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将棋底王戦~敗北を掴むまで~

 全国将棋大会予選。体育館ほどもある大きな会場の一角で、将と棋一は棋盤を対に向かい合っていた。彼らの意識は目の前の棋盤にも対戦者にもなく、少し離れた人だかりに向けられていた。

 その中で戦うのは羽武という天才棋士であり、今日とて圧倒的な強さで棋盤を蹂躙し、対戦相手を涙目にさせている。そしてそれを観ている彼ら将と棋一の内、勝った方が羽武と戦わねばならない。


(冗談じゃない、あんなのとやったら心が折れちまうよ。ここは今の内に適当に負けとくのが精神衛生上最善手ってもんだ)


 とはどちらの心中であろうか。正解はどちらもである。彼らは極度のへたれであった。

 そして違和感に気付いたのも同時。すなわち、先程からポイポイと悪手悪手の連続であったのにも拘らず、未だにどちらも勝利に至らない。散漫な意識を棋盤に戻して、二人は同時に確信する。


(こいつ、負ける気でいやがる! ふざけんじゃねえ、なんて情けない奴だ!)


 棚上げもいいところであるが、このままではどうやっても決着がつくはずもない。そう考えた将は、自分の手番に思案の海に浸る。


(どうする……こいつはマジで負けられねえぞ。あんなにテキトーに指したはずなのに、全然敗北が見えねえ……。勝つ気のねえ奴に勝たせるには……首を、差し出す!)


 そして将は王の斜め前に陣取った金を退かす。そこには、棋一の角が将の王へ至る一本道が出来上がっていた。この意図スケスケの愚行に棋一は目を見開いた。


(こいつ……! こっちに勝つ気が無いと分かるや否や、あからさまに負けにきたな! しかもただの王手じゃない、『王手放置』の反則手……!)


 王手放置とは、王手がかけられているにも拘らず、それを放置する反則手であるが、今回のように王を差し出すような形になるものもその亜種であり、当然反則である。

 そして当然、将は全て織り込み済みであった。


(そうよ、俺が拓いたのは王への道のみならず! 純粋な勝負外でもルールを侵す、二つ重なる敗北への王道! さあ、王を取るか、反則を宣言するか、好きな方で勝ちな……!)


 しかし棋一は慌てなかった。むしろ、その思考は凝り固まった敗北への一本道に地雷原を設けるかのごとく、猛烈な回転を見せていた。そしておもむろに持ち駒を手にし、棋盤に打ち付けた。


(なっ……二歩だと!? しかも、わざわざ自陣から動いてない歩の目の前に! 野郎、どうしても負けを譲る気はねえようだな……!)


 二歩とは、自分の歩がある縦列にもう一つ歩を打ってしまう反則手であり、プロ同士の対局でも時折起こり得るものである。しかしそれはあくまでうっかりであり、今回のは当然故意によるものでる。


(そうさ、どうしても勝てられない理由が僕にはある! そしてこれは駄目押しだ……!)

(なあっ!? こいつ、指していない方の手で時計を押しやがった! 面白え、こいつも二重の負け構えってわけか!)


 原則、時計を押す手は駒を扱った手であるとされる。不正を防ぐための措置であり、今大会ではそれを破った行為が発覚した時点で失格のはずである。しかし、


(そう、このでかい大会、審判員はなかなか全体に目が回らねえ。特に昔、羽武の試合相手に苦し紛れに汚ねえことした奴がいたからな、今審判の多くはあっちに意識を持っていかれてる……)

(という事はこの勝負、次に審判が回ってくる時……その時に)

((より多く、より悪質で、より派手な反則をした方が、負けだ!))


 二人の思考が同時にその答えを叩きだすや否や、将は迷うことなく持ち駒を二つ手に取る。


(なっ……これは! さ、三歩だとお!?)


 そこには、三つの歩が数珠つながりに並ぶ、素人の小学生でも到底お目にかかれない絵面があった。


(歩っ歩っ歩。これぞ俺の覚悟! 常識をかなぐり捨てても負けたいという、絶対の意思表示! 最早お前に負けはない。大人しく勝利をつかめ!)

(……と、考えているのだろうが、甘い! そっちがそのつもりならば!)


 棋一は持ち駒をむんずとつかむと、カッカッカと連続で将の王の前に置く。


(なっ……これは、全て歩!? そして俺の王に逃げ場はない。という事は、これは反則手『打ち歩詰め(ごり押し)』!)


 将棋は歩を打って相手の王を詰みにしてはならず、これは打ち歩詰めという反則手に当たる。当然三つの歩を同時に打って王を詰めるなどという蛮行は反則どころの騒ぎではない。


(しかし、この程度ならば……!)

(おっと、僕のターンはまだ終了してないぜ!)


 将が自分の駒に手を伸ばそうとした瞬間、棋一は目にも留まらぬ速さで自陣の奥深くにいた玉を手に取り、右斜め前五マス程度の所に適当に叩き付ける。


(こ、これは! こいつは今の一瞬で反則手『二手差し』を決め、あげく玉が尋常じゃない軌道で動き……駄目だ、いくつ反則があったのか数え切れねえ!)


