天岩戸と狂犬集団
「はいよ、自来也と大蝦蟇についての資料だ」
天照大御神の執務室にて八来は小さなメモリーカードを机の上に置いた。
「ふむ、やはり今までになかったぱたーんだな」
メモリーカードを挿入したパソコンの画面を見つめながら腕を組み、眉間にうっすら皺を寄せる。
「紛ツ神が人間を動かしてるっつー操り人形みたいなのは俺も初めて見たぜぇぇぇ?」
「妾もだ。お主のように完全融合かと思ったが、違っていたのは幸いと言うべきか」
「俺みたいなのが大量生産されたらまずいだろぉぉぉ?」
「確かに」
ブラックジョークを笑顔交じりで話す二人。雛はというと『八来大量生産』という怪獣大戦争の様な図式を想像してしまい何故かワクワクしてしまった。
「で、そっちで回収されたクソ餓鬼どもはどうなっている?」
クソ餓鬼たちとは自来也と同化しかけていたあのチンピラ共の事だ。
「脳波も体も異常はなし。ただ…」
「ただ?」
「骨折やら打撲やらで一か月ほど入院することになった」
天照の言葉に八来は 「短いな…もうちょっと痛めつけておくべきだったか」 と物騒なことを口にし、雛はというと 「す、すいません!今度はもう少し手加減します!」 と青い顔で論点のずれた謝罪をした。
「それと、お主たちと交戦したという記憶がすっぽりと抜けておるそうな」
「ほう、そりゃあ都合がいいな」
八来は『八岐大蛇』の紛ツ神との融合物であり、その事は陰陽庁でもトップシークレットとなっている。もし、自来也となっていた彼らから昨日の事をバラされでもしたら世間はひっくり返るような大騒ぎとなるのは目に見えていた。危険人物を首輪付きとはいえほとんど自由にさせている天照は世間の非難の的となるだろう。
「被害者の体内には紛ツ神の破片は存在せず。打撲骨折記憶障害以外は問題ないとのこと。兎も角、ご苦労だった」
「あいよ、ところで…」
八来は天照に向かって片手を差し出す。手のひらを上に向け、何かを催促しているようだった。
「なんじゃ?この手は?」
「紛ツ神退治の報酬に決まってるだろぉぉぉぉぉ?ここに来る前に振込されているか確認したが、されていなかったんだよぉぉぉぉぉ!!こっちは食欲魔神のせいで家計が火の車どころか振袖大火状態なんだぜぇぇぇぇ!?エンゲル係数激高で家計が早速大炎上しているからとっとと振り込めぇぇぇぇ!!!」
八来の心からの叫びに、火付け役の食欲魔神こと雛は彼の後ろで申し訳なさそうに頭を下げている。
「分かった分かった。今日中には振り込んでやるからそう吠えるな」
「今日中にな!絶対だぞ!!払わなかったら怒鳴りこみに来るからな!!」
「はいはい、神に二言は無いから安心せい」
(いつも思うのですが、八来さんは天照大神様に軽口を叩いてよく平気ですね…)
仮にも相手はこの国のトップである三神の一人。その神様に向かって軽口を叩いて命を落とさずに済んでいるのはこの男だけだろう。
「そうだ、聞きたかったことがある」
「何じゃ?」
「前に白虎部隊で次期三席と言われていた男がいただろう?名前は『香千也 粋織』って行け好かねぇ紅茶オタクだがアイツは今でも軍にいるのか?」
八来の問いに天照の片眉がぴくりと動く。
「あ奴か。お主があの組織に攫われ行方不明になった後、軍を辞めて店を畳んで英国へと渡ったぞ」
天照の答えに八来は驚いたように目を見開いたが、すぐに窓の外へと視線を映し苦い顔で深くため息を吐く。
「…根性ねーな…あの阿呆」
「それは言ってやるな。現場でお主の片腕だけが見つかり、表向きは死亡扱いになった。その報を聞いて誰よりも落ち込んでいたのは香千也なんだぞ」
「あの馬鹿野郎が。俺が死んだら墓の前で大爆笑してやるって常日頃から言ってやがったのによぉ…」
