結界の向こうに行こう!
地下闘技場での騒動から早三日。
雛は丸一日眠っていたが、斎賀医師の見立てでは健康そのもの。八来が付けた背中の傷もいつの間にか綺麗さっぱりと消えていた。
眠り姫が突然目覚めたのは朝の七時。
「ごはーーーーーーーーんっ!!!」
八来が用意していた朝食の匂いで目覚め、布団からガバっと勢いよく飛び起きるとは誰もが予想していなかっただろう。起き方が完全に僵尸だったと八来は後に語る。
丸一日何も食べていなかった雛は獣の様な腹の音を響かせながら、目にも止まらぬ速さでテーブルに着くと「いただきます」と礼儀正しく手を合わせ――――朝食を秒で胃袋に納めた。成人男性の朝食一食分では満足できず、雛の腹は相変わらずすさまじい音を立てている。
「……本気、出すかあぁぁぁぁぁ!!!」
八来の目に覚悟の光が灯り、プロの料理人も顔負けの手際の良さで次々と山盛りの飯を作り出していく。背中には八匹の蛇を生やし、主の作業を手伝うという連係プレー!
その様子を検診に来ていた斎賀医師はこう語った。
「もうね~大道芸だよね~あれ~。作った端から~バキュームみたいに~雛ちゃんが~平らげていくんだもん~。しかも~上品な仕草で~。八来さん~凄く良い御顔していて~輝いていたよ~?定食屋の店主~やってみたら~?いやはや~見ていて~面白かったよ~」
因みに横で一緒に見ていた助手の竜八は青い顔で視線を逸らし、帰宅後は粥を啜ったという。
ともあれ、雛は二日間は大事をとって休み激しい運動は控えて筋力トレーニングのみに留めていた。その後は八来と朝稽古をこなし成人男性五人分の飯を平らげるという完全復活を遂げる。
そして――――――――――――――
「雛、今日は例の『茶会』だ。気合い入れていくぞ」
カイが以前言っていた『お茶会』の日がとうとうやって来た。
「八来さん、『お茶会』とはそんなに死を覚悟するような顔をするほど大変な場所なのでしょうか?」
「ったりめーよ、あの曲者揃いの中で一番食えなさそうな神父が主催する茶会だぜ?何があるか分からねぇだろぉぉぉぉぉ?」
八来の手には薄桃色の封筒が二つ。中には『茶会の招待状』が入っている。先日、雛の傷の経過を見に来た斎賀医師から手渡されたものだった。
中の紙には可愛らしい兎に美味しそうなケーキや焼き菓子の絵と共に茶会の日時と会場が記されていた。素は凶悪な顔で口が悪いあの神父が招待状を作ったと聞き、八来は思わず飲みかけの紅茶を逆流させた。ギャップがあるにも程がある!!
「会場が『法園寺家』と書いていますが……八来さん、場所は分かります?」
雛はこの日の為に八来がネット通販したワンピースを着ている。白地に花の模様がちりばめられ、腰には大きめのリボンが付いていた。
因みにスカートの下は黒いスパッツを着用するようにと八来に言われ、忠実にそれを守っている。理由を尋ねると「いつどこでドンパチするか分からねーだろ!下着丸見えで戦いたくないだろ?」という答えが返ってきた。お茶会とは抗争の事を指し示すのだろうか?
「うんにゃ、地図も書いていないという不親切仕様で涙が出るぜ。だが……」
その時、タイミングよく外で車のクラクションが鳴り響く。
「さっき斎賀医師から連絡があって、車出してくれるとよ」
玄関に出ると、予想の斜め上の物体に八来は一瞬思考を停止し、雛は見たことも無いソレに興奮した。
「ども~斎賀タクシーで~す」
斎賀が自家用車でやって来た。
文章にすると、おかしなところは一つもない。医者が自家用車で来るなど珍しい事ではない。
彼が乗ってきたのが、海外の軍が払い下げしたであろうボロボロのジープでなければ。
「なぁ、黄龍の奴らってこう……ボケなきゃやっていけないのか?前に雛を診に来たときは普通の軽自動車で来てたよな?」
細かくツッコんでやんねーよ、と言わんばかりに能天気な斎賀医師を睨み付ける八来。
「いえいえ、私の様なツッコミ枠もいますのでどうかご安心くださいませ。」
助手席には薄ピンクのミニスカナース姿の竜八が乗っている。身長と顔立ちのせいか、未成年のコスプレに見えなくもない。
「お前、男だよな?ミニスカナースは隣の医者の趣味か?」
「いえ、私の趣味です。特定の人間の性癖にヒットするこの服に身を包んでいると何かと好都合なことが多いので」
