走れ!雛!!
「急いでいるんです!どいてくださいっ!!」
雛は人々の頭を踏みつけ、飛びながら屯所へと移動する。
(……原点回帰派の方々の様子がおかしい)
全員血走った目で、極度に興奮しながら一般人に危害を加え建物に火を放つ。怒声を放つが、その言葉は徐々に意味不明なものへと変わっていった。ある者は口から涎を垂らし、またある者は切れた唇の端から血を流しながら破壊を続けていく。
その様を横目で見ながら移動を続ける雛の脳裏には集団発狂の四文字が浮かび、ふいに背筋がゾクリとした。
暴れる人間や妖怪と拳を交えたことはあったが、発狂しているものと闘った経験はない。未経験ゆえの恐怖が雛の心にじわりじわりと広がっていたく。
心細さに後ろを振り返ると、水の渦が暴徒を巻き込んで空へと昇っていくのが見えた。あれは八来の仕業だ。
(私は八来さんから、四神部隊の方々の救出を託されたんだ)
左右の手のひらで両の頬を勢い良く挟み込む。ばちんっ!という音と痛みで気合いを入れると、雛は顔を上げて更に高く飛び上がった。
空中では暴徒が雛を追って投げた角材が迫っていたが、雛は両足でそれを挟んで受け止めると、屯所の方角へと蹴り出す。その際に角材に己の胸から掴みだした『縁繋ノ鎖』を巻き付ける。
(あ、人の頭を飛び渡るよりも思ったよりも楽に移動できますね)
角材に引っ張られるように空中を一気に飛ぶ。すると、目の前に灰色の重々しい雰囲気を醸し出すビルが見えてきた。看板にはご丁寧に『玄武部隊屯所』と書かれている。
「到着!の、前にはしたない事をします!申し訳ありません!」
空中で丁寧に手を合わせると角材から鎖を解く。全身を半回転させ、ビルの壁に両足を付き膝を曲げて衝撃を逃がす。後はそのまま体を猫のように回転させながら落下。入り口のドアの前に集まっている暴徒を踏みつけて無事着地した。
「さて」
ビルを背にした雛を取り囲む暴徒達。白目をむきながら凶器を振りかざそうとする姿に雛は恐怖を感じるが、己には成さなければならないことがある!
恐怖を振り払うように拳を振るった。だが、いかんせん相手の数が多すぎる。建物に張られた結界に手を触れる暇もない。
「ひぃぃぃなちゃぁぁぁぁーーーーーーーーんっっっっ!!!」
突然、モーゼの十戒の如く人の波が左右に割れた。否、人が吹っ飛ばされて無理やりに道が開けた!
そして、開けた道を二人の男が土煙を上げながら走ってくる。
「銀龍さん!?蓮聖さんも!」
二人は雛を庇うようにして暴徒達の前に立ち塞がる。
「お二人とも、どうしてここに?」
「麗二殿……いや、ローズ殿に頼まれた。貴方が結界を解くまで、暴徒から守ってくれと」
「八来のダンナがローズに託した伝言だろうけど」
元々守ろうとしていた場所は奥方に取られたしな、と銀龍がぼそり呟いた。
「そういう訳で、こいつらは俺達に任せな」
「安心して結界に集中してくれ」
「分かりました!」
ローズと彼らの関係について気にはなったが、今はそれどころではない。入り口に手を振れ、貼られている結界の解析を始める。
結界と一口に言っても流派も術式も様々であり、結界を壊す場合二通りのやり方がある。それはその術式を遥かに凌ぐほどの力で無理やりに破壊するやり方がまず一つ。このやり方は力のある者ならば可能ではあるが、時間が掛かる上に破壊する側の負担が大きい。
もう一つは術式を解析し、絡まった紐を解く様に丁寧に結界を消滅させていくやり方。こちらはかける力が少ない上にうまくいけばごく短時間で消滅が可能ではあるが腕のある技術者もとい結界師がいなければ不可能だ。
(あれ?この結界は……)
触れた瞬間に雛は首を傾げた。幾重にも張られた結界の根底、それは雛がいつも張っている結界と同じ構造をしていたのだ。
(どうして?)
