6.ご近所さん
店の名前は決まっている。
わたしの名は、ニア・アルフィス・メッツェン・ティーフィア。
メッツェン・ティーフィアとは、「白紙の森の一族」という意味である。エルフは、人に名を名乗る場合、種族の誇りを掛けて名の最後にメッツェン・ティーフィアを付ける。
店の名前にメッツェン・ティーフィアを付けるのまずかろう。
だからといって、全く別の符号を付けることは出来ない。エルフと繋ぎを付けるのに不都合だからだ。
そこで、採用したのがわたしの姓。アルフィスである。
屋号「アルフィス薬剤店」。
まもなく開店します。
開店を翌日に控え、ご近所に引っ越しの挨拶をします。
世界を恐怖のどん底に陥れた元大魔法使いとして、当然わきまえている礼儀です。
お土産はエルフの里特製タオル。木綿製の手ぬぐいですな!
エルフ社会でごく一般的となった木綿(超長綿)生地。この開発と発展には、エルフ独特の習慣が大いに関与していた。
長老世代がすぐに腹を切ろうとするので、その手当に必要な包帯として、生産発達していったのです。(ぶちまけられたモツを腹腔内に再収納し、縫い合わせる技術も身につけている)
アルフィス薬剤店の両隣とお向かいさんに、挨拶かたがた、配ります。気が利く女として一目置かれることでしょうとも!
店の左。何かを生産しているらしい。一応は工房だ。との話です。
エルフ独特の長い耳をいつものニット帽に隠し、いざ参らん!
戸を少し開けて、……。
暗い! 酸っぱい臭いがする! 物が乱雑に積み上げられている!
「えー、お御免くださいですよー……」
しばし待つも、返事がない。
「お留守ですかよぅ!」
奥で気配がした。ガタンという物音一つ。そして静かになった。
……居るな。
「誰もいないのですかよぅ?」
どたん、バタン、と賑やかな物音がした後、足音が近づいてくる。
奥の扉がバタンと開いた。
「神か!」
明るい場所に飛び出した男は、頭の痛い事を叫んだ。
若い男だ。10代じゃな無かろうが、30代でも無さそう。がりがりにやせ細っているが、不細工では無い。
疎らな無精髭を生やし、この辺では珍しい漆黒の髪。シャツ一枚に、パンツ一枚という出で立ち。冬では無いが春も早い。まだ寒いだろうに。
「お隣に引っ越してきた者ですよー。これ、引っ越しの挨拶ですよー」
タオルを差し出す。
男というか青年は、ぽかんと口を開けたまま石のように動かない。
「あのー」
「しばらくお待ちください!」
急に目が輝いたかと思えば、バタバタと奥へ走っていき、扉が閉められた。
ごそごそバタバタと激しい物音がしばらく続いた後、突然静かになった。
かちゃり。
上品に奥の扉が開く。
髪の毛を整え、髭を綺麗に剃り、よそ行きの服を着た青年が背筋を伸ばして立っていた。
さっきの廃人と同一人物だ。
「初めましてお嬢さん。僕の名前はヘルムート。小説家でござる」
えー、あー、……周囲を見回す。仕事場らしい場所は、本や雑貨で埋められていた。埃がうっすらと積もっている。火が出ればよく燃えるだろう。
いやいや、売れない小説家……小説なんて宮殿お抱えの文学博士が書いた読み物だ。こやつはペラペラの本に寄稿する物書きだ。それも底辺の。
おっと、挨拶挨拶!
「わたしは隣で薬屋を開くニアですよー。人間がひらく普通の薬屋・アルフィス薬剤店ですよー。よろしくですよー」
挨拶を兼ね、さりげなく店の宣伝をする。出来る女はチャンスを逃さない!
「えーと、人間……ですか? エルフじゃ無く?」
どきっ!
「ななな、なにを根拠に!? エルフじゃ無いですよぅ! 普通の人間の童女ですよぅ!」
出来る女は、きっちりと歯切れ良く否定しておく!
「えーと、そうですね。人間の幼女ですね! ――汝を我が主と認める!」
いきなり騎士の礼をとられたですよー!
「何なりとご用命ください! この命に代えて!」
男前キリッ! そんな笑顔だが、痩せすぎの青白い顔で微笑まれてもなぁー。
「これ、引っ越し挨拶ですよー。受け取ってほしいですよー」
手ぬぐいセットを差し出すと、ヘルムートは恭しく受け取った。
「有り難き幸せ」
「掃除した方が良いですよー。埃をそのままにしておくと、病気になるですよー」
「イエス、ユア・マジェスティ!」
条件を満たすと急激に戦闘力が高くなるタイプっぽくて怖いですよー!
一軒目にして、ゴリゴリと体力が削られてしまった。
「すっ、はぁーっ!」
エルフ式丹田呼吸法により、気合いゲージを高めておく。
二軒目は右隣。
ハチの話だと、なにやら楽器とお歌のお師匠さんらしい。
芸術家は得てして教養が高い。位の高い人種と交わる機会が多いから、マナーも身につけている。……と、推理する!
