18.エッダ
朝から大荒れの天気。
こんな日はお客さんが来ない。一日中お茶を引く事になろう。
売れない物書きのヘルムートがやってきた。
よほど暇だったのだろう。
「いらっしゃいませですよー」
「今日は客としてではなく、物書きとしてまかり越したでござる」
見ると手に紙の束があった。このあいだのパクリ小説の件だろうか?
「物語はキャラが命で御座る! クソみたいなストーリーでもキャラが立っていれば本は売れるのでござる! 例えば、マティ・マブットちゃんの分裂から来る憂鬱! とか」
「知らないですよー。それとわたしは関係ないですよー! ヘルムート個人の発言ですよー!」
こいつは、いつか言葉で自滅するであろう。
「それより、キャラクターを見てほしいでござる。船長は若い頃海賊で、今は王国海軍の艦隊司令長官」
「王国海軍、どれほど人材不足だったんですかよー」
「女騎士にして切り込み隊長。この子は唯一の船医も兼ねてるでござる。クールな女医! 燃える言霊でござる!」
「たった一人の船医が落命率ナンバーワンの切り込み隊長になってはいけないですよー! それに船医さんが戦っている間、怪我人の治療が出来ないですよー!」
「主力兵器の船首パイルバンカーが、伝説のラオウストラリア大陸を粉砕!」
「質量比的に無理ですよー。いやまてよ、船が光速に近い速度を出せれば、あるいは――」
ヘルムートは、散々駄ネタを披露した後、帰って行った。
入れ替わりに、ワルター博士がやって来た。
この荒れ模様の中、ご苦労なことである。
幾つか質問があるという。
もうお昼なので、一緒に食事しながら話そうということで、エッダの店へ行く。もちろん、授業をするのだからワルター博士のおごりとなるであろう。
そして、雨の中わずかな距離を走り、麗しのトラント亭。
「いらっしゃい! あらニアちゃん、お客さんを連れてきてくれたのね。開いてる所へ座って頂戴! こんな天気だから暇なのよ」
お母さんが一人で店の中を回していた。それはエッダの役なんだが。
「そういえば、夕べお腹痛だったと言ってたですよー」
……なんか物足りないなー。と思ってたら気がついた。今日はまだエッダの顔を見てないのだ。
「エッダの調子はどうですかよー?」
「薬を飲んだら小ましになったんだけどね、朝起きるまでは調子よかったんだよ。でもまた痛み出したみたいでね。お腹を干そうってんで、朝から飲まず食わずで寝てるよ。湯たんぽをお腹に当てて寝てるから、すぐ治るよ。大げさにしないでね」
日頃の行いの結果が、今ここに出たのだろう。
神はいる!
……弱っているエッダを見て笑ってやろう。
いや、一食や二食抜いたところで、エッダなら元気に動き回ってるだろう。
「ここに暇なお医者さんがいるですよー。お昼ご飯を奢る代わりにタダで診てもらったらどうですかよー」
「あら、そりゃいいね!」
「ニア殿、私はメディック医療大学校で勉強した一流医師で――」
「里では脚気も過去の病だったですよー」
「娘さんはどちらかな? 診てしんぜよう」
お母さんが部屋まで案内してくれた。
「エッダ! ニアちゃんが暇なお医者さんを連れてお見舞いに来てくれたよ」
「私は暇なのではなく、王宮にも呼ばれて、メディック医療大学校を――」
「具合はどうですかよー?」
エッダは毛布をかぶり、お腹を抱えて丸くなっていた。
「どうですかよー?」
反応がない。
いや、ちょびっとだけモゾっと動いた。
「元気出すですよー!」
日頃のお返しである。毛布を払いのけてやった。
エッダは――
青い顔をしてウンウン唸っていた。顔に脂汗を浮かべて。
見た目、体力消耗が激しい。
「エッダ! どうしたの!? 痛いの!?」
お母さんがエッダの体を揺する。揺すられる度、エッダが痛そうにする。
異常事態だ! ただの腹痛ではない!
「揺すっちゃダメですよぅ! 博士!」
「うむ!」
さすがに医者を名乗るだけはある。ワルター博士は容体を重くみた。
額に手を当てる。
「微熱か。何処が痛い?」
夕べお母さんは鳩尾と言っていた。
「下……下の方」
か細い声。朝からずっと痛みに耐えていたのだろう。
「吐きそう……」
「桶を持ってくるよ!」
お母さんが部屋を飛び出した。
この症状で思い当たるのはまず、急性腸炎。または腸捻転。激しい痛みから尿路結石なんかも考えられる。
食中毒は除外して良いだろう。嘔吐や下痢がもっと激しいし、ご両親やわたしは健康だ。
「はい、桶! 此処に置くよ!」
お母さんが戻って来た。
「ニアちゃん、良いお薬無いかねぇ?」
お薬で治る病気なら良いけど。
ワルター博士が脈を取っている。
「腹部を触診する。仰向けで体を真っ直ぐのばして」
「う、うーんん」
体を伸ばすのも痛そうだ。
お腹の各所を押さえて回る。
「特に異変はなさそうだが?」
あと、考えられるのは?