疑問を感じながらも、結界の根底に触れその構造を崩しにかかる。するとものの数秒で結界に亀裂が走り、あっけなく消え去ってしまった。
「失礼します!」
結界の消えた扉に手をかけようとしたが、雛は反射的に手を引っ込め横跳びに移動する。
次の瞬間、ガゴッ!!という音と共に扉をぶち抜いて槍の穂先が現れる。更に銀色の刃は風を巻き込むと扉を跡形もなく粉々にしてしまった。
消え去ったドアをくぐる様にして現れたのは身長2m越えの大男。四神部隊の制服に身を包み、鬼の仮面で顔を隠している。
男は無言で再度槍を突き出すと、再び穂先に風を纏わせる。風は小さな竜巻となり、周囲の暴徒達を纏めて吹き飛ばしていった。
「倉庫から消防車と防火鎮火用の道具を!!他の戦闘員は暴徒の鎮圧に当たれ!手の空いたいる者は一般人の救助を!グズグズするな!!」
建物から建物へ上がる炎を目にして、腹の奥にも響いてきそうな声で鬼面の男は隊員に指示を飛ばす。
「蘭丸の旦那―っ!やっと来たーぁ!」
暴徒を蹴り飛ばしながら、銀龍が鬼面の男―――蘭丸へと手を振る。
「『影朽終蝕』の飛崎、それに『氣々開界』の法園寺か。現状はどうなっている?」
「他の建物も妙な結界で出入り不可。そこを狙って原点回帰派の暴徒が火を放ってるぜ」
「……李隊長が不在の時に!何という不覚!失態!!」
叫びながら、向かってきた暴徒を槍の一閃で薙ぎ払いそのうちの一人の頭を掴み持ち上げ放り投げる。勢いよく投げ飛ばされた暴徒は仲間を巻き込みながら吹っ飛ばされていった。
「苛立つ前に、そこのカワイ子ちゃんに言う事があるだろ?結界解いてくれたのはその子だぜ?」
銀龍の指差した先には、襲ってきた暴徒の一人の顔面にハイキックを入れる雛がいた。
「結界を解いてくれたのは、お主か?」
槍を地面に突き立てると、蘭丸と雛の周囲に風が渦巻く。風の結界に暴徒は近づけず触れるものは皆はじき飛ばされた。
「は、はいっ!」
「そうか……。礼を言う」
「い、いえ!そんな!当然の事をしたままです!!」
遥か上にある鬼面に向かってぶんぶん首を横に振る。
「雛ちゃん!もう一個伝言!!屯所の結界解いたら次はこの街の出入り口の結界を頼むって!!道は俺達が作るから!!」
銀龍は地面に着地すると同時に、己の影に片手を付く。するとずぶりと片手が影の中に沈み込み、引き上げるとタールの様などろりとした粘液が銀龍の手にまとわりついていた。
蓮聖は鞭の柄をくるりと手元で回転させると、鞭がぞろりと長く長く伸びていく。
「そんじゃま、お姫様の花道だ。一丁、」
「派手に行くとするか」
銀龍は粘液がまとわりつく腕を前へと伸ばし、蓮聖は長く伸びた鞭を振るう。次の瞬間、竜巻と共に黒い龍が一直線に街の出入り口へと伸びていく。それに触れた暴徒達はたちまち膝から崩れ落ち、一般人と解体屋や玄武部隊の者は一瞬苦痛に顔を歪ませるがすぐに活動を再開させる。
「お掃除完了!雛ちゃん、あっちの結界もよろしくね♪」
「分かりました!お二人とも、ありがとうございます!!」
一礼すると、きれいに掃除された一本道を走って去っていく雛。
「そんじゃ、俺達は引き続き雑魚掃除しよっかね」
「そうだな」
言葉を交わしながらも、二人の胸の奥にはある疑問が浮かんでいた。
おかしい。これほど実力のある者達が応戦しているというのに、
なぜ、先ほどから暴徒の数が減らないのか?




