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~幕間其の弐~法園寺家にて

ぬるま湯に浸かっているような心地よい倦怠感から、突如として意識を引き戻された。


「おや、起きましたか」


女性とも男性ともつかぬ穏やかな声と伽羅の香ですぐにあの御方だと分かった。だが、瞼は開かず身体も指先一つ動かない。動くのは口だけだ。


「そのままで結構ですよ、鳴三」


声と共に芭蕉宮の右手の甲に鈍い痛みが走る。


「お館様……?」


「はい、正解」


おどけてにんまり笑う顔が脳裏に浮かぶ。きっととてつもなく良い笑顔で針を打っているのだろう。


「申し訳ありません、法園寺家家令ともあろうものが醜態を晒してしまいました」


本来ならば即布団から飛び起きて、お館様の前で深く土下座していただろう。動かぬ体が口惜しい。


「醜態?また貴方は己を卑下するようなことを」


首筋にズブリと針が刺され、ゆっくり回転させながら深くねじ込まれた。


「――――――――――っ!!!!!?」


針の先を中心に全身に鋭い痛みが駆け巡る。声も出せず体も動かせず、目を白黒させて意識を失った。そしてすぐさま針を打たれて意識を引き戻される。


「八岐大蛇の紛ツ神に勝利したのですよ。何を恥じることがありますか?もっと自信を持ちなさい」


ぬるりと針を抜かれ、痛みから解放される。芭蕉宮は目じりに涙を浮かべ荒い呼吸を繰り返しながら口をはくはくさせた。


「からくも勝利したという点を恥じているのですか?あのレベルの相手に無傷で勝てるのはカイ神父や三神レベルでなければ不可能。今回の勝利はむしろ誇りに思うべきです」


それに、と二の腕に針を打ちながら話を続ける。


「勝負の映像を見させていただきましたが、無意識のうちに手加減していましたね?」


芭蕉宮は答えない。


「あの場にはカイも天照もいた。やろうと思えば限定的に封印を解除することも可能です。なのにそれをせずに八来に挑んだ。理由は八来が 『彼』 だからですか?」


芭蕉宮は沈黙を守ったままなのは、図星を刺され過ぎて何も返せないからだった。


「映像を見て驚きました。再び 『彼』 の姿を見ることになろうとは」


主の声が一層柔らかくなる。『彼』 との過ぎ去った日々を懐かしんでいるのだろうか。


「八来は、過去の記憶をかなり失っています。さらに 『あの男』 としての記憶については恐らくすべて失っているかと」


「記憶を失っていても、仕草や癖は残っていましたね。 『彼』 の時と武器は違っていましたが体捌きが当時と変わりないようで。あと、カイと握手した時のあの笑顔、嬉しそうな顔に見えますが内心色々企んでいる顔ですよ、懐かしい」


話す主の声がとてつもなく、嬉しそうだ。


「彼の性格ならば、会ってすぐの人間に信頼など寄せる筈はありません。裏切られた経験があるのならばなおの事。あれが本当に嬉しそうな顔に見えたのなら、その人物の脳内は余程平和ボケしている事でしょうね」


芭蕉宮はその時気を失っていたので八来とカイのやりとりは知らない。あとでカイに頼んでその時の映像を見せてもらうとしよう。二人とも凄みのある笑顔で手を取り合っている姿が目に浮かぶ。


「八岐大蛇に八塩の娘、これで役者は殆ど揃いました。これからまた忙しくなりますよ?」


「はい」


「貴方にも色々やってもらうことがあります。が、その前にきちんと養生して体を治してくださいね?また前のように胃に穴が開いたまま三徹をしようものなら斎賀さん達を呼んでキツイお仕置きをしてもらいますからね」


「…あ、あの時は申し訳ございませんでした」


キツイお仕置きとは、黄龍部隊のメンバーを一か月 「お兄ちゃん」 と呼ばなければならないという精神的にきついものだった。特にメンバーを皆 「兄弟~♪」 と呼んで可愛がる斎賀はこのお仕置きが気に入ったようで、事あるごとに芭蕉宮に 「お兄ちゃん(はぁと)って言ってよ~」 と迫ってきた。勿論 「おにいちゃん(はぁと)気持ち悪い」 と光の無い目で言い返してやったのは焼き消したい思い出だ。


「蓮聖の応急処置のお蔭かいつもより治りが早いですね。これで明日には完治しているでしょう。で・す・が、明日明後日はお休みとします。自室でしっかり養生するように」


生真面目な生活と以前のブラックな職場に慣れきっていたせいで芭蕉宮は度々無理をしては倒れてしまう。その度に主と黄龍部隊の面々に叱られたりお仕置きされたりするが、染み付いた社畜根性は中々抜けないものだ。


「『八塩 雛』の調査の件は貴方の婚約者にも一枚噛んでもらうことにしました。安心してゆっくりお休みなさい」


「ちょっ!?あ、あいつに!?」


「あなたが負傷して帰ってきたものですから、相当動揺していましたよ。 『カチコミに行く!』 と叫びだしたので七穂が説得中です」


「お嬢に……。いつも申し訳ありません」


「なに、気に病むことはありません。血気盛んなのは若い証拠、徐々に教育していけばいいだけの事」


「直ぐ頭に血が上る癖をどうにかしろと言っているのにあいつは……」


「後で部屋に通しますが、説教は程ほどにしてあげなさい。愛おしい人が負傷して冷静でいられる訳がありませんから。昔の貴方のように」


痛いところを突かれ、僅かに頬を赤くする。


「はい、治療終わり」


体に刺さっていた針が全て引き抜かれると、驚くほど体が軽くなりあれ程体中を駆け巡っていた痛みも嘘のように無くなっていた。

体の感覚も戻り、試しに指先に力を入れると問題なく動く。


「言いつけを守ってきちんと休んでくださいね、法園寺家家令 『芭蕉宮 鳴三』」


「はい、法園寺家現当主 『法園寺(ほうえんじ) 蓮生(れお)』様」


体を起こし、ゆっくりと目を開けるが主は煙のように消え失せていた。

そして入れ替わりにぱたぱたと足音が近づいてくる。

二回り年下の婚約者は泣くか怒るか。いや、両方だろうな、と鳴三は苦笑した。



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