6 葛藤
6 葛藤
あたしはいつだって正義の味方。同時に、かなえちゃんの友だちでもある。
かなえちゃんをこの結界が貼られた世界から抹消しても、あたしは嬉しくない。世界がそれを望んでいたとしても、あたしはそれを正義だとは思わない。
もちろん、あたしが本気でかかれば、手加減してくれるかなえちゃんなら、抹殺することもできるかもしれない。だから、手間のかかる方法だけれど、あたしはかなえちゃんの呪いを少しでも薄め続けて、なんとかかなえちゃんを自分から更生させたい。まあ、かなえちゃんが本気を出したなら、世界全体があたしの敵になっちゃうんだけどね。
最終手段として、あたしが犠牲になる方法もある。あたしの身体をほづみにあげれば、かなえちゃんはほづみが消えずに済むから、すぐにでも結界を解いてくれるだろう。でも、かなえちゃんがあたしのことを気遣うかもしれない。そうならないように、かなえちゃんに対しては少し冷たい態度でいなければならないだろう。といっても、そんな態度は長く続かなかったけれど。
かなえちゃんは、あたしが浄化の能力を持っていることを知らないみたい。あるいは、忘れているだけなのかもしれないけれど。今のあたしはかなえちゃんに信用されていないみたいだから、あたしが「かなえちゃんを斬らせて!」と言ったところで、いくら説得しても、みすみす斬らせてはくれないだろう。だったら、刺激しすぎない程度にかなえちゃんを脅は……説得して、遠慮なく斬らせて貰おう。事が済んだら、それとなくあたしの能力をかなえちゃんに伝えておこうかな。
あ、でも、ほづみの呪いは、かなえちゃんが結界を解いたら発動してしまう。
かなえちゃんの結界は、かなえちゃんの意志で解く方法と、かなえちゃんの魔力を枯渇させる方法の二通りがある。
かなえちゃんの呪いは、そのまま魔力にも繋がっている。あたしがかなえちゃんを斬りまくって、かなえちゃんの魔力をすっからかんにしてしまうと、結界が解けて、ほづみが本当の意味で消えてしまう。
あたしがかなえちゃんとタイマンを張ったときは、あたしが魔力を注いであげながら、容赦なく斬りつけた。今のかなえちゃんは呪いが解けて元気一杯になる。
けれど、ほづみの呪いが解決しない以上、かなえちゃんは意地でも結界を解こうとしてくれない。はじめのうちは、それでもよかったのだけれど、だんだんと結界による実害が出始めた。かなえちゃんが制御しきれない魔物が暴れたり、ルナークが新たな犠牲者を増やそうとしたり、かなえちゃんが家族と会えないでいたり、頭が痛くなってくる。
さて、どうしようかな。
あたしとほづみは学校近くのファミレスで苺シェイクを飲んでいた。
「ていうか、何であんたもいるのさ」
「気にしないで頂戴」
刈谷かなえは、ちゃっかりほづみにぴったりとくっついて座り、一人だけブラックコーヒーを飲んでいる。あたしはテーブルを挟んで、ほづみの目の前に座っていた。
「かなえちゃん、その……ちょっと、近いよ」
「そうかしら」
「むう……黒髪美人め、まさか、ほづみを誑かす気か!」
あたしがにやにやしながら、かなえを指差すと、かなえはそっぽを向いた。
「いいえ、違う。私はそんなことをするつもりは……ないわ」
「いやいや、いまの間はおかしいって!」
あたしがテーブルに額を打ちつけると、かなえは呆れて嘆息した。
かなえは渋々、ほづみから距離を取る。あたしのすぐ左側には仕切りがあって、ほづみは、かなえと壁に挟まれるかたちで座っている。
「かなえちゃんもほづみんも、いい胸をしているよね」
あたしは自分の胸と二人の胸を見比べながら嘆息した。
ほづみは苦笑いし、かなえは何かを堪えるように目を瞑っている。
「美月ちゃんはバランスが取れてていいと思うよ。重いと走るのも大変だし」
「そうよ。胸なんてただの飾りよ。私はこの無駄に大きな胸のせいで、中学生時代に何度フラれたと思っているの? バランスが悪いとか、貧乳のほうがよかったとか、両目の腐ったような男どもから散々文句を言われたわね。きつめのブラも試してみたけれど、息が苦しくて長続きしなかったわ。はぁ……。以来、私は彼氏も作らずに、女子生徒とばかり交流するように成り果てたのよ」
