7 怒り
7 怒り
「あのさ、かなえちゃん。もういいかげん、結界を解いてよ」
「私はわがままを言っているかもしれないけれど、この世界をあなたに渡すことはできないわ。ほづみは私のものよ」
かなえは妖しく微笑んで、黒髪をさらりとかきあげる。
あたしは堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ! あんたのためだけに、みんなあんたのわがままに振り回され続けなければならないなんて、間違ってる!」
あたしは感情に任せて剣を振り上げた。かなえは少したじろぐ。
かなえが拳銃を顕現させるのを見逃さない。
剣で拳銃を弾き飛ばし、すかさず踏みつける。
「やらせないよ」
手榴弾を取り出したのを見て、無数の光の矢でかなえの服を壁にピン留めした。
「やめっ……」
あたしはかなえの手から手榴弾を奪い取り、異空間に放り捨てる。
すかさず剣を突き出し、かなえの喉元で寸止めする。
「チェックメイト」
「…………」
あたしは、なるべくのんきで冷静な声で、かなえのような妖しい笑顔をしながら、かなえに語りかけた。
「ねえ、かなえちゃん」
けれどそれは、どことなく冷たい声色になってしまった。
「この世界の魔物達は、あたしに殺されて糧になっている。かなえちゃん、今の状況って、妙だと思わない? 一つ、あたしは魔物であるかなえちゃんを殺さない。二つ、あたしは魔物であるかなえちゃんに襲われない。三つ、あたしはこの世界にとってイレギュラーな存在である」
あたしはかなえちゃんに背を向け、指を一本ずつ立ててみせた。
かなえちゃんが新しい拳銃を顕現させようとしたところを、光の帯で縛る。
「……何が言いたいの?」
あたしは肩をすくめた。やれやれ、まだわからないのか。
あたしは大きく身体を反り返らせながら、かなえちゃんの目を見た。
「あたし、かなえちゃんを殺したら、もとの人間に戻るかもしれないと思って」
「……続けなさい」
「それはもう、今となってはどうでもいいことかな。だって、かなえちゃんを殺すことは、あたしにとって悪だから」
あたしは目を閉じて、かなえのすぐ右隣の壁に背をもたれた。
足をクロスさせて、考える人の姿勢になる。
芝居がかった仕草で、何かを思いついたように顔を上げてみせる。
「いや、待てよ。もしかしたら、かなえちゃんとほづみがハッピーエンドになる方法があるかもしれない。ほづみの本質が魂だとしたら、あたしの能力でほづみんに身体を譲り渡したらどうなるだろう」
「やめなさい、美月。……やめて」
かなえは必死にもがいている。
「牛さんによると、ほづみの呪いは、かなえちゃんが結界を解くと発動するっぽいんだよね。そうしたら、ほづみの身体から魂が抜け出て、どこかに消えてしまう。それは困る。でも、呪いの対象はほづみの身体なんだよね? なら、あたしの精神とほづみの精神を交換して、結界をこじ開ければ……」
「お願い、美月。そんなことをされても、私、嬉しくない……」
あたしは剣を地面に突き立てて、刈谷かなえの胸ぐらに、掴み掛かる。
「ふざけないで! あたしがどんな気持ちで、こんなバケモノになったと思っているの? あんただって、すべてを投げ打ってほづみを助けたいんじゃないの? ほづみと一緒にいたいんじゃないの? あたしは、世界を救う正義の味方でありたい。でも、あんたとほづみも救いたい。だから、あたしにだって、少しくらいわがままを言わせてくれてもいいじゃない!」
あたしが激昂すると、かなえは目を伏せた。
「美月さん。私は悪魔だけれど、あなたはれっきとした人間よ。そうやって他人を思うこころを持ち合わせている。私はあなたが羨ましいわ」
「……何のつもり?」
「何もしないわよ。だって、何もできないもの。世界の秩序を狂わせて、あなたを困らせても、結局はあなたの思うつぼになってしまう。だから、あなたを羨ましいと思っていることを、言葉にしただけよ」
かなえは身体の力を抜いて、しょんぼりとしている。
違う。あたしは、かなえの悲しい顔を見たかったわけじゃない。
あたしは自分の右手に目をやった。
かなり黒ずんでいて、元に戻る気配がない。きっと、もう助からない。
でも、どんなに暗い気持ちになっても、あたしは笑顔であり続けたい。
少し手の力を緩めて、かなえに微笑みかける。
「ここであたしが自害するっていうのもありかな。そうすれば、未練も何もかも断ち切れる。あとはかなえちゃんが好きにすればいい。どうかな?」
かなえは驚いたようにあたしの目を見上げている。
そんなにあたしの目は虚ろなのだろうか。
おかしいな。笑っているはずなのに、どんどん涙が出てきちゃう。
どうすればいいのかな。
わかんない。
考えてもしょうがないか。
「……ごめん。あたしが間違ってた」
あたしは、かなえを解放して、そっぽを向いた。
「ありがとう。私も、ほづみをいつまでも一人占めしていてはいけないと思っている。でも、私は弱い。いつまでも決断ができないでいる。もし、このまま私が世界中の人々を見殺しにするようなら、遠慮なく私を殺しなさい」
あたしは両手を強く握り締め、ふっと緩める。
あたしが、かなえちゃんを殺せるわけがない。
まったくもう、世話の焼けるかなえちゃんだ。
あたしはいつもののんきな笑顔になって、かなえちゃんを抱き締めた。
「かなえちゃんはずいぶんと優しい悪魔だなあ、こんにゃろ!」
「ちょ、何を……」
