それはまるで子のない親の様に
「八来さん、遅いですね……何かあったのでしょうか?」
のぼせから随分と回復した雛は、客間の縁側から法園寺家の日本庭園をぼんやりと眺めていた。
因みに七穂と小夢は台所へ菓子を用意してくると言って席を外している。
「はぁ……八来さんは強いですから何も心配はない……筈なのに、どうしてこんなにも不安なのでしょうか?」
出されたお茶を飲みつつ、口から洩れたのは八来を心配する言葉ばかり。
どうにも胸がざわつき僅かに胸の縁ノ鎖がじゃらり、じゃらり、と音を立てている。
「雛ちゃん、ちょっといいかい?」
呼ばれて振り返ると、そこには珍しく青い顔をした銀龍が立っていた。いつもへらりとした笑みを浮かべ、余裕のある態度を外さない彼に一体何があったのだろうか?
「銀龍さん、どうかなさいましたか?」
「悪い、ちょっと出れるかい?」
「は、はい。何か……あったんですね」
頷く銀龍の背後には扇子で口元を隠した蓮生がこちらを覗いている。
「八塩さん、申し訳ありませんが緊急のお仕事が入りました。『黒雷』と共に至急現場に向かってください」
蓮生はいつも通り明るい声音で指令を告げる。だが、銀龍を『黒雷』とコードネームで呼ぶところをみると状況はかなり危ないようだ。
「分かりました!」
勢いよく飛び出そうとする雛の襟首を蓮生が素早く掴んで止める。そして、着替え一式を彼女に手渡した。
「着替えが終わりましたら、玄関に来てください」
手渡されたのは軍の制服に似たデザインの黒い上下。さらには指の出る黒い革の手袋に黒い編み上げのブーツと全身黒一色で統一されている。まるでどこかの組織に潜入でもするような、闇に紛れる格好に雛は何の疑問も不満も口には出さず素直に受け取った。
手早く着替えを済ませると、すぐさま玄関に駆けつける。銀龍も私服である紫色の着流しから、革製の黒いズボンと白いシャツに黒いコート姿に着替えていた。
「そんじゃ、ちょっと荒っぽい運転になるけど我慢してな」
言いながら外に用意してあった車に雛と共に乗り込む。
「あの……現場はどちらでしょうか?」
シートベルトを装着し、運転席の銀龍を見ると、その表情からいつもの笑みは消えたまま。明らかに余裕のない彼に恐る恐る尋ねる。
「中央児童養護施設————斎賀達三人が行っている場所だ」
「!?」
先程の、胸のざわつきはこれだったのか。今も彼女の耳に鎖のぶつかり合う音は聞こえ続けている。
「現状は!?」
「斎賀からの連絡だと、姑獲鳥の紛ツ神がいきなり大量発生。建物も一部爆破されたらしい。施設一帯はあの吉原の時と同じような結界が張られていて脱出不可能状態になっている」
「また、あの結界が……」
「裏・寿老人の姿は今のところは見えないらしい」
「八来さん達は……」
「今の所、大事はないそうだ。三人とも交戦中だが、まぁ大丈夫だろう」
大丈夫、と語るがどうにも銀龍の様子はおかしい。余裕がないのかやや早口で焦りが見える。
それからは二人とも暫し無言の状態が続いたが、気まずいのか銀龍が不意に口を開いた。
「子供たちが……」
「え?」
「余裕なくて悪い。施設の、子供達が心配なんだよ」
荒っぽい運転を続けながら、銀龍が口にしたのは意外な言葉だった。遊郭に入り浸り、黄龍部隊一夜遊びの激しい男と呼ばれた彼が孤児たちの心配をしている!?