かなえちゃんは、怒りを通り越して呆れた表情で、感情的に心情を吐露した。
だんだんと、かなえちゃんの目から光が消え失せていくのが、とても怖い。
あたしはぽかんと口を開いて、しばらく固まっていた。
ほづみはあたふたしながら、シェイクを音もなく吸い続けたまま黙っている。
かなえちゃんが静かにコーヒーを啜る音を耳にして、あたしは我に返った。
「気にしてたんだね……。ごめん」
「いいえ、もう慣れたわ。なんなら触ってみる?」
かなえちゃんは不吉な笑みを浮かべた。それはまあ、またそのうち。
あたしは小さく伸びをして、ガラス越しに外の景色を眺めた。
午前十時頃、晴れた大通りでは人や車の往来が多くなっている。
あたしがシェイクを吸っていると、スマホの着信音が鳴った。
「あ、先輩からメール。なんだろう」
「あ、美月ちゃん、スマホ買ったんだ」
「うん。もう高校生だし、いつまでも携帯なしっていうのもどうかと思って」
「そっか。わたしもスマホだよ」
すると、かなえは少し方を落とした。どうしたのだろう。
あたしはほづみに聴こえないように、かなえにテレパシーを送った。
『かなえちゃん? 何か落ち込んでる?』
かなえはびっくりして、あたしのほうに視線を向けた。
いつもののんきな笑顔は崩さない。
『なんでもないわ』
『嘘だよね』
『たとえ嘘だとしても、あなたに話す義理はないわ』
『ちぇっ。いいもん。じゃあ、ほづみんに直接聞いちゃうもんね』
『ま、待って。待ちなさい、栗原美月』
冷静沈着な表情のかなえちゃんが、声だけ焦っている。
可愛いなあ、もう。
『ん? なあに?』
あたしはのんきにシェイクを飲みながら、メールを読むふりをしていた。
『白々しいわね。私だけガラケーなのよ』
『そっかあ……。かなえちゃん、ほづみんのこと、大好きだもんね。やっぱり、恋人同士、ほづみんがスマホを持っているなら、かなえちゃんもスマホを持っていないと落ち着かないのかな?』
『くっ……否定できない』
『素直じゃないなあ、かなえちゃんは』
あたしはようやく話を切ると、メールを読み出した。
高校で一年上のテニス部の先輩。まあ、あたしはすぐテニスを辞めちゃったんだけど、先輩とは今でも友だちである。
いつもならSNSで済ませるやりとりを、メールでしてくるのは珍しい。
まあ、あたしは余程のことがない限り、SNSは使わないんだけども……。
メールには、絵文字をふんだんに用いて、『美月ちゃん元気? うちは付き合って二年目の彼とデート中! よかったらまたテニス部に来てね!』という旨が書かれている。
「どんなメール?」
ほづみがテーブルの上で腕の中に顔をうずめながら聞いてくる。
「先輩が彼氏とラブラブデート中だってメールが来た」
「美月ちゃんも彼氏いるよね」
「まあねー。最近、会えてないけど」
画像の添付ファイルが三枚あるので、開いてみた。
「えっ?」
そこには、先輩と、あたしの彼氏……響谷がツーショットで写っていた。
「嘘……」
二枚目は、先輩と響谷が、水着姿で写っている。
先輩の水着はかなり勝負したきわどいもので、あたしの彼氏と肩を組んでいた。
「…………」
三枚目は、先輩と……先輩の彼氏が、先輩の家でキスをしている写真だった。
先輩は、あたしの彼氏が誰か知らない。
ということは、まさか……いや、そんなはず、ない。
あたし、捨てられちゃったのかな……。
ううっ……。
いや、何かの間違いかもしれない。きっと、そうよ。
あの優しい響谷が、あたしを捨てるわけがないもん。
あたしは意地になって、三枚の写真を繰り返し確認する。
何度見返しても、写真に写っているのは、響谷だった。
冷や汗が背筋の辺りを滴り落ちていくのがわかる。
ど、どうしよう、こんなのって……。
ほづみは心配そうにこちらを見上げてきた。
「美月ちゃん? 顔色悪いよ……?」
『どきっ』
『……何?』
『あ、ごめん。勢い余ってテレパシー送っちゃった』
