新しい出会いと覚えのある名前と
「確かに受け取った。ご苦労だったな、八塩」
天照大御神の執務室にて、雛は八来よりも先に彼女に報告書のデータの入ったメモリーカードを渡し昨日の出来事を口頭でも報告していた。
(ふむ、やはりこやつは変わっておるな)
普通の人間ならば、初めて紛ツ神に遭遇しただけで足がすくみ怯えて腰を抜かす。なのに彼女はどこか嬉しそうに楽しげに昨日の事をやや興奮気味に語った。
その説明の裏にあるのは間違いなく闘う事への喜び。命のやり取りを目の前の女は存分に楽しんだようだ。
「八来と一緒に『楽しんだ』ようじゃの」
「はい!」
無邪気に返事をする雛に天照は 「そうか、それは良かったな」 と微笑む。
メモリーカードを読み込んだパソコン画面に映る報告書には昨日の事件とは別に今朝の事が日記のように書かれていた。これは天照がパソ子を通じて雛に命じた事で、彼女の日常と八来の事を知るために書かせたものだ。
なので、事件の報告書と違って若干日記帳になっている。
「八来はまだ時間がかかりそうかの。どれ、連絡してみるか」
巫女姿のパソ子を呼び出し、武器開発局へと電話を繋いでもらう。
「李よ、八来の検査はまだ時間が掛かるかの?」
『あー天照様なのだー!まだまだ時間が掛かるのだ!あ、動いちゃ駄目なのだーーーー!!それ以上抵抗するとお婿に行けない体になるのだ!!』
『うるせぇぇぇぇぇ!!やってられるかこの合法ロリ二号!!!やれるものならやって……ぎゃああぁぁぁあぁぁ!!!らめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!何だこの触手はーーーー!!!』
『ぬははははははーーーーー!!!ねんねのガキじゃあるまいし抵抗すんじゃねーよなのだーーーー!!』
『意味わかって言葉使ってんのかよぉぉぉ!!うぎゃあああぁあ』
天照は無言で通信を切り、窓の外を遠い目をして眺めると青い顔をして震える雛を横目に火の付いていない煙管を噛む。
「八来の事は心配せんでいい。ちょっと手荒だが重要な検査中だ」
「で……でも、悲鳴が聞こえたんですけど!?」
「大丈夫だ、安心せい。死にはせんよ」
納得いかない様に眉毛をハチの字にして、ぬぬぬと唸る雛。
実は手荒な検査というのは、戦闘力と再生能力を図るもので李特製の兵器や召還した魔物を総動員して闘わせている。並の妖怪や能力者では一分と持たずギブアップ、下手をすれば死にかねないがあの頑丈な戦闘狂ならあと三十分は大丈夫だろう。
「天照様、私、疑問に思っていたことがあるんです」
「何じゃ?」
「どうして、八来さんの縁繋ノ鎖の相手を私にしたのでしょうか?」
八来は超が付くほどの危険人物として取り扱われている。雛と出会う前は地下牢に幽閉され、天照以外は面会を禁じられていたほどだ。
ところが、雛と縁繋ノ鎖で繋がれてからは牢から解き放たれ、住む場所を与えられ、監視はあるもののある程度は自由の利く身となっている。
天照が一人で管理していたような危険な人物ならば、それこそ四神部隊の隊長クラスの人物を宛がうのが普通の筈だ。
「まぁ…その理由は追々な」
はぐらかすような物言いに勿論雛は納得がいかない。何故、自分なのか?どうしてなのだろうか?
実力も経験も無い自分が何故?
