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お前のデータはあずかった!  作者: kasasagi
序章//非実在少女
2/23

~とらわれの想い人~後編

 アイエー、彼女はコンピューターウイルスを自称する謎の生き物だ。

 先日、突然、巌隆一郎の家に現れたかと思うと、彼が三年かけてせっせと集めてきたリュリュのデータをすべてアクセス不可にしたのだ。

 そして、こう要求してきた。


「お前のリュリュのデータはあずかった! 抹消されたくなかったらアイエーをご主人様、久遠様のところに連れていけ!」


 つまり、アイエーはリュリュを人質にしてパソコンに立てこもっているのである。

 アイエーを消す為に複数のセキュリティソフトを使用したり、システム領域をいじったりしたが、まもなくアイエーを消せばデータも飛ぶという本人による警告を受け、結局手は出せなくなってしまった。


 ならば、リュリュの為にその要求をすぐにでも満たしてやれば良いと思い、巌隆一郎は久遠という名前の少女を探し始めたのだが、アイエーが名前と顔、年頃しか知らなかった為に調査は難航せざるを得なかった。探す気すら起きない難航具合だ。

 そうこうしている間も、時間が過ぎていく。

 こうして携帯を手にリュリュとたわむれる時間は大切だが、パソコンの記憶デバイスでとらわれの身となっているリュリュがどんな目に合わされているのか考えると、過ぎゆく時間の重みから目を逸らすことはできない。


 アプリの中で、リュリュは書き物をやめ、散歩に出ていた。歩く動作に加え、背景が時折変化する。楽しそうに鼻歌を口ずさむエフェクトが発生している。

 背景はオルテリスの町並みを模したもので、アニメ内で出てきた建物もたまに映しだされており、一部のファンからはこういった細部の作り込みを称賛する声があがっている。

 もちろん、巌隆一郎もそのひとりだ。

 時間さえ許すのであれば、いつまでもこのアプリを眺めるだろう。携帯を片手にリュリュを間近で眺めていると、まるでふたりで手を繋いで歩いているようではないか。


「ふっ……いや、いかんいかん」


 思わず見入ってしまったが、そんなことをしている場合ではない。これ以上リュリュから離れた生活には耐えられない。


 アイエーは最初、パソコンのリュリュのデータだけしか占拠していなかったのだが、巌隆一郎がゲームでリュリュにうつつを抜かしているのを見ると、ネットワークからゲーム機にアクセスし、リュリュが登場するゲームをすべて起動不可にしてみせたのだ。

 ダウンロードコンテンツを確認する為にワイヤレス接続をオンにしていたことが悔やまれる。

 光学デバイスやレコーダーのデータも同様に支配されてしまったため、もう原作のアニメすら見ることができない。

 いまや残されたのは、巌隆一郎の手の中にある携帯だけだった。

 これが最後のリュリュであり、巌隆一郎の最後の安息なのだ。このまま無為に時間が経過すれば、アイエーはきっとその魔手をこちらまで伸ばしてくるだろう。それだけは阻止しなければならない。


