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~お前のデータはあずかった!~


「ふッ――世界への叛逆は無限の罪を蒐集することから始まる。

 この断罪の牙(クライムストーカー)がお前達の命ごと、その罪を刈り取ってくれよう!

 あらゆる善、あらゆる悪徳! その魂に刻まれたあらゆる瑕疵をこのオレの前にさらしてみせろ!」


 昼休み、巌隆一郎がリュリュからのメールに返事を考えていると、龍司が教室に殴りこみを仕掛けてきた。

 うんざりしながら顔をあげる。


「お前、それ死んだんじゃなかったのかよ」

深淵の獣(アビスルーラー)は倒れた。奴は所詮それまでの器だったということだ。だが、断罪の牙(クライムストーカー)は違う! この世界に牙を突きたてる、唯一にして絶対の強者たる存在だ。畏れろ、そして全力をもって立ち向かってくるがいい! ふはははははッ!」

「マジで言ってんのかよコイツ……、鬱陶しすぎるぞ……」


 以前の騒ぎを思い起こしたのか、龍司が現れて高笑いし始めると周囲にいたクラスメイトがさっと距離を取っていた。教室のど真ん中に大きなスペースが出来上がる。


 巌隆一郎はクラスメイト達の賢明な判断にひとり頷きながら、逃げだす算段を立てていた。

 こんなブランド物のバカを相手にしていてはいくら時間を払っても足りない。そもそも一秒足りとも支払ってやる気にはなれない。

 巌隆一郎は構えを取りながら逃走経路を探しだした。


「あー、お前ら、学校で騒ぎは起こしてくれるな」


 巌隆一郎のクラス担任の教師が入り口から姿を現した。いかにもやる気のなさそうな調子でそんなことを告げる。


「ふッ、戦いに時と場所など――むっ」


 ふいに龍司が怪訝な表情で周囲に意識を向け始める。

 巌隆一郎も、嫌な感覚に襲われていた。見られているという曖昧な感覚ではない。


 確実に、なにかに狙われている。


「……ここは俺の戦場ではなかっ――」


 視界の端で正源が姿を消そうとしているのが見えた。そもそも、正源はいつからそこにいたのか。


 しかし、直後、その身体が吹き飛ばされる。


 正源はクラスメイトの間を縫うようにして教壇前へと転がった。派手に吹っ飛んだわりに、音はほとんどしなかった。あまりに不自然な倒れ方だ。

 机をひとつも巻きこまずに人間だけが転がっているのだ。針に穴を通すよりも難しそうなテクニックだった。

 正源を相手にこんな芸当をやってのける人間を、巌隆一郎はひとりしか知らない。


 正源の惨事が起きてからワンテンポ遅れて、教室内にクラスメートの悲鳴が飛びかった。


 巌隆一郎は窓に向かって全力で駆けた。ここにこれ以上いては非常にまずい。


「ふははははははッ! お前か、剛忠義よ! 相手にとって不足なし!」


 剛忠義。巌隆一郎の兄だ。姿は見えない、見る必要もない、絶対に見てはいけない。

 窓に向かって飛びこみながら縁に手を掛ける。


「ゆくぞ! 霊幻――ぐあああぁぁぁッ!?」


 後ろで龍司の悲鳴が上がったのが聞こえた。剛忠義を前にして悠長に技名など言っていればそうなるのは必然だ。技名を言わなくても、そうなるのがわかっているのだから。


 校舎三階ぶんの浮遊感の中で、巌隆一郎は安堵に包まれていた。

 龍司と正源という貴重な時間稼ぎがあったおかげで問題なく逃げられそうだ。昼休みの間、逃げ切ることができればさすがに兄もそれ以上の追及はしないだろう。


 着地が迫り、衝撃に備えようとしていた、その時だった。


 雲ひとつなかったはずの空から降り注ぐ陽光に、翳りがさす。嫌な予感を覚えながら、おそるおそる上空を見上げた。


「げえぇッ!? 兄貴!?」


 剛忠義が腕を引いた状態で落ちてきていた。あっという間に追いつかれ、衝撃を感じる間もなく、意識が暗転した。



 保健室で目を覚ましたときには、昼休みが半分ほど過ぎていた。