「銀龍さんは、前からよく施設に通っていたのですか?」
「あの施設にはバックに法園寺家が付いているんだよ。運営に関わるあれこれで、法園寺の旦那がよく行くんだがその護衛に付いて行くこともあった訳。そんで、ちょいちょいガキどもの遊び相手もしてたんだよ。皆それぞれ事情を抱えてはいるが……根はいい子ばっかりでさ。多少、甘え方を知らなかったり、素直じゃない子もいるが、皆いい子なんだ」
銀龍はどこか遠くを見ているようで、語る声は優しかった。
「きっと、皆無事ですよ。八来さん達が、付いていますから」
「ああ、だといいが……」
そうこうする内に、目的の施設に付く。外から見ると、施設の敷地内にも建物の中にも紛ツ神の気配はない。
車を降り、入り口の前で立ち止まる。雛は手を前方にかざすと、空間に水面の様な波紋が走り、見えない何かが弾け空間に亀裂が入る。人一人分の穴が空いた空間を除くと、先ほど覗いた風景と違い、施設のあちらこちらに姑獲鳥の紛ツ神が溢れ子供達に襲い掛かっていた。
外見が全く同じ双子と思われる幼子がお互いに抱き合い、恐怖で震えて動かなくなっている姿を見た途端、銀龍の目の色が変わった。
「っ!?」
目を見開き、雛を押しのけて結界の穴から中へと駆け出していく。
「《呼雷》!」
銀龍の声に彼の足元の影が震え、中から一匹の黒い虎が姿を現し紛ツ神の頭部に噛みつく。次に銀龍の拳が胴体を貫通すると子供を攫う妖怪を模した紛ツ神は動きを止め、やがてゆっくりと砕け散っていった。
「大丈夫ですか!?」
やや遅れて怯える子供達の所へと到着した雛が、目線を合わせるようにしゃがみ込み声をかける。すると、恐怖で固まっていた双子の目に見る見る涙が溜まっていく。
「う……ぇ、えぇぇぇぇっ!!」
「ぁ ぁあぁぁぁぁっ!!」
安堵したのか、二人はその場で声をあげて泣きだした。子供と触れる機会がなく、突然の大泣きに雛は狼狽えるが銀龍は二人に近づくと優しく抱きしめ頭を撫でる。
「よしよし、よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ」
その声が、表情が、いつもよりもとても柔らかく優しい。この場に他の者がいたのならば、子供達を抱き上げて慰めるその光景は彼が子を持つ親の様な錯覚を覚えただろう。
親というものを知らない雛の脳裏には彼女の育ての親である祖父の姿が映っていた。
「他の皆は?」
子供達に尋ねても、ぐずぐず泣き続けるか首を横に振るばかりで要領を得ない。
「しゃあない、他の子供達と施設の職員を探すか……。施設内の避難場所に全員集まってくれていたらいいんだけどな」
この施設は災害や紛ツ神に襲われた場合を想定して、結界が張れる避難場所が数多くあり、また、教室にもボタン一つで簡易結界を張れるようになっている。だが、施設入り口の結界は壊された揚句に例の黒い結界に上書きされていた。しかも周囲には避難できるよう簡易結界が張れる場所があったのだが、どういう訳か作動している様子がない。
「銀龍さん、あれは……」
二人が入ってきた入り口に目をやれば、雛が開けた箇所はすでに塞がり植物の蔦の様に半透明の糸が入り口を完全に塞いでいた。
雛は慌てて入り口へと駆け出し、黄金の結界を手に展開して糸に触れる。
「っ!」
嫌な予感がして、即後方へと飛ぶと地面から半透明の糸が飛び出し、寄り集まり、太い束になって獲物を締め上げるべく襲い掛かって来た。
「雛ちゃん、もうちょい下がって!」
銀龍が叫ぶと、彼が『呼雷』と呼んでいた黒い虎が雛と糸の束の前に立ちはだかる。捕らえられる筈だった雛の代わりに虎が束に捕縛され締めあげられる。
八来が素早く印を結ぶと、古来の体が一瞬虹色に光り轟音とともに爆発する。
後には地面に散らばる糸の切れ端だけが残った―――――――――かと思ったら、再び地面から糸が吹き出され、束となり、先端を巨大な花のように変化させ二人を威嚇するように入り口の前で大きく花開き蠢きだした。
「一旦、退こう。園の子供達と職員の無事を確保した後、八来の旦那たちと合流した方が良さそうだ」
「は、はい」
銀龍の腕に抱かれた双子は不穏な空気を感じ取ったのか震え、再び泣き出しそうに目を潤ませている。
「大丈夫だって言ったろ?すーぐ、皆も先生も見つけてやるから」
再び影から黒い虎を出現させると、その背に双子を乗せる。影から作り出された獣の毛皮は相当モフモフなようで、子供達は体を半分沈みこませながらその長い毛を掴み手触りを楽しんでいる。
上手く双子の気を紛らわせることに成功した銀龍は、改めて周囲を見回す。あちらこちらに散らばっていた紛ツ神が今の騒ぎで入り口へと集まってきている。
「雛ちゃん、悪いがちょいと頼まれてくれないか」
「え?」
「俺はもうちょいここで派手に暴れて紛ツ神達を引き付ける。その隙をついて呼雷とこの子達を連れて、建物の外にいる子供達や職員を助けてくれないか?地図は今から携帯に送るから、後の事はパソ子の指示に従ってくれ」
頼む、と言い残すと銀龍は入り口へと向かって行った。雛がしたように糸に触れ、あの花を模した糸と周りの紛ツ神達の注意を引き付ける。
「分かりました!銀龍さん、どうかご無事で」
走り出す雛に一瞬肩越しで振り返ると、彼女に応える様に笑って親指を立てる。




