中身と器、そして遠い昔話
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「法園寺のご当主様が?」
「そう、ちょっとお茶目な性格のお人やからね。この前闘技場で会った時から……いや、その前から二人きりで話したいーって言うてたわ」
雛は集合場所へと行く途中、小夢から八来を連れて行ったのはこの法園寺家の当主である蓮生だという事を聞かされた。
「あの、ユニークな髪型の司会者さんで女学生の方ですよね?」
改めて口にすると、何と個性的な人物か。地下闘技場の司会者兼審判のピンクのアフロ男が、服を脱いだらブレザーJKだったという衝撃の事実。更に、黄龍部隊のボスであり法園寺家の現当主というからもう何が何やら分からない。
「いや、あの御方は基本は男。男寄りの両性で、本来の姿は違うんよ。変装が得意やから、たまーにあんな感じで妙ちきりんな格好するんや。普段の格好はちゃんとまともやからね?……いや、普段のアレも基本の変装やったわ。素顔知っとるのは蓮聖様と鳴三と当主の番と愛人だけ」
何やら、ここの当主は不思議で複雑な人物のようだ。人が全く別の何かに扮するという事を今までほとんど見たことがなかった雛にとって法園寺家の当主はまるで魔法使いのような人物という認識になった。
「ツバキさんの婚約者である芭蕉宮さんは、法園寺家の家令を務めてらっしゃるんですよね」
「そうや、うちの未来の旦那様はここの家令やっとるねん!」
パッと笑顔になって話す小夢。その頬は興奮の為かほんのりと朱に染まっている。
「あんな仕事のデキるイイ男が将来の旦那やからね、うちも頑張って勉強して立派な家令夫人になるんや!」
幸せそうに語る小夢。その姿が未来が眩しく見えるのは、自分には決して無い先を目標を彼女が持っているからだろうか?羨ましい、という訳ではなく、人を愛して愛し合って結ばれてその先を行けるという事を雛は知らなかったからだろうか。
雛にもかつて婚約者がいた。
だが、婚約者は父母と同じような冷たい視線を向け、雛の姿を鼻で笑い「家の為だから仕方ない」とよく口にしていたのを覚えている。
婚約と結婚はあくまでも『家の為にするもの』と思っていたし、その他の理由で一緒になるなどとは知らなかった。
雛は恋を知らない。
愛も知らないし、分からない。
一体それは何なのか?
彼女はまだまだ知らないことが沢山ある。
でも、一番知りたいのは……あの人の事。
「あ……、こ、小夢さん、ひ、雛さん、こ、こんにちは。お、お、お久しぶりです」
声に振り向くと、一人の神父がパタパタと息を切らせて走ってきた。二人の前でぺこりとお辞儀をし、肩で荒い息をしながらゆっくりと顔を上げる。
「カイ神父様、お久しぶりです」
雛も丁寧にお辞儀を返すが、隣の雛はこめかみに青筋を浮かべてカイを睨み付ける。
「久しぶりやなぁ……二重人格モドキの腹真っ黒ずず黒外道神父!!」
腕を組み仁王立ちする小夢。仁王様もかくやという怒り頂点のオーラと表情に、カイが情けなく「ひぃ!」と悲鳴を上げながら雛の背後に隠れてしまった。
「ツバキさん、落ち着いて!」
「落ち着いていられるかぁ!先日、鳴三が負傷して帰ってきた時に嘘ついたやろ!!!負けとらんやんけ!!!」
先日というのは、雛と八来が初めて黄龍部隊の面々と顔を合わせたあの日。芭蕉宮と八来が勝負し、結果は芭蕉宮が勝利した。
「あ、いや、その……」
「目ぇ逸らすな!あと、その演技止めぇや!腹立つわ!!」
しゃがみ込み、涙目でふるふると子犬のように震えていた神父は、ため息を一つ付くとすくっと立ち上がる。
「チッ!ノリが悪いなぁ、このぺったん吸血鬼は」