 だが、どうやって探せばいいのか。

 年齢からして学校に通ってはいるだろうが、どの学校かわからない。高校生ではなく中学生の可能性もあり、さらには住んでいる地域すらわからない。

 アイエーが言うにはそれほど遠くはないとのことだが、遠くなかろうがなんだろうが具体的な地域名もわからなければ一緒のことだ。彼は頭を抱えた。

 こういった、推測を必要とする思考は巌隆一郎にとって大の苦手とするところだった。推理や思考実験、言葉や数字を使ったパズルなどは今でもすぐに手詰まりになる。


 リュリュに触れてみるも、リュリュは可愛いだけで何もヒントを示してくれはしない。

 巌隆一郎は、考えなければ、動かなければ、と思いながらもリュリュの笑顔と流れでる文字を追ってまたもや恍惚に陥ろうとしていた。


 その矢先――巌隆一郎は跳ねるように立ち上がった。


「な、なんだ」


 背中に感じた気配と相対すると、困惑の声が返ってくる。

 とっさに構えもとっていたのだが、そこにいたのはクラスメートだった。男子二人と女子三人の五人構成だ。そのうちの男子が一人、巌隆一郎に向かってきていたようだ。

 名前を思い浮かべようとするが、すぐに出てこなかった。クラスメートの名前なぞ、まったく覚えていない。


 構えをとく。しばらくそのまま黙視すると、男は誤魔化すように笑いながら言った。


「いやいや、久瀨巌君が一人でなんか喋ってたから、なにやってんのかねえと思ってさ。それアレだろ、噂の」


 久瀨巌と来たものだ。訂正すると、苗字は久瀨で名前が巌隆一郎だ。

 この手の間違いは小学校のときからよくある。わざわざ告げることもない。


 それ、と彼が指で示したのは巌隆一郎が手にしている携帯だ。

 巌隆一郎はリュリュのことだと直感した。リュリュのことしか頭になかった。


「ほう、お前も好きなのか。なかなか良い好みをしてるじゃあないか……」


 巌隆一郎はニタァッと笑みを浮かべる。男子生徒が一歩後ろに下がった。


「い、いや、好きってわけじゃないが、気になるっつうか。ちょっと見せてくれないか」


 気になる、などという曖昧な発言をする男にリュリュの事を語られたくはないが、巌隆一郎とて最初からリュリュにのめり込んでいたわけではない。

 もっとも、アニメ放送終了後からはリュリュ一筋ではあるのだが。


「傷はつけるなよ。大事なものだ」


 画面だけではなく、それが筐体であっても、傷をいれるのはリュリュの身体に怪我を負わせるのと同義だ。そうなったらただで済ませるわけにはいかない。


「ああ、もちろん」


 さわやかに笑いながら、男子が巌隆一郎の携帯を手に取った。

 そのとき、名前を思い出した。高上誠だ。オリエンテーションのときに二、三会話を交わした覚えがある。


 巌隆一郎は訳知り顔で頷き、高上の様子を見守った。

 すると、高上が携帯を見て戸惑いの表情を見せた。巌隆一郎は高上がもしやアイエーを見たのではと思い警戒したが、高上がなにかリアクションを見せるよりも早く、先ほどから彼の様子を窺っていた後ろの四人が集まって巌隆一郎の携帯をのぞき込みだす。

 その動きを怪訝な顔で巌隆一郎が追っていると、ふいに高上の後ろにいる男子が笑いだした。続いて女子が口元を抑える。


 見慣れた光景だった。嘲笑だ。


 リュリュに心酔してきた巌隆一郎にこうした態度を見せる人間は決して少なくなかった。


 巌隆一郎とて道理や常識を知らないわけではない。

 アニメの少女を大切に扱う姿は本来、そういったものと相容れることはできない。そんなことはリュリュと出会ったときに理解している。

 しかし、それでもなお彼の気持ちが揺らぐことはない。巌隆一郎は嘘をつけない質だった。好きなものを好きではないとは決して言えない。

 たとえ、それがどのような蔑みを生みだそうとも。


「もういいだろう」


 高上から携帯を取り返す。下らないことをしてしまったと自省する。やはり見せるべきではなかった。


「あ、ああ……」


 高上は気まずそうに頷くが、後ろに集まった四人はよほど騒ぎたいのか、今まで見ていた巌隆一郎の携帯の画面をネタに、誰に向けているのかわからない罵詈雑言を吐き始めた。

 リュリュのことではなく、自身のことを言われているのだと巌隆一郎は自分に言い聞かせる。

 実際、リュリュのようなかわいい少女が罵られるいわれはないだろう。

 そのような少女に現を抜かす男が、彼らにとっては滑稽に見えるのだ。



 席に戻ろうと彼らに背を向けた瞬間、巌隆一郎は即座に構えた。

 どこからともなくあがった小さな悲鳴が教室に緊張を張りめぐらせる。


 窓際に一人の男が立っていた。大男だ。


 巌隆一郎も百八十を超えてはいるが、それよりも大きい。筋骨隆々な男で、ただ腕を組んで立っているだけで周囲を圧倒する存在感があった。


 他には目もくれず、尊大な態度で巌隆一郎を見下ろしてくる。


「龍司……何のようだ」

「フッ――滝龍司などとうに死んだ」


 龍司は大仰に片腕ずつ広げ、その身を誇示するように胸を張った。


「わが名は深淵の獣(アビスルーラー)

 闇より出づる深淵の支配者!