口調はいつも通りだが、その横顔がやや寂しげに見える雛だった。そして、香千也という人物が八来にとって特別な大切な友人だったのだろうと感じ取る。
「落ち着いたら連絡を入れてやれ。親友だったのだろう?」
「は?今なんて言った?」
八来は露骨に嫌そうな顔をして否定するように顔の前で片手をぶんぶんと横に振った。
「あいつと親友になるくらいなら、ゴキブリと親友になった方が百億倍マシだ」
「はははは、照れんでいい。男の友情とはいいものだな」
「…どう説明したら誤解は解けるんだ?」
照れるな照れるな、と笑う天照に説明するのを諦め、八来は苦い顔で額に手を当てる。
「一緒に戦場を駆け回り、背を預けた仲間がもうおらんというのは寂しいものよ。香千也の気持ち判らなくもない」
フッと自嘲気味に笑い、火の付いていない煙管をその華奢な指先でくるりと回す。
「八来よ、今一度軍属に戻らぬか?」
「ご冗談を」
八来も笑い返すが目が全く笑っていない。
それもその筈、己を裏切り殺そうとしたのは他でもない四神部隊。更に暴走した挙句に各部隊の隊長を叩きのめしたのだ。そんな彼が部隊に戻る筈もなければ戻れる筈もない。
「言うと思ったわ。勘違いしているようだが、四神部隊ではないぞ?」
「じゃあ諜報部隊か?ふざけるんじゃねぇよ、あそこは胡散臭いわ、代々の隊長がトラブルメーカーだわ、あんなところに配属されようものなら俺が物理で潰してやるぜぇぇぇぇ!!」
【諜報部隊】という部署は雛も聞いたことがあるが、あくまで「存在しているかも?」という噂程度だった。
だが、八来と天照の話を聞く限りどうやら実在はしていたらしい。
「諜報部隊でもない」
「は?ならあんたの護衛部隊か?」
「それも違う」
「…どこだよ!」
「なぁに、ちょっとした 『しぃくれっと』 部隊じゃ」
「何だその怪しさ満点な部隊は!!」
天照が目を狐の様に細くして笑う。何だろう…何かとてつもなく悪い事を考えているような顔だ。
「言っておくが、俺はどんだけ好条件出されても軍には戻らねぇぞ!行方不明になって死亡扱いされた超ド級の危険人物を置かれちゃ隊の士気にも関わるだろぉがぁぁぁ!それに、俺より弱い奴の下に付くつもりはねぇぇぇぇぇ!!」
八来の叫びに天照の口元がいやらしく歪む。どうやら笑いを堪えているようだ。
「ならば、四神・諜報・護衛以外の部隊で、所属しているものが今のお前よりも強ければ入隊するのじゃな?」
「ああ、存在するのならば」
「二言は無いな?」
ニヤニヤ笑いのまま、天照は己の背後の壁に手をやる。すると壁に盾一文字の亀裂が入り扉が現れた。観音扉が開くと薄暗い空間が見える。
雛にはそれに見覚えがある。八来を捕らえていた牢屋へと続く階段と同じだ。
「ほれ、ここじゃ」
階段を下り、その先に古めかしくも重厚な扉があった。扉の上には『天岩戸・改』という元祖引きこもりに使われたものと同じ名前が書かれていた。
「結界を解くから暫し待て…ん?開かぬ?あ、ぱすわぁど変えたばかりじゃったか」
扉の前に手をかざし、何かをぶつぶつ呟くが一向に扉は開かない。
「用心の為にまた変えたはいいが、新しいぱすわぁどを忘れてしまった…。ぬぅ、パソ子や新しいパスワードは何だったかの?」
『言霊により発生する温度の変化が鍵です』
何処からともなく少女の声が響き、天照は 「おお、そうであった」 とポンと手を叩く。
「言霊により発生する温度変化だぁ?まぁさか 『布団が吹っ飛んだ』 並の寒いダジャレで開くとかかぁ?」
バタンっ!!と突然勢いよく扉が開いた。
「………嘘だろ」
あまりにもふざけ過ぎたパスワードに頬を引きつらせて天照に目をやれば、しゃがみ込み腹を抱えたまま小刻みに肩を震わせている。
