かくして女の情念は黒き灰と消え
「いやぁ、これどうしようかね」
蓮聖と共に黒い球体に捕らわれて銀龍が、言葉とは裏腹に緊張感のない呑気な声で呟いた。
二人の目の前には『八百屋お七』の紛ツ神が恨みがましい表情をして赤い硝子玉の瞳で睨みつけてくる。
「どうにかするしかないだろう」
黒い結界で覆われた後、二人は灰色の吉原にいた。建物も地面も空も何もかもが灰色で作られ、人の気配が一つも感じられない異様な空間に蓮聖は眉をひそめる。
「ゲームの終了条件はあの紛ツ神を倒せばいいのか?」
「違ったらどうする?」
蓮聖の問いに銀龍が子供の様にニカッと笑った。
「二人で脱出方法考えようぜ。今まで何とかなったんだ、今回も大丈夫だろ」
彼の根拠のない自信に蓮聖は呆れたようにやれやれと首を振る。
「さて、お喋りは一旦止めだ」
お七の紛ツ神の口が耳までひび割れる。顔を上に向け、ガクンと大きく開いた口に右手を突っ込み喉の奥から何かをずるりと引きずり出す。それは色褪せ破れた振袖。手に持った行燈の火を付けて乱暴にぶんぶんと振り回すと二人に向かって投げつける。
空中で赤く萌える振袖が舞った。左右の袖が今まさに彼らを抱き締めようとするかのように広がり、炎を纏ったまま急降下する。
「おっと」
突然、重力に引かれたように落ちてきた振袖を二人は難なく避ける。振袖は地面に落ちる寸前に袖から銀色の腕を生やし、地面に手を付き蓮聖の方へと方向転換して再度追いかけてきた。
蓮聖は鞭を取り出すが、舌打ちと共にすぐさまそれを袖へと引っ込め、代わりに一枚の札を取り出し印を組む。すると振袖は蓮聖の目の前で何かに弾かれ、地に落ちた。
「火はお前と相性が悪いな。今回は防護に回ってろよ、攻撃は俺がやる」
蓮聖の髪は強度伸縮性はあるが燃えやすい。針は五行『金』にあたる為、炎に弱い。
悔しそうな相棒を横目に銀龍が右手の人差し指と中指を伸ばし、クイと折り曲げた。
すると、地面に倒れた振袖の下で何かが蠢いた。影がまるで生き物の様にグネグネと動き、伸び縮んだかと思うと帯の様に振袖に巻き付く。
影の帯は雷を纏い、バリバリと音を上げながら振袖を締め上げていく。そして物の数秒で己の炎では燃え尽きることのない振袖は炭と化した。
「銀龍、あまりそっちの能力は使うなと言われているだろう」
「周りに人がいないからいいじゃねぇか」
お七は最初の振袖が倒されたと分かると、第二・第三の炎の振袖を放ってくる。
銀龍は蓮聖の前に移動すると立てた親指を下へ向ける。今度は銀龍の影が蠢き、何本もの黒い帯となって振袖達に巻き付いては次々炭へと変えていく。
「『八百屋お七』か……。色恋で狂った女とはあまり殺りたくねぇんだよな」
お七の手駒を全て炭へと変え、灰色の煙があちこちから立ち上る中で散歩するかのようなゆったりとした足取りで紛ツ神に近づいていく。
「惚れた奴に会いたい、会いたくて会いたくて震えるほど狂おしくて狂っていく感覚は分かる。嫌って程分かる」
語る相棒の背に、蓮聖はどこか憐れみ悲しむような視線を向けていた。
「辛いよなぁ、苦しいよなぁ、愛して愛して、もう一度会いたくて、頭の中は愛した奴で一杯で。心はそいつで一杯なのに全然満たされないんだよ。でもな、」
先程までどこか悲しげな表情で笑みを浮かべていた銀龍の顔から、突然表情が消え去った。
「あんたの基となった人間は手段がヤバかったな。他人を巻き込んで害をなそうとする愛はもはや愛じゃねぇ、血で汚れた凶器と変わらない」
お七は口から出した振袖に次々火を付け、燃え上がる振袖の袖が結ばれて巨大な輪になっていった。
「ま、紛ツ神に言っても無意味だけどな」
へらりといつもの表情に戻ると銀龍の陰から一匹の黒い龍が這い出してきた。
お七は萌える振袖の輪を車輪の様に回して銀龍に投げつける。対して黒い龍は振袖車輪に自らの体を巻き付けると一瞬のうちにそれを灰へと変えた。
次の振袖を吐き出そうとお七が喉に手を突っ込んだその瞬間、銀龍の足がマネキンの顔面を正面からぶち抜いた。
「はい、お終い」
お七は顔面に大穴を空けたままゆっくりと後ろ向きに倒れ、地面に体の破片をまき散らした。そのまま、ピクリとも動かなくなる。
「いやぁ、やっぱり女を殺るってのは嫌なもんだな。紛ツ神相手でも気分が悪い」
苦い顔をしながら靴に着いた破片を払う。黄龍部隊の中でも一番女遊びの激しい銀龍にとってたとえ相手がガラクタでも女性は女性であり、出来ることならば殺めたくない存在だ。
