終わりの始まり
「………はっ」
目が覚めると、目の前には八来の逞しい胸板が。
いつもなら八来を抱きしめたまま目覚めるが、今日は八来に抱き締められている。
(わ、わ、私は何という事を!!!!!!)
思い出す昨夜の数々の所業。過呼吸になって、身体支えてもらって、布団に寝かせてもらって、寒いから温めてくれと一緒に寝るようにせがんだ。
何と言う は し た な い こ と を! ! ! ! !
絶叫しそうになったが、八来の寝息が耳に入り口に手を当てて咄嗟に堪えた。起こしてはいけない!
(いつもと……逆ですね)
抱き締める側が抱き締められている。その状況に何故か心臓の鼓動が早まっている事に気付いた。
(ど、どうしましょう!動けません!!)
しっかりとがっちりとホールドされている。力を込めれば脱出出来そうだが、眠っている彼を起こすような事はしたくない。
「……ひ、な?」
どうしようかあれこれ思案していると、八来が目を覚ましてしまった。
「は、八来さん!お、おおおおおはようございます!」
抱き締められたままで、恥ずかしいやらどうしたらいいのやらでパニックし上擦った声で挨拶する。
「……具合は大丈夫なようだな」
ゆるゆると彼女への拘束を解き、大きくあくびを一つ。
「顔、赤いぞ?ちぃと暖め過ぎたか?」
「いえいえいえいえいえいえ!滅相もありません!!昨日はご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした!!!」
八来の意地悪な笑みに、全力で首と両手を横にぶんぶん振ると畳の上で土下座した。
「別に気にすることじゃねぇよ。地雷踏み抜かれたら誰だって気が弱るだろ」
「でででででででですが!!」
「顔上げろ」
八来の低い声におずおずと顔を上げる。すると、八来は呆れ顔で雛の額を人差し指で軽く小突いた。
「お前はもう少し他人に頼ることを覚えろ。言ってくれないと分からんし、解決できることも解決できなくなる。……何だその顔は?」
雛は目を丸くしてキョトンとしている。
「いえ……その、そのように言われたのは初めてで……」
祖父を亡くしてから、誰かに頼ることも相談することも無かった。いや、相談できる人がいない状態が長く続きすぎたせいで誰かを頼るという選択肢が自分の中から消えていた。
「まず、出来ることから少しづつだな。他人との縁も大勢出来たから、訓練する機会はこれから多々あるだろう」
他人との縁。そう言われて真っ先に思い浮かんだのが黄龍部隊の面々の姿。
「時間はたんとある。まずは」
そこで携帯電話のディスプレイに視線を落とす。時刻は丁度朝の七時。この時間になるとそろそろ……。
ぐぎゅるるるるるるる!!
雛の腹の虫が騒ぎ始める。
「朝飯食うか」
「用意できているでヤンスよ!」
タイミングよく、部屋の襖が開きお膳を持った娟焔が入ってくる。その後ろを同じ様にお膳を持った禿が数人控えていた。
「タイミングよすぎて気持ち悪いなぁ。ご自慢の鼻か?それとも隠しカメラでもあるのか?」
「内緒、でヤンスよ」
クフフ、と何処かいやらしい笑みを漏らす娟焔。八来は部屋を見回し、隠しカメラが無いか探っている。
「雛ちゃん、おかわり自由でヤンスからどんどん召し上がれ♪」
「あ、ありがとうございます」
雛の目の前には五つの膳が並び、そのどれもが八来の膳よりも量が多い。
「後で食事代請求されるとか無しな」
「そんなケチな真似はしないでヤンスよぉ!」
八来と娟焔のやりとりを余所に、雛は行儀よく手を合わせる。
「頂きます」
ホカホカの白飯を口に運ぶ。
つやつやで柔らかくやや粘り気のある米粒を噛み締めながら思うのは、上京してからご飯の質が格段に上がったという事。
少量の玄米と山の果物や山菜とキノコで何とか空腹を凌いでいたあの日々。
実家での言いようのない空腹に襲われることも無く、温かな飯がお腹いっぱい食べられるという贅沢。
優しい人々と温かい食事。自分は何と幸せ者だろう。
与えられた居場所を、人々との縁を失いたくない。そんな思いは日に日に強くなっていく雛であった。
****
「それじゃあ、世話になったな娟焔」
三浦屋の玄関で娟焔をはじめとする従業員がほぼ総出でお見送りに出てきた。
「またいつでも遊びにいらしてくださいな、でヤンス」
「ナニして遊べと?」
「ああ、八来の旦那はその線は不要でヤンしたねぇ」
意味深な事を言いつつ、雛の方をちらりと見る娟焔。雛はその視線の意味が分からず首をかしげていた。
「娟焔さん、皆さんお世話になりました」
雛は丁寧に頭を下げ、八来と共に三浦屋を後にする。
「いい人達でしたね、八来さん」
「……まぁな」
娟焔がここまで親切だったのは財布を取り返した恩もあってだが、一番大きいのは八来の前世が岩二だった点だろう。
結局彼も芭蕉宮と同じで今も岩二に固執している。難儀な事だ。
「さぁて、家帰ってとっとと報告書作成するか」
「はい」
前を行く八来を雛が足早に追いかけ、二人並んで歩く。
――――――――その後ろ姿を眺めていた隊員が一人。
雛に負けず劣らず背の小さな隊員は瓦礫を撤去する手を止め、食い入るように雛の後ろ姿を見ていた。
「雛……お嬢様……?」