「実力も経験も無い自分が何故?と思っておるのか?」
「何故分かったのですか!?」
「心を読まずとも分かるわ。全て顔に出ておるぞ?」
「え?」
そんなに分かりやすいのだろうか?と自分の頬を引っ張りこねくり回す。
「ならば、混乱しない情報を一つ。八来は紛ツ神にされた直後、暴走し研究員と他のサンプルとなった人間を次々と殺していった」
『殺す』 という単語に雛の身体がぴくり動く。共に過ごしている内に忘れそうになってしまったが、八来は本来なら重犯罪者。決して外に出られるような人間ではない。
「その暴走の動きを察知し、白虎以外の隊長を向かわせた。結果は全員惨敗。隊長レベルでなければ全員今頃はあの世に行っていただろうな」
四神部隊の頂点となる隊長達が揃いも揃って半死半生にされた。この事は勿論極秘扱いされ、情報操作を行い隊と隊長達のメンツはかろうじて守られた。
「殺されかけメンツを潰された相手の面倒など誰がみるものか。それに引き換え、お主はあ奴とは何の接点も無い全くの新人。しかも結界の能力もあり戦闘能力は非常に高いときたものだ。それに八来は元々面倒見の良い男だったからな。時々タガが外れて凶暴になるが、それ以外は至って無害じゃろ?」
「はい。八来さんは優しい方です」
迷っている自分の背中を押し、何だかんだ稽古に付き合ってくれたりご飯の支度をしてくれる。
雛を襲ったことはあるが、あくまで実力を見極めるための行為であり理性を無くして攻撃を仕掛けてきた訳ではない。
たったその二つの事だけで、重罪人を 「優しい方」 と言い切るその愚かさに天照は感謝している。
「お主の報告書を見る限り、相性も良いようだしな。根っこが似ているのじゃろう」
根っこ、つまりは戦闘狂という事は伏せておく。
他にも色々と理由はあったが今の雛に話すのは早すぎる。出来ることならもう一つの理由を話す機会が来なければいいが。
「納得したか」
「はい」
自分は果たして白虎の副隊長補佐だった八来と釣り合っているのだろうか?という疑問と不安はあるものの天照の考えを知りある程度は納得した。
「昼も過ぎたか。八塩よ、八来の検査が終わるまで食堂で軽く飯でも食ろうてくるがよい。それが済んだらまたここに来やれ」
「分かりました」
天照の執務室から出て、雛はハッとする。
「そう言えば、私、食堂の場所を知りません!」
もう一度執務室に入って天照に食堂の場所を聞こうとした時、
ぐぎゅるるるるるるるるるるるるる!!
雛の腹から大音量で時間切れのお知らせが鳴り響いた。
「お、お腹、空きました…」
天照を前に緊張していた為に感じなかった空腹が、今になって波のように一気に押し寄せてきた。
くらりと視界が揺れたと思うと突然何かが雛の体を支える。
「ふぇ…?」
霞む視界の端には眼鏡をかけた男の心配そうな顔が見えた。
「や、八塩さん!だ、大丈夫ですか!?」
その顔には見覚えがあった。
「カイ…神父…?」
青白い顔を更に白くさせ、不安げに雛の体を抱きとめるがその細腕と体はプルプルと震えている。
「カイ、代わりなさい。あなたの腕力ではお嬢さんと一緒に倒れてしまいますよ?」
さっとカイから雛を奪うようにして抱きかかえたのは濃紺の着物に身を包んだ青年だった。
こちらも色が白く体の線はまるで女性のように細いが雛の体をしっかりと抱き留めている。
目元は前髪で覆われているが、髪の隙間からは理知的な翠色の瞳をのぞかせていた。
「は、早く、い、医務室に連れて行かないと…」
「いえ、その心配はないようですよ」
雛の腕を取り二本の指で脈を図り、目の下を軽く引っ張り貧血の有無を確認するとカイの提案に首を横に振った。
「で、でも…」
ずぎゅぅるるるるるるるるずごぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
反論しようとしたカイの言葉を遮ったのは地響きのような雛の腹の音だった。
「食堂に連れて行きますか」
「そ、そうですね…。取り敢えず干からびそうなので、ち、チョコレートをお口に…」
神父は鞄のポケットから四角い小さなチョコを取り出すと、包み紙を取って雛の小さな口に放り込む。
口内に広がる甘味と僅かに摂取されたエネルギーのおかげで雛がうっすらと目を開ける。
「すいません…ご飯を…」
「大丈夫です、ちゃんと食堂に連れて行ってあげますから」
「や、八塩さん、し、しっかり!」
青年に抱きかかえられ食堂へと向かう。
一方その頃、八来はうどんの様な触手の山に埋もれ、体のあちこちを体液でべとべとにされるというモザイク必須な目に遭わされていた。
