闘う事と恥と
「あんなにも美味しい食べ物がこの世にあったなんて…感激です!あと、狩りや農耕を自らしなくてもお金を出せば食糧が手に入ることを初めて知りました!!」
片手に三つずつ大きな買い物袋を下げながら、星空を見上げ興奮気味に声を上げる。
雛が感動に目に涙をにじませて牛丼屋の店員と熱い握手を交わした後、家に食糧がないという事で近所のスーパーで買い物をした二人。
箱入りのお嬢様は見るもの全てが珍しいらしく、行儀悪く走り回ったりはしなかったもののあちらこちらきょろきょろと見回り子供のように目を輝かせては品物を手にする。
肉や魚などの食料品売り場では 「近くに海や山がないのに!」 と驚き、お菓子コーナーでは 「これは一体なんですか!?」 といちいち八来のもとに気になった菓子を持って聞いてきたりと見た目そのまま幼児の様な行動を繰り返す。
雛のあまりの興奮状態に八来は縁繋ノ鎖を引っ張り(因みにこの鎖は天照と二人以外には見えない仕様)、雛を手元に呼び出すと
「ちっとは大人しくできねぇのかぁぁぁ?はしたねぇぞぉぉぉぉ」
と、睨み付けると途端に 「ごめんなさいぃぃぃぃ」 と半泣きで謝罪された。買い物に来た父と子あるあるを展開しつつも、何とか買い物を終える。
先ほど牛丼屋での彼女の胃袋の凄さを目の当たりにしていたので、無論食料は相当な量を買い込んだ。
スーパーを出た後も興奮冷めやらぬ雛を横目に八来は十キロの米袋を二つを肩に担ぎ、片手に生活用品の入った大袋を四つ持ちながら幸せそうな雛の横を歩く。
(天照の奴、とんでもない小娘を俺に押し付けやがって…)
一年に及ぶ監禁生活は『生きている証は強者と死合う事』となってしまった八来にとっては死ぬより辛い拷問だった。
あの生死をかけたぎりぎりの緊張感と高揚感、血の臭いに己の心を滾らせる戦場こそが己の生を受けた意味と幸せを噛み締める場所だとこの体になって気が付いた。
動けぬ辛さと戦えぬ絶望。時折、牢に様子見に訪れる天照は己をどうするという事もなく本当にただ様子を見に来ただけですぐに帰ってしまう。
つまらない つまらない 戦えぬというのならいっそ殺してくれ
そう何百何千心の中で叫んだことか。
そんな虚しい日々に今日、終止符が打たれた。
檻を壊し放った己の一撃を小娘があっさり躱した時八来の胸には久しくなかった感情が蘇る。
喜び、が。
挨拶代わりにと軽く技を出しただけだったが、素人には到底躱しきれない筈のそれを小さな体で回避して見せた。これが偶然か否か、興味が湧くのは必然。
もう少し間近で観察してみたいと思っていたら、あれよあれよという間に契約相手にされ、しかも生活を共にすることになってしまった。
(あの時、俺の一撃を躱したのは偶然か否か…はてさてお前はどっちかな?)
今日一日一緒に行動して分かったことは、彼女の瞬発力と動体視力は明らかに素人のそれではないという事。
先ほどスーパーで彼女を鎖を使って引っ張ったが、雛は転ぶことなく瞬時に駆け寄ってきた。しかも踵から走り買い物客の間をすり抜けるように移動してきた。
今だって、食料品満載の袋を両手に持ちながらもバランスを崩すことなくすいすい歩いている。袋を持つ手は小さくまるで幼子のそれと変わらないが、子供のような柔らかさは皆無で何かしらの方法で鍛えているという事は買い物袋を手渡した時に偶然触れて分かった。
あの出来事が偶然ではないという事が判明した瞬間、八来は口の端でニヤリとそれはそれは楽しそうに笑みを漏らした。もしかしたら、この娘はまだまだ面白いものを持っているのかもしれない。そう期待して笑うのを堪え切れなかった。
その笑みに雛は気味悪く思うどころか 「お買い物、楽しかったですね」 と微笑み返す。
それと彼女についてもう一つ分かったことがある。それは、
「え?この固いお米も食べられるのですか!?」
彼女が炊飯前の米は食べられないお米…つまり炊きあがったお米と同じ物という事を知らなかった事と、明日から自分が食事を作らなければならないという事だ。雛の場合、お米に洗剤を入れて研ぐという悪行以前のすごい大問題だった。
(こいつに死なれると困るしな…常識が分かるようになるまで飯作ってやるか)
スーパーでの彼女の核爆弾発言を聞いて、八来は一人静かに決心したという。
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「お外は凄いものばかりですね!」
初めての社会、初めてのお仕事、初めての外食、初めてのお買い物…初めて尽くしの事ばかり。沢山の驚きと発見に雛は興奮が止まらない。
前半は天照大神のせいで不安が倍増しになったが、後半は八来のおかげで不安を忘れるほど楽しい思いをした。
「牛丼をまた食べに行きたいです!」
「しょっちゅう行ってたら金尽きるぞ?気に入ったら今度作ってやろうか」
