4 花園
4 花園
あたしは正義の力とともに浄化の力を授かり、かなえちゃんの呪いを解くことにした。あたしの持っている、輝く正義の剣は、魔物を斬るためだけにあるのではない。悪や呪いといった、あたしにとって不浄なものを断ち斬る力もある。
これで、かなえちゃんを殺さずに、元のかなえちゃんに戻すことができる。
そうすれば、かなえちゃんの願いでほづみも元通り、一石二鳥だと思っていた。
ところがどっこい、牛さんは甘くなかった。
まあ、このへんは追々話すとして、あたしが正義と浄化の力を得て具体的に何をしたのか、語っておこう。そのためには、あたしの友達がどれだけヤバイかを先に確認したほうがいいと思う。
まず、ほづみん。
あたしは、ほづみん……ほづみが、ルナークという牛さんの瞳をあしらった杖を、前々から持っていることを知っていた。何を隠そう、ほづみがあたしに教えてくれたのだから。
といっても、あの杖にたまった生命力が、ほづみに逆流して暴走するなんて、あたしは想像したこともなかったなあ。
次、かなえちゃん。まず、最初のうちは、あたしでも勝ち目がなかった。
多少、本気を出したかなえちゃんが、あたしの左腕を吹っ飛ばしたこともあったけれど、少し痛いくらいで済んだ。いや、少しといっても、叫んでしまうくらいの痛みはあったのだけれど。それに、初めてのことでかなり戸惑ってもいた。
今のあたしはもう人間じゃない。だから、これくらいなら我慢できる。
お父さんとお母さんから貰った大切な身体を、こんな風にして、ごめんなさい。
あたしは涙をぽろぽろと流しながら、左肩の出血を右手で抑えつつ、駆けた。
かなえちゃんはあたしのことをじっと見つめているだけで、何故か攻撃してこない。右手に何か違和感がある。見ると、禍々しい模様が、指輪から右掌を侵食しはじめている。これが、ルナークの言っていた呪いなのだろう。
今、あたしはすごく虚ろな表情をしていた。呆然とあたしの腕を眺めて、家族の姿と、ほづみと、昔のかなえちゃんの笑顔を思い浮べる。
こんなところで挫けたらだめだよね。
あたしが右手を離すと、左肩の出血はすでに治まっていた。
「あたしだって、生きている。だから、喜びも、悲しみも、全部あたしが引き受ける。あたしは、こんなところで諦めなんかしない!」
あたしは自分の左腕を拾い上げると、元あった場所へと力任せにくっつけた。そうして力を込めると、不思議と左腕がきちんと動くようになる。
あたしが右手を夕日に翳してみる。掌の侵食は消え去っていた。
「かなえちゃん、はやく目を覚まして!」
かなえちゃんは、黒い翼を生やし、無表情で宙に浮かんでいた。
指輪から光の弾を浮かび上がらせ、帯状に引き伸ばす。弓を引き、かなえちゃん目掛けて光の矢を放つ。
かなえちゃんの赤い瞳が紫色に発光し、光の弓は粉々に砕け散った。かなえちゃんの放つ風の刃があたしを襲う。あたしの身体はガラスの破片となり、空気に溶けていった。
「へっへーん、後ろがお留守だよ」
かなえちゃんが気を取られている隙に、あたしは分身を出しておいた。
あたしは、かなえちゃんを背後から剣で斬りつけてから、異空間を通じてすぐに離れる。時間がかかるけれど、ヒットアンドアウェイ戦法でいかせてもらう。
あたしの剣はかなえちゃんの呪いを削ぎ落とす。徐々に呪いが薄まっていったかなえちゃんは、ようやく、辛うじて正気に戻ってくれた。
あたしはそのとき、魔力を遣いすぎて、ほとんど気を失っていた。
肉体も精神もぼろぼろのあたしは、ほづみの怯える姿に手を伸ばす。
届くわけ、ないか。
あたしは、赤い花達の真ん中で、夕日を背にしながら、自嘲気味に事の成り行きを見守っていた。
「かなえちゃん、ごめんなさい。覚えてるかな……、わたし、かなえちゃんが怖くてたまらなくって、でも、優しいかなえちゃんに戻ってほしいからって、永遠の不幸になるように、ルナークにお願いしちゃった……。えっとね、うまく言えないんだけど、そのせいで、わたし、かなえちゃんの結界の中でしか生きられない身体になっちゃったみたい。魔法もほとんど使えないし……」
