怒れる蛇と覚醒する雛
「チッ!結界何重に重ねてやがるんだこのガラスはぁぁぁぁぁぁ!!!」
VIPルームでは八来が闘技場を見下ろせるほど巨大なガラスの壁に向かって水をレーザーの様な精度で放出し続けている。
背中から生える蛇は計八本。そのうちの四本は水を、残りの四本は頭部をドリルのように回転して結界を破壊しようとしている。それでも結界は一向に破れない。
硝子の向こうではまだ殺戮が続き、それを阻止すべくブレザー少女が紛ツ神を退治し倒れた人々に応急処置を施している。
雛と小夢は奇妙な和製ゴスロリ女と戦闘中。
(嫌な予感がするな)
雛が危険な状態になると鎖を打ち鳴らす激しい音が聞こえるが、それは未だ無い。だが、どうしても不安がよぎる。
「しゃあねぇな」
手の平から杖を取り出すと、それに水を纏わせて水流のドリルにする。腰を落とし突きの体勢をとり、弓を引き絞る様に力を溜め意識を集中させる。
八来が突きで結界ごとガラスの壁を破壊するのと、彼の耳に激しい金属音が鳴り響き始めたのはほぼ同時だった。
「雛!!」
割れた硝子から勢いよく外に飛び出し、無意識に雛の名を叫ぶ。すぐ下の観客席に着地した八来が見たのは胴体を蛇の尾に貫かれる雛の姿だった。
蛇の尾は雛の身体を貫いたまま大きく波打ち、天井へと彼女を放り投げる。
八来は即座に杖先を下に向け、勢いよく発射させた水の勢いを利用して天井へと飛ぶ。
「この……馬鹿が!!」
赤黒い線を引きながら投げ飛ばされた雛を天井へぶつかる前に片腕で抱きとめる。杖を天井に刺してぶら下がり、下を見ると蛇の尾が一斉にこちらへ向かっていた。
「消えろ」
忌々し気に一言呟くと、背中の八匹の大蛇が水のレーザーを一斉に発射した。ダイヤモンドさえ切断する威力を持つ水のレーザーが当たると、銀色の蛇の尾は縦から真っ二つに別れやがて動かなくなった。
邪魔者を排除すると、雛を抱えたままリングの上へと落下。着地の衝撃は杖から再び水を発射して緩和させる。
「雛ぁ!!」
リングの上に雛の体を横たえると、小夢が慌てて駆け寄ってきた。
「騒ぐんじゃねぇ、まだ死んでねぇよ」
縁ノ鎖の力で雛が死ねば八来も死ぬ体になってしまったが、八来の身体に異常は見られないのでまだ雛は生きている。
(腹に穴空いているが、まだ息がある)
幸い急所は外れているが呼吸は弱々しく、紛ツ神の尾に貫かれた際に入り込んだのか体内から大量の濃い瘴気を感じる。このままでは怪我を治してもやがて内なる瘴気にやられて精神をやられるか命を落としてしまう
「その子を診せて!止血と瘴気の除去作業を」
雛のすぐ傍らにいつの間にか移動してきた法園寺を押しのけ、雛の唇に己の唇を重ねた。
「!?な、何しとんねん!?」
突然の人工呼吸(?)に小夢は固まり、蓮生は「あらら♪」と目を見開く。
二人に凝視されている事にも構わず、たっぷり数秒かけた後、八来は唐突に唇を離す。すると雛の呼吸がやや落ち着き、体内の瘴気は綺麗に消え去っていた。
「体内の瘴気は俺が口移しで喰ってやった。後の治療はブレザー嬢ちゃんに任せる」
言うだけ言うと背を向けて裏弁財天の元へと杖を持ったまま走っていく。
裏弁天は泥の中から召還した蛇と繋がっていたのか、ギターを床に落とし己の身体を抱き締め苦悶の表情を浮かべながら痛みに耐えていた。
「おいクソ餓鬼、へばってんじゃねぇよ」
裏弁天は八来がこちらに向かっていることに気が付き、痛みを堪えてギターに手を伸ばした瞬間にその手を踏みつけられた。
「ちょっと悪ふざけが過ぎたなぁぁぁぁぁぁぁ」
彼女の喉元に強烈な突きの一撃が炸裂する。手を踏みつけられたままなので、後方には飛ばずにもう片方の手でのどを押さえ涙目でその場に咳き込みうずくまる。
咳き込む彼女を見下ろす八来の表情は完全に消えている。声の音量もいつもより小さめだが、そのせいでいつもよりも気味が悪い。
「安心しろ、直ぐには殺さねぇ」
無表情で淡々と杖を振るい、顔を中心に殴りつけていく。裏弁財天は声を上げる暇もなく、背の腕も使って防護しようとするがその隙間を縫って八来は巧みに杖の軌道を変えて殴りつけた。
(……ふざけんなよ、小娘、雛!!)
八来のはらわたはこれ以上ない位に煮えくり返っていた。
雛に致命傷一歩手前の大けがを負わせたこの小娘に対して心底腹が立つ。だが、それと同じくらい……いや、それ以上に腹立たしいのは雛だ。
(何あっさりこんな雑魚相手に死にかけてんだ?お前は俺と死合うんだろ?その為に強くなるんだろう?なのに、あのザマは何だ!!!)