『その様子だと、何か重大な問題でも起こったのかしら』
『うん……。あたしにとっては、だけど』
「そう。それなら、私よりほづみに相談したらどう?」
『うん、そうだよね……』
ほづみがずっと首を傾げているので、あたしはぽつぽつと語り始める。
「いやあ、その……なんというか……先輩が響谷とくっついちゃってさぁ」
「ええっ! 美月ちゃん、あんなにいい感じだったのに!」
ほづみが家にやってくるたびに、時間が空くと響谷の話を何度かしていた。
ほづみはあたしの、もとい響谷の自慢話なんて聞きたくないかな、と思っていた。けれど、ほづみに彼氏がいるか聞かれて、付き合っていることを伝えると、興味津々になって耳を傾けてくれた。本当は興味ないのかもしれないけれど、ほづみに響谷の話をしているだけで、ちょっとした優越感に浸ることができた。
でも、それも、もうおしまい。
「だって、あたし、響谷とまだキスしたことないもん。でも、先輩とキスしている、海でツーショットを撮っている。けど、響谷と先輩には幸せになってほしい」
あたしは目からぽろぽろと溢れ出る雫を左手の人差し指で掬い取った。
右手に視線を落とすと、あたしの指輪に嵌められた蒼い宝玉が、どんどん黒く濁っていっているのがわかる。
だめだな、あたし……。ほんと、だめな子だ。
あたしはみんなを守るために、強くならなくちゃいけないのに。
「美月ちゃん、その……元気出して、ね?」
「ほづみが心配してくれるのはありがたい。けど、あたしは平気だよ。あたしは正義の味方なんだから。響谷が先輩と幸せになってくれるなら、それでいい」
「本当に? でも、美月ちゃん、泣いてるよ……?」
「やだなあ。ほづみは、いつだって、あたしの中に入ってくる。でも、それは、ほづみの優しさでもあるんだよね」
あたしは無理矢理作った悲そう的な笑顔で、席を立った。
ほづみが同時に立ち上がり、あたしのことを抱き締める。
やめてよ。
そんなことされたら、また泣いちゃう。
「ごめん、あたし、先に帰ってもいいかな。一〇〇〇円、置いてくからさ」
すると、かなえちゃんが小さな欠伸をした。
「私は多少、財布に余裕があるから、今日はおごってあげるわ」
「え、そんな、悪いよ……」
「いいのよ。もとから、私が払うつもりだったから」
「そっか。ありがとう、かなえちゃん」
「わたしからも、ありがとう」
あたしとほづみから礼を言われたかなえちゃんは、優雅にコーヒーを啜った。
ふと、響谷のこと思い出して、あたしは笑顔を若干曇らせる。
あたしの様子に気づいたほづみが、顔をぐいと近づけてくる。
「ねえ、美月ちゃん。今日、わたしと一緒に寝ようか」
「ちょ、げほっ、ごほっ」
奥で座っていたかなえちゃんがコーヒーを噴いて咳き込んだ。
「ほづみ、私を一人にしないで……」
かなえちゃんが珍しくしおらしい表情をしている。可愛い。
かなえちゃんとほづみが仲直りしてから、ほづみはずっとかなえちゃんの家に泊まっている。だから、いままで一緒に寝食をともにしていたほづみがかなえちゃんに取られたような感じがして、実はかなり寂しかった。
「じゃあ、かなえちゃんの家に美月ちゃんも泊めてあげてよ」
「で、でも、危険よ……色々な意味で」
「むう、かなえちゃん、美月ちゃんは優しい子なんだから、いじめちゃだめ!」
ほづみは頬をふくらませて、かなえちゃんの頭を撫でた。
すると、気持ちよさそうに笑って、されるがままになっている。
「はっ」
正気に戻ったかなえちゃんが、鋭い眼差しでこちらを一瞥してくる。
「妙な動きをしたら、容赦しないわよ」
言葉の内容とは裏腹に、優しい声音が耳朶に響いた。
「……ありがとう、かなえちゃん」
あたしは、こころから礼を言うと、かなえちゃんは小さな溜息とともにコーヒーを飲み干した。
結局、あたしは自宅に留守電を入れて、二人と一緒にかなえちゃんの家に一日お泊りすることになった。
あたしの母は基本寝ているから、大抵、留守電になっている。
お代は、かなえちゃんが全額払ってくれた。