~竜狩り~
>>genryuichirou
「おい、アイエー」
巌隆一郎は正面にサーギィスとドラゴンを捉えたまま小声で言った。
「なんですかー。アイエーが素敵美少女でもこんな状況じゃどうしようもないですよ」
「こんな状況とか言いながら、お前の減らず口はどっから生まれてるんだよ。まあいい、お前、ご主人様とやらは見つかったんだろう。後は一人でもなんとかなるな」
「たしかに近くにいるのはわかりましたけど。んぅ……ひとり?」
先ほどドラゴンが侵入してきた場所を指で示す。
「お前をあそこから外に放り投げてやる。そうしたら、後はご主人様とやらを探して、好きなようにしろ」
「バ、バカ言わないでください。お前達はどうするですか」
アイエーがあわてた様子で言った。その言葉で、巌隆一郎は自然に轟太郎も残るものだと考えていたことに気付いた。
「……そうだな。どうすんだ、轟太郎。行きたいならお前もぶん投げてやるが」
「ぬかせ、小僧。わしをなんだと思っとる」
「自称妖怪の犬だろ」
「ほっほ。そんなもん、ただの肩書きじゃ。この轟太郎、喰らいがいのありそうな化け物は逃がさんようにしとる」
「つくづくジジイくせえな。まあ、おおむね想像通りだが」
巌隆一郎は横目をアイエーに向ける。
「そういうわけだ。俺達はアイツらの相手をする、お前はご主人様んとこに行け」
「正気ですか。あれがデータとはいえ、ここじゃあ、お前達となんら変わらない存在です。やられちまったら、ふつうに死にますよ!」
「やられてやるつもりはないが、どっちにしろ世界は滅ぶんだろ」
「そりゃ、そうですけど」
「んじゃ、どこで何やってても同じだ。気に食わない奴をぶっ飛ばしながら最後の瞬間を迎えるってのも悪くない」
余裕のつもりなのか、サーギィスは動く様子がない。
作中でも追いつめられるまではエセ紳士っぷりを発揮して、自分が強者であることを主張するかのように余裕ある振る舞いをする男だ。
実際に強さに裏打ちされているからでもあるのだろうけれど、いざ目の前にするとなかなかに腹立たしい。イケメン魔術師死すべし。
「お前……ホント、おかしいですよ」
アイエーは困惑した様子で巌隆一郎を見上げてきた。
生意気な口調には変わらなかったが、いつもと違い、言葉に迷いを乗せているのがわかった。
「なんで、そんないい加減な……連れてってやるって言ったですよ。久遠様と一緒に、理想の世界の住人にしてやるって言ったじゃないですか。そっちの犬も連れてってやるです。アイエーがちゃんと作った、めちゃくちゃいいところですよ」
「良いじゃねえか。お前のご主人様も喜ぶだろうよ。だが、俺は行きたいなんて思ってねえんだよ」
「でも行かなかったら死ぬんですよ!」
「俺だって自殺願望があるわけじゃない。わざわざ死にたいなんて思わん」
「それじゃ、一緒に来たらいいじゃないですか」
命令するでも、哀願するでもない。アイエーは拗ねたような口調で言ってくる。
いまいる世界は滅ぶ、だから新しい世界に向けて旅立つ。それは何らおかしいことではないだろう。
だが、巌隆一郎はそんな救いの手を黙って受け取れるような男ではなかった。
それは自らの意志に反することだ。仮に救いがどこかにあるとして、それが手に入るものだというのであれば、自分の手で掴まなければ気がすまない。
彼はそういう質の人間だった。
「世界が滅びようが滅びまいが、やることは大して変わらんってことだよ」
「そんなの、合理的じゃありません。状況に合わせて、もっと的確に……」
「そうか? やりたいことをやるってのは、限られた時間に対してもっとも合理的だと思うけどな。それがいま、こっちの世界でしかできないことなら、尚更そうだろう」
「ほっほ。ぬかしおる」
「ほっとけ」
アイエーは口を真一文字に結び、抗議するような目を向けてきた。
その視線を黙殺し、巌隆一郎は身体を馴らすように三度ほど軽く飛びはねる。
