~再会~
>>Kuon1
久遠がアイオーンの悪夢に侵入してまもなく、データ解析の結果が画面に映しだされた。
このアイオーンの悪夢の原型となっているのは『Dear My World』というアニメの作品のようで、タイトルを検索エンジンに入力してみると、かなり人気のある作品であることがわかった。
主要キャラクターの画像なども先頭ページに表示されてあり、その造型を見て既視感を覚えた。
すぐに、その理由に思い当たる。キャラクターのうちの一人が、部屋にあるフィギュアと同じ姿をしていたのだ。
アイエーが好きなキャラクターだったはずだ。
アイオーンの悪夢が原型を必要とするのは、アイオーンの悪夢単体ではこちらの世界から認識されるに足るデータを構築できないからだ。
データに対するアクセスは一方的に見えるが、実際は相互の関係があってこそ成り立つ。
アイオーンの悪夢とこちらの現実世界の関係にも同様のことが言える。
そのままでは、お互いに認識が至らず、ただの無意味なデータになってしまう。
そこでアイオーンの悪夢がこちらの世界にアクセスする為に取った手段が、原型を得ることだった。
原型とは、ある一定のルールを持つ多量のデータ群のことだ。
アイオーンの悪夢が選択する一定のルールに関しては曖昧で、久遠も正確には把握できていないが、わかりやすいところでは、アニメや漫画、ゲームなどの作品でインターネット上に大量のデータが存在するもの。特定分野でのSNSや掲示板などの投稿データが集まるもの。限定的な意図によって収集、選別されたもの。
アイオーンの悪夢はこれらを原型にして、こちらの世界と接点を得ようとしているのだ。
データが一定数集まり、アイオーンの悪夢がアクセスの手段を得たとき、そのアクセスは現実世界において歪みという形で現出する。
実際にアイオーンの悪夢に踏みいれると、久遠はその在り方についてふたたび新しい想像を駆けめぐらせずにはいられなかった。
仮想世界に対する期待に胸が躍ったのだ。
アイエーのことは当然心配なのだが、普通の認識ではたどり着けない世界にいることを改めて実感しているうちに、現実世界に対してどこかささいな優越感がわきあがってくるのを抑えきれなくなっていた。
ここでなら、理想の世界を手に入れられるかもしれない。
望むままの生活ができるようになり、誰も何も憂うことのない日々が続く。
アイエーは久遠の為に作ると言ったが、久遠にとってはそれは世界中のみんなの為の世界だった。
久遠の周りにいる人達ではなく、顔も知らない誰かの為でもある。
彼女は自分のような人間を作りたくなかった。そして、それはこの世界にあれば叶わないことではない。
解析を進めた結果、中央の通りをまっすぐ上っていったところにある、紫色のもやがかかっている城のような建物がもっとも大きな容量を保持していることがわかった。
歪みのシステムデータを保存している場所である確率が高い。
アイエーがいるとすれば、あの場所だ。
久遠ははやる胸をそのままに、軽く走りだしながら城へと向かった。
しばらく真っ直ぐいっても城に近づく気配は一向になかった。どうやら中央の大通りはループになっているようで、城に続く道とは繋がっていないようだ。
適当にハイパーリンクを探しながらいけば、そのうち本筋の道が見つかりはするだろうけれど、それでは手間が掛かりすぎる。
何か法則に繋がるものを探したほうがいいかもしれない。
道を戻り、建物の並びをVX02DNにメモする。
建物に統一感が無く、雑多としているのはおそらく容量調整の為に適当なもので埋めているからだろう。
ある一定間隔を超えると見たことのある建物がふたたび出てくるのは、一度にコピーできる容量が決まっているからだと推測できる。
建物の様式のすべてに記号を当てはめていき、建物は全部で三十二種類あることがわかった。
二の五乗、つまり五区画で一つの区切りとなっている。
どうやら、この町並みは二種類のループを延々と繰り返しているようだ。
解析プログラムが読み込んだマップデータと併せて、区切りの外に追加されている空間を探す。
区切りから外れている空間は四つ見つかった。リンク先の容量の大きさを比較し、そこからひとつに絞る。
当てをつけて建物に入ると、ハイパーリンクが作動したのか、先ほどとは違う道に出た。
