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不思議な部屋と白い狸

冷たい 寒い 眠い―――――


薄暗い空間で雛は一人倒れたまま、ぼんやりと意識を取り戻す。


「起きろ」


何処かで聞いた声がするが、ひどく気怠い体を起こす気にはなれない。


「起きろ…」


嫌だ、まだぬるま湯の中に浸かっているような微睡に浸っていたい。


「起きろ!何時だと思ってるんだ!!」


怒鳴り声が雛の意識をはっきりと覚醒させた。反射的に飛び起きると、正座して深々頭を下げる。


「ぴゃあぁぁぁぁ!すいません!!八来さん!!」


いつもなら仁王立ちでこちらを見下ろし、額にくっきり青筋を浮かべた八来の姿がある筈だ。怒っているだろう……と、恐る恐る顔を上げるとそこには予想外のものがいた。

白い狸が縫ぐるみの様な愛らしさでちょこんと鎮座している。


「ふぇ?」


思わず、変な声がでたのは致し方ない。

もふもふの冬毛に覆われた狸は首をかしげて赤い瞳で雛の顔を覗き込む。その姿が非常に愛らしい!!が、妙なことに気が付いた。まんまる福々しいボディの後ろからは何故か太い狸の尾ではなく、九本のふさふさした狐の尾が覗いていた。


「か、可愛い!!え?狸さん?でも尻尾は狐さん?何故?いえ……ここは何処でしょうか?」


辺りは薄暗く、自分と狸以外は何もない。先が見えず広さも分からない上に、自分の声がこだまのように響く不思議な空間だった。


「そう焦りなさんな。ここは何もねぇが何もされない。お嬢ちゃんが来るにはちぃと早い場所だったがな」


狸がキシシと笑い、雛がよく知る男の声で喋った。


「狸さん……妖怪さんなのでしょうか?もしかして先ほどの声も?」


「俺だ。つうか、お嬢ちゃん落ち着いているなぁ。俺らの時代には狸が喋ると人間は大騒ぎしていたが……時代が変わったってことか」


年寄臭いことを言いながら、遠い目をする。その少し上を向いた仕草も可愛らしいが、渋い声と台詞が非常にミスマッチ。


「いえ、凄く驚いています!私のお知り合いの方に声も話し方もよく似ていましたから」


雛を起こすあの声と話し方は八来とよく似ている。


「論点ズレてないか?……まぁその話は置いておいて、お嬢ちゃんはここから出たくないか?」


「勿論です!地下闘技場に残された人々が大変な事に……あれ?私だけ何故ここに?」


確か、裏弁財天の攻撃を受けて倒れた筈だ。それ以降の記憶がまるでない。


「何故ここにいるのかってのは、深く考えるな。んじゃ、脱出方法教えるから俺の言う通りにしな」


雛の目の前にふわりと一枚の葉っぱが舞い降りる。それが一瞬雛の視界を塞ぎ、通り過ぎた後には目の前に一人の男が立っていた。短い白い髪に赤い瞳に赤い(ふち)の眼鏡をかけた男。黒いスーツにロングコートを羽織ったその男の顔は、


「八来さん!!」


「違う。因みにお前さんの知っている芭蕉宮という男でもねぇからな」


ぽふぽふと雛の頭を叩くのは革手袋を嵌めたその手ではなく、九本の狐の尾の一本。


「白狸さん?……狐さん?」


「一応は狸だ。混血なんでね」


ニッと口の端で笑うその笑い方も八来と芭蕉宮の二人と似ている。


「時間が無いから本題に移るぞ。お嬢ちゃん、闘っている時に何か胸に引っかかるものを感じてないか?」


脱出の方法とは関係のない質問に雛は首をかしげる。胸に引っかかるものとは?そうして、ここ最近の出来事を思い出す。


「楽しくて爽快だが、何かが邪魔をして力にブレーキがかかる感覚と言ったほうが分かりやすいか?」


「……結界を使った時に、もっと力を使えるような感じがするのに頭のどこかでストップをかけてしまうことはありますね」


八来に力の使い方の基本を教わり、更に進化を遂げた雛の結界術。だが、小夢の闘いの最中では途中で無意識のうちに能力を抑え込んで使っていたのだ。その上をいける、そう思った瞬間があったが力の更なる開放をしてはいけない―――――――そんな感情が雛の心によぎったのだ。


「やはり、精神にも作用する封印だな……力を導く気も無いからってふざけた真似しやがる」


雛の額の真ん中に人差し指を立てると、狸男は苦い顔をした。


「嬢ちゃん、思い出せよ。ここはあんたの故郷じゃないってことをな。力を解放するのが怖かったんだろ」


更に上をいけるのに、何故か恐怖心が心を占めた。理由のない不安感に、雛は力をすべて開放することが出来なかったのだ。

この上をいけば、大変なことになる。だから、止めろ、止めておけと心の奥で何かが囁くのだ。


「大丈夫、あんたには最高最凶で最強の相棒がいるんだろ?ちょっと暴走したところで何とかしてくれる。八来と死合たいんだろう?もっともっと強くなりたいんだろう?」


雛の耳に心音が聞こえる。それは徐々に早く力強さを増していった。


「さて、お前さんの封印の鍵穴に細工はした。そろそろ王子様が鍵穴をこじ開けてくれる頃合いだ」


雛の心臓が一層激しく高鳴った。唇に柔らかくも温かい何かが触れ、口移しで体の中の冷たいものが吸い取られていく。代わりに熱い何かが入り込んできた。


「入り込んできたものを全て結界術に変換しろ、そして心にかかっていた封印をぶち壊せ!」


雛の身体が金色の粒子に包まれ、びしり!と何かに罅が入る音が空間に響く。すると雛の足元で大きな亀裂が生じ、徐々に空間に広がっていった。


「大丈夫、全部あの男が受け止めてくれるから遠慮なしにぶつかって来い!!」


罅の入った空間に金色の粒子が満ち、空間そのものを満たし壊していく。そして現れたのは何もない白い空間。


『さっさと起きろ、雛』


足元が崩れ、白い空間に投げ出された雛の耳に八来の不機嫌な声が届いた。不機嫌で、でも心配そうな声で雛の名前を呼ぶ。


「はい、八来さん!!」


いつものように元気よく答えた雛が何もない空間に両手を差し出すと、一匹の巨大な蛇が彼女の腕に絡みつく。


「ありがとうございます、白い狸さん!」


蛇に引っ張られて上へと昇っていく雛の姿が金色の粒子ごと空間から消える寸前に振り返り、軽く会釈する。


「それじゃあ八塩雛の事は任せたぞ、八来忠継」


白い空間に一人浮かぶ狸男は、太い笑みを浮かべ「あのどこまでも明るい性格は女房譲りだな」とぽつり呟くと彼もまた空間から消えていった。



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