虫食い記憶と独占欲
「八来さんは地下闘技場へ行ったことがありますか?」
帰り道、雛が小首をかしげながら聞いてきた。
「若い頃はよく行っていたな。俺は親が早くに亡くなったから、学費を稼ぐためと腕試しにちょくちょく通っていたぜ」
覚えている記憶では、学校が終わるとその足で地下闘技場に行っていた。当時から腕っぷしは強かったのでそこそこの成績を残し、ファイトマネーを生活費の足しにする日々だった。そして、それを見ていた四神部隊から入隊の誘いが来たのが高校卒業してすぐの頃。
解体屋としての道を進もうとしていたが、保証が付いているということで直ぐに二つ返事でOKした。
その時八来を是非にと誘ってくれたのが当時の白虎部隊の隊長。そして、後の彼の師にして八来を……。
「八来さん……?」
雛の心配そうな声にふと我に返る。
「悪ぃ、ボーっとしていた」
最悪な思い出に顔をしかめた後、頭を軽く振ってから苦笑いを返す。
「凄く恐い顔をしていましたが、どうかなさいましたか?」
「ちょいと昔を思い出しただけだ。なぁに気にすんな」
黄龍部隊の鳴雷神こと芭蕉宮鳴三と対戦してから、ちょくちょく昔の記憶が蘇ってくるようになった。まだまだ記憶に穴があるが、以前よりかは随分とマシにはなった。
以前は思い出せなかった幼少期の記憶、軍時代の事、少しづつ欠けたピースを埋めるものが増えてきている。
思い出せないのは囚われた直後の事だ。どういう訳かこれが一番記憶から抜け落ちている。どうやらその記憶が抜け落ちていた間に、自分の身体も頭も改造されてしまったようだ。
(まぁ、いずれ思い出すかもな)
ふっと、また何かの調子に思い出すかもしれない。
「しかしまぁ……案外困らないものだな」
「?何が、ですか?」
「記憶が虫食いでも、あまり不安にならねぇってこと」
そう考えるのは昔と今の自分が変わったからだろうか?以前なら、道で子供が転んで泣いていたら手を差し伸べ老人が大荷物を持っておろおろしていたら即傍に行って助けていただろう。
だが、今の自分にはそれら全て 『どうでもいい』 と思っている。スルーしても何とも思わない。
心が死んでいる、かと思えば初めて雛と出会った時に彼女が自分の攻撃を避けて心が躍った。芭蕉宮 鳴三と闘った時は全身の血が湧き上がる程の喜びを感じた。
心は死んではいない。 心ががらりと変わっただけだ。
だから、以前のように過去に捉われてくよくよしたりしない。過ぎたことは過ぎたことと消化できるようになった。
裏切られ騙されたことには未だに腹が煮える。だが、怒りのみで裏切られた悲しみはない。悲しいと感じるのは、裏切った相手を信じて期待していた証拠。
今の自分はかつての仲間への信頼も期待も何もない。あるのは怒りだけ。もしも自分が昔のままだったら、今頃絶望し無気力になっていただろう。
(と、いう事は)
雛の身にもしも何かあったら……?
「八来さん、私、帰宅したら地下闘技場の事を調べてみようと思います。それで……その…いえ、何でもないです…。」
上目遣いになったかと思うと、すぐ言葉を濁らせて目を伏せてしまう。
「出場したいのか。いい腕試しになるだろうし、ちゃんと予習したら出てもいいぞ」
「はい、ありがとうございます!」
雛は逐一自分に確認を取ってくる。共同生活をしている上ではありがたいが、もう少し自分の意見を通そうとしてもいいのではないか?
(こいつの実家での生活を聞いていると、まぁこういう性格になったのはしゃあねぇか。……しかし、俺は親じゃねぇんだぞ?何でもかんでも俺に了承得ようとするなよ)
「私、頑張ります!!」
「そうかそうか、じゃあ優勝したら牛丼作ってやるか」
「牛丼!!?が、頑張ります!!絶対に、絶対に優勝します!!!八来さんの牛丼食べたいです!!!」
雛の目が輝き、興奮して口の端から涎を垂らす。慌ててハンカチでそれを拭うと、「牛丼!!優勝!!」 と声を上げた。
「往来で吠えるな、はしたない」
「すいません」
牛丼一つで猛者が集う地下闘技場の優勝を誓う女。昨今、牛丼一つでここまで頑張る若い女子は見たことない。
「八来さんのご飯、とても美味しいんですもの!優勝して、牛丼が食べられるなんてこんなに嬉しいことはありません!」
屈託のない笑顔を見せるまだあどけなさの残る女。こいつを失うことになったら、どんな気持ちになるのだろうか。
怒りか、悲しみか、はたまた絶望か。
(ま、呪いのせいでそんな感情を抱く前に俺も死ぬんだけどな)
ただ一つ言えることがある、それは。
「俺以外の奴に殺られんじゃねぇぞ」
「え?何か言いましたか?」
八来の小さな呟きは雛の耳には正確に届かなかった。
「いや、何でもねぇよ」
この娘が自分以外の者の手で消されることだけは許せない。
コイツの最後と自分の最期。引導を渡すのは自分だけでいい。