 とりあえず手加減はされたようだ。剛忠義に本気で殴られていたなら、たかだか数十分ほどで目が覚めるはずがない。

 保健室には誰もいなかったが、身体の調子を確認するついでに軽くストレッチを行っていると訪問者があった。


「よ、久瀨巌君。だいじょうぶか」

「あん? ああ、高上か」


 高上は気安く手をあげながら近寄ってきた。


「兄貴はどうした?」

「ああ、あれ久瀨巌君の兄さんなのか。オレが下に行ったときは居なかったけど」


 あの後のことを聞くと、龍司は数分ほど倒れていたが、やがてひとりで勝手に起きあがって笑いながら立ち去ったらしい。正源はいつの間にか消えていたようだ。

 どうしようもない奴らである。


「ところでアレ、なんかまた話題になってたな」

「アレ? なんのことだ」

「VX02DN。なんか急に不具合が無くなったんだって?」

「ああ、携帯のことか。そうみたいだな」


 不具合に関しては、久遠が言及していた。

 なんでも彼女はアイオーンの悪夢がいじった箇所のシステムを改善できるようにアップデートファイルを用意し、匿名でメーカーに送りつけたのだそうだ。

 それが最近になって、新しいアップデートとしてメーカーから配布されていた。

 久遠が言うには、彼女が作ったものからさらに細かな調整が行われていたようだが、これでアイオーンの悪夢との通信は完全に切断することができているとのことだった。


 巌隆一郎はそのアップデートファイルを使わず、久遠から個人的に別のアップデートファイルをもらっていた。

 彼女はリュリュと連絡を取りやすくする為のシステムを組みこんだファイルをわざわざ用意してくれたのだ。

 おかげで、巌隆一郎はVX02DNを通してリュリュやアイリスと連絡が取れるようになっていた。


「今年最高のネタデバイスになると思って注目してたんだけどなあ。……ああ、いや、ユーザーの人からすれば良い話なんだろうけど」

「ネタデバイス?」

「前、言ったろ? そういうの興味あるって。オレ、こういう迸る地雷要素をふんだんに盛り込んだハードがめちゃくちゃ好きなんだよ。発表のときにOSの大幅カスタマイズって聞いた時点でマジで大型地雷かと思って、すげえ期待してたんだけど、その通りの状況になってびびったよ。すぐにでも買おうと思ってたんだけど、最近機種変したばっかだったから躊躇してたら、アップデートで文鎮化して実質販売停止状態だったろ? 久瀨巌君が持ってるの見たときはすげえうれしかったよ」

「お、おう」


 高上がいきなり熱っぽく語りだしてしまった。妙なスイッチが入ってしまったらしい。

 そういえば掲示板でも不具合への慟哭が飛びかう中で、明らかに不具合を喜んだり楽しんだりしている人間がいた。どうやら高上もそっち側のようだ。

 巌隆一郎に携帯を見せてくれといったのは、この機種が目的だったようだ。


「けどまあ、それも解決したようだし、いまじゃごく普通の優良ハードみたいだよなあ。こういうの、ある意味箔が付いたっていうのかね。地雷ハードが一転、優良ハードになるっつう展開も悪くないわな。こんな高速逆転劇、めったにないぜ。オレが保証する」


 高上は得意気にそんなことを語った。よほど彼の好奇心をそそる出来事だったようだ。

 しかし、その裏でまさか世界の存亡をかけた戦いがあったことなど、彼には知る由もないだろう。



 巌隆一郎が帰宅すると、部屋でアイエーが寝転がってアニメを見ていた。Dear My Worldだ。


「テメエ、人の部屋でなにやってやがる……」

「見てわからんですか、ポンコツ。お勉強してるんですよ」


 アイエーは久遠の元に帰り、巌隆一郎の前から姿を消した――とはならなかった。


 巌隆一郎が三年をかけて集めたリュリュのデータは、アイエーがオルテリスを作り、維持する上で非常に重要なパーツとなっているらしく、こうして勝手にあがりこんでは巌隆一郎にとっての宝であるリュリュのデータをあさっている。

