ている。
やれやれ。デュラハンとは……業の深い……化け物だ。
「だから、エルヴィンは安心して眠っているが良いですよー。これからも永遠に、ともに有り続ける……いや、こき使ってやるですよぅ!」
ニア様の小さな手が、わたしの頬を包み込む。
今生のお体は、なんて柔らかくて……あたたかい……。
「ニ・ア・さ・ま……ともに、あらん……こと……を……」
意識がすーっと――。
だが、安らかだ。
―― 私は、たしかに生きていた! ――
ロックは――、
まだ癌には効かないが、
そのうち効くようになる。