目元にかかった前髪をざっと乱暴にかき上げる。すると、穏やかだった目元は吊り上がり目の色も青からギラギラとした金色へと変わっていった。
皮肉気に歪んだ口元からは先程までの怯えた口調も無くなり、小馬鹿にしたような顔で小夢を睨み返す。
「カイ神父……様?」
一度見ているが、二度見てもこの人物の変わりようは慣れないし信じられない。気弱でガーデニングと紅茶が大好きな神父の本性が、こんなにも怖そうな人だなどと。
「だぁれがAカップや!!これからデカなるんや!!」
「はいはい、愛しのダーリンに揉んでもらえよマイナスAカップ」
キレた小夢のこめかみ狙いの蹴りを、だるそうに体を逸らして躱すカイ。
「おい、ぴよっ子にぺったん吸血鬼、茶会までまだ時間あるだろ?それまでちょっといいか?」
「は?何をや!」
躱された蹴りを今度は縦に方向転換させ、踵をカイの鎖骨へ。
「話がある。八来と芭蕉宮について、だ」
鎖骨狙いの踵落としを、逆に踏み込んで距離を詰めて肩で受ける。バランスを崩した小夢の顔面にアイアンクローを入れようとしたが手の甲で弾かれて舌打ちをする。
「八来さん?」
「そうだ。お前と八来に深く、ふかぁく関わる大事なお話だ」
「……雛の事、誑かそうとしてるんやないか?」
「違ぇよ。こいつに何かしようとしたら八来が部隊を裏切りかねん。そんなでかいリスク犯してまでこいつにチョッカイかけねぇから」
「ホンマか?」
「本気だって言ってるだろ?芭蕉宮についての話もしてやるから付いて来い」
婚約者の名前を出され、小夢は金的狙いの蹴りを途中で引っ込める。
「八来さんについて、どのようなお話を?」
「あいつの遠い遠い過去のお話しさ」
聞きたいだろ?と問うカイに雛は素直に頷いた。
「それじゃあ、茶会の前の軽いティータイムの始まりだ。なぁに、ただの昔話を聞くだけでイイ。しかもワンドリンク付きだぜ?」
長い長い渡り廊下を歩き、カイに案内されたのは庭の隅に佇む庵。
カイは茶室の主人の席に座ると、囲炉裏の鉄瓶で湯を沸かし、茶匙に茶葉を図って急須へと入れる。
やや高めの位置から鉄瓶で湯を細く長く線の様にして急須へと注ぎ入れ待つこと三分。
少し小振りの萩焼の茶碗に、こちらもやや高めの位置からお茶を注いでいく。ここで茶杓で何かを入れ、茶筅で茶を点てる。
「どうぞ」
茶を点てているのが神父、茶釜ではなく鉄瓶を使用している等々難易度の低い間違い探しの様な光景の中点てられたお茶。しかも茶碗は二つあり、雛と小夢はそれぞれを受け取り……中身を見て目を見開いた。
「番茶、ですか……?」
白い茶碗の中身はやや赤みを帯びた茶色い液体で満たされていた。
「……」
小夢は口の端を引きつらせながらも、作法にのっとって茶碗を回し口をつける。
「紅茶やないの」
小夢の言葉に雛は再び茶碗の中を覗き込み、恐る恐る口をつける。すると、爽やかな渋みが口腔に満ちていく。
「はは、流石は鳴三の婚約者だ。正解だよ。ティーカップと違って器が広く大きめだから、多少濃い目に淹れても香りと味がマイルドに感じられるだろ?」
悪戯っぽく笑って棗の中身を見せる。そこには細かくなった茶葉が入っていた。
先程茶杓でいれたものの中身は砂糖。紅茶の渋みの中にほんのりとした甘さがあったのはこのためだ。
「斎賀のおっちゃんみたいな真似せんどいて!あの人の所でお茶飲むと紅茶が金継した茶碗で出てくるんや」
「まぁまぁ、どんな器で飲んでも紅茶は紅茶だろ?まぁ、酒と同じで器によって味わいや香りは違って感じられるけどな」
ケラケラと楽しそうに笑うと、足を崩して胡坐をかく。
「ぴよっ子、紅茶と日本茶は元は同じ葉だってのは知ってるか?」
唐突な質問に、雛はお茶を飲む手を止めてゆっくりと茶碗を置いた。