「さて――あんまり時間を空けるとウォーミングアップの意味が無くなっちまうんでな。おい、アイエー。後ろに捕まってろ。すぐぶん投げてやる」
アイエーはぴょんと勢いよく飛びあがり、巌隆一郎の首もとにぶら下がってきた。
「……しかたないです。ご主人様を送ったあと、戻ってきてやるです。アイツらをぶっ倒せれば気が済むですね?」
「あん? どうにもできないんじゃなかったのか」
「アイエーが最低でも八人ぐらいいれば、あんなのすぐにでも消してやります。でも、それはこの空間では無理です。だから、とりあえずお前達に歪みにアクセスする権限を譲渡してやるです」
「権限の譲渡だと。それがあるとどうなる」
「歪みに負荷をかけて、セキュリティを少し止めることができるです。完全に停止させることはできませんが、殴ったり蹴ったりしたらダメージを与えられるようになるはずです」
「なんだよ、そんなのがあるなら最初からそうしろ」
巌隆一郎が毒づくと、轟太郎が取りなすように言った。
「譲渡、というぐらいじゃからのう。嬢ちゃんの都合が悪くなるんじゃろ」
「はいです。あとで回収もできるんですけど、権限を一度分散させてしまうと、データの管理がめちゃくちゃ面倒になるです」
「データの管理? どういうことだ」
「んぅ……パソコンで喩えるなら、同じフォルダ内にあるデータにアクセスするとき、それが同じ形式のデータであっても、データごとに開けるプログラムが固定されるってことですかね。べつのプログラムで開こうとしたらエラーを起こします」
「マジでめちゃくちゃめんどくせえな!」
リュリュの画像を見るためにいくつものプログラムを同時に走らせなければならなくなるわけだ。
もしそうなったら、OSを作っている会社に殴りこみを掛けなければならないだろう。
「それと同じことがこの空間内にも起こるです。なので、アイエーはさっきみたいに扉を封鎖したり、相手のデータ容量を計測したりもできなくなるです」
「なるほどな。だが、代わりに俺達がアイツらをぶちのめすことはできるようになるのか」
「それでも、完全とはまったく言えませんですよ。本当なら一撃で倒せる相手に、何十回も攻撃してやっと倒せるっていうぐらいだと思います」
「さっきまでは何百発でもダメージがゼロだったんだろ。それに比べりゃ何億倍もマシだ」
「まあハンデというやつかの。あのような小童共相手にはちょうど良かろう」
「……こいつらアホですね。こんな悪条件に乗っかるなです」
アイエーは盛大なため息をつくと、巌隆一郎の肩にまで身を乗りだしてきた。
真横、至近距離にアイエーの顔が覗き、思わずのけぞりそうになる。
「お前こええよ、いきなり顔出すな」
重さがほとんどないからか、首もとにぶら下がっていても身体の動きがほとんどわからない。
アイエーは巌隆一郎の目の前に大きなコンソールを出現させた。
「『オブジェクト:IA セキュリティ:aeon』、アクセス許可をこの二人に移します。データ改変も可です。はい、はい。承認します。くれてやってください」
短くそれだけ言って、アイエーはコンソールを手で振り払って消した。
「終わりました。これでお前達の攻撃があれに通じるはずです」
「はええな、おい」
「同じディレクトリにあれば対象の指定も簡単なんですよ。この空間に入ってからはお前達をアイエーと同じディレクトリにずっと入れてたです」
「ふむ。では交戦開始ということでいいかの」
巌隆一郎が構えると、サーギィスが歩みでてきた。
「深淵に至る覚悟はできたかね。なに、贄にしようというわけではない。王、ゲアトはそのような低俗なものを欲しはせん。ただ君達は還るだけだ、深淵という故郷にね」
「まずはテメエが先頭を切って帰ったらどうだ。暇なんだろう、魔法使いさんよ」
「私にはこの世界に王の力を顕現させる仕事があるのだ。辞退させてもらうよ。――ピアリール、彼らの相手をしたまえ」