「……相手は紛ツ神だ。女の姿をしていても『女性』ではない」
「分かってる。でもな、頭では分かっていてもやっぱり嫌なもんは嫌なんだよ」
嫌と言っている割には、女性の命とも言える顔を蹴りの一撃で台無しにしているのは如何なものか。
「兎に角、一刻も早くここから出るぞ。街や皆の事が気がかりだ」
「んじゃ、力尽くで結界ぶち破るか?ちょっと本気出せばイケるだろ?」
銀龍の足元から黒い龍が再び出現し、銀龍の右腕が雷光を纏う。
「待て、それは却下だ。本気を出せばお前の『正体』が街の者にバレる恐れがある」
「結界破ったら直ぐに元の姿に戻るから!『黒雷神』の姿のまんま外に出ないから!」
「一瞬でも人目に触れたらお終いだ!全く、お前という奴はいつも……」
言い終わらないうちに、銀龍が突如蓮聖を担いで近くの建物の屋根へと飛び移る。
「銀龍、何を!?」
「あれ、見てみろ」
蓮聖を姫抱きにしたまま、銀龍はお七が倒れた場所をくいと顎で指し示す。そこには炎に包まれたまま、ゆっくりと立ち上がるお七の姿があった。それだけではない、銀龍たちが先ほどまでいた場所から火柱が上がっている。
辺りを見回すと、同じ様に炎に包まれたマネキンたちが二人を取り囲んでいる。
「蓮聖」
相棒の名を呼ぶと、己の首にある革の首輪に手をかける。
「ちょっと気合い入れなきゃヤバい状態だぜ」
言いながら屋根から飛び降りた。先ほどまで彼がいた場所から火柱が噴き上がり建物も一瞬にして炎に呑まれていく。
「……この状況では致し方あるまい」
「何%ならOKだ?」
地面に着地した直後、火柱が出現するがそれを走って躱す。銀龍のいた場所から次々と上がる火柱、それを猛スピードで走る事で辛うじて乗り切る。
「40%。十分だろう?」
「十分!早く封印解いてくれ!!」
銀龍に抱えられながら、蓮聖が印を組む。
「灰塵の雷『黒雷神』封印解除を許可する!」
蓮聖の言葉と共に銀龍の首輪が電撃で白く光り、弾け飛ぶ。
首輪の下から現れたのは、首をぐるりと一周する雷の様な痛々しい傷跡。そして銀色に変わった長い髪がふわりと風になびくと、その下―――――うなじに蓮の華の刺青が現れる。
瞳の色は金色に変わり爬虫類の様な細長い瞳孔へと変わっていた。
顔の半分は黒い鱗が浮かび上がり、迫りくる炎に照らされて光っていた。
地面を蹴っていた足は今は宙に浮き空を駆けている。
「銀龍、俺を抱きかかえたままでは動き辛いだろう。適当なところで降ろせ」
《そうしたらお前が狙われるじゃん》
神と化した銀龍の声は元々の男性の声と若い女性が重なって聞こえた。
「結界を使用するから平気だ。いつまでも女性の様な抱き方をされるのは御免被る」
《お前、一応両性だろう》
笑う銀龍の目の前に針の先端が迫る。蓮聖は拗ねるような怒った様な顔で銀龍を睨み付けている。
中性的で整った顔立ちのこの男がそんな表情をすると可愛らしく映るが、そんな事を口にしようものならば文字通り目潰しされかねない。
《すいませんでした》
銀龍が素直に謝ると蓮聖は袖に針をしまい、地上を指差した。
「よろしい。さっさと降ろしてくれ」
《はいよ》
手近な建物の屋根の上に蓮聖を降ろすと銀龍は再びふわりと空を飛ぶ。先ほど蓮聖を降ろした場所は早速火柱が上がっているが、蓮聖は球体状の結界を張り炎を防いでいる。間欠泉の様に炎が引っ込んだ隙をついて近くにいた炎のお七に針を投げつけた。よくよく見ると、畳用かと思うぐらい長く太い針には『火気厳禁』の呪が込められた札が巻き付けられており炎を貫通してお七の体に突き刺さっていく。
蓮聖が印を結ぶと針が刺さった箇所が爆発し、一体、また一体と炎に包まれたお七達が地に伏していく。
(量産型紛ツ神を一体一体チマチマ倒していくのは面倒だしな)
銀龍の周りを一匹の巨大な黒い龍が飛ぶ。それが二匹、三匹と徐々に増えていった。最終的に八匹になった所で銀龍が立てた親指を下に向ける。
《走吧》
雷を纏った八匹の黒い龍が地上に放たれ、建物を物をお七達を物凄い速さで次々灰に変えていく。
結界の街にいた何百匹者紛ツ神『お七』は建物と共に消え、全てが飲み込まれた後には銀龍と蓮聖が残される。
《终止》
「まだ終わってないだろう」
上空からゆっくりと下降してきた相棒に、街を覆う黒い結界を指差し示す。
お七を全員消滅させても結界は変わらず存在していた。
《時間も無い事だし、ちょっと気合い入れてごり押しするか》
お七を灰に変えた黒い龍達が、一斉に結界へと向かって飛んでいく―――――