「八来さん、牛丼作れるんですか!?」
雛は驚きと興奮に目を見開き、どこか鼻息荒く問う。
「んな目ぇかっ開いて驚くな」
「牛丼はお家で作れるものなんですね!?」
「そっちに驚いたのかよ!まぁ、さっき食ったのとは違う味でよかったらの話だが」
「あの味以外の牛丼があるんですか!!?全種類を食べてみたいです!」
「……作る人間によって味が違うもんなんだよ、料理は」
日本の主婦と料理人と料理趣味の人間の作った牛丼全種類制覇するのは止めとけと、ため息交じりに言われてしまった。
「そういや…あ!」
八来は急に声を上げ、雛の右方向を指差した。釣られて右を向くと、左から何かが風を切って飛んで来る。雛はそれを声も上げず、無表情で体を僅かに後ろに反らして飛来物を避けた。
「び、びっくりしましたぁ!」
飛んできた小石を避け、家の塀にそれが当たって在らぬ方向へと飛んだのを見届けると雛は目をまん丸にして八来へと振り返る。
八来はというと、口元を押さえ必死に笑いを堪えていた。
「何で笑ってるんですか?」
「面白れぇからに決まってるだろぉぉぉぉぉ?」
それは地下牢で見せた時と同じ様に狂気をにじませていた。
(先程までと、まるで別人みたい…)
八来の表情に背筋をゾクリとさせながら、地下牢から出た後の彼の様子を思い出す。語尾を延ばす言い方も恐怖を感じるような笑い方も随分と薄まっていた為、雛は彼に対してそれほど恐怖を抱くこともなく普通に接することが出来た。
「雛ぁ、お前、武道の心得あんじゃねぇのかぁぁぁぁ?」
武道
その単語に雛の両肩がびくりと跳ね上がる。
「え…」
雛の両目には明らかに動揺の色が見て取れた。否定も肯定も出来ずただ黙ってその場に固まっている。
「初めて会った時の身のこなしといい、さっきの小石避けた時の動きといい、そこいらの四神部隊の下っ端よりもいい動きするじゃねぇかぁぁぁぁ?」
言いながら八来は足元の小石を更に三つ指弾の要領で次々と放ってくる。両目と口を狙って放たれたそれに対し、雛は即座に荷物を手から離して全て右手で受け止める。そして両の手を重ね、一瞬で間合いを詰めてきた八来の鳩尾狙いの膝蹴りを受け止める。と、同時に蹴りの衝撃を逃がす為に自ら後方へと飛んだ。
「あああああ!当たりだ!ビンゴだ!!お前はすげぇなぁぁぁぁぁぁ!!」
雛は空中で器用に体を捻り無事に地面に着地する。だが、彼女は複雑な表情で立ち尽くしてしまった。
「どうしたぁ?かかってきてもいいんだぜぇぇぇぇ?」
両手をだらりと下げノーガードで誘ってくるが、雛はふるふると首を横に振る。
「嫌です…。私は戦えませんし誰かに暴力を振るうことも出来ません。…戦いたくないんです」
「出来ない?戦いたくない?は?お前何を言ってんだぁぁぁぁ?あんだけの身のこなししておきながらふざけんじゃねぇぇぇ!!」
その時、初めて八来の顔に怒りが浮かんだ。髪の間に隠れていた鋭い目は更に吊り上がり、額には青筋が浮かんでいる。
「でも、私は戦ってはいけないんです!私が戦ったら、両親から叱られますし家の恥になります」
「家の恥ぃ?それこそふざけんなよ。この街に来たんなら、四神部隊に入隊したんなら、いずれは戦場に出なきゃなんねぇ。戦うことが恥ってんなら他の奴らはどうなるんだ?戦うという行為が恥ならそいつらは毎日生き恥晒してるってか?お前の親は一体どんな教育をお前にしたんだ?戦うことが恥ならお前は何で武術を知ってる?」
矢継ぎ早に浴びせられる質問の数々に雛は口ごもる。答えを言おうにも、胸に広がる靄と重い痛みに口をつぐんでしまう。
八来の質問は至極まっとうだ。雛と実家が戦いそのものを否定しているにも拘らず彼女は体術を体得しているということと、家を出て四神部隊に入隊したという二つの矛盾。
「やめた。面白いと思ったが、どうやら外れだったようだな」
いつまで経っても口を開かない雛に八来はしびれを切らした。心底愛想が尽きたと言わんばかりに素っ気なく呟くと、地面に置いた米袋と荷物を拾いさっさと行ってしまった。
その場に残された雛は目に涙をため、下の歯で上唇をぎゅっと噛んで泣くのを堪えていた。
「私は…私、は…」
八来の拒絶に雛の心を満たすのは重く黒いもの。
雛が実家を出るまで何度となく、否、毎日味わっていたものだ。
拒絶 非難 そして無関心
その原因を訪ねても皆口を閉ざし、両親に尋ねてみれば 「出来が悪いお前が悪いのだ」 の一言。許嫁は両家の話し合いの元、婚約を破棄され次期当主となる妹の許嫁となった。
誰も彼も己の傍には居ない。皆、離れていく。
だからこそ、傍にいても心底嫌という素振りをしない、話せば言葉を返してくれる八来の存在が堪らなく嬉しかった。
「私は、どうすればいいのですか…」
雛の問いは空しく夜空へと消えていった。