サーギィスがピアリールと声をかけたドラゴンは、その巨躯に見合わない軽やかな動きで伏せた状態から立ちあがり、そのまま大きく翼をはためかせて浮きあがった。
深呼吸するようにその腹が蠢く。
その眼が巌隆一郎達を捉えた。
サーギィスもローブをはためかせて中空へと移動する。魔法で浮かび上がったようだ。
「ッ、待て! 逃げる気か、貴様!」
巌隆一郎が叫ぶも、サーギィスは背を向ける。
「私に相手をしてもらいたければ、まずはピアリールを退けることだ。君達のような、魔力のかけらもないか弱き人間にそれができればの話だが。健闘を祈るよ、愚かな勇士諸君」
同時に、ピアリールがその口から炎を吐きだした。
横っ跳びして避ける。
すかさず上方を確認するも、サーギィスの姿はすでに無くなっていた。
「ちッ」
この展開にも、見覚えはあった。
ストーリーの展開をなぞるのであれば、サーギィスはこの後、建物の最上層にある玉座でゲアトを召喚する儀式を行う。
ゲアト召還後はサーギィスがかなり強くなるので、それまでに潰しておきたいところだ。
しかし、いまはそれよりもアイエーのことだ。
首もとにぶら下がっている手が、引き締められている。その細い腕を軽く手で押さえた。
「俺が合図するまで、しっかり掴まってろよ」
「いちいち言われんでもわかってるです! 一思いにとっととやれですよ!」
「はッ、上等だ」
ピアリールは炎で捕まえきれないと見ると、急降下しながらその爪を振りかざしてきた。階段を一気に駆けあがりながら、それを迎え撃つ。
「うぉおおおッ!!」
交差の一瞬、巌隆一郎はピアリールの爪が襲いかかる前にその足を蹴り上げた。
何も捉えられず浮きあがった前足に片手でぶら下がり、そのまま反動で胴体を激しく殴りつけた。巨体が空中でぶれる。
「もういっちょ!」
身体を捻り上げ、羽に回し蹴りを決めようと振りかぶったが、その瞬間、ピアリールが羽ばたき、さらに浮かび上がる。
「げ」
思いきり蹴りを外し、体勢が崩れた。ピアリールがその首を伸ばしてきていた。
「ギャース!! 食べられるぅ!?」
アイエーが後ろで悲鳴をあげる。
「やっべ」
避けようにも足場も何もない。身体の向きを変えることすらできそうになかった。
ピアリールの飢えを感じさせる牙が迫り、アイエーと仲良くエサになるのを覚悟した瞬間、唐突に頭の上に衝撃が降りかかってきた。
「ぐほぉッ!?」
「ほい、邪魔するぞ」
巌隆一郎の頭を踏み台にし、轟太郎がピアリールの顔面目がけて飛びかかり両足で叩き伏せた。
轟太郎は即座に身を翻して、その首に噛みつく。
「グギャアアァッ!!」
ピアリールのかん高い叫び声を聞きながら地面に着地する。すぐに体勢を立て直し、二階まで階段を駆けあがる。
「行けるぞっ。アイエー、準備しろ!」
「は、はい!」
両手を後ろに回し、アイエーの小さな身体を持ち上げる。助走を取り、空中で悶えるピアリールの身体めがけて全力で飛んだ。
そしてピアリールの身体を踏み台にしてもう一度飛びあがりながら、アイエーを振りかぶった。
「ギャース!! スカートがっ! スカートが脱げるっ!?」
「だああっ、ラっシャアっ!!」
身体のバネを存分に使い切り、腕を降りきった。
アイエーの身体が窓枠に向かって飛んでいく。
勢いは十分、角度もドンピシャ。
間違いなく届くだろう。
巌隆一郎は鼻を鳴らして自画自賛しながら、宙を舞うアイエーの姿を見送った。
「お前あとでおぼえてるですよぉーー!!」
これでアイエーはご主人様に会うことができるだろう。
後は――。
ピアリールを確認する。
すでに轟太郎はピアリールから離れ、地面に降りていた。巌隆一郎がピアリールを踏み台にしたタイミングに合わせたようだ。
「さて。ドラゴン退治の時間か」
ダメージこそあるようだったが、調子はまるで崩れていないようだった。