 先日、勝手に持ちだされるよりマシなのかもしれないと思い、了解したのが悪かった。


「勉強でもなんでも構わんが俺の部屋に陣取るな。他所でやれ」

「アイエーはこの世界のどこにいても許されます。最高権限の持ち主ですよ。お前の部屋なんかに来てやってるんだからもっと喜んだらいいです」

「……」

「ギャース!? つまみあげないでください!」


 頭を掴んで持ち上げると、アイエーが小さい手足をばたつかせる。


「うるせえ。俺はリュリュへの返事を考えなきゃならねえんだよ。とっとと失せろ」

「その返事を誰が届けてやると思ってるですか!?」

「ちッ、るせえな。お駄賃やるから働けボケ」


 帰りがけに買ってきた一口サイズの二十円チョコを、アイエーの目の前に差しだした。


「アイエーはチョコ一個でごまかされるような安い美少女じゃありません!」


 などと言いながら、アイエーがチョコにかぶりついた。包装ごとである。


「おまッ、なにやってんだお前!」

「はぁぅー、やっぱりチョコレートはおいしいですね。ご主人様といっしょに食べるチョコレートのほうがもっとおいしいですけど」

「紙まで喰うような猛獣に味の違いなんてもんがわかるとはな、驚きだ」

「んべっ」


 アイエーが舌をべーっと出す。その上に、チョコの包み紙が綺麗な形のまま乗っていた。


「なんつうマネを……汚ねえな、おい」

「バカ言うなです、こんなもん、フィルターを通せば中のチョコだけ食べるなんて簡単なことです。人間みたいに唾液もないですからこれもきれいなままですよ」


 確かに、そう言われてみると、コンピュータウイルスであるアイエーに、人間のように食べ物を消化するための機能がついていたらそちらのほうが変かもしれない。


「気持ちの問題だ、気持ちの。それに汚くないのだとしても、はしたねえぞ」

「筋肉だるまにはしたないと言われた!? お前の筋肉のほうがよっぽどはしたないじゃねーですか!」

「筋肉っつうのは礼儀正しいもんだ。久遠はまともなのにどうしてお前はそうなんだ」


 アイエーが巌隆一郎の手を振りきって床に飛びおりると、巌隆一郎に向きなおり胸を張ってふんと鼻を鳴らした。


「ご主人様が素敵なのは世界の真理です。アイエーはご主人様からこの世界にいることを許されてます。つまり、アイエーがなにをしても素敵すぎるからなにも問題ありません」

「いや、その理屈はおかしい」


 アイエーの相手をするのが馬鹿馬鹿しくなり、巌隆一郎は鞄を机の上に放り投げ、パソコンの前に座った。



『ゲンリューイチロウさんへ。


 やりました! やっと、やっと光の国を見つけることができました!


 光の国はわたしたち妖精の故郷で、姫さまといっしょにずっと探していた場所です。

 光の国にはいろんな妖精がいました。人間たちの争いをこわがって、みんな光の国に帰っていたんです。

 でも、姫さまがちゃんとお話をしたら、これからまた人間のみなさんといっしょに生きようと言ってくれました。


 最初はいろいろこまることもあるかもしれませんけど、人間さんといっしょに幸せな世界を築いていけるように、わたしもがんばりたいと思います。


 あ、でも姫さまが、オルテリスに帰ったらやることがたくさんあるから、帰るのがめんどくさいなんて言ってます。

 光の国の妖精たちがすごくよくしてくれるので、すこしの間、光の国に滞在することになりそうです。

 妖精がなんでもしてくれるので、姫さまはいま、とてもぐうたらしてます。こまりました。


 でも、光の国はとてもきれいで、あたたかくて、すてきな場所です。

 ゲンリューイチロウさんも気に入ると思います。ぜひアイエーさんたちといっしょに遊びに来てください。待ってます。


 リュリュより』



 メールで来たリュリュからの手紙を見ながら、メールクライアントを開き送信メッセージを作成する。

 本文にフォーカスを合わせてしばらく苦心し、リュリュへの返事を考える。



 ――光の国。原作のアイリスとリュリュの二人ではたどり着くことが叶わなかった、冒険の終点。

 原作では、アイリスはリュリュの亡骸を光の国に埋めた。

 妖精たちの故郷であり、新世代の妖精であるリュリュにとっては、想像の中にしか存在しなかった故郷だ。

 妖精を呼び戻すことで、世界をふたたび物語の中で語られるような、争いのないやさしい世界にする。

 それはアイリスとリュリュに託された希望のひとつだった。人々は光の国を求めたのではなく、光の国にいる妖精を求めたのだ。妖精さえ戻ってくれば、すべて好転すると信じていた。


