それはとても魅力的過ぎる提案で
雛と陽和が初めてであったのは今から15年前の春の事。
八塩神社に御神酒を卸している『八塩酒造』の社長の次男坊が八塩陽和だった。出会った当時雛は五歳、陽和は七歳。まだ自分を取り巻く環境が特殊過ぎることに気が付いていないのと祖父に守られていた為か天真爛漫で今よりも活発だった彼女と違い、陽和は引っ込み思案で常に俯き父親の後ろに隠れている子供だった。
「初めまして!私の名前は八塩 雛です!貴方のお名前は?」
「……八塩、陽和……」
ぎこちなく答えた少年は差し出された手を恐る恐る握り返す。
この日は陽和の父親が雛の祖父に呼び出され、丁度息子が雛と年が近いという事で遊び相手として連れてきた。
それから年に二回、陽和の父は雛の祖父に呼び出されその度に息子も連れてきた。最初は雛に対して口数少なくおどおどとしていた陽和だったが、徐々に打ち解け笑顔を見せるようになった。
雛は彼を裏山に連れて行き、お気に入りの場所に案内したり木登りや川遊びを教え、陽和はトランプや将棋に囲碁を教え一緒に遊んでいた。
友達のいない雛にとって陽和は年の近い兄のような存在へとなっていった。
そして、祖父が亡くなる半年前――――陽和はどこか思いつめた様な顔で雛の手を握りこう言った。
「雛様、何かあったら私の家が……いえ、俺が貴女を守ります!必ず貴女を迎えに行きます!!」
何故、突然彼がこのようなことを言いだしたのか雛には分からない。ただ、戸惑いながら 「ありがとうございます」 と返したのを覚えている。
それから陰陽庁で再会するまでの十一年間、雛は彼を見ることはなかった。
祖父亡き後、離れに時々雛の世話をしに来ていた使用人達が話していた噂によると、八塩酒造は手を広げ過ぎた為に多額の負債を背負い倒産寸前だったらしい。そこを雛の両親が借金の肩代わりをしたが、その条件としてある事を承諾させたそうだ。
「で、その条件は分かるか?雛」
「分かりません」
「その様子だと『雛に金輪際近づくな』やないの?」
「……そうでしょうか?」
両親が陽和に対し雛との接触を一切禁じたという仮定は信じたくはない。どうしても、両親に対してまだ信じたい気持ちが残る。
「成程ねぇ……」
カイ神父はというと、雛の話を聞きにやけながら携帯を操作していた。
「OK。ぴよっ子、情報ありがとよ」
携帯をポケットに仕舞う神父は尚も楽しそうに口の端を歪めて笑っている。
「そんじゃ、今後の俺様達の行動だが基本的にはいつも通り情報収集が主だ。で、最近何故か急増している紛ツ神退治の件だが基本は四神部隊に任せてあまり出しゃばらないようにしておけ。俺らはあくまで『裏方』で『影』の存在だ。後は個々に与えられた役割をしっかりと果たすように。そんじゃ、今日の会議はここまで!何か意見のあるやつは?」
すると、カイの隣で話を聞いていた蓮生がすっと手を上げる。
「んじゃ、ボス」
「はい、あのですね。八塩さんと八来さんはこの後私の部屋に来るように」
自分の名を呼ばれた雛の背筋がぴしっと伸びる。自分は何かしでかしてしまったのか?揺れる瞳に蓮生は線目を更に細めて安心させるように笑いかける。
「大丈夫、お説教ではありません。ちょっとした提案ですよ?」
提案、という単語に八来と雛を抜かしたメンバーがやや不安げに表情を曇らせる。
「提案だぁ?だったらここで言えよ」
八来のキツイ視線も何のその、扇子で口元を隠し点てた人差し指を左右に揺らす。
「ちょっとお話長くなりそうなので、三人でお話ししたいんですよ♪と、いう訳で……」
その細腕の何処にこのような力があったのか?蓮生の細い指先が八来と雛を捕らえるとすぐ後ろの壁へと問答無用で二人を引き摺りこんだ。
「は?」
「え!?」
壁の中に引きずり込まれ、一瞬視界が真っ暗になる。次の瞬間に三人は十畳ほどの和室にいた。
「はい、到着」
「……数ある自室の一つか。岩二が死んだあと、部屋増やしたな」
