紛い物だが蛇は蛇
「あ」
突然の衝撃と共に雛は後方へと吹っ飛ばされ、一瞬視界が揺らぎ暗くなる。何かが覆い被さってきたのと、地面に押し倒されたと気が付くのに数秒かかった。
肉が焼けるような音が聞こえてきたかと思うと、次いで夏のプールで感じたことのある匂いが鼻に入ってくる。いや、それよりももっと濃い刺激臭に思わずむせ返った。
「ったく…なぁにやってるんだよ…」
「すいません、八ら…」
八来がどこか上擦った声で呆れて言うと雛からゆっくりと体を離す。今まで八来の胸元に顔をうずめていたと分かり雛は恥ずかしくて頬を染めたが、彼の姿を見て一瞬で顔を青くする。
「八来さん…!? か、体が…!!」
八来の背中は白煙が上がり、音を立てて焼けただれていた。服の背中の部分は大きく溶け、背の肉は赤を通り越しこげ茶色に変色し背骨をのぞかせている。
額から脂汗を流し痛みを堪えて立ち上がるが、舌打ちと共にすぐに地面に片膝をつく。
「くそ…!」
彼が睨み付ける先には先ほど滅ぼしたはずの大蝦蟇とその背に乗る自来也の姿があった。先ほど雛のいた場所の地面から出現し、彼女を庇った八来の背に大蝦蟇が大量の強塩酸を浴びせかけたのだ。
未だ中の人間は白目を向いたままだが、彼を覆う紛ツ神は素早く手を動かし何やら複雑な印を組む。すると、大蝦蟇の口が開き再び大量の強塩酸が動けない八来目掛けて放出された。
「させない!」
雛は八来を庇うように彼の前へと立ちふさがると両手と両足を左右に大きく広げて結界を展開させる。雛の頭から足までの高さ、彼女の両手を広げた長さの横幅の結界が壁となり押し寄せる強塩酸を受け付けない。
「パソ子さん!早く…早く救急車を!!八来さんが…八来さんが!!」
結界を展開しながら雛は半泣きで叫んでいた。
自分のせいで八来さんが死んでしまう…!嫌だ、そんなのは嫌だ許せない嫌だ!!
己を見てくれた、
手を差し伸べてくれた!
悩む自分の背中を押してくれた!!
命がけで助けてくれた!!
そして何より、この人と闘いたいと強く強く渇望した!!!
「八来さんは死なせない!!」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、雛は必至に結界を維持する。塩酸の激流は結界で防いでいるが、目と喉への刺激臭までは防げない。このままだと肺水腫になる恐れがあるが、背後に負傷した八来がいる為今ここを動くわけにはいかない。かといってこのままだといずれ雛の力は枯渇し、結界が破られ二人とも死んでしまう。
(どうしよう、どうすれば!!)
祖父が亡くなってから雛はいつも一人だった。誰かを庇って戦うという経験が皆無な為、考えても考えても答えは出ない。焦りから結界を維持する集中力が削がれ、徐々に押され始めている。
考えても何も言い答えが浮かばない。
どうしよう どうしよう どうすればいい どうすれば
「どうしよう…」
半泣きで震える両肩にまるで支えるかのように大きな手がぽんと置かれた。
「ひぃなぁぁ いらん心配するんじゃねぇよぉぉぉぉぉ」
「八来さん!?」
「振り向くな!結界に集中しろぉぉ!!」
声に被さるように ミシミシ バキバキ と金属が折り曲げられぶつかるような音がした。その音に若干不安を感じつつも振り向かず結界を維持することに神経を注ぐ。
「良い子だぁぁぁぁ!そのまま続けてろぉぉぉぉ何があってもなぁぁぁぁぁ!!!」
何が あっても ?
その一言にひどく不穏なものを感じる。
どういう意味ですか? と問おうとしたが腰に何やら固いものが巻き付き言葉を失う。見ると太さ20cm位の円柱型の金属が二重に巻き付いていた。銀色に光る鱗をびっしりと付けたそれはヒョイと雛の体を持ち上げると
ぶぉんっ!!