かなえちゃんの背後へするりと回りこみ、胸の感触を両手で確かめる。
「ちょ」
「うおっ、でかい! やはり、隠れ巨乳! うらやましい!」
「やめなさい、美月」
「うひひ、ちょっとくらい触らせてよ」
「触り方がいやらしいのよ、あなた」
「だって、かなえちゃんの胸、気持ちいいんだもん」
あたしは、かなえちゃんの服の隙間から手を入れて、地肌に触れた。
「ちょ、いい加減にしないと撃つわよ!」
かなえちゃんは、異空間から取り出した鈍色の拳銃を右手に構えた。
親指で躊躇なくハンマーを下ろす。こわい。
「う、撃つのは勘弁して! いくらあたしでも、撃たれるのは痛いって!」
あたしがあたふたしていると、かなえちゃんは溜息を吐いた。
「あなた、私とほぼ同じ力を持っているなら、痛覚を遮断できるはずよね」
「いやいや、痛覚を完全に遮断したら、生き物ですらなくなっちゃうんだけど」
あたしがのんきに笑ってみせると、かなえちゃんは小首を傾げた。
「どういうこと?」
「身体の感覚がなくなるってことは、脳がストレスを感じないようにするために、こころの痛みもなくなるってことなんだよ。もちろん、痛覚を遮断すれば、こころをすり減らして指輪が濁ることはない。躊躇なく人殺しだってできる。死ぬことより過酷な運命かもしれないけれど、あたしのこころは痛まない。なんとも思わない。なんとも思えないんだから、しょうがないよね」
「ごめんなさい。私が悪かったわ」
「いや、あたしこそ、ごめん。弱気なことを言っちゃった」
かなえちゃんはうつむいて、銃を異空間に戻した。
あたしは、なるべく笑顔を保って、かなえちゃんを抱き締めた。
「あたしは正義の味方になったことに、後悔なんてしたくない。だから、みんなを守るためなら、あたしが犠牲になっても構わない」
「……何を言っているの」
かなえちゃんは眉尻を下げた。
あたしもつられて、似たような表情になる。
でも、笑顔は崩さない。
あたしは自分の指輪を眺め下ろす。
やっぱり、指輪の穢れは減る気配を見せない。
「美月、あなた……」
かなえちゃんは、あたしの手を取った。
あたしは苦笑いを浮かべる。
「見られちゃったか。秘密にしておこうと思ったんだけど」
かなえちゃんが、あたしの指輪に魔力を注いでくれる。
けれど、指輪の色は変わる気配を見せない。
かなえちゃんの表情に焦りが浮かんだ。
「もういいよ、かなえちゃん」
あたしは手を引っ込める。
かなえちゃんから離れて、壁にもたれかかった。
腕を組んで、下を向き、目に浮かんだものを隠す。
「あなた、無理しすぎよ。最近見ないと思ったけれど、もしかして、あなた、戦ってばかりいるのではないかしら。精神が持たないわよ」
「あはは、かなえちゃんには適わないよ」
あたしは、伝い落ちてきた涙を右手の甲で軽く拭き取り、ほがらかな笑みを浮かべる。かなえちゃんは小さく嘆息した。
「私は無理をしてでも守るべきものがあるから」
「あたしだって、正義の味方だから、無茶くらいする。ほら、あたしは元気だよ」
かなえちゃんは、おもむろに頭を振った。あれれ……だめかい?
「ちょっと息抜きをしなさい。私やほづみと一緒にショッピングでもする? なんなら、温泉にいくのもいいわね」
なるべく明るい口調で、心配させまいとしたのだけれど、だめだった。
あたしは仕方なく、真面目な顔つきになる。
「あたしには、時間がない。なるべくたくさんの魔物を殺さなきゃ。そうしないと、みんなが辛い目に遭うかもしれない」
「あなたに責任はないわ。それと、辛いことがあったときは、誰かに頼ってもいいのよ。私でも、ほづみでも構わない。きっと、あなたの助けになる」
かなえちゃんは、右手の指先で、さらさらとした黒髪に触れた。
私は両手両足に力を込める。
「うん。わかってる。でも、まだ平気。この指輪、結構濁っているけれど、あたしのこころ、意外とタフみたいだから。それに、多少無理をしないといけないくらい、魔物が町中に増え続けているんだ。あたしが少し魔物を結界を見落としただけで、何百人もの死者が出たこともある。あたしのせいで、みんなが死ぬことになるなんて……」
「あなたのせいじゃない。私なんて、ほづみのためだけに、自分勝手なことばかりしてきた。他人を利用して、たった一人の命を守ろうとする、最低のクズよ。あなたのことだって、私の自分勝手な願いのために、何度傷つけたことか……」
「かなえちゃんのせいじゃないよ。かなえちゃんは、ほづみを助けようとして、当然のことをしただけだよ。もしも、かなえちゃんがほづみの復活を願わなかったら、あたしが代わりに願っていたかもしれない。神様は残酷なことに、あたし達に重い代償を与えた。普通なら当然だよ、何の努力も対価もなしに、夢を叶えるなんてことはできないから。でも、神様に願い事を叶えてもらうことが、そんなに悪いことなのかな。奇跡を起こすために、どうして枷をはめられなければならないのかな。結局、あたし達は、神様の実験動物に過ぎないのかもしれない」
「いいえ、あいつは神でもなんでもない。神の名を騙った悪魔よ」
かなえちゃんは一瞬怖い目つきになったけれど、すぐにいつもの優しい目に戻った。それから、右手の人差し指で髪をくるくると回しながら、あたしのほうに首を向けてくる。
「何かあったら、いつでも私に相談しなさい。約束よ」
「うん。危なくなったら、かなえちゃんに相談するって、約束する」
「ええ、約束よ」