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2 堕落


   2 堕落


 二〇一五年十二月二十七日、時刻は午前七時頃。

 あたしは、ぼうっとした頭を働かせて、制服を着る。

 学校指定の女子用冬服は二種類ある。一つは、水色のブレザー、紫ネクタイ、黄色いラインの入った紫スカートの制服セットである。もう一つは、白色のブレザー、青色ネクタイ、白と水色のタータンチェックが入れられた制服セットになっている。生徒は、どちらか好きなほうを選べる。大多数の生徒が両方購入して、気分で制服を変えている。あたしもそのうちの一人である。

 あたしが通う私立東雲学園は、新しい制服を導入してから女子の一版入試の平均倍率が十五倍になったらしい。推薦ですら九倍である。あたしは必死で勉強して今の高校生活を謳歌している。ほづみとは中学校時代からの友達で、別に合わせる気はなかったのだけれど、ほづみと一緒の高校に通うことになった。

 去年、マンションから一軒屋に越してきたので、ほづみの家とも近い。

 ほづみとは切っても切れない縁だった。

 まさか、ほづみが死んじゃうなんて、想像もしなかった。

 これからどうやって生きていこう。

 まだ、ちらほらと曇天から雪が降り注いでいる。

 あたしと母のぶんの食事を作り、庭のシクラメンに水やりをする。

「はあ……」

 深い溜息をつくと、シクラメンも頭をもたげているように見えた。

 お前も悲しいかい?

 あたしはすごく悲しいよ。

 深呼吸をしてみる。冷たい空気が肺一杯に広がる。

 水やりを終えると、終始ぼうっとしながら、食卓についた。

「いただきます」

 白米と味噌汁、サラダ、卵焼きとベーコンを胃に詰めこむ。

「おはよう」

「うん。おはよう、お母さん。ご飯、できてるよ」

「はーい。いただきます」

 母はそそくさと食卓につき、サラダから手を付け始める。

 ふと、ぼさぼさ頭の母が食事の手を止め、心配そうにあたしの顔を見てくる。

「元気ないね。学校、休む?」

「いや、行く」

「無理しなくていいよ。お母さんも体調よくなってきたし、これからはお母さんがご飯作ろうか」

「お母さんこそ無理してるよ。昨日だって寝込んでたのに」

「お母さんは無理するものなんだよ。美月も将来お母さんになってみたらわかると思うよ」

「ふうん。ご飯冷めちゃうよ」

「へいへい」

 いつもより静かな食卓を終えて、あたしは食器の片付けと水洗いを済ませると、洗濯物の処理を母に任せて学校へと向かった。



 清掃当番になったあたしと刈谷かなえが掃除を終えたころ。

 あたしは刈谷かなえに呼び出され、校舎の屋上に来ていた。

 今なら鮮明に思い出せる。

「栗原美月さん。私は人生のすべてをほづみに捧げる」

「……はあ? 何言ってんの?」

 開いた口が塞がらないとはこのことを言うのだろう。

 でも、あたしはほづみの秘密を知っているから、無下にできない。

 刈谷かなえは真面目な顔つきで、淡々と語り続ける。

「私は、もう後戻りできない。もしかしたら、あなたと敵対するかもしれない。世界の嫌われ者になるかもしれない。もしそうなったとしても、あなたには私のことを覚えていてほしい。私がどういう人間だったのか」

 刈谷かなえは髪をかきあげながら、くるりとターンし、牛型の獣の前に立った。

「な、何? そいつ……牛?」

「ルナーク、私の願いを叶えなさい。私はほづみとずっと一緒にいたい」

 すると、悪魔のような顔をした牛型の魔物は、重々しい声で語り出した。

「後悔しないか。願いの本質を読み解くと、貴様は、生命の理を操り、強大な力を手にしようとしている。人間を捨て、魂となり果て、貴様は魔物や怪物や悪魔の類になり下がろうとも、それでもよいのか」

「ええ、構わないわ。でも、どんな代償を受けてもいいけれど、今の私の人の形は留めておいてほしい」

「構わない。肉体は瑣末な問題である。ただし、貴様は感情と結びつく肉体を維持することで、果てのない苦痛の代償を得ることにもなる。もう一度問う。貴様は、後悔しないか」