城にまで直通になっている大きな通りの道だ。
空は夜になり、辺りには濃い霧が立ちこめている。ホラー映画の舞台にでもなりそうな、不気味な雰囲気だった。
周囲を警戒しながらおそるおそる足を進めていく。どこかから獣の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
先ほど建物の中にいた動物の声とは違って、猛々しい、血の飢えた獣を思わせる声だった。思わず身が竦み、足の進みが悪くなる。
様子をうかがおうと思い、建物に身を隠しながら解析プログラムを起動し、耳をすませた。
獣の咆哮にまじり、少女の悲鳴のようなものが聞こえる。
物理的に破壊されて出来た入り口もあるので、誰が入ってきていてもおかしくはない。
もしかするとアイオーンの悪夢とはなんの関係もない人が間違って入ってきてしまったのだろうか。
近づいてくる声と足音。
息を呑み、鼓動を隠すようにVX02DNを胸に抱きながら、霧の中に目を凝らす。
だんだんと音が迫ってくる。
どうやら誰かが何かに追いかけられているようだ。
「ギャース!! どっか行ってください!」
霧を振り払うように出てきたその姿は、幼い子供のような背格好の少女――。
「あっ」
思わず立ちあがり、大声をあげる。
少女と視線が合った。
少女は勢いのまま走り抜けようとしていたが、ジャンプして急停止し、振りかえりざまに久遠目がけて飛びついてきた。
「アイエー!」
「ご、ご主人様ぁー!!」
見かけからは考えられないほど軽い身体を抱きとめる。
耳元に触れるアイエーの髪を確かめるように撫でた。なにも変わっていない感触に、安堵の息が漏れでた。
「よかった、無事だったのね。いきなりいなくなるから、すごく心配したよ」
「ごめんなさい……。ちょうど良い空き地を見つけて作業してるとき、新しく見つけたデータを覗きに行ったら出られなくなったです。回線の接続がうまくいかなくて、連絡取れなかったです……」
「うん、いいよ、いいよ。はやく帰りましょう」
「あぅ……。それが、困ったことになっちゃいまして」
久遠がアイエーの話を聞く姿勢になった直後、出し抜けに霧の中から大きな獣が姿を現した。
猫を巨大にして凶暴化させたような、恐ろしい生き物だった。
久遠が短く悲鳴をあげると、アイエーも「ギャース!?」と大声をあげる。
獣は久遠達の姿を見つけ、牙をのぞかせて唸りながらゆったりと近づいてくる。
威嚇という様子ではなかった。
明らかな敵意がそこに宿っている。
「ご主人様、下がるです! こうなったらアイエーの力を見せてあげます!」
アイエーが久遠の前で仁王立ちする。
「あっ、アイエー、待って」
あわてて引き止めるが遅かった。アイエーは透過度の高い青のコンソールを呼びだし、何事か入力する。何かを作成するコマンドのようだ。
「行くですよネコもどき! 閉じこめてやるです!」
地面から鉄の棒が次々に飛びでてきたかと思うと、獣の周囲を取り囲みはじめた。
トドメと言わんばかりに中空に鉄の板が発生し、軽快な組み立て音と共に棒へと落ちてくる。
檻が完成すると、その中に獣が閉じこめられる形になった。
アイエーは腰に手を当てて盛大に笑い声をあげる。
「ぷぷーっ! アイエーの力を見たかです。お前みたいなとんでもノラはにその檻がお似合いですー。ずっとそこにいてください」
獣は怒りを露わにし、檻の中で暴れはじめる。
「アイエーは慈悲深いですから、思い出したときにエサぐらいくれてやります。アイエーにせいぜい媚を売るがいいです」
得意満面と言った様子で言ってのけると、アイエーがふたたび久遠と向きなおった。
「さ、ご主人様行きましょー。詳しいことを説明します」
カシャン、カラカラと音が鳴った。
「あ」
アイエーの後ろで、獣がその鋭い爪で檻を横薙ぎに斬り払ったのが見えた。久遠の様子に気付き、アイエーが振りかえる。
「え? ギャース!?」
自由の身になった獣はエサを前にして舌なめずりしながら久遠達に近寄ってくる。アイエーがじりじりと後ずさって来た。
久遠は、VX02DNに用意してあった『BlankDef』を起動させた。
システム領域に存在する不良セクタを利用して、コーデックをリアルタイムで読み込むことでアイオーンの悪夢と通信できるようにしてある。