……まさか?
「替わるですようぅ!」
「何か思い当たる事があるのかね?」
わたしは身を乗り出し、右下腹部。足の付け根の上辺りを両手で強く押さえ付ける。
そして急激に離す。
「痛いッ!」
体を折り曲げるまでの痛がりよう。
「虫垂炎……」
「チュウスイエン?」
「なんだいそれ?」
ワルター博士とお母さんの反応だ。
「盲腸炎と言えば判るですかよぅ? あるいは、右下腸の周辺に膿が溜まる病気だとか?」
「なんだと!」
驚くワルター博士。腐っても医師。わたしが言わんとしていた病気を知っているのだ。
「お、大きな病気なんですか? エッダは大丈夫なんでしょう?」
お母さんが声を荒げた。
「残念ながら、この病は現代医学では治らない。このまま苦しんだ後、死んでしまう」
「嘘よー! あなたっ! エッダがー!」
取り乱すお母さん。調理場のお父さんを大声で呼んだ。
事の異常さに気づいたお父さんが、おしゃもじ片手に飛び込んできた。
もう一度、詳しく説明するワルター博士。
虫垂炎は、何らかの原因で虫垂に細菌が侵入。急性炎症を起こす病気。
抗生物質や開腹手術技術を持たぬこの時代。名称も原因も分からぬ不治の病の1つだ。
ちなみに、この世界において、ヒーリングの魔法を使えるのは神に選ばれし勇者と、生涯の全てを祈りに費やしたベテラン神官だけ。むろん、わたしも使えない。
「私も何度かこの目にしているが手の施しようのない重篤な病気だ。早ければ今日を入れて三日で死に至る。言わば死病」
「そんな!」
「いやーっ!」
お父さんとお母さんが取り乱している。
「炎症だから、ユタンポで暖めてはダメですよぅ。水で患部を冷やすですよぅ!」
「ニア殿、まさか、この病もお里では克服した病なのですか?」
「虫垂炎の薬は無いですよぅ! 開腹して虫垂を切り取るしか手はないですよぅ!」
エルフ族は、力が無いくせに生命力が強い。傷口に泥がついても化膿しない。抗生物質を開発する必要のない一族なのだ。それが裏目に出た!
「ワルター博士、開腹手術の経験は有るのかですよぅ?」
「無い。メディック医療大学校でも成功例は無い。大量失血にどう対処する? そもそも、激しい痛みに患者が耐えられんだろう。ニア殿の経験は?」
「童女に何を求めているかですよぅ? さすがに開腹手術の経験は――」
……有るな。
あー……。長老のセプク事件で、飛び出した内臓を元に戻したり、傷口を縫合したり……。それも複数回……。
「有るんですね?」
「仮に手術経験があったとしても、此処では難しいですよぅ」
チキュじゃ盲腸は手術の内に入らないとか言ってる人も居ますが……。
「まず、感染症を防ぐ為の滅菌作業……」
店の二階で、炎の魔法と店の消毒薬を併用すれば可能か。
手術中の止血は……有るな、止血薬が。
凝血剤は! ……ワルター博士が持っているし。
副交感神経遮断薬も、売り物の中にある。
メスは……印刷用魔法陣作成キット・彫刻刀シリーズ+3α版が有る。
「でもだめですよぅ」
「何故です?」
「エッダじゃ痛みに耐えられないですよぅ。痛みに耐える体力も無い。ただでさえ自信が無いのに、手術中に暴れられたら、腸を切ってしまうかも知れない、ですよぅ」
この世界に麻酔は無い。
麻酔は……ぶっちゃけ製造できる。エルドラ時代に、トラップ用として作ったことが有る (人体……もとい、マウス実験多数)。
材料さえ有れば数時間で作れる。精製に必要な魔法陣も持ってる。
問題は麻酔の材料。
ぶっちゃけ、麻薬の原料でもある。
これだけはダンジョン内にも生えてない。ダンジョンは健全な薬草か毒草しか生えてないのだ。
アルカロイド系の薬草は、人間社会に存在しない。
北の魔王の裏庭でしか栽培されてないのだ。
「結果、処置無しですよぅ!」
如何に天才大美少女魔道師といえど、出来る事と出来ない事がある。
エッダは可哀想だけど、……所詮人間。この辺りが付き合いの限界だ。
そうでなくとも、わたしは人類に殲滅戦争を仕掛けた大魔女、エルドラ・グランピーノである。人間に対する見切りは早い。
「はぁー」
肩を落とすワルター博士。
肩を落とすだけで済まない人が2人。
「エッダぁー!」
両親。
我が子が自分より先に死んでしまう。
親不孝な子だった。せめて痛みだけでも和らげてやろうか。
思えば、エッダはうざい子だった。
暇さえ有ればわたしにまとわりつく。昨日だって、パンを半分食べられた。
「わ、わたしにまかせるですよぅ!」
死病に取りつかれた人の命は、貴族でも大金持ちでも買えない。
だが、死病を治療できる医者の腕なら買う事が出来る。
そうだ。命に貴賤など無いのだ。