おそらく、かなえちゃんの不幸はほづみの不幸ということなのだろう。
「私がどうなろうと構わないわ。自業自得だもの。むしろ、その願いがほづみを苦しめることになっていることが許せないわ。あの牛、都合のいいようにばかり人の願いを解釈しているようね。腹が立つわ。でも、感謝もしている。私はほづみが傍にいてくれるだけで満足だから」
「かなえちゃん……」
あたしは二人の涙をやつれた笑顔で眺めていた。
あたしは、ふと、魔物の気配を察知する。
「危ない……」
声に力が入らない。
注射器と虫を足して二で割ったような魔物の群れが、ほづみを刺し貫いた。
「……なに? なんなの?」
怒り狂ったかなえちゃんは、顕現させた拳銃を両手で構えた。
「わああああ!」
耳障りな虫の羽音のするほうに向けて、銃を乱射する。
注射器の魔物は、空中分解を起こして、花畑に散っていった。
かなえちゃんの悲痛な叫び声があたしの耳をつんざく。少しだけ、傷に響く。
せっかく、ほづみとかなえちゃんが仲直りしたのに、台なしである。
かなえちゃんが頑張って処置をしていたけれど、手遅れに見える。
「もういいよ……」
「だめよ、だめ! お願い、生きて、ほづみ!」
「また、必ず、会えるから……ね?」
光を失って行くほづみの眼球が、かなえちゃんの姿を探して、さまよっている。
かなえちゃんは目に見えて落ち込んでいたけれど、あたしのこころも結構まずかった。力を使い果たした上に、ほづみが死んでいくところを直視しなければならないのは、とても辛かった。
また、守れなかった。何度ほづみを守ろうとしても、ほづみが死んでしまう。
もしかしたら、かなえちゃんを止めても、結果は変わらないのかな、って。
ふと、あたしの指輪から毒々しいものがあふれ出てくる。指先から腕にかけて、目に見えないけれど、確かにそこにあると感じる何かに蝕まれていった。あまりにも痛くて、その気持ちがまた絶望を招いて、どうしようもない悪循環に陥っていく。
へっぽこ剣士のあたしは、辛うじて残った魔力をほづみに注ぎ続けた。少しでも長い間、ほづみとかなえちゃんをくっつけてあげたい。かなえちゃんはほづみを抱き締めていたけれど、あたしが力尽きて、ほづみも動かなくなってしまう。数秒の後に、ほづみの肉体は忽然と消えた。
かなえちゃんは、ぽろぽろと大粒の涙を流しながら、あたしに近づいてきた。
徐々に暗転していく視界の中で、かなえちゃんがあたしを見下ろしている。
「……えへへ、格好悪いところ、見られちゃったかな」
あたしは慌てて汚染された右手を後ろ手に隠す。見てもわかるものじゃないのに。そうしている間にも、指輪による侵食は進行していく。ああ、あたし、もうすぐ死んじゃうのかもしれない、そんなことを、のほほんと考えていた。こころの底で、冷たい感触がする。
「栗原美月……ごめんなさい」
「あのさ。右脚、くっつけてくれないかな。つけるだけでいいから」
「……ええ」
下半身から血液が染み出して、赤い花畑をさらに赤くしている。
あたしの血、こんなに綺麗だったんだ。
かなえちゃんがあたしの右脚をくっつける。
でも、だめだ。身体の魔力がもう残っていない。
「心配しないで、栗原美月。今度は、私があなたを助けてあげる」
あたしは、かなえちゃんと目を合わせると、ここしばらくの記憶を失った。
おかげで、あたしの絶望はストップがかけられた。
そうして、だんだんと身体に力が漲ってくるのがわかる。
後からかなえちゃんに聴いたはなしだと、かなえちゃんがあたしに魔力を分け与えてくれたみたい。お礼を言ったら、そっぽを向かれてしまったけれど。
夜、目が覚めたときには、どうしてここにいるのか忘れていた。
周囲に人や魔物の気配はしない。
辺りを見渡して、ぎょっとする。
「う、うああああ!」
あたしの周囲には、かなえちゃんに引き裂かれて飛び散った血痕や内臓の破片が撒き散らされていて、最初は吐きそうになった。
けれど、こころが落ち着いてからは、気にならなくなった。
あたし、ヘンかな?
