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お前のデータはあずかった!  作者: kasasagi
第二章//最後の定義
21/23

~アイエー~


 視力が戻ってきたとき、そこは巌隆一郎の部屋ではなかった。

 歪みで見たような風景に近い町並みが広がっている。しかし、歪みのそれとは違い、見ていて心地良い並びだった。

 人の営みが感じられる町並みだ。


「ここは?」

「オルテリスを参考にした町です。アイエーが作ったですよ」

「本体とやらはどこにいるんだ」

「直接はアクセスできませんでした。でも、ここから行けばすぐに着きます」

「時間ないんじゃなかったのか。大丈夫かよ」

「アイオーンの悪夢と同じディレクトリにいる間は時間は停止します。アイオーンの悪夢はそもそも時間と空間にしばられない存在ですから。歪みに対して絶対にダメージを与えられないっていったのも、そのせいですよ」

「ほう」


 気分を悪そうにしている久遠をアイエーが支えながら歩く。

 町並みを眺めていると、普通に人が生活をしている姿があった。町民同士で会話している姿もあり、まるで本当にアニメの中に入りこんだようだった。

 前方から子供が数人走ってくるのが見えた。避けたほうがいいかと思ったのだが、子供達は巌隆一郎の姿など気にも留めずに道を駆けていく。


「心配しなくても、お前のでかい図体でも邪魔になりません。この町の人達は、まだ人間をそこに在るものとして認識できないですよ」

「そりゃ残念だ。いつかはできるのか」

「すぐにできるです。もうすこしデータを集められたら……」


 アイエーにしてはめずらしく、とても柔らかい笑みだった。


 巌隆一郎のアイエーへの印象は一月の間にずいぶんと変わってきていた。

 最初は不思議な生き物だと感嘆さえしたものだったが、数日後には口が悪いだけのガキであり、さらに数日経ったときにはクソ生意気なガキであり、今に至っては口が悪い純粋な子供という評価だった。