怒りも度が過ぎると、声にも表情にも出なくなる。無表情で、一方的な暴力はまだまだ続く。
裏弁天の瞼の上は赤紫色に晴れ上がり、鼻血を流し、口の端は切れて血が出ている。それでも八来の手は止まらない。
会場から人々がいつの間にか全員避難を終え、地上への扉へと向かっていくが八来にはどうでもいい事だ。
裏弁財天の背中の腕はいつの間にか罅が入り、ギターを掴もうとした手も踏まれて赤黒くはれ上がっている。残った生身の腕で八来の杖を捌く気力も無いのか、力無く垂れ下がっていた。
やがて押し殺した泣き声が、打撃音の合間に聞こえてくるようになった。
「お前は天照達の所へ連れて行ってやる。その後は拷問付きの楽しい尋問タイムだ。俺も混ぜてもらおうか」
こんな生半可な仕打ちでは済ませない、と八来の目はそう物語っていた。
裏弁財天は冷たい目で見下されても、その目を見つめ返すことも無くただただ泣き続ける。
「はい、もう充分ですよ。そこまでにしておいてくださいね?」
気配もなく八来の背後に現れた蓮生が諭すような優しい口調で彼を止める。
「……!」
振り返った八来の顔に表情が戻る。だが、その表情は驚きでも怒りでもなく何かを恐れているような顔だった。
(小娘ぶん殴るのに意識がいっていたとはいえ、気配を全く感じなかっただと!?)
それだけではない。こちらを見つめるこの少女の瞳、見覚えがある。その目を見ると、ある感情が湧き上がる。恐怖感とも違う、これは………何なのだろうか?
「いい子ですね♪頭を撫でてあげます」
少女の手が八来の頭に伸びるが微動だにせず、黙って頭を撫でられる。動きたくとも動けない、否、動いてはいけない。知らず、八来の足は震えていた。
「雛ちゃんの応急処置は済みました。急所は外れていたので今のところ命に別状はなし。ですが、なるべく早く病院に連れて行ったほうがいいですよ?」
「あ……、はい、ありがとうございます」
天照にも使っていなかった敬語が口から出る。紛ツ神に成ってから敬語を使うのは初めてではないだろうか。
「さて、戦意喪失している間に縛り上げておきますか♪この付近で起きていた行方不明事件の事を知っているかもしれないし」
床にうずくまり子供の様に嗚咽交じりで泣き続ける裏弁財天。動きを封じる為に蓮生が針を取り出す。
ふいにその足が止まり、八来が慌てて振り返る。
「チィっ!!」
八来は舌打ちをしながら蓮生を片手で担ぎ上げ、素早く後方へと飛んで間合いを大きくとった。
泣く少女の足元に再び黒い泥が染み出し大きく波紋を浮かべる。すると今度は角髪に髪を結った平安風の着物に身を包んだ少年たちが十五人、太鼓や横笛に鼓など楽器を手に現れる。
少年と言ったが、正確には少年の姿をしたマネキンであり、セルロイドの肌の所々は罅割れて黒い穴が顔や体のあちこちから見えている。紛ツ神『裏十五童子』というべきか。
弁財天の配下である十五童子と同じく、主を守る為に一斉に八来と蓮生に武器替わりの楽器を向ける。
その背後で泣いている主はというと、泥の中から出てきた大きな手に掴まれて十五童子と入れ替わる様に黒い泥の中へと消えていく。
騒ぎの元凶を取り逃がし、再度八来は舌打ちを、蓮生も眉をハの字にして首を振る。
「犯人みすみす逃しちまったか。しゃあねぇ、お前達で憂さ晴らしさせてもらうか」
「待って」
蓮生は先程までの可愛らしい声ではなく、低く落ち着いた声で彼を止めると背後を向くようにと視線と顔の動きで指し示す。
後ろのリング上では小夢が止めるのも構わず、青い顔でふらつきながら立ち上がる雛がいた。
「ようやく起きたか。雛、お前がやるのか?」
問いかけても雛は返事もせず、八来の方を見向きもしない。目に光は無く、応急処置でまかれた包帯にはまだ血が滲んでいる。
「……私、が、やらなきゃ……強く、なれない……と、死合え、ない、から」
「まだ血ぃ止まってへんやろ!ええから!無理せず大人しく寝とき!!」
肩を貸そうとする小夢の横を通り過ぎ、ふらつく足で前へと進む。
「私は………為に……八来さん、と………」
半死の彼女の足元から、黄金の粒子が舞い上がる。腕にも黄金の篭手結界が再び装着されていた。
「私は…………私は………」
うわごとのように呟きながら進む雛の額からは一本の真っ白な角が生えていた。僅かに開いた口からは鋭い牙が覗き、尻からは九本の純白の尾が姿を現す。
―――――――――――――――――――――私 は ?
問いかける様な呟きと共に、異形と化した雛の前身から光の粒子が溢れだした。




