1.転生した大魔女
目を開けると、遠くに見知らぬ天井がありました。
いや、よく見知った建築様式の天井ではあるが、自分の部屋ではない。
過去、幾度となく危うくなれば逃げ込んでいた里だ。その建築様式は見知った物。むしろ第二の故郷ばりに慣れた景観と言える。
試しに喋ってみるも、アウアウオウオウしか出てこない。
握り拳が小さくて丸くて可愛い。口元から乳の匂いがする。
やたっ! 転生の儀式は成功なのじゃ! 我ながら見事! さすがじゃのー!
妾の名はエルドラ・グランピーノ。全世界に名を轟かせた暗黒大魔女である!
北の大魔王と並び、西の大魔女と、人類から嫌そうに称されていた大魔女である!
前のエルドラにも前世があった。
二度の転生で記憶がややこしくなっているが、たしかチキュという世界で、ニポンという国に住んでいた。はずだ。
その時の名前や何して生活していたかの記憶がゴッソリ抜けている。
だが幸いにも、当時の知識は記憶として保持していた。
満足げに頷こうとしたところ、顎だけしか動かなかった事に愕然とする。
いや生まれたてであるが故に、仕方なき事である。時間が経てば体の自由も利こう。
おっと、大人達が妾を覗き込んでいる。
可愛い赤ちゃんじゃからのー。
……なんか真剣な顔つきじゃのー。
……もしや、妾の正体がバレている?
それは不味いのじゃ。いかに前世が大魔法使いであろうと、生まれたてのモチモチの赤ちゃんでは、反撃のしようがない!
そしてこの体格の差じゃ、誰も彼も巨大に見える。
己の非力さに身が竦む思いである。
いやいやいや……落ち着け妾。天才魔法使いエルドラよ!
落ち着いて考えれば、転生の技術や概念は、妾だけの物である。いくらなんでも妾が転生者であるとは気づくまい。
精々赤子らしく振る舞っておれば、怪しむ者もおるまい。今こそ、部下共の失笑を買いながらも、めげずにこつこつと培ってきた芝居スキルを爆出する刻なのじゃ!
「あぅあぅあぅあぅ!」
完璧な演技! 大人どものハートを鷲掴みだ!
「えーと……、知的な……赤子じゃな?」
「うむ……賢そうな目をしておる。大人のような……なぁ?」
よし! 見事に騙されておる。
今生は女優としてメシを食っていけそうじゃ。
妾のベッドを取り囲んで突っ立っておるのは、見目麗しき若者達。
背は少年少女の域を出ず、見た目もハイティーン。
全員が綺麗な金髪に白い肌。
そして、先の尖った長い耳。
エルフである。
こいつらは、白紙の森に住まいするエルフの長老と年寄り達だ。
みんな見覚えの有る者共である。ここは妾の隠れ家であり、エルフ共は我が下僕であるのだから。
……下僕として扱ってきたから、正体がバレると逆襲されるんじゃね? 的な? ……。
君達は下僕じゃないぞ。我が家臣である! ……家臣でも不味いか?
「名前は付けたのだろうな?」
「ニアとつけました。アルフィス家のニアですよう」
「ニア・アルフィス・メッツェン・ティーフィア! 良き名じゃ!」
たぶんパパンと長老との会話だ。
「あぅあぅあぅあぅ!」
雰囲気雰囲気! 雰囲気が大事だ。
「エルドラ様――」
長老の一言で、部屋がしんと静まりかえった。
妾も静かになった。
え? 転生がバレてるの?
「――のお陰で我らは生きておる。と、言いたかっただけじゃ。他意はない」
セーフ! こいつら気づいていない!
「長老!」
年寄衆の1人が長老の方に、ポンと手を置いた。
「口が軽いようですなぁー」
スゲー怖い目だ。
ポン!
反対側の方にもう一人が手を置いた。
「死罪に相当する案件ですぞッ!」
甲高い声で叫んだ。
赤ん坊の部屋で出す音量ではない。
「アウ、アウウウ……」
いかん、体が恐怖と大声に反応した。感情が爆発しそう。制御できそうにない!
泣くぞ!
「ああ、エルド……もとい、ニア様が! なにゆえご機嫌を損ねられあそばすやらミカンやら!」
「長老! 赤子とは大声などでビックリすると泣き出すものなのですよう!」
「ばかな! 軟弱な貴様に失望して泣き出そうとしているのではないのかっ!」
うむ、エルフは長命の種ゆえ、赤ん坊の誕生は珍しい。赤子の取り扱いを知らぬ大人が多いのもまた心理。
「長老、これは長老の失策ッ!」
「あまつさえ、ニア様の父親に罪をなすりつけるとは、エルフの森不覚悟案件で御座いますぞッ!」
年寄達が長老を責めた。
……妾はこの先、長老が何をするか知っている!