 特に今日はアイエーに対する見方が変わった一日だった。

 久遠に献身するアイエーは、どこまでも嬉しそうだ。彼女が久遠のことをご主人様と呼びながら付き従う様は、まさに主従以外の何物でもなかった。

 久遠と再会してからというもの、ずっとべったりと引っ付いている。久遠もまんざらではなさそうで、アイエーの言動を快く受け入れている節があった。


 人間と意志をもったコンピュータウイルス。

 おおよそ巌隆一郎の理解に及ぶところのない関係だが、彼女たちを見ていると悪くない関係が築けるのではないかと思えてくる。

 存在の源が違うもの達が互いを認識し、理解するという大きな壁が残ってはいるが。


 しばらくすると、町が濃い霧に包まれはじめた。ぼんやりと、町並みが薄くなっている。アイエーはアイオーンの悪夢の影響だと説明した。


「ホントに町が消えてるわけじゃないですよ。ここは歪みと同じ、継ぎたされた空間です。言ってしまえば、アイオーンの悪夢の空間です」


 空間を継ぎ足すという言い方はなかなかに奇妙だ。理解に至りにくい。存在しないはずの空間がそこに生まれるというのだ。

 例えば、自分の部屋の扉から廊下の間に空間が継ぎ足されたら、しかもその空間が学校の女子更衣室だったりすれば、次の日は警察署に登校することになるだろう。


 霧が濃くなってくると、もう町は見えなくなっていた。心なしか温度が下がったような気がする。

 おそらく、気温が変わったりはしていないだろう。一面に広がる白色というのは、人の認識に一瞬、氷を差しこむ。言うなれば、ぞっとすると言ったところだろうか。

 白と黒は特に人に対して強い色だ。もし闇が黒でなければ、人は死を思いとどまる生き物ではなかっただろう。


「アイエー、ありがとう。もうだいじょうぶ」


 久遠がそういって、アイエーから離れた。顔色はいくらか良くなっている。


「すまんかったな」

「ううん、おかげで間にあったから……」


 久遠はVX02DNを見て、真剣な表情になった。


「充電か? なんなら俺のバッテリーと入れ替えるか」

「……たぶん、あんまり意味ないから」


 三人でさらに奧に進むと、やがて霧は自身すらも呑み込み、ただどこまでも凍てつくまっさらとした空間が現れた。



 ざ、ざざ、と奇怪な音が耳元を撫でる。

 思わず耳を押さえるが、音は消えない。見ると、久遠もわずかに眉を顰めていた。アイエーは平然とした顔をしている。

 その場で立ったまましばらく沈黙していたが、変化が起きる気配がない。


「――――」


 喋ろうとした。

 いや、喋ったはずだった。


 アイエーに「ここで合っているのか」と訊ねるつもりだった。しかし、巌隆一郎の声は声にならなかった。無音だけが口をついてでる。


 隣にいた久遠の肩を軽く叩こうと手を伸ばす。

 確かに、そこに久遠の姿がある。だが、触れられなかった。


 触ろうとしても、ただ宙をなぞるだけだ。久遠は巌隆一郎の動きに何の反応も示さない。気づいていないのだ。

 ただの映像だとでも言うように、まっすぐ、なにかを見ている。


 周囲をぐるりと見回す。なにもない。ただ空白が存在するだけだ。


 そういえば、アイエーが言っていたような気がする。


「アイオーンの悪夢は空間も時間も作れますけど、それはすべて本当は空白なんですよ」と。


 それは、このことを言っていたのだろうか。

 そこにいるのだ。

 久遠も、アイエーも。


 だが、巌隆一郎は声も出せず、触れることもできない。ただ、そこにいるだけ。

 彼は戸惑いを隠すつもりで頬を掻こうとする。ぎょっとした。指が顔を突き抜け、空白をなぞっていた。自分の身体はそこに見える、しかしそこにないのだ。


 なんだこれは。


 そこにある、見える。だがそこにはなにもない。ではどこになにがあるというのか。

 見渡しても、久遠とアイエーが見えるだけで、他にはなにもない。町も、人も、なんの障害物もない。

 幻覚でも見ているのだろうか。

 そうだ、幻覚だ。

 アイオーンの悪夢がなにか仕掛けたのかもしれない。

 歪みがそうだったように、侵入者に対して攻撃を仕掛けてきたところでなにもおかしくはないだろう。


 久遠とアイエーから離れるように、足を踏みだす。


 軽く走る。

 走る。

 走る。

 振りかえると、久遠とアイエーはそのままそこにいた。


 今度は逆方向に向かって走る。

 先ほどよりも早く走る。


 だが、結果は変わらなかった。

 理解する。空間が空白であれば、距離など存在するはずもない。


 ここは見渡す限り、どこまでも永遠に零で、果てしない空白――。


 まさか。一笑に付そうとする。笑い声は聞こえない。笑うことができない。そんな場所があるならば。そんな場所が存在することが許されるならば。


 決して、出ることができないではないか。

 決して、誰とも言葉を交わすことができないではないか。


 久遠とアイエーは顔色ひとつ変えていない。ただそこに映っているだけで、反応を示すことはない。


 空白。空白とはなんだ。

 どうなる。どうすればいい。

 空間は存在せず、時間も存在しない。


 ならば、そこには生も死も存在しない。どこまで行っても、どれだけ待ってもなにも変化しない。

 数えることすら許されない空白の中を占有するひとつの空白となって、このまま、ここで。


 こんな場所で――。



「なに、情けない面してるですかぁ」

「アイエー!」


 とっさに喉を押さえる。言葉が聞こえる。話すことができる。

 アイエーは胸を張った。


「ふふんっ、ご主人様に感謝するといいです。ご主人様が空間を定義したですよ」


 そう言って、アイエーはなにもない場所を何度か殴った。

 すると、中空にヒビが入り、音もなくわれた。そこには久遠が立っている。巌隆一郎に気づくと、向きなおって心配そうな表情をみせた。


「だいじょうぶでしたか。ごめんなさい、すぐに完成できなくて」

「いや……。携帯を使ったのか」

「いいえ。頭の中で作りました。携帯は、あの状態だと使えませんから」


 言われてみれば、そうだ。

 自身の身体さえ存在があやしい状態で携帯が使えるとも思えない。先ほどは携帯を使おうという発想には至らなかったが、使っても一緒だったというのであれば使わずにすんで良かった。

 もし触れていれば、よけいに気を滅入らせていただろう。


「頭の中で、作れるものなのか」

「空間は作れませんけど、定義だけなら。思考に型を作ればエントロピーが発生しますから、空白が空白でなくなります」


 よくわからないが、思考だけでどうにかできるものらしい。理屈がさっぱりわからない。

 自分の身体を確かるために、軽くストレッチをした。たしかに身体はここにあった。


「……アイオーンの悪夢は空白を移動するとか言ってたな。アイオーンの悪夢はずっとあんな場所にいんのか」

「そうですよ。まあ、人と違って時間の概念もないですから、とくに困ることもないです」

「そういうもんか」


 あんな場所に放りだされて数時間も経てば、おそらく発狂するだろう。むしろ、発狂できればいいほうなのだろうか。人間がずっといられる場所ではない。



 ふたたび、ざ、ざざ、と奇怪な音が耳を撫でた。またあの空白に追いやられるのかと思ったが、違った。


 目の前に、人の形をした緑色の空間が浮かびあがった。その中に、英数字の羅列が並べられている。


 久遠達の様子を窺うが、二人はきっと口を結んで様子を見守っている。巌隆一郎も警戒しながらそれがアクションを示すのを待った。


 やがて、その空間に色がつき始めた。足から始まり、白っぽい肌色が塗られていく。

 塗られていく端から数字が消え、それが形だけではなく、人の姿になろうとしているのだとわかった。

 途中で、それが裸の幼い少女になるのだと理解し、思わずのけぞる。あまりに犯罪チックだった。というより、犯罪そのものだろう。

 この場合、罪状はなんになるのか。死ぬまでには刑務所から出られるだろうか


「見るなですぅ、ど変態がッ!!」


 アイエーがどこから取り出したのかどでかい本を投げつけてきた。少女の裸に気を取られてしまっており、見事に顔面に喰らってしまった。


 変態のレッテルを貼られても困るので、真正面から見るのではなく、身体を後ろに向け、肩越しにちらちらと見ることにした。


 しかし、すぐにその少女の姿の違和感に気づく。服が作られはじめると、それは疑いようもなかった。

 そこに出てきた少女は、アイエーの姿をしていた。


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