****
「やっと…ひとごこちつきました。お二人ともありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらず」
ここは陰陽庁の地下食堂。安い、早い、美味い、種族に合わせた食事を提供するがモットーで人気が高い。
雛は青年とクォン神父に連れられ、初めて券売機で券を買い、初めて『人間種限定!特盛牛丼!15分以内に完食出来たらタダ!!』に挑戦し10分で平らげた。その後、食後のデザート代わりにかけうどん(大)を食べ終わったところでようやく落ち着いたようだ。
男二人はというと、雛の凄まじい食欲に青い顔で胃の腑を押さえながら粥を啜っている。
「そ、それにしても、ま、またすぐに会えましたね。や、八塩さん」
「はい!今朝はありがとうございました」
「い、いえ…喜んでもらえたようで、う、嬉しいです」
笑う、というよりこの男の場合ははにかむという表現の方がしっくりくる。聖職者の格好をしていても、雰囲気のせいかその道の威厳や堅苦しいものが全く感じられない。
「カイ、こちらのお嬢さんはあなたの教会の信者ですか?」
隣の着物姿の男が声を掛ける。その着物は中々仕立ての良い高級品で、帯には高級品であろうアンティークの銀の蓮を模した帯留めが光っていた。
「い、いえ、今朝お会いした方です。し、信者ではないですよ、れ、蓮聖君」
「そうですか。私は法園寺蓮聖と申します。以後お見知りおきを」
着物姿の男改め法園寺蓮聖は雛に丁寧にお辞儀をして自己紹介をする。
「私は八塩雛と申します。こちらこそよろしくお願いいたします!」
法園寺がすっと伸ばした手を取り握手した。すると、法園寺は 「おや?」 と首を傾げた。
「え?す。すいません、何か粗相でも?!」
「いえ、お若いのに頑張っているのですね。武術に一生懸命取り組んでいる方の手をしていますよ」
失礼、と雛の手を取って開かせる。すると、豆や傷であちこちでこぼこになり皮膚の固くなった手のひらが現れた。
「あ、ありがとうございます!」
「一年前の【大厄祭】で死者は出なかったものの軍も解体屋も使える人材が負傷しそのまま引退する事態が相次ぎましたからね。貴女のように一生懸命に努力している新人がいるのはとても喜ばしい事です」
法園寺から解放された手のひらを見つめ、褒められた嬉しさにふにゃりと笑う。
「ありがとうございます!私、もっと頑張ります」
法園寺との握手で感じたのは雛とは比べ物にならない程の数々の傷。治って傷付いての繰り返しで厚くなった皮膚と指の先の手豆の数々。雛は瞬時に彼が自分よりも遥かに修練を積んでいることが分かった。
それに立ち居振る舞いもまた武術を嗜んでいる者のそれだった。雛を担ぎながら滑るような足運びで異動していた。足音がほとんどせず、廊下の向こう側から来る人々の間を素早く縫うように歩いていたのを思い出す。
「お二人も四神部隊に所属されているのですか?」
「い、いえ、私達は『解体屋』です。ぐ、軍には、し、所属はしていません」
解体屋とは、一般の腕の立つ者達が所属する『対紛ツ神』組織である。ちなみに母体は陰陽庁。
解体屋は軍に所属していない為、保険や手当はないが討伐した紛ツ神のグレードによって報酬がもらえる。
ざっくりいうとおとぎ話でいう『冒険者』や『ハンター』に近いだろう。
討伐したいが、軍の規則や集団行動は苦手というものは皆解体屋となっている。討伐ランキングがあったり闘技場での解体屋同士の腕試しが行われたりと、軍と違い割と自由な印象がある。
「八塩さんは本日お仕事で?」
「はい」
雛のズボンのポケットの携帯が震え、画面を見ると八来からの着信だった。
『ひ、雛!今、何処にいる!?』
荒い息をしながらどこか切迫した様子の声。
「八来さんっ!?無事ですか!?」
『いいから現在地言え!迎えに行くから!』
「は、はいぃぃ!食堂です!!」
『あぁ!?お前、先に一人で飯食ったのか?』
「すいません!天照様から先に食事を済ませるよう言われたので」
『まぁいい…、今迎えに行くからそこを動くんじゃねぇぞ!』
そこで通話は切れてしまった。
「ど、同僚の方、ですか?」
「……はい」
今の八来は除籍されたので軍属ではない。正確に言うと同僚ではないが話がややこしくなるので一応肯定しておく。
(そう言えば、私と八来さんの関係とは一言でいうと一体何なのでしょうか?)
ふと疑問が湧いた。一緒に闘ったのは一度だけで相棒というにはそこまでの深い関係も無い。一緒に住んでいるだけの只の同居人というのが妥当だろうか?