必要最低限の物しか置かれていない簡素な部屋は、どこか心落ち着く香りのするお香が焚かれている。そんな部屋の中心で八来は 「ガチでこの部屋記憶にねぇよ」 と呟いた。
「ではでは、ちょっとお話ししますか」
あらかじめ用意されていた座布団は三つ。会議が始まる前から八来と雛をここに招き入れる予定だった様だ。
「八塩さん、ちょっと提案なのですが数日此処で泊まり込んで修行を受けませんか?」
「はぃ!?」
唐突な申し出に思わず素っ頓狂な声が出た。隣の八来はというと……、
「あぁ?」
ブチ切れた893のような表情で前世の上司にメンチ切っていた。
「八塩さんを独占して可愛がっている八来さんにとってはちょっと嫌な提案でしょうね」
「その誤解される様な言い方止めてくれねぇか」
誤解も何も、そのものズバリだろう。と、第三者がこの場に居たのならば確実にこうツッコミを入れていただろう。
「八塩さんはいつも八来さんから指導を受けているのでしょう?たまには他の方の指導を受けて世界を広げたり新しい知識を吸収して見ませんか?」
「……その、指導して下さる方々は?」
「朱志、銀龍、そして私です」
「っ!?」
蓮生が名乗りを上げ、驚いたのは雛よりも八来の方だった。
「……正気か!??」
「何故です?私の指導がとても親切だという事をあなたが一番知っているでしょう?」
『親切』その単語に八来の顔はみるみる青くなり、額には冷や汗が浮かんでいる。
「雛……嫌なら断っていいぞ?」
「八塩さん、私達は八来さんとは別の方向から『身を守る術』をお教えいたします。如何でしょう?」
八来の訴えを遮る様に、蓮生は雛にとってとても魅力的な提案を語る。
「でも、私は……」
八来が拒否を示している。だから断ろうとした矢先、隣から深く重いため息が聞こえてきた。
「……そう来たか。確かに『身を守る術』に関してはボスが一番適任だな。で、銀龍と朱志も指導に加えた訳は?」
「単純に武術の稽古と妖術強化の為です。朱志なら同じ炎属性ですから、妖術のおさらいもできるでしょう?銀龍は素手での格闘を担当してもらいます。私は、身を守る術を教えてあげましょう」
「成程ね」
蓮生の答えに八来はやや悔しそうに顔を歪める。
妖術ならば、前世の記憶を頼りに自分でも教えることができる。だが、法園寺家は法術や呪術、妖術に関してもエキスパートが多く頭領の蓮聖に関してはその筋でも達人であり指導も上手い。
それに、素手の格闘技に関しては自分は一応専門外だ。
問題があるとすれば、まず一つ。雛の精神状態だ。
実家の事と自分が妖怪の先祖がえりであると判明してからは時折不安定になる。礼の遠縁の坊やのせいでまた不安定になっているようだが……。
「で、雛はどうしたい?ボスもこう言ってくれているし、小夢や蛇のお嬢ちゃんとお泊り会になるぞ?」
他の者の手に委ねるのは少々気に喰わないが、正直なところ雛にはさらに経験を積んでもらいたい。
「お泊り会ですか?」
「そうそう、小夢や七穂とも手合わせし放題ですし、夜には女の子同士パジャマパーティーも出来ますよ?ああ、パジャマパーティーというのは簡単に言うと女の子がお友達と夜通しお喋りしたりお菓子食べたりすることですよ」
その言葉に雛の目が輝きだす。ライバルと手合わせし放題、おしゃべりし放題とは魅力的過ぎる。更には八雷神二人と黄龍部隊のボスの指導まである。雛にとっては東京の鼠の国一週間楽しみ放題並みに素敵なイベントなのは間違いない。
「あの……八来さん、私、泊まり込みで修業を受けてみたいです!」
これを雛が断るわけがない。分かっていた、だが八来の心中は何故か複雑だった。
理由としては分かっている。これは多分大人気ない嫉妬と独占欲だ。
「食費の方は一切出さねぇからな」
「その点はご心配なく。あと、寝間着や衣服も何着かご用意していますのでお好きな物をプレゼントいたしますよ?」
「どこのVIP対応旅館だ!?」
もう一つ、心配な件があるが……まぁ大丈夫だろう。
何せ、この頭領様——————法園寺家の偉大なる太母様の愛情とてつもなく深く深いものなのだから。