「お御免ですよー!」
「はーい!」
打てば響く若い女性の声。
ドアを開けて覗いた顔は……美しき女性。
ばんきゅばおーん! 悔しくなんか無いやい!
赤みがかった長い髪を後ろで束ねた姿が婀娜っぽい。
左目の下にホクロが色っぽい。
程度をわきまえた着崩し方が、大人の女っぽい。
「お隣に引っ越してきたニアですよー。普通の人間ですよー。薬屋・アルフィス薬剤店を開くですよー。これ、引っ越しのご挨拶ですよー」
差し出した手ぬぐいセットを受け取る手。白魚のような指とはこれを指す。
にっこりと艶っぽく笑うお姉さん。
「おや、かわいい……人間のお嬢ちゃんね? お幾つ?」
「8歳ですよー」
ほんとは80歳ですよー。
「見た目より落ち着いているわね」
ぐっと顔を近づけられる。
「あたしはマグダレーネ。マグラって呼んで頂戴な」
すっと顔を遠ざける。
うぉー。男だったら即墜ちるわー!
大魔法使いといえど、このテクは持ってないわー。欲しいわー。
「えっと、薬がご入用ならいつでも言ってくださいよー。ご近所価格でお分けしますですよー」
「あら、じゃ、夜の男の人に利くおクスリいただこうかしら」
薬が片仮名のクスリになってますよー。
楽器や歌を教えてるって……相手はお金持ちの旦那さんだわー!
「よろしくですよー」
いそいそと退散するですよー!
タフでないと人間社会は生きていけない。
次は最後、お向かいの食堂である。
その名も「麗しのトラント亭」。同じ町に同じ名前が2つ3つ有りそうな店である。
ここ、間口が広い。広いと言っても鰻の寝床たるアルフィス薬剤店の倍しか無いが。
「お御免ですよー!」
戸をくぐる。テーブルが4つとカウンター席のこぢんまりとした店だ。
準備中と表に書いてあっただけあって、準備中だった。椅子が逆さになってテーブルの上に乗っかっている。掃除が済んだばかりなのだろう、店内には汚れ一つ塵一つ無い。
清潔感溢れる店だ。
「すみませーん! まだ準備中でしてー!」
調理場から顔を出したのは、見慣れた年齢の娘さん。エルフはみんなこの年齢ゾーンだから、何か親近感が湧く。
三つ編みにした金髪が二房、背中に伸びている。頬にはそばかす。長い睫にクリクリした丸い目。
13歳くらいだろうか? あと4年もあれば、完成された大人の美女となろう! 後でそばかす除去クリームを進呈しようぞ!
「お向かいに引っ越してきた、ただの人間のニアですよー。これ、お引っ越しの挨拶ですよー。よろしく頼むですよー!」
くりっとした目を見開いたまま、固まっている娘。
くるりと踵を返し、調理場へ向かって声を張り上げた。
「おかーさん! おとーさん! 昨日、町内会会長が言ってたエルフ……もとい、エルフみたいに可愛い女の子が来たよ! 白いよ! 金髪だよ! 碧の綺麗な目だよ!」
「こ、これ! エルフでは無い! わたしはエルフでは無いと言うに!」
隠しているエルフ耳をニット帽の上から押さえる。耳は完全に隠れている。大丈夫だ!
「どれどれ?」
「なになに?」
口ひげを蓄えた、ぽっこりお腹のお父さんと、昔はとても綺麗だったであろうお母さんが飛び出してきた。
「あら可愛い!」
おかーさんがにっこりと微笑む。
「わたしはっ! エルフなどでは無く、遠い国からやって来たただの人間ですよぅ!」
念のため、ニット帽を両手で引っ張り、耳を付け根まで隠した。
「そうだね。誰も疑ってないよ! わたしエッダ! よろしくね!」
「アルフィス薬剤店のニアですよー。よろしくですよー」
エッダが握手を求めてきた。
「エルフ屋のニアちゃんね!」
「エルフ屋ではない! アルフィス薬剤店ですよぅ!」
わたしは間違いときっちり訂正した。間違いは始めに訂正しておかないと取り返しの付かない事になる。
「麗しのトラント亭の主、コンラントだ。そっちがかみさんのビアンカ。困った事がったら何でも言ってくるがいいよ」
この人はよい人だ。典型的な第3世代の人類である! 勇者よ、良くやった!
おとーさんが握手を求め手を伸ばしてきた。
がっしりと握手する。ゴツゴツの手。働き者手である。
「よろしくね、エルフ屋のニアちゃん!」
「エルフ屋じゃないですよぅ! アルフィス薬剤店ですよぅ!」
人類は……集団を相手する時はチョロイが、個人を相手にする時はタツジン級に手強い。
何やってたの! 勇者!