空中で大きく翻って、轟太郎目がけて炎を吐いている。轟太郎がそれを避けたのを見届けた後、巌隆一郎は足下を見定めながら着地した。
踏ん張りのきかない空中戦では有効打が打てない。武器があったほうが良さそうだ。
巌隆一郎は辺りを見回し、階段の踊り場に散らばっているガラスに気づいた。かなり大きな破片も散らばっている。そのうちの一枚を拾いあげる。
このままガラスを持って戦ったところで、強度を考えるとさほど頼りにならないだろう。このガラスで有効打を与えるのであれば弱点をピンポイントで狙う必要がありそうだ。
「どうしたもんかね」
ふいに轟音と共に風が襲いかかってくる。巌隆一郎はとっさに身を低くする。
ピアリールは空高く舞い上がっていた。
「――ゥォオオンッ!!」
そして、はるか上空で一瞬停止したかと思うと、その眼光を光らせ巌隆一郎を捉え、空を走るようにして急降下してきた。
「くッ、間に合わん!」
軸をずらして避けようとするが、突風のせいで足が思うように動かせない。下手に風に流されると、壁に叩きつけられた挙げ句追撃を食らうことになりかねなかった。
轟太郎が横から駆けてきているのが見える。横からでも強い衝撃があれば抜けだすことはできるはずだ。
だが、轟太郎は間に合いそうにない。
ピアリールの巨躯が残り数メートルという位置にまで迫る。
もう一秒もない。まばたきでもすれば、次の瞬間にはピアリールの突進をまともに食らってしまうはずだ。
「しゃあねえな!」
左足を風から逸らすように動かし、半身に構える。右手に握ったガラスを離さないよう、強く握りしめた。
三メートル、二メートル、一メートル、八十センチ、七十センチ――。
ピアリールの牙が巌隆一郎に到達しようとした。その瞬間、風の勢いを使って身体を浮かせ、翼の根元で体当たりの衝撃を受け止める。
同時に下から掬いあげるようにその翼を左手で打ちあげて身体にのしかかってきた衝撃を打ち消し、構えたガラスで翼を勢いよく斬りつけながらピアリールとすれ違った。
しかし、勢いを打ち消しきれず、まともに着地できなかった。地面をそのまま派手に転がっていく。
すぐにガラスを放り捨て、受け身をとった。
「上出来だ、上出来だが……正源のようには上手くいかんか」
裏当て――巌隆一郎や龍司に力の強さで劣る正源がよく使っているものだ。
強い衝撃に対し、別方向からの攻撃を加えて任意の方向へと力をそらし、その力を利用して反撃を行う技だ。
避けると同時に当てるカウンターよりも繊細な動きを必要とするが、与えるダメージはただのカウンターの比ではない。
龍司や正源とは幼い頃から殴り合いをよくしているので、お互いの技や動きはよく理解している。
しかし、実際に自分がやるとなると、やはり身体能力の違いや動きの癖のせいで完全にコピーするとまではいかない。
このドラゴンのように動きが単純な生き物であれば、正源ならもっと楽に沈めてみせるだろうなと想像する。
ピアリールは痛みを振り払うように悲鳴をあげ、地団駄を踏んだ。
片翼から盛大に血を撒き散らしている。
「翼を切りおとすつもりでやったんだがな」
「ふむ、雑ではあったが、まともに入っておった。あるいはまともな刀ならやれたかもしれん」
「日本刀があったところで扱い方なぞろくに知らんけどな。平凡な高校生なめんな」
ピアリールが荒い息を吐きながら両翼を大きく広げ、牙を剥き出しにし、天を食らうかのように首を伸ばしながら巌隆一郎達に血走った眼を向けてきた。
自らを強者と信じる者が敵を強者として認めたときの目だ。
巌隆一郎は、ニタァッと笑みを浮かべる。どんな状況であっても、この感覚、この瞬間は、愉快なことこの上ない。
「さて……手負いの獣は恐ろしいというが、ドラゴン、お前はどんなもんだ」
――世界滅亡まで、残り04時間11分36秒。
>>genryuichirou
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