それが、我儘でも
「はぁ……温まるぅ……」
銀龍との短くも濃い手合わせの後、雛は法園寺家の露天風呂を一人満喫していた。
彼女の体のあちこちは打撲の跡で赤紫色に変色している。目の上は僅かに腫れてはいるが、剃刀で傷をつけ血を出して処理をしたのでひどく腫れるのは防げている。
「あぁ、楽しかった……」
湯船に浸かりながら、先ほどの銀龍との手合わせを思い出し一人ニコニコしてしまった。
「雛、何や上機嫌やんけ。銀龍との手合わせ、そんなに楽しかったん?」
「雛さん、良かった、ですね、とても、嬉し、そう」
「ええ、とても楽しかったで……す?」
聞き覚えのある声に水しぶきを上げながら勢いよく振り返ると、そこには小夢と七穂がいた。
「七穂お嬢が『雛と裸の付き合いがしたい』言うから、ウチも便乗させてもろた。てな訳で、お隣失礼するで?」
「私も、お隣、に、失礼、いたします」
雛を挟むように右に小夢、左に七穂が腰を下ろす。
「銀龍とやり合って、どうやった?めっちゃ強いやろ、あのヒゲ」
「はい、とても強かったです。八来さんと同じで一本取らせてくれませんでしたから……」
結局、雛のほうからの決定打は出ず、時間切れで今日の稽古はお終いとなった。銀龍の素手での腕前は八来以上の猛者であり、常に雛は『闘いに酔った』状態となっていた。
拳の重さも早さも、今迄味わった事のない……いや、記憶の中の祖父に近いものがあり思い出すだけでまたゾクゾクしてしまう。
「雛、さん、すごく、嬉しそう」
いつの間にか上がっていた口角を、七穂が軽く突く。
「あなた、は、本当に、修羅に、生きているの、ね」
七穂の視線は雛の体のあちこちにある青痣に向いている。その痛々しい跡を見ながら、憐れむでも悲しむでもない、何か共感するように頷いた。
「優しくて、素直で、真っ直ぐで……そして修羅、の、道に、生きている。だから、こそ、余計に、私達、黄龍部隊、は、あなたが、愛おしいの、かも、しれない」
そして、と一度言葉を区切ると、何かを思い出す様に視線を空に向ける。
「あなたを、追いかけてきた、と、いう、男。今の、雛さんを、どう見るの、でしょうね」
「んっ!?」
唐突に陽和の事を話題に出され、言葉を詰まらせた。
「目的、は、雛、さん、を、実家に連れて行く、事、だと、聞きました。次に、会った時、雛さん、は、どうする、おつもりですか?」
「え……あの……」
手合わせしている時とは違う意味で頭がくらりと揺らいだ。心臓の鼓動は早くなり、若干ではあるが気持ち悪くなってきた。
「その……」
脳裏に浮かぶのは幼い日に一緒に遊んでくれた姿と、再開し八来へと敵意をむき出しにする姿。
『ああ!だから私はこの地に来たのだ!!雛お嬢様の目を覚まさせるために!!』
目を 覚まさせる? 誰の ? 私 の ?
―――――――
「雛」
小夢の声に目を開けると、雛は布団の上に居た。
「あれ……?私……」
額には氷嚢が当てられ、いつの間にか浴衣に着替えさせられている。
「お風呂、で、のぼせた、ようです。軽い、脱水、症状も、みられる、ので、これを、飲んで、下さい」
七穂から手渡されたのはスポーツドリンクの入ったペットボトル。ややぬるいのそれを飲み干すと、幾分かは気分が楽になった。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした!」
「ええよ、のぼせたんはしゃーないって」
「私、も、答え、にくいことを、聞いた、ようで、ごめんなさい」
「いえ……」
雛はゆっくりと顔を横に振って否定する。
「陽和兄様の事は……正直私もどうするか、どうしていいか分からないんです」
雛にとっては初めての友人であり、祖父以外で初めて接した異性であり、また、仲のいい親戚のお兄ちゃんでもあった。
「実家に連れ帰ろうとしている件については、兄様の個人的な考えなのか、実家の意思なのかは分かりません。もし、実家の決定であった場合」
そこで、一度目を閉じ言葉を区切る。
自分は、外に可能性があると実家から都会に行くように言われた。
この件について、家族が自分を厄介払いしたのは薄々勘付いている事はある。が、それでも家族はまだ雛に情があるのではないかと僅かな希望を持っている。
「………………ごめんなさい、やはり、どうしていいのか分からないです」
「さよか。実家の件やしねぇ……雛はどうしたいん?」
言われて浮かぶのは八来や黄龍部隊の人間と過ごした日々ばかり。
昔の自分なら、言い淀んだ挙句口を閉ざしていただろう。だが、八来と過ごすうちに自分の考えと素直な気持ちを口にしていい事を学んだ。
「……実家には、戻りたくないです」
知ってしまったからには、もう戻れない。
心の底から笑い合い、楽しいと思える日々。友と語らい、尊敬する人と存分に好きな事が出来て、飢えることなく美味しいものが食べられるこの生活を、どうしても手放せない!
「まずは、陽和さん、と次に、会った時に、じっくり、お話し、した方が、宜しいですね」
「そうやね。上手く雛と一対一で話しできる場作った方がええんちゃう?相手の男、舞い上がりそうやけどな」
「そう、です、ね」
七穂と小夢は顔を見合わせて頷き合う。そんな二人の様子に、雛は意味が分からず小首をかしげていた。
「……お嬢、雛、分かってへんようやね」
「……その、よう、ですね」
八塩 雛、やはりというべきか、彼女は自分の恋にも相手からの恋にも非常に鈍い女だった。