「…ぷっ…ぷふっ…」
隣の雛はというと、こちらは俯き両手で口を押えていた。表情は見えないが真っ赤な耳が見えている。
どうやら両者とも、必死で笑うのを堪えているらしい。
「は…八来…お主何故ぱすわぁどを…い、いかん、思い出したら笑ってしまう」
「ふ…布団が、ふっとんだ…お、面白いです…お、お腹がよじれる…」
「お前ら笑いの沸点低すぎだろ。天照、悪い事は言わないからパスワード変えろ」
駄洒落好きな中年がいたら易々と突破されること間違いなしの緩すぎセキュリティーは駄目だ。それ以前に、こういう阿呆な事を考えつくのがこの国の頂点というこの残念感。
「この国の未来は暗いな」
思わず遠い目をしながら八来は扉をくぐる。
中は体育館ほどの広さの白い部屋。よく見ると壁には所々札が張られ天井や床にも結界が張られている。
「かなりキツめに結界張ってあるな…」
「強い物理攻撃や術を無効化する術式が、何重にも張り巡らされていますね。ここは避難所でしょうか?」
「いや、妾の引きこもり専用のぷらいべーとるーむじゃ」
「引きこもり専用の部屋にしては何もないじゃねぇか」
「普段はてれヴぃじょんや本棚、冷蔵庫等々引きこもるための物を詰めておるのじゃが、今日はお主たちに使わせる故片づけた」
陰陽庁の最高司令部の引きこもり専用の部屋。仕事部屋ではなく、あくまでそのままの意味で引きこもるための部屋。
これは陰陽庁を崇め奉る人間や天照の強い信奉者には知らせてはいけない。女神が実はあまりにも人間臭く俗物にまみれているという事を…。
「さて、八来と八塩よ。この部屋の事やこれからここに集まる人間の事は秘密という事で頼む。何せこれから紹介する隊と隊員の事は四神部隊と諜報部隊、妾の護衛部隊の隊長しか知らぬ」
「おいおい、部隊長しか知らねぇって0トップシークレットかよ」
「ああ、何せとっぷしーくれっとの塊の様な者達で作ってあるからな」
「そ、そんなにすごい人達なんですか…?」
「実際に会って素性を聞けばわかる」
丁度その時、扉の向こうから大きな声で 「屋根が吹っ飛んだ!やーねー!」 と寒い言霊が飛んできた。
「お邪魔するぜ、天照」
女神を呼び捨てにして入ってきたのは七人の男。
一人は黒いカソックを着た男。だが、その胸元は冒涜的なまでに開かれ銀色に輝く逆十字の大きなネックレスを付けていた。鼻に引っ掛けている丸いグラサンから覗くのは獣の様な瞳孔の金色の瞳。薄茶色の髪は逆立て、長い後ろ髪を背に垂らし口元は下品な笑みをたたえている。
次に入ってきたのは長身の髭面の男。碌に櫛を通していないような長い癖っ毛を無造作に束ね、どこかぼんやりとした瞳でにこにこと笑っている。
服装は黒いズボンと白いシャツ、その上から派手な桃色の着物を羽織っていた。
着物の男の背後からこれまた背の高い男がのそりと入ってくる。背が高いだけではなく横も大きい。もっちもちな体を包むのは迷彩のタンクトップと黒い革ジャン。ジーンズのズボンはあちらこちら破けていたが元からそのデザインだったのか、それとも彼のはちきれんばかりの太ももに耐え切れず破れたのかは分からない。赤いバンダナと指の出る革手袋を付け、盛り上がった頬肉で埋もれた細目からどこかキラキラした眼差しで雛を見ていた。
続いて、背の小さい少女…少年?性別不肖の子供が入ってきた。
人形のように整った顔、涼しげな瞳を持つその子供は無表情で扉をくぐる。色素の薄いサラサラの髪を肩の上で整え、肩の出たセーターに半ズボンを着用していた。まるで天使の様な不思議な子供は雛と八来を見ると年の割には色気のある整った艶のある唇をほころばせて薄く笑った。