「そうか、解った。儂が悪いのだな」
長老が、変な方向に落ち着いた。
床にあぐらをかいて座り、服を脱いで白い腹を晒す。
「儂が腹を切れば良いのだな!」
腰に差した短刀を抜き放ち逆手に構える! 鬼の1択じゃないかッ!
「掻き出したハラワタを甘辛く煮込んだ離乳食を作ってくれ!」
そんなメシ食えるか!
つーか、この短慮さが、エルフの数を減らした原因の一つじゃねーのと気づかぬのか!
逆にここは泣いてやろう。しかも激しく。
せーの!
「オギャー! オギャー! オギャー!」
「あああ、泣いた! お待ちくださいですよう、長老!」
ここで、育児を学習していた父親が、やっと待ったを掛けた。
「赤子の前でセプクは禁物です! 成長の阻害となるのですよう!」
「ならばどうすればよいッ! 儂はこれから、どのように生きていけばよいッ!?」」
「笑えば良いのですよー! 赤子は大人の笑顔を滋養に育つのですよう!」
「こ、こうか?」
長老がにっこりと微笑む。中身は鬼でもエルフはエルフ。イケメンが笑えばバックに薔薇の花が咲く。
「あぅあぅ、あぅー」
ご機嫌を取り戻したフリ。
「あふー」
お眠になったフリ。
「ほらご覧ください。機嫌が直りましたですよう」
「貴様、天才か?」
エルフのエルフによる、危なっかしい育児がスタートした。たった一つの不安ごとは、……妾が被検体であるという事だけだな! なんだ簡単じゃねぇか(泣
てか、安心したせいか、本当に眠くなってきた。
「我らエルフは、エルドラ様に返しても返せぬ恩を頂いた一族……」
突然、長老が壁に向かって話し出した。エルドラという単語に引っかかり、目を見張る。
「長老様は壁に向かって独り言を申し上げているだけであり、そこに意味は無い! 言わば年寄りの思いつきによる回想シーンである!」
年寄衆の一人が、明後日の方向を向きながら独り言を言った。
そうか、老人の回想か。なら安心だな。
いや、長老のおつむが心配だ。もう若くないのだぞ。
気の済むまで回想するが良い。妾は寝るぞ。
「エルドラ様は、人間相手の大戦に敗北された。城も燃え落ちた……」
妾の意識はミルク色の闇に落ちる。
「これも独り言ですが、13日も前の話ですよー……」
ギガント城を内包する魔の森が赤々と燃えていた。
城内を影のように足音を立てず走る男がいる。
黒装束をまとい、顔に狐の面をつけた男が走っていた。
向かう先は彼の主、エルドラ様の個室である。
全世界を破壊という恐怖のどん底に陥れた禁忌の魔女エルドラ。
大魔道師エルドラの広範囲魔法はエグかった。
土属性究極魔法ジオイド破壊LoveⅢで国ごと耕したり、炎属性禁呪クレータービームバンカーで直径200メートルのクレーターを作り出したり、召喚魔法最上級「メテオストライク連射版島1号落としクラッシュ’S」でいくつもの王国を滅ぼした。
あと水魔法を使って、地味に冷害。
人類どころか、この世界の生命滅亡の危機である。
ここに至り、知的生命体共はマジの反撃に出た。汎人類連合の結成並びに勇者召喚という荒技を使った。
結果、ギガント城は、その防御力を極限にまで落とすこととなった。汎人類連合、努力の賜である。
ここまで攻め込まれては、お得意の広範囲破壊魔法は使えない。
特に初期から勇者に付き従うトラント軍の攻めが上手い。
落城も、もはや時間の問題であろう――と、なってからが長かった。
進むに進めず、引けに引けぬ。あげく、火の気が無いはずの魔の森より出火。
時間を引き延ばしたのは、何を隠そう、ニンジャマスター・ハンゾウの手腕によるものであった。
あからさまに、かつ、なりふり構わず時間を稼いだ。
この修羅場な仕掛けに、勇者達のニンジャに対する心象は最悪となっていた。
「ハンゾウ!」
通路の先に偉丈夫が仁王立ちしていた。
重量級の鎧を身につけ、抜き身の大剣を右手に提げ、己の首を左手に持つ。
エルドラの親衛隊隊長デュラハンのエルヴィンだった。
「エルヴィン殿か」
狐面の男が面の奥で目を光らせる。
「姑息な手じゃ勇者の侵入を防げなんだな。後は我らに任せ、とっとと下がるがよいぞ」
エルヴィンの背後より、武器を手にしたスケルトンの軍団が沸いて出た。
アンデットの軍団を率い、意気揚々とハンゾウとすれ違う。