 世界をこの手に統べんとするものだ!」


 厄介な男が来てしまった。巌隆一郎は舌打ちで応える。


「もう来やがったのか……」


 教室内にいるクラスメートが突如として現れた男を遠巻きに眺めていた。いったいどこから来たのか。窓が開いているところを見ると、上から降りてきたようだ。


 高校に入ってからは今日に至るまで一度もなかったのだが、とうとうこの日が来てしまった。

 龍司は小学生の時分からこうして巌隆一郎に向けて宣戦布告をしてくることが度々あったのだ。


 そう、これは襲撃であり、宣戦布告なのだ。


 辺りはしばらくしんと静まり返っていたが、誰かが批難まじりの疑問の声をあげると、それを皮切りに教室中の人間がざわめきだした。

 巌隆一郎は構えたままそっと携帯をしまい、周囲に意識を向けた。


 龍司がわいて出たということは、どこかにもう一匹潜んでいる確率が高い。


「この我を前に余裕だな! 巌隆一郎よぉッ!」


 間にあった机を飛び越え、龍司が距離をつめてくる。


「ちっ」


 身をかわし着地を狙って蹴りで応戦した。避けられるタイミングではないはずだった。

 しかし龍司は器用にも空中で体勢を変え、机を足場にしてさらに上方へと飛びあがる。


「ふッハハハ! あまいわぁ!」

「化け物じみた動きしやがって!」


 頭でわかっていても、その動きを先回って捉えるのは難しい。

 龍司は天井に手を添え、巌隆一郎へと向きを変えてくる。


「しッ、ゆくぞ! 幻轟斬ッ!」


 たいそうな名前だがただの飛び蹴りである。異様に鋭いことを除けばだが。


「ぐぅっ!」


 両手で受けて後ろに飛びはね、直後、体勢を立て直す間も惜しんで、背後に向けて肘打ちを放つ。

 もう一匹の気配がそこにあった。


「くたばれ!」


 当たりはしなかった。この程度で当てられる奴なら苦労はしない。

 しかし、牽制にはなった。


 巌隆一郎の背後に、一人男がいる。


 肘打ちを避ける為に身をかわし距離を取っていた。その手にはかぎ爪のようなものが装備してあった。あまりに物騒すぎた。


「……獲物、逃した」

「ハんッ、わざと外してやったんだよ、正源!」


 倉持正源――それがもう一匹だ。

 龍司と正源、幼馴染みであるこの二人とは、何度こうしてやり合ってきたかわからない。


 ところが恐ろしいことに、その争いにいたるまともな理由があったことは、いままで一度もない。

 今日もおそらくはないのだろう。

 要するに、バカ二匹に無駄に絡まれているだけなのだ。


 しかし、ただ絡まれるだけならばまだ良い。

 巌隆一郎は身体を鍛えている。そこらの有象無象に負けるほど、柔ではないと自負している。


 問題は、そのバカ共が異常に強いということだ。


「ククッ、愚かしき人間共よ、貴様ら二人とも、深淵の贄にしてやろう!」


「お前もただの人間だろうが!」

「この我にせいぜい抗ってみせることだなあ! 獣翔幻界陣!!」


 ただの突きの連打である。正源に背を取られぬよう、巌隆一郎は龍司に飛び込みながら迫りくる拳を全力で捌く。以前よりも龍司のキレがあがっている。


「ちぃッ、うぜえな!」

「その程度か巌隆一郎!! ハハハ、つまらん、つまらんなッ! ならばここで引導を渡してやろうではないか!」


 一瞬、攻撃の手が鈍くなる。しかし、それは隙ではない。溜めだ。

 足が止められていた為、回避行動には移れない。反撃に出る他なかった。短く身体をひねり、熊手を放つ。

 そのとき、龍司の後ろに影が疾駆する。


「……好機」


 正源が龍司に襲いかかろうとしている。