 相手の手番中に打つ二手差しを決め、駒を本来動けない場所へ動かし、更には先程の打ち歩詰めやそれに伴った三つの歩の同時展開など、最早正しい手が一つもないと言える反則手のオンパレード。


(お前は甘い、激甘だ。そんなチビチビ反則してるんじゃあ埒は明かない。多面的な反則で制圧する。勝った、僕の負けだ! さあ、どう出る!)


 この怒涛の展開に将はしばらく考え込むように顎に手をやっていたが、やがて意を決したかのように自分の王をつかみ……パキッ、と折った。そして下半分をその場に残し、上半分を基盤の適当な場所に避難させる。

 しばらく呆けていた樹一がハッと我に返っても、やはり王は下半身を残してテケテケの如く上半身だけで逃げおおせていた。


(はあああ!? 冗談だろ!? こいつ器物破損にまでいくか!? そうまでして勝ちたくない、……)


 棋一がちらと見やると、羽武の対戦相手は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、それ

でも決定的な止めを刺されずにもがき苦しんでいた。


(……負けたくないよな、あいつには。そうだよな、でも、それは僕も同じだ。だから……)

「参りました」


 棋一はスッと頭を下げた。

 どのような反則があろうとも、投了は全ての反則に先立つ。これまで二人がそれをしなかったのは、へたれ故の妙なプライドのためである。


(これだけはしたくなかったんだけどな。でも、ホントにお前には感服したよ。お前の敗北への執念に、僕は本当に負けたん)


 ぱちり。


(ん?)


 音に釣られて棋一が頭を上げると、将が完全に据わった目で棋盤を見つめていた。その手元では、重なり合った飛車と角がクイーンのような挙動で棋盤を流れている。つまり、将はまだこの反則合戦から降りていなかった。


(嘘だろコイツ!? 参ったの声すら聞き流しやがった! あなっどっていた、甘かったのは、僕の方か!)


 しかし、さすがに声に出した参ったの宣言を無視しては、周囲の注目を集めるというもの。隣で対局していたおじさんが将に声をかける。


「おい君。彼、参ったって言ってるよ。聞こえなかっ」

「黙らあっシャイ!」


 おじさんの言葉は、突如叫び立ち上がった将の拳によって掻き消えた。おじさんはぎゃふんと椅子ごとひっくり返り、辺りは将の突然の蛮行に騒然とした。


(えええええマジかコイツ! もう正気の沙汰じゃな……ん?)


 棋一が見つけたのはこちらに駆け寄ってくる数名の審判。そして棋一は将の狙いに気付く。


(まさかコイツ、このまましょっ引かれて強制的に退場しようとしてやがるのか! そして僕をなあなあのまま次の対局へ持っていかせようと……何て奴だ! しかし、このまま黙って勝ってやれるほど、僕も苦労しなかったわけじゃない。させん、させんぞ!)


「おい君! 一体何をして」

「邪魔すんじゃねえぞオラァ!」


 審判に殴り掛かったのは将ではなく、棋一だった。対局用の固い将棋盤を頭にぶち込まれ、審判はげふんと吹っ飛んだまま動かなくなった。


(どうだ! この場の最高権力者である審判員に暴行を加えた僕の方が、しらけたおっさんを殴った君なんかより、圧倒的に悪い立場にある! それこそ、君の蛮行すらうやむやになってしまうほどにな! 見ろ、このピクリとも動かない審判を! 君は大人しく将棋を指しているが良い、僕が退場した後で、な!)


 口元を吊り上げ、言外に視線で棋一がそう囁くと、将もそれに応じるように獰猛な笑みを浮かべる。


(こいつ……! 俺の考えを見切り、更に上を行く最悪手を瞬時に見つけ出しやがった! ……へ、面白え! なら俺は、さらにその上を逝く!)


 いよいよこちらに駆け出してきた警備員達を見やると、将は棋盤が置かれていた長机を掴み、大上段に振り上げた。他の対局者の棋盤と駒がバラバラと床に弾け、こうなると会場はもはや阿鼻叫喚のパニックに陥る事となった。更に後に続けとばかりに棋一も手近な長机を引っ掴み、同じく大上段に振り上げる。会場に二本の机が生えたその光景を、羽武の対戦者は後にこう語った。


『棋盤ごと僕の絶望を振り上げた彼らの姿を、僕は将棋をやる度に思い出すだろう』と。

 迫りくる警備員に向かいながら、二人の声は重なった。


「負けるのは、この俺(僕)だあ!」




 二人は風になった。正しくはゆっくり走るパトカーに乗っているのでそんな大した風じゃないが、とにかく気分はそれほどに晴れ渡っていた。二台のパトカーに分乗させられた二人は、同じタイミングで笑みをこぼしていた。


(どうやら、引き分けって手があったみたいだな)


 とはどちらの心中であろうか。恐らく、どちらもである。



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