正面から戦う首無し騎士、デュラハンのエルヴィン。対照的に影働きが多いニンジャマスター・ハンゾウ。
エルドラ軍の重鎮でありながら、二人の関係は冷ややかであった。
放っておくと殺し合いを始めていただろう。
悪党にも一分の義。エルドラへの忠誠心一つで私闘は未遂となっていた。
だから、この修羅場においても二人のやりとりは尖ったものとなる。
「エルヴィン殿の部隊だけで大丈夫で御座るかな? 光属性の勇者相手にアンデットではいささか分が悪そうにお見受け致す」
「ほざけ! そこもとはエルドラ様のお部屋の入り口に罠の一つでも仕掛けておればよい!」
「言われるまでも無くそうさせていただく!」
「ふん!」
エルヴィンは鼻で笑ってから背を向け、勇者パーティとの決戦場へと向かった。
ふと立ち止まり、首だけ振り向いた。
「ハンゾウ殿、世話になった」
エルヴィンは爽やかな笑顔を浮かべていた。
最期の別れである。そうとも。勇者相手にアンデッドごときが敵うはずない。
「お別れに御座る」
ハンゾウは狐面を外し、素顔を晒した。青年の域を終えた、年相当の苦み走った顔である。
ニンジャが素顔を見せる。それは最高の敬意。
ハンゾウは印を結び、姿を消した。
エルヴィンも己の勤めを果たすべく先を急いだ。
「御屋形様!」
大魔道師エルドラの部屋に音も無くハンゾウは姿を現した。片膝をつき、武器を背に回す。さりとて暗器は懐に呑んでいる。ニンジャ式敬礼であった。
ハンゾウの前には豪奢の椅子に腰掛けた妖艶な美女。
放り出さんばかりの丸い乳。くびれた腰。桃のような美尻。大きくスリットの入ったスカートから白くて長い足を覗かせている。
彼女こそが全世界より呪われし大魔道師エルドラ・グランピーノである。
無言でハンゾウを見つめるエルドラ。
外からは喧噪が聞こえる。いよいよ、エルヴィンが勇者とぶつかったのだ。
「御屋形様!」
もう一度、ハンゾウが声を掛けた。
「ハンゾウか?」
エルドラは、ハンゾウを初めて認識したかのような態度を取った。
「ははっ! 時間稼ぎももはやこれまで。エルヴィン殿が――」
「妾とハンゾウが会話していると言う事は、我は転生の儀に成功したという事でもある」
ハンゾウの話半ばでエルドラが勝手にしゃべり出す。何かおかしい。
「我は、エルドラの残留意識により組み込まれた疑似意識体なのじゃ」
なるほど。
ハンゾウは理解した。そして自分の努力と、エルヴィンの死が報われた事に喜びを見いだした。
ハンゾウは思う。『さて残るは、御屋形様の最期を看取り、某が切腹して果てるのみ。まこと晴れやかな人生であった』と。
「ハンゾウ、最後の命令である。落ち延びるがよい。大義であった」
「……ご命令のままに」
主よりの命令は絶対。絶対的な対価を支払う。それがニンジャ。
愚行をくださったものには血で。知恵を授けていただいた方には栄光で。命を拾ってくださったものには末代までの従属で。
十年後か千年後か。我が血を残さねばならぬ。
やがて表舞台に現れるエルドラ様に仕える為、子を成さねばならぬ。そして我が術を全て伝えねばならぬ。
新しい仕事が出来た。
ハンゾウは九つの印を切り、エルドラの部屋から存在を消した。
扉の外の騒動はカタがついたようだ。こちらに向かってくる幾つかの足音だけが聞こえてくる。
エルドラは立ち上がった。脇に立てかけてある杖を手にした。
ドアが罠ごと破砕され、血塗られた大剣を持った勇者とその仲間達が部屋へ侵入した。
「ようこそ、我が城へ。そして死に抱かれよ」
このあと、エルドラと勇者は戦う。
天下の巨城ギガント城と魔の森を破壊する戦いの中、エルドラは勇者に討たれた。
勇者と勇者の仲間達は、世界を破滅に導かんとした悪の大魔道師エルドラ・グランピーノの死亡を確認した。
ようやく、この世界の知的生命体達は、安らかな夜と暖かい日の光を取り戻せたのであった。
3年の時が過ぎた。ニアちゃん3歳である。
エルフにゼロの概念を教えたのは妾なのだよ。
ある夏の早朝。
「――この様に、大人になると精霊と契約するのですよー」
ここはエルフの森。
エルフの女先生が、自ら契約している精霊を3歳児達に見せていた。
ここは、幼児学級。妾は幼稚園に通っているのだ。ああ情けない!