精神が安定したからだろうか、指輪の穢れは少しだけ治まった。
このときのあたしは、さっきまで何をしていたのか、かなえちゃんのことを含めて忘れてしまったけれど、あたしの身体が酷い目に遭った事実は、頭の中にフラッシュバックする。
反射的に上体を起こし、右脚を両手でおさえる。
「あれ?」
悲惨なことになっていた下半身をさすり、確かめる。なんともない。
死んでもおかしくない傷を負ったはずなのに。
でも、記憶がところどころ抜け落ちている。
頭を打って、記憶喪失してしまったのだろうか。
それよりも、自分の身体の治癒能力に目を見張った。
おかしな笑いがこみあげてくる。
「あはは……。すごいや。本当に、どんな傷でも治っちゃうんだ」
頭が吹き飛んでも、心臓が破れても、内臓が飛び出しても、身体の血液を全部失っても、右手の指輪さえ無事なら、あたしの身体はすぐに元通り。
でも、なんだろう。こころが痛い……。
あたしは地面に手を突いて、四つん這いになり、おもむろに立ち上がる。
頭が少しくらくらするけれど、平気。
右手を、握って、開いて、関節の感触を確かめてみる。
試しに指輪を外そうとしてみるけれど、中指の根元にくっついて外れない。
うーん。あたしのこころが真に正義を知るようになったら外れるらしいんだけど、どうだろう。本当の正義はあたしが決めていいのかな。だとしたら、あたしって結構、自分勝手なのかな?
指輪は指ごと斬れば取れそうだけど、今のところ、無理に外す必要はないかな。
かなえちゃんの魔力を使って、残りの傷を全部完治させる。
記憶が戻った、いまだから言える。ありがとう、かなえちゃん。
まあ、元はといえば、かなえちゃんにやられたんだけどね。
ふと指輪を見ると、さっきよりも僅かに瘴気が濃くなっていた。
あたしの指輪は魔力を使っても黒ずんでいく。
かなえちゃんを止めても、あの魔物をなんとかしないと、ほづみの命が危ない。何度でも生き返るからって、いまのほづみを見捨てるわけにはいかない。いまのほづみは、いまのほづみだから。
それに、あの魔物が襲うのは、ほづみだけとは限らない。
学校? 恋愛? 家族? そんなものは、もういらない。
あたしは幸せなんて望まない。幸せになる資格なんてない。
いままで、将来のことなんてろくに考えてこなかった。
勉強と運動ができるからって、有頂天になっていた。
あたしはほづみよりも恵まれた生活を送ってきた。
そんなあたしじゃ、だめなんだ。
こころが擦り切れても、身体が粉々になっても構わない。
これからは、あたしがみんなを守るんだ。
でも、ごめん。いまは、少しだけ休ませて。
ちょっと、無理しすぎかな。
張り切りすぎって、ほづみに怒られちゃうかもね。
あたしは、うんと背伸びをしたあと、花畑で大の字になった。
赤い花びらが宙を舞い、あたしの小鼻に乗る。
小一時間休息をとってから、異空間を通って自宅に戻った。
それからは、学校にふらふら通ったり魔物狩りしたりしていた。
今思うと、かなえちゃんは、あたしを普通の生徒として見ていた。
かなえちゃん自身も、色々と記憶を封じたみたいだった。
じゃあ、なんで今のあたしは、ほとんど全部覚えているのかって?
理由は簡単。かなえちゃんの記憶操作が一時的なものだったから。
あたしが色々と思い出したのはいいけれど、あたしは、かなえちゃんのことを知っている素振りを見せないように、白々しい応対を続けた。そうやって、かなえちゃんの危険な思い出を封じてきた。かなえちゃんが自分で自分の記憶を封じてしまうほどのショックを、無理に思い出させようとは思わない。できることなら、少しずつ、思い出していけばいい。
あたし? あたしは、なんでかな。何の推察もなしに丸ごと、すぽーん、と思い出しちゃった。かなえちゃんと白々しいやり取りを続けるのが楽しくなって、ずっと赤の他人のような対応をしてきたけれど。
それから、なるべくほづみをかなえちゃんに近づけないようにした。まあ、あたしが演技していたのは、そうした理由もあるんだけど。かなえちゃんは危険だ、不思議なことにあたし達の名前を知っている、と脅してみる。
まあ、おかげさまで、かなえちゃんからは、いつでも警戒心マックスだったけれど、裏を返せば、魔物の攻撃に対する防衛も完璧にこなせるかなえさんを養成できたともいえるのかな。といっても、あたしが全部刈り尽くしたほうが早いかもしれないけどね。