解析プログラムと違い、これ単体ではただ不良セクタをフォーマットから保護するだけのプログラムでしかなく、何の意味もない。コーデックがあって、はじめてアイオーンの悪夢に対抗することができるのだ。
「アイエー、これの中に入って!」
「ご主人様、このデバイス……」
久遠がVX02DNを差しだすと、アイエーは首をかしげたが、やがて頷いた。
アイエーの身体が風に揺られるようにぐらりとぶれると、その姿がだんだんと電子の波になって形を失っていく。
まもなく、待機状態になっていた『BlankDef』が通信状態に入った。
「ガルルッ!」
獣はもういつ襲いかかってきてもおかしくはなかった。
動けない久遠を一撃で仕留めようと言わんばかりに、一定の間合いを取ったまま横に移動し始める。目を逸らしでもすれば、その瞬間に飛びかかってくるに違いなかった。
獣から目を離さないようにしながら、久遠はVX02DNを胸元に押しつけた。
後は自動で起動するのを待つだけだ。
間違ってはいないはずだ。起動シミュレーションでは成功している。
しかし、まだアイエーを入れた状態での起動は一度もしたことがない。通信終了までにどれぐらい時間が掛かるのかもわからなかった。
呼吸をできるだけ小さく抑え、動揺していない風を装おうとする。
その次の瞬間、獣がぴたりと足を止めた。叫びそうになった。自制したわけではない。叫ぼうとしても声が出なかったのだ。
あらためてその姿を見ると、いかにもな恐ろしい風貌をした獣だった。
牙も爪も、獣自身の身体を傷つけることすら厭わないとでも言わんばかりに出っ張っており、体毛は刺々しく、触れるものすべてを拒絶しているようだ。
目は剥き出しになっており一欠片の塵も見逃すまいとギョロギョロと動いている。いま、そのすべてが久遠に向けられていた。
知らず、久遠は後ろに下がっていた。獣が支配する空間に押しのけられるように、身体が意志に反して勝手に動いていた。
恐怖から逃れるように、アイエーの名前を心の中でとなえる。他に自分のことを助けてくれる存在のことを知らなかった。
獣が一歩、踏みだしてくる。VX02DNを握る手がいっそう強くなる。
二歩、三歩――彼女は目を閉じた。無理やり瞼を落とし、それ以上なにも怖いものを見ないようにした。
ずっとそうしてきたのだ。聞きたくない言葉は聞かないように、見たくないものを見ないようにしてきた。
ひとりだったときは、ずっとそうしてきた。
獣が地を蹴った音で、妄想が途切れる。
恐怖が妄想を塗りつぶす音が聞こえてきた。
「――『オブジェクト:none→IA セキュリティ:aeon』、コマンドインジェクション! おすわりしてろですネコもどき!」
「キャン!」
アイエーの声が響く。耳を塞いでいても、目を閉じていても、その姿がはっきりと想像の中に浮かび上がる。
目を開けると、アイエーの背姿が見えた。久遠の視線に応えるように振り返る。
「ご主人様、やりました! パワーアップです!」
アイエーはこれでもかと胸を張り、得意満面な笑みを浮かべていた。
「これならご主人様を守るついでに世界も救えちゃいますよ!」
その言葉にすうっと恐怖がかき消されていくのがわかった。胸元に抱いたVX02DNから安堵が全身に広がっていく。
アイエーなら助けてくれる。頼らせてくれる。それは彼女にとって何物にも代え難い支えで、ずっと求めてきたものだった。
アイエーともっと昔に会えていたなら良かった。そうすれば、変えられた現実はたくさんあったはずだ。
久遠では見過ごすことしかできなかったすべてに、アイエーは立ち向かってくれたかもしれない。
「良かった……アイエー、本当に良かった」
アイエーと再会できたことが過去の恐怖や悔恨と重なり、大きな波になって心に押し寄せてきた。
変えたかった過去、変えられなかった過去を、アイエーが変えてくれる、そんな妄想が次々に浮かび上がった。そんなことをしても、なにも変わらない。
それでも、アイエーと向き合った目の奧から、拭いきれなかった過去を溶かすように涙があふれてきた。胸中に澱んでいた現実が軽くなっていくのを感じた。
「ご、ご主人様ぁ!? どうしたですか、どこかケガしましたか!」
「違うの。すこし……すこしだけ、ううん、すごく安心しただけ」