少年の次に入ってきたのはまたも背の高い男。黒いズボンと白いシャツの上に黒いロングコートを羽織っている。首には革製の首輪を付けていた。
こちらも不精髭だが、着物の男よりかはやや髭が薄い。女のように艶のある腰までの長い黒髪には天使の輪が輝いている。
モデルの様な体型とどこか甘いマスクを持つ男は雛を見るなり投げキッスを飛ばし、カソックの男に右頬をぶん殴られた。吹っ飛ぶ男の顔は何故かとても嬉しそうだ。
次に入ってきた男は黒縁の眼鏡をかけた強面の中年男。短い髪に八来に負けず劣らず不健康そうな色の肌で、目の下には濃い隈がべっとりと張り付いている。ハンカチで口元を押さえ咳き込みながら扉をくぐってきた。
服装はそこいらのサラリーマンと同じ様に黒いスーツを着用。辛そうに咳き込み潤んだ瞳が八来を見るや、途端に猛禽類のような鋭いものに変貌した。
最後に入ってきたのは濃紺の着物の男。
その男を見るなり雛は驚いて口元に手を当て、八来は思わず指差した。
「さっき会った法園寺じゃねぇかぁぁぁ?お前、天照の狗だったのかよぉぉぉぉ!?」
「ひゃはははははっ!!狗?俺様達が!?面白い冗談だな!?そう思わねぇか、お前ら」
八来の声を遮るように甲高い笑い声が部屋に響く。カソックの男は腹を抱え、半泣きでひーひー笑っている。
「まぁ~一応従って入るけど~軍の人みたいに~従順じゃないし~絶対忠誠誓ってないから~僕ら~ワンちゃんじゃないと思うな~」
着物の男がやたらと間延びした声でのほほんと答える。
「その通りでごじゃるよー!吾輩たちはそこまで魂を売り渡していないでありますー!」
肥満体は大きな体をゆすりながらぶほほ!と豚のように笑った。
「一応従ってはいますが、何せ問題児集団ですからね。狗というより躾途中の元・野良と言ったほうが正しいのでは?躾けられても言う事を聞かないことが大半ですし」
子供は絶対零度の様な冷たい瞳で言い放つ。
「そうそう、俺達はそんなお行儀の宜しいイイ子ちゃんじゃないからな。中には狂犬もいるし」
黒いコートの男は言いながら色っぽく前髪をかき上げる。
「俺は天照大神の狗になったつもりはない。俺の忠義心は別の御方のものだ」
スーツの男は素っ気なく言葉を吐く。
「確かに、この連中は『狗』などと可愛いものじゃない。狂犬揃いの曲者ばかりだ」
法園寺蓮聖は八来と雛へと笑いかける。
「……天照、どういう事だ?」
「何がじゃ?」
「今入ってきた連中だ。忠誠心の欠片もないとお前の前で堂々言い放ったぞ?こいつらが本当にお前の秘密部隊なのか?」
「如何にも」
忠誠心も無く、自分たちは野良か狂犬と言って笑う狂った集団。八来に負けず劣らず十分過ぎるほど不敬罪を侵す彼らに雛はただただ呆れるばかりであった。
「そんじゃ軽く自己紹介。俺は天照の直属部隊のリーダーだ」
カソックの男は彼らの前に歩み出て親指で己を指差す。
「初めまして…じゃねぇなぁぁぁお前ぇぇぇぇ!!お前もさっき会ったじゃねぇかぁぁぁ!!!」
八来の指摘に目を丸くした後、再び甲高い声で大笑いする。
「ひゃっひゃっひゃ!!すげぇなアンタ!気づいちゃったか!!」
「え?え!?八来さん、この方と知り合いなんですか?」
「雛、お前も会ってるだろぉぉぉぉ?」
八来に言われてリーダーと名乗る男の顔をまじまじと見るが、サッパリ分からず首をひねった。
「ああ、雛ちゃんは分からないか?んじゃ、名乗ろうかね」
リーダーはサングラスを外し、髪を手櫛でわしゃわしゃと後ろへ撫でつける。すると、先ほどまで吊り上がっていた目つきが柔らかくなっていく。そして金色の瞳が青く変わっていった。
「ぼ、僕ですよ。カイ・クォンですよ、ひ、雛さん…」
そのおずおずとした喋り方、頼りない雰囲気、そこに立っていたのはあのカイ・クォン神父だった。