花畑の教会とガーデニング神父
八来と別れた後、雛は公園で一人黙々と稽古を続けた。
大木から落ちてくる木の葉を蹴りや正拳突きで次々落とし、それを30分。その後再びパルクールを再開し公園を出る。
(朝御飯!八来さんの朝御飯!!)
公園から家までジョギングして帰るが、雛の頭の中はまだ見ぬ朝御飯で一杯だ。
昨日の夜に作ってもらったおじやは最高だった…。
蕪の葉っぱに人参、大根、ぶなしめじに椎茸、鳥のささ身がたっぷり入ったおじやが土鍋で出てきた時は深夜にも関わらず嬉しい悲鳴を上げそうになった。蕪の葉のシャキシャキ感に野菜の甘さやキノコと鶏ささみのお出汁がお米にじんわり染みて!
にっこり幸せそうに笑いながらジョギングにあるまじきハイスピードで通勤途中の会社員の自転車を追い越す雛。
春の温かな日差しの中、雛は春の嵐の如く駆け抜ける。早朝の犬の散歩に出ている老人、慌ただしく駆けていく学生や会社員。
今までは出雲の実家と大きな裏山、そして学校しか知らなかった雛には何もかもが新鮮に見えた。
雛の場合学校へは車での送迎が当たり前で、外からは見えない特殊ガラスは中からも見えづらい仕様を施されており鮮明な外の光景は見ることが出来なかったのだ。
雛の母親が世間を知って彼女が外に出ることを防ぐ為ににこのような処置をし、学校では彼女が人と関わらないよう周りに金を渡して孤立させていたことを雛は未だに知らない。
「はわ?」
日本家屋が並ぶ中、一つとても変わった建物が目についた。
蔦が絡まる白い塀に囲まれた白い大きな三角の建物。赤い屋根の上には大きな黄金の十字架が付いている。入り口の横には白いマリア像があり、建物の両側には金魚草にペチュニア、チューリップやマーガレットなど色とりどりの花が咲いていた。
まるで小さな花園の様だが『ノアズアーク教会』と入り口の古びた木製の立て札に刻まれている。
(綺麗…)
入り口のアーチには小さな赤いバラが咲き、思わず潜りたくなったが自分はキリスト教ではないし神社の娘であることを思い出し踏みとどまる。
「お、おはようございます……」
「ひゃんっ!」
花々に見とれていて周囲への気配に全く気付かなかった雛は横から聞こえてきた男性の弱々しい挨拶に両肩を跳ね上げる。
驚いて声のする方を向くと、そこには青いツナギを着た細身の男が立っていた。
彼の顔を見るなり雛は水飲み鳥のおもちゃの様にぶんぶんと勢いよく何度も頭を下げる。
「おおおおはようございますすみません決して怪しい者ではないですお花が綺麗なので見ていただけですぅぅぅぅ!!」
「す、すいません、こ、こちらも突然声を掛けて驚かせてしまって、ご、ごめんなさい」
必死に頭を下げ謝り倒す雛に青年も慌て出す。
「あ、貴女は、お、お花が好きですか?」
軍手を嵌めた青年の手には一輪の赤い薔薇があった。それをおずおずとした動作で雛に差し出す。
「つ、摘み立ての薔薇です。と、棘は取ってあるので、よ、宜しければどうぞ」
「え!?あ、ありがとうございます!」
手渡されたのは花弁の多い薔薇で、受け取ると上品な芳香がした。
「に、庭を見て行かれませんか?こ、この教会は私の教会なので、え、遠慮なさらずどうぞ」
何処からどう見ても庭師の様なこの青年は、神父だった。
自信がなくおずおずとした態度に吃音症、顔色も青白く風が吹けば飛んでしまいそうなほど華奢な体。薄茶の長い髪はまとめて高い位置で結っているが、こぼれ落ちた毛の細い束が僅かに顔にかかっていた。ガラス玉の様に澄んだ青い瞳は今にも泣きそうに潤んでいる。
その風体からどうしても神父というよりも吸血鬼を連想してしまう。
「キリスト教徒でもない上に、神社の娘ですが敷地内に入っても大丈夫なのでしょうか?」
「だ、大丈夫ですよ。こ、この教会は人種や性別、種族関係なしに受け入れています。も、問題はありません」
では、とアーチをくぐろうとした雛だったがズボンのポケットから激しい振動を感じた。
「すいません、失礼致します」
携帯の画面には『八来さん』の四文字。慌てて通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
《雛、悪いが少し早めに戻って来れるか?》
「はい。…何かあったのですか?」
《昨日の件で上からお呼び出しがあった。朝飯食ったら即レポート書いて提出しに来いと》
「分かりました。急いで帰ります」
電話を切り、申し訳なさそうに神父を振り返る。彼女の様子を察してか神父は「お、お気になさらず」と言ってくれた。
「ま、またお時間のある際にいらしてください」
「本当にすいません」
「あ、謝らないでください。あ、あの、たまにミサ以外にもお茶会を開いたりしているので、き、興味があったら参加してください」
「ありがとうございます。是非参加させてください!私は八塩雛と申します!」
自己紹介がまだだったことに気が付き慌てて頭を下げて名乗る。
「わ、私はカイ・クォンと言います。や、八塩さん、いつでもこの教会に遊びに来てくださいね。わ、私達は貴女をいつでも歓迎いたします」
神父も雛と同じ様に慌てて何度も頭を下げながら自己紹介をした。
余談だが、二人のよく似た慌てぶりに通りすがりの近所の人は 「あそこの神父様、妹さんがいらしたのかしら?」 と微笑ましく見ていたという。
「暖かいお言葉、ありがとうございます!近いうちに薔薇のお礼も兼ねて伺いますので。では、失礼致します」
再度頭を下げてクォン神父にお礼を述べると、雛は猛烈な勢いで走り去っていった。
「貴女に幸がありますことを。アーメン」
嵐のように去っていく彼女の背中にクォン神父は目を閉じ静かに十字架を切って祈りを捧げる。
「近いうちに会いましょう、可愛い八塩ちゃん。弟達もきっと君を歓迎するよ」
淀みなく言いきると神父は朝のミサの支度をするべく教会へと戻る。その口元には先程とは別人のように黒い笑みがべったりと張り付いていた。