 巌隆一郎は胸中でほくそ笑んだ。同時攻撃ならばいくら龍司でも捌ききれないはずだ。

 一撃目が直撃することを想定し、追撃の蹴りを意識する。


 ――だが、直後。


「ぬるいわッ! 幻鱗双龍波!」

「……くっ!」


 龍司は巌隆一郎の熊手をかわしながら正源の攻撃を潰して反撃し、返す手で巌隆一郎に掌打を入れてきた。

 危険を感じとったときにはすでに手遅れだった。強かに顎を打ち抜かれ、巌隆一郎は吹き飛び、窓際の壁に叩きつけられていた。


「かっ……はぁ、はぁっ……」


 膝をついて立ち上がろうとするが、あまりにダメージが大きかった。意識の焦点がぶれる。顔をあげると、龍司を挟んで反対側で正源が机を巻きこみながら倒れていた。


「雑魚が、すこしは粘れよ……」


 正源に毒づくが、巌隆一郎も人のことは言えなかった。

 たった一撃、まともに入れられただけで足に来ている。

 立ち上がって全力を振り絞り、形振り構わず龍司に攻撃を仕掛けることはできるだろうが、そんなことでどうにか出来る相手ではない。軽く迎撃されるのがオチだ。


「ふっ、これまでのようだな」


 龍司が教室の中央に立つ。

 っして、突如として始まった乱闘を前に絶句していたクラスメート達を観客に見立てるような素振りで、巌隆一郎に勝利宣言をしてみせた。


「お前達の決意など所詮、ただの擬い物でしかないようだな、フーハハハッ!」


 決意もなにもない、ただの無意味な戦闘なのだが、龍司の中ではそうなっているらしい。


「終わりだ。この一太刀のもと、深淵へと叩き落としてくれよう!」


 ただの徒手空拳である。どこに太刀があるというのか。


「――ぬぅッ!?」


 しかし、突然、龍司が胸を押さえて片膝をついた。


「ク、貴様の出番などないっ! 引っ込んでいろ!」


 一体誰に話しかけているというのか。龍司の身体の中には何かがいるようである。巌隆一郎はうんざりした顔でその様子を眺めていた。


 龍司のこれは終戦の合図だ。

 時計を見ると、もう昼休みが終わろうとしている。ちょうど良い、むしろ良すぎるタイミングだった。

 龍司は押さえていた胸から手を離し、笑いながら立ち上がった。


「命拾いしたな、巌隆一郎! 次に相対したときこそ、お前の最後だ……首を洗って待っているがいい」


 そして笑いの上にさらに高笑いを乗せ、龍司は堂々とした足取りで教室から出て行った。

 気づくと、正源もいつの間にか姿が消えている。


 巌隆一郎の机と、その周辺の机が派手に散らばっている。クラスメートの困惑の目が巌隆一郎に刺さっていた。


「……このぶっ倒れている机、俺が片付けるのかよ」





 学校を終え、家にまっすぐ帰り、巌隆一郎は自分の部屋に直行する。

 幼女が部屋にいた。


「んぅー、帰ってきましたかボンクラー」

「……テメエ、なにやってんだ」

「見てわかりませんか。ボンクラVer2ですねー。ほんとゴミ箱に放りこむのもためらうぐらい役立たずですね。容量が大きすぎて入らない? いやいや、お前の場合はゴミ箱にすら拒否られるゴミバグデータですよぷぷーっ」

「ウイルス隔離室にぶっ込まれたいのか貴様は。なんでいるのかって聞いてんだ」


 アイエーが床にねそべって本を読んでいる。どこから持ってきたのか、クッションを胸元に敷き、俯せになって足をパタパタと動かしている。


「まあ、それなんですけどね」


 アイエーは本をぺらっとめくりながら、何の気なしに口にした。


「この世界、滅ぶことになりましたんで」




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