「そうね、私の運命を嘆き悲しむことはあっても、ほづみがこの世界に残っている限り、絶対に後悔することはないと思うわ。だから、今すぐ力を寄越しなさい」

 あたしは胸のあたりがすくような感じがした。

「待って! 刈谷かなえ、何をするつもり?」

「私は、ほづみと一緒にいたいだけよ」

「いやいや、もう少し考えてからでも遅くないって! 人間を辞める? どうしてそこまでしてほづみを助けたいと思うの?」

「私がそうしなかったら、きっと、あなたも同じことをしているはずよ。私独りでは絶対に叶えられない夢でも、与えられたチャンスをいかせば、叶えられることだってある」

「でも、そんな、ほづみだってルナークのせいで酷い目に遭ったのに!」

 刈谷かなえは少し不思議そうな表情をしたが、軽く首を傾げただけだった。

 小さな雪の雫が刈谷かなえの頬に触れ、優しく溶けていく。

「もう決めたことよ。でも、もし私が誰かに迷惑をかけるようなら、栗原美月さん、お願い。私を止めて」

「そんな無茶な!」

「あなたにしか頼めないのよ。ほかに、ほづみくらいしか友だちがいないから」

 ルナークが、ふん、と鼻息を鳴らすと、刈谷かなえの身体は闇に溶けた。

「願いは聞き届けられた。明日にも、葉山ほづみの魂は、仮初めの肉体をもって、この地に蘇ることだろう」

「そんな……」

 忽然と消えた刈谷かなえと、闇に消えていくルナークを前に、あたしは愕然として膝を着いた。

 あたしの目の前で、刈谷かなえは魔獣ルナークと契約し、ほづみを蘇らせた。

 ルナークは伝説上の悪魔のような獣で、ほづみはストレスから電車に飛び込んだときに、ルナークと契約したという。あたしはほづみからその話を聞いただけで、実際にルナークを見るのは初めてだった。

 時の歯車と人々の記憶は狂いだし、大半の概念や一般人が、かなえちゃんの思い通りに動くようになった。これは、ルナークがあたしへ最初に教えてくれたことだった。でも、支配対象の中にあたしは入っていないみたいで、あたしはなんともなかった。



 翌日、葉山ほづみは何事もなく登校してきた。

 あたしはすぐさまほづみに抱きついた。あたしを中心に、ほづみをメリーゴラウンドする。でも、授業中、あたしは気が気でなかったから、なるべく息を潜めて、ずっと周囲を探っていた。

 でも、無駄だった。並の人間のあたしが刈谷かなえに勝てるわけがない。

 姿を消したほづみを探してさまよっていると、廊下で凄まじい音がした。

「まさか……」

 廊下では、三人ほどの無謀な野次馬の中で、ほづみが刈谷かなえに立ち向かっていた。

「え? 何? ほづみん、これって、どういうこと?」

「美月ちゃん、下がって。かなえちゃん、おかしくなっちゃった」

 ほづみは宙をたゆたう刈谷かなえに飛び掛かり、杖を振り下ろす。

 しかし、びくともしない。

 刈谷かなえは不敵に微笑みながら、ほづみの頭を右手で鷲掴みにした。

 葉山ほづみは、かつての力を失っていた。ルナークの瞳があしらわれた杖で応戦するものの、全く歯が立たず、刈谷かなえに首をもがれ、殺害された。

 あたしは刈谷かなえに呼びかけるけれど、少し眉を動かすだけで、こちらに手出ししてこない。ほかの生徒達は、気味の悪いことに、刈谷かなえが念じると、何も見ていない、何も覚えていないといった体で散会していく。あたしの目の前に、ほづみの遺体が転がっているというのに。

 あたしが呆然とほづみを見下ろしていると、ほづみは忽然と消えた。

 翌日、また葉山ほづみは登校した。

 明くる日も、明くる日も、同じような日々が続いた。

 教室にあったモップを持って立ち向かった日もあったけれど、ふっとばされた。

 刈谷かなえの心に感情で訴えかけても、まるで聴こえていないようだった。

 あたしはほづみの遺体を抱え上げる。

「ほづみん、ごめん。あたし、何もしてあげられない」

 ほづみは目を大きく見開いたまま、全く動かない。

「ほづみん、あたし、ほづみんが悲しむかもしれないけれど、ほづみんと同じように、あたしもでっかい運命を背負ってみる。これは、あたしが決めたことだから。あたしは友達を失ってまで生きていたいとは思えないから……ごめんよ」

 あたしはほづみを守れず、何度も涙を呑んだ。

 ほづみ。もう、それも終わりにしよう。

 ほづみの頬に、あたしの頬を摺り寄せる。

 数秒の後、ほづみの身体は忽然と消えた。

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