何がどう好都合なのか?どうせろくでもない事だろう、とツッコミかけて八来は止めた。何かもう面倒くさい……。
「わぁ!おっきな車ですね!!屋根が付いていない車は初めてみました!!」
ジープを見るのが初めての雛は子供の用に目を輝かせ、車体の周りをぐるりと回り運転席の斎賀を見上げる。
「これね~ジープって言うんだよ~。耐久性~高いから~結構重宝してるんだ~」
車に耐久性を求める……普段どんな運転をしているんだ?いや、普段どんな生活しているんだ?と、ツッコミを心の中にそっと収める八来。
「座席の椅子が硬い上にクッションが全くきかないので、どうぞこちらを」
渡されたのは二つの円形座布団。雛は初めて見るドーナッツ型のクッションを「可愛いです!」と嬉しそうに受け取った。
「で、ここからどれだけの時間が掛かるんだ?」
後部座席に座る八来。竜八の言う通り、クッションが無いと座席の椅子が硬くて尻が痛くなりそうだ。
「ん~とね、法園寺邸まではすぐ~。でも、会場までは~ちょっとかかるよ~」
「法園寺家の本家でやるからな。入り口から会場まで遠いからしゃあねぇか」
「……?」
今の八来の言葉に何となく違和感を覚えた雛。だが、それも斎賀医師の能天気な声にかき消される。
「じゃあ~しゅっぱぁ~つ~しんこう~」
斎賀医師の声に、ジープのギアが勝手に動いた。
「え?自動で……?」
斎賀医師はハンドルにもギアにも、更にはエンジンキーにも触れていない。にも拘らず、ジープのエンジンは勝手にかかり発車した。
「この子はね~この国に長く居たせいで~付喪神になった~ジープの『ぽち』だよ~。捨てられていたのを~治してあげたら~懐かれちゃったの~」
「付喪神ってシステムはこの国特有だよな?海外製の物もこの国に居たら付喪神化するのか」
海外のどこを探しても『物』に魂が宿る話を見たことがない。『物』に人の魂が宿るのはよくあるが『物』が長い時を経て魂を持ち人の真似事をするのはこの国特有の現象だ。
「昔々は~そういうこと~なかったけどね~。時代の流れ~?僕~今まで~たっくさんの~修繕~したけど~海外の~ティーカップが~付喪神に~なってたの~見たことあるよ~」
斎賀刻守は医者である。診る患者は人間に妖怪や付喪神と種族を問わないという珍しい類の医者だ。当然、付喪神が患者の場合は彼等の本体である『物』の修繕が大半を占める。陶器系の付喪神は欠けた部分を『金継』して修繕するが、その腕前はその業界でもかなり有名だったりする。
「本当に何でもありだな、この国は」
「だよね~」
全自動運転ジープは陰陽庁自然公園を通り過ぎ、大きなトンネルに差し掛かる。
「ここ~抜けたら~すぐだよ~」
呑気な声の刻守とは違い、八来と雛はトンネルに入った瞬間に妙な感覚に襲われた。
「斎賀先生、このトンネルは一体……?」
妙な圧迫感と息苦しさがする。雛の隣の八来も同じような症状がするようで僅かに眉をしかめる。
「我々黄龍部隊が使用できる『法園寺邸』への簡易ワープですよ。『奇門遁甲』の応用で空間捻じ曲げて無理やり繋げたので、慣れないと体に負担がかかりますが」
「『奇門遁甲』……結界術の応用か。そりゃ、紛ツ神の俺や特殊な雛にはちと辛いな」
『特殊』という単語に雛は目をぱちくりとさせる。
彼女は先日の地下闘技場で暴走した記憶が丸ごと抜け落ちていた。蛇の尾に体を貫かれたところで記憶は途切れているので、妖怪化したことも全くと言っていいほど覚えていない。
「出口~見えてきたよ~」
オレンジ色の灯が所々を照らす薄暗いトンネルの向こうに光が見えた。
「うぉ、眩し!」
トンネルを抜け、飛び込んできた眩しい光に一瞬目を閉じる。
目を開けて最初に感じたのは五月の暖かい陽気。柔らかい風の中、彼等を出迎えたのは強固な鉄製の門。
「『裂』と『若』~新入り二名~ただいま到着~致しました~」
見た目の重厚感とは裏腹に、無音でスッと扉は開いた。
「さぁさぁ~お茶会会場まで~もうちょっと~だよ~?」
門をくぐったところでジープを降りる。テレビで見かける様な歴史と和の美溢れる日本庭園がそこにはあった。
「…………」
長い年月を経ても尚、形を変えずその場に佇む巨大な庭石。
樹齢何百年という巨大な松の木。
巨大な池で悠々と泳ぐ、立派な錦鯉たち。
変わらない
法園寺の門をくぐり、八来の足はまっすぐ法園寺本家の邸へと向かって行った。