と勢いよく風を切って投擲した。
「えぇぇあぁぁぁぁぁぁっ!?」
八来の言いつけをちゃんと守り前方に結界を貼り続けていた為、塩酸の滝は全てガードしたまま相手の口へと突っこんだ。その結果、結界で大蝦蟇の口に蓋をしたような形になる。
「あああぁぁぁぁぁ!こぉの体はこういう使い方が出来たんだっけなぁぁぁぁ!!牢暮らしで忘れてたぁぁぁぁぁぁ!!!」
頭上からのテンション高い声に見上げてみれば、八来が宙を舞い器用に体を捻って音もなく蝦蟇の背に着地した。
破れた上着が邪魔だと脱ぎ捨てると、その背中には傷一つ残っていない。代わりに金属製の蛇が二本、両の肩甲骨の辺りから生えていた。それは先程雛の腰に巻き付いていたものの正体でもあった。
《新種の紛ツ神を感知 データ解析中 》
「え?パソ子さん!?新種の紛ツ神…とは?」
《カテゴリ【蛇妖】【龍神】 検索結果0件 です》
「もしかして、八来さんの事ですか?」
《はい、八来様は紛ツ神です。しかしデータ解析の結果、情報がございません》
そこで雛は今日、天照に言われたことを思い出す。
八来忠継は 紛ツ神と融合した新種の紛ツ神だという事を
《陰陽庁マザーコンピューターと接続中。解析までもう少々お待ちくださいませ》
八来はちらりと蝦蟇の口を頑張って塞いでいる雛を一瞥すると、自来也へと立てた人差し指をクイクイと己の方へ軽く曲げて挑発する。
「遠慮せずかかって来いよぉぉぉぉ自来也ちゃあぁぁぁぁん」
挑発に応じて袈裟懸けに斬り掛かってきた刃を何故か避けることなく肩で受ける。
耳をかすめ、右肩の根元から切り落とされた腕が ゴトリ と大蝦蟇の背に落ちて転がり地面へ。
雛が落ちてきた物体が何であるか目視した直後、頭上から再び金属のきしむ音が聞こえた。
「斬ったからって油断してんじゃねぇよぉぉぉぉ!!」
腕を斬られながらも八来は自来也の鳩尾に踵で一撃を入れていた。大蝦蟇の背から落ちる相手を追いかけるように空中で大きく体を一回転させて今度は脳天に踵を落とす。
「やっぱ斬られても火傷しても大して痛く感じねぇなぁぁぁぁ!」
先程、膝をつくような痛みを感じたが今はもう痛みはほとんど感じなくなっていた。
地面に大の字で落下した自来也を踏みつけるように着地。切り落とされた腕を拾いながらどこか呑気に呟いた。
「はちらいざぁぁぁんっ!!!腕ぇぇぇぇぇ!!!!?」
対して雛は本日何度目かの、相棒の名前を呼びながら大絶叫。混乱していても律儀に八来の言いつけは引き続き守っているので大蝦蟇の口からは離れられない。
「腕?ああ…いい機会だ、ちゃあぁぁんと見ておけよ雛ぁぁぁ」
ニヤリと意地の悪い笑みを一つ。雛にわざわざ斬られた方の断面を見せるように体の方向を変える。すると、奇妙なものが目についた。
真ん中の白く見えるものは骨、その周りには当然肉や神経が囲っている筈だが何故か銀色や赤や白のコードの様なものが僅かに傷口から垂れ下がっている。
再び金属のきしむ音が聞こえてきたかと思うと千切れたコードが伸び、切り落とされた腕に巻きつき一瞬で飲み込む。すると 骨が 肉が 神経が コードが 瞬く間に再生されていった。
「うっし、完成」
再生された腕に支障がないか手を開いたり閉じたり、腕を肩から回すなど確認する。
「えぇぇぇぇぇ…ど、どうなってるんですかぁ!?」
なんということでしょう…。相棒の背中が焼けて骨と肉まで見えていた筈なのにものの数秒で完治。腕を斬り落とされてもこれまたあっさりと傷は癒えてしまった。
「説明してほしかったら、とっととそこのクソ蛙をどうにかしやがれ。退治したら褒美に聞かせてやるからよぉぉぉぉ」
「は、はいぃぃぃぃっ!!」