子供の数ざっと15人。3歳児から5歳児まで、白紙の森の幼児の全てがここに集結しているッ! 少子化の波は白紙の森にまで迫っているのか?
連中は、幼い頃より精霊を身近な物として見て感じて触れ合う。そうする事で自然と精霊使いのなんたるかを体感するのだ。
幼児エルフは、幼児でもエルフ。みんな揃って金髪碧眼。美形という単語を体現する為に存在すると言われているエルフなので、みんなとびきり美しい。そこに幼児性が加わるわけだから、特殊性癖の持ち主なら、犯罪に手を染めるか死ぬかの2択である。
恐るべしエルフの幼児。
皆、美形なんだがそれぞれ個性がある。一口に金髪と言っても、鮮やかな色合いから蜂蜜のようなしっとりタイプまで。
で、妾エルドラは、自慢じゃないが、特に繊細な造形をしているとご近所さんで噂になっている(自慢)。
背は……低い方だ。前世のエルドラが高すぎる(185)のだから、これでよい。
あとは、他の子供より耳が長くて太いのだが、それがまた妾の可愛い風体に似合っていて良いと、年寄衆は温かい笑みを惜しまない。
おっと、授業だな。
この女先生の名はウィクトリー。高位精霊と契約を結ぶ実力の持ち主。
いわゆる高位精霊魔術師。白紙の森の中でもトップクラスの精霊使いなのだ。
妾がエルドラだったときに、戯れで攻撃魔法を教え込んだ子供の1人なんだが、……しばらく見ないうちに胸ばかり育ちおって……。
妾も年頃になれば、たわわに実るはず。
前世のエルドラも大きかった故、それは約束されたようなもの(遺伝的に無関係)。
おっと授業中だった。ウィクトリー先生が睨んでいる。
「周りの小さな精霊さんとお話ししてごらんなさいですよー」
……精霊ね。
幼子の周囲、いやこの森に中には小さな風の精霊が常にたゆたっている。速く飛んだと思えば、急に姿を消す。
通常の3歳児達は自由に飛び交う風の精霊達とコミュニケーションをとろうと足掻くが……何とも歯がゆく、そしてつたない。イラっとする。
「風を起こちぇばよいのな」
この舌足らず、なんとかならぬものか。目下の悩みである。
悩みは横に置いておいて、……この授業の最終目的は精霊と話をすることではない。その先を求めているのだ。
ふわりと腕を上げ、指を複雑に動かす。この一定の動作そのものが方程式なのだ。
『イルマタル=レフト』
発生した涼風が、髪とワンピースの裾を靡かせる。これがウィクトリーの最終目標。
体から熱が奪われて心地よい。
夏の暑い日に便利な風の魔法なのだ。
「うわー、ニアちゃんちゅごいー!」
同級生達は目を輝かせ、妾の魔法に感嘆していた。
おむつの取れてないガキんちょ(ニアもだ)でも他人を褒める事はできるのだ。もっと褒めて褒めて。
「ふふん! エルフたるもにょ、この程度でおどりょいてはいけないじょ!」
ククククッ! 心地よい。実に心地よいぞー!
「精霊力が……」
ウィクトリーまでもが目を輝かせ、妾の魔法に見入っている。
妾の精霊魔法は精霊魔法ではない。
精霊は不安定な存在なので、使役はしない。
昔、精霊の役割を解析し終えた。自分の魔力で組み立てた魔法様式をもって精霊の代わりとする。
例えるなら、精霊とは簡素な基礎プログラムなのだ。初歩的なプログラムを一つずつ引き出し、組み合わせて使うより、最初から目的にあったプログラムを組む方が、構造を簡素化できて応用が利く。
慣れれば、こちらの方が便利なのだ。その域に至るまでは、妾にして複雑怪奇であったが。
「妾じゃなくて、わたちの魔法はこの程度じゃないじょー」
新たにそよ風を制御した。
そよ風の渦がニアより先生へ移動する。
巻き上がるスカート。白い逆三角形が覗く。
「キャーッ!」
これは不特定多数のよい子へ向けられたプレゼントであるッ!
エルフの狩人がこちらに走ってきたのはその時だった。
「大変だ! ドラゴ――おあーっ! 眼福!」
「キャー! 何見てんのよスケベ!」
ラッキースケベの代償に、ウィクトリーのグーパンチ連打を甘んじて享受する若い衆。
「う、ううっ……ドラゴンが……森の奥に現れた……子供達を避難……」
「なんですって!?」
ドラゴンが現れた。
「大変だー!」
またも若い衆が駆け込んできた。
今度は何だ?
「里の水源を守る御神木が枯れたー!」
ピンチは、一度起こると癖になる。