 しかし、アイリスにとって、そんなことは光の国を探すうえで大した理由ではなかった。

 アイリスが光の国を探していたのは、故郷を知らないリュリュをそこまで連れていきたかったからなのだ。彼女は亡骸を埋めた後に、そう独白している。


 二人は、最後までそうして互いの理由を知らないまま傍に居続けた。


 そんな彼女たちが、二人そろって冒険を終えることができたのだ。これほど喜ばしいことはない。


「……なにニヤニヤしてるですか、めちゃくちゃ気持ち悪いです。どんびきです」

「お前はアニメを見てろ」

「言われなくても見てます。それでどうするですか、いつリュリュたちのところに行くですか。ご主人様の都合が最優先ですけど、いちおうお前の意見も聞いてやるです」

「……ナチュラルに手紙の内容に触れてんじゃねえぞ。なんで知ってやがる」

「アイエーがエンコードしてるのに読まないわけないです」


 アイエーは悪びれる様子もなく言ってのけた。いちいち小憎らしい。

 しかし、そんな振る舞いにもすっかり慣れてしまい、苛立ちを覚えることはなくなってしまった。


 アイエーが原作のアニメを最後まで見終わったときには、すでに夕食時に近かった。

 いつもアイエーが帰る時間だ。アイエーは人間のように食事を必要とするわけではないのだが、久遠が食事を取るとき、一緒の食卓に着くようにしているらしい。


 数日にわたって巌隆一郎の部屋に通い続けていたアイエーだが、それも今日までだろう。アニメを見終わったのであれば、もう巌隆一郎の部屋に来る理由はないはずだ。


 アイエーはすくっと立ちあがり、伸びをした。


「ご主人様が呼んでます。アイエーは帰ります」

「ああ、じゃあな」


 視線を向けず、頷いて返す。いつも通りのやり取りだった。


 後はVX02DNを通って帰るだけだ。巌隆一郎のVX02DNには、久遠の所にまで直接繋がっているルートが仕込まれているらしく、それを使うことでアイエーが一瞬で移動できるらしかった。


 しかし、アイエーは突っ立ったまま、姿を消す気配がない。


 横目で確認すると、アイエーと視線がかち合う。


「なんですか。アイエーをいやらしい目で見るなです」

「お前の頭ん中はどうなってんだ。中身詰め忘れてんじゃねえのか」

「ふんっ、アイエーの知能はお前みたいな人間には理解できません」


 アイエーはそう毒づき、唇を突き出して威嚇するように唸った。そして、おもむろに巌隆一郎に背中を向けた。


「……お前に聞きたいことがあったです」

「あん? なんだ。身体の鍛え方ならいくらでも聞け」

「アイオーンの悪夢で、どうしてアイエーを……守ってくれたですか。お前から見たら、どっちも同じだったんじゃないですか」

「……あれか」


 アイエーとまったく同じ姿をした少女。

 あのとき、あの少女は自身をアイエーの能力はすべて奪ったと話していた。それはつまり、データとしての存在であるアイエーのコピーだったということだろう。


 データのコピー、それはまったく同一のもので、同一の価値しかないものだ。

 実際、少女とアイエーの区別はまったくつかなかった。外見はおろか、口調や仕草まで同じだったのだ。

 そして、そのことに苛立ちを覚えたのは他でもない巌隆一郎自身だった。

 あのときは理由のわからない激情に駆られるまま動いただけだったが、あとで思い返したときに、ひとつ思い当たる答えがあった。


「お前には貸しがあるんだよ。勝手にリュリュを私物化しやがったぶんは、きっちり精算しておかなきゃならん」


 簡単にコピーすることができるただのデータ、そうかもしれない。

 だが、そのデータと共に過ごした時間は、巌隆一郎の中に存在している。巌隆一郎にとって、アイエーは一人いれば十分だった。


「……すぐにでも倍の倍にして返してやるですよ、楽しみにしてるがいいです」

「そりゃよかった」

「だから、それまでは――」


 アイエーは巌隆一郎に向きなおり、薄い胸を反らした。


「お前のデータはあずかっておいてやるです」

「リュリュ以外のデータなんぞゴミクズだ。そんなもん人質になんかならんぞ」

「お前、のデータですよ。しかたないから、名前をつけて保存しておいてやるです」

「あん? どういう意味だ」

「アイエーがヒマでヒマでしかたのないときには、来てやるって言ってるですよ! それぐらいわかれです!」


 いつもの如くぷりぷりと怒りながらそう言って、アイエーは姿を消した。


「……なに言ってんだアイツ?」


 ひとり残された自室で巌隆一郎はトレーニングでも始めようかと立ち上がったが、それをさえぎるように携帯からメールの着信音が鳴る。


 すぐに確認してみると、送信アドレスは文字化けしており読めない。


 送られてきたメールには短く一言。『ありがとう』とだけ書かれていた。


 巌隆一郎はしばらく携帯を眺め、メールを保存した。



 >>プログラム、アイオーンの悪夢を終了します。

 >>アイオーンの悪夢を正常に終了しました。



  了



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