「法園寺さんとクォン神父はご友人ですか?」
「只の腐れ縁ですよ」
「そ、そうですね…な、何だかんだで付き合いが、な、長くなりましたし…い、一応、と、友達ですけどね」
クォン神父の言葉に 「そうなんですか?」 と真顔で法園寺が聞く。 「え、えぇ…?」 と神父は困惑した顔で半泣きになってしまった。
「カイ神父、泣かないでください。法園寺さんも冗談ですよね?」
慌てて雛が助け舟を出すが、法園寺はまたも真顔で 「冗談ではないですよ?」 と言い切る。助け舟、轟沈。
「雛、待たせたな」
おたおたとする雛の背後から八来の声がかかる。
振り返るとそこにはボロボロの服を着た八来が立っていた。擦り傷、切り傷まみれで避けた衣服からもまだ血が滲んでいる。しかも、あちらこちらに半透明の液体がこびり付いていた。
「は、八来さんんんんっ!!無事そうじゃないけど無事でよかったですぅ!」
大きな瞳を潤ませ、安堵の言葉を吐く。
「落ち着け、意味が矛盾してるぞ?ああもう、なに泣きべそかいてんだよ。よーしよし寂しかったのかー」
慰めの言葉を棒読みし、雛の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫で繰り回す。その光景はお留守番が終わった犬とようやく帰宅した飼い主のようだった。
「いや、一人じゃなかったみたいだな。こいつが一人で食堂に来れる訳がねーからなぁぁぁ」
雛を撫でつつ、カイと法園寺に視線を向ける。
「迷子になってたこいつを保護してくれたのかぁぁぁ?」
「はい、お腹が空いて倒れそうになったところを助けていただきました」
八来としては普通に視線を向けたつもりだったが、強面に見つめられた神父は睨まれたと勘違いしたのかガタガタと震え出してしまった。
「あぁ?そうか、雛の道案内ありがとうな。そっちの着物の色男もか?」
色男と呼ばれた法園寺は髪の間から翠の瞳をのぞかせて微笑んだ。
「そうです。お二人には本当に感謝しています」
「そうか」
「神父様は今朝、私に薔薇をくれた方ですよ?」
「薔薇?ああ、あの教会のガーデニング神父がお前か」
「は、は、はい!ノアズアーク教会の、か、カイ・クォンと、も、申します」
八来の雰囲気と顔が余程怖いのか、目を合わそうと頑張るがすぐさま視線を逸らして頭を下げる。
「自己紹介が遅れました。私は法園寺蓮聖と申します」
「法園寺…?」
彼の名を聞いた途端、八来は雛を撫でる手をピタリと止め、眉間にしわを寄せる。
「お前…何処かで……」
何処かで 聞いたことがある。
何処かで いつか … ?
だが、何度思い出そうとも記憶の引き出しの中から答えは出てこなかった。だがこの名前を聞いたのは初めてではない。
「法園寺、と言ったかぁぁぁ?お前、軍の人間じゃないのか?」
「解体屋です」
その微笑む口元が女性のように艶やかで、肌の色が白いせいかその桃色の唇がやけに印象的に映る。
(解体屋の上位ランキングにでも入っていたのか?まぁ、いい。帰ってからゆっくり調べるか)
「雛が世話になったな。俺は八来忠継だ」
軽く自己紹介を済ませ、 「じゃあな」 と踵を返す。
「八来さん!?」
「雛、早く天照の所に行くぞ。とっとと終わらせてシャワー浴びてぇんだ!おら、ボヤボヤするんじゃねぇぇぇ!」
「待ってくださいーーー!!」
雛は椅子から立ち上がり、二人に頭を下げると八来の後を慌てて追った。
「もう少し、お話をしたかったんですけどね」
法園寺は形の良い唇をやや歪める。
「れ、蓮聖君が、そんなに、ざ、残念そうなの、久しぶりに、み、見ました。と、ところで、八塩さんと、で、ですか?そ、それとも、は、八来さんと、もっと、お、お話をしたかったのですか?」
法園寺は無言で袖の中から一本の長い針を取り出すと予備動作なしにカイ神父の手の甲に刺した。
「----っ!!」
途端、手の甲から脳天まで声を失うほどの激痛が駆け巡る。あまりの痛みに悶えようとするが、今度は首筋に法園寺の指先が触れる。指が離れた後にはカイの首筋に小さな針が一本刺さっていた。
法園寺の動作はごく自然で目立たなかった為、誰も彼がカイに体の動きを封じる針を打ったとは気が付かなかった。
「あれが『八来』か…。太母様から聞いていたのと随分違いますね」
横を見ると、カイ神父は池の鯉の如く口をはくはくと開けていた。その口元は『やっぱり八来さんの事気になります?そうでしょうね』と語っていた。
「当たり前です。何せ太母様と色々あった方のようですし」
言いながらこれまたごく自然な動作で神父の手の甲の針を更に奥へとねじ込み、体を動かせず声も出せない神父は心の中で大絶叫をしていた。