「え?」
「カメリアシネンシス、又はチャノキっていってな。それの加工方法を変えるだけで日本茶になったり紅茶になったり中国茶になったりする訳だ。面白いだろ?元は同じなのに加工方法で化けるんだ」
いいながら、自分用に淹れた紅茶に口をつける。
「紅茶の講釈垂れんで、さっさと本題に入りや」
「いやいや、ちょっとは関係あるぜ?」
そんじゃあ、本題。と、カイは茶碗を置く。
「ぴよっ子は『岩二 狐九狸丸』という男の名前を聞いたことは無いか?」
「いいえ、初耳です」
思い出す限りでは聞いたことがない。
「その男はな……」
そこから語られたのは、二種族の相反する妖怪から生まれたある一人の妖の悲しい半生と人にも世にも見捨てられた男の絶望の果ての死。
岩二に我が身と魂を喰わせた男は前世の芭蕉宮鳴三という真実に、雛は小夢を見る。彼女はその事を知っていたのか、ゆっくりと頷いた。
次々と語られる過去。カイたちの前世の悪行とそれに巻き込まれた岩二の悲しい物語が語られる。
「で、俺達が天照に敗北した後も世間のアイツへの攻撃は続いた。俺達が操っていたってのに、全てアイツの意志だと勘違いされていたんだよ。ただ、情報を俺達に横流ししていただけで、誰も殺しちゃいないし傷つけちゃいない。だが、俺達との戦争で疲弊していた世間は怒りを向ける相手が欲しかったんだろうな。デマを鵜呑みにした連中は岩二を様々な面で攻撃したんだ」
彼を追い込んだ連中の中には、監督不行き届きだと批判された当時の諜報部隊の隊長もいた。部下の失態で己の身が危うくなると考えた彼と部隊の人間は彼を呆気なく斬り捨て、無実を訴える彼に手を差し伸べる事は一切しなかった。
そして世間の非難は彼の別れた妻とその連れ子だった義娘にまで及ぶ。結果、逆恨みした義娘は岩二を襲い爆破物を使って彼を殺そうとしたのだった。その結果、岩二は片腕と片足を失うことになる。
「さて、世間からも愛した人々からも裏切られた心優しい妖怪はどうなったか?答えは押さえていた感情を爆発させ『凶悪な妖怪』になりかけた。でも、残念な事にそうはなりませんでしたとさ。何故か?」
ここでいったん言葉を止め、乾いた喉を潤すために茶碗に残った紅茶を一気に飲み干す。
「正解は、当時の諜報部隊副隊長である法園寺蓮生が岩二を見捨てずにいたからだ。あいつは天照に掛け合って、監視という名目で引き取り家令という新しい職場と生きがいを与えてやったのさ。そしてもう一人、以前から岩二に想いを寄せていた女がいたんだよ。当時の朱雀隊の若き女隊長が、事故の後遺症で苦しむ岩二をこれまた天照に掛け合い監視という名目で必死に看病した。この二人のお蔭で岩二は『累神』と化することなく、法園寺家という場所のお蔭で世間に晒されることなく幸せな一生を送った」
長い昔話を雛は一言も聞き漏らすことなく、必死に耳を傾けていた。これが、八来とどう結びつくのか?疑問を感じつつも口を挟むことなく最後までカイの昔話に付き合った。
「で、岩二の魂は無事に冥界へ行き転生をした」
カイの言葉に雛の眉がぴくりと動いた。何かを感じたのか、やや目を見開きカイの次の言葉を待っている。
「おや、勘が鋭いなぁぴよっ子。俺様がこれから言おうとしている事が分かったのかにゃ―?良いぜ、言ってみろ」
おどけるカイの言葉に雛は真剣な表情で言葉を返す。
「まさか、八来さんはその岩二さんの生まれ変わりなんですか?」
その答えにカイは満足そうに頷く。
「注がれている中身は同じでも器は違う。な?これと同じなんだよ、八来は。どんな器に入れても紅茶は紅茶であることに変わりはないって訳だ」
そう言って二人の前に置かれた茶碗を指差した。




