~最強のバカ~
「アイリス! あのもう一匹湧いてでた奴にもどんどん魔法を打ってくれ!」
「こう動きまわられちゃ当てられないわ! 範囲魔法でいいの!」
「構わん! 俺ごとぶっ飛ばすつもりでやってくれ!」
そうでもしなければあの二人は止められないだろう。巌隆一郎は正源を追いかけながら、龍司から距離を取った。
龍司がにやりと笑っていた。動かないのを見て、そのまま正源へと意識を移した。それがまずかった。
正源と撃ち合い、数瞬後、轟太郎の名を叫ぶ声が聞こえた。玉座にいた久遠の声だ。
正源から意識を離さないように位置を変え、玉座を視界に入れられる場所に動くと、龍司がアイエーをつまみあげている。
アイエーは離せと言わんばかりに身体をばたつかせていた。思わず、意識がそちらに向いてしまう。
「……よそ見か」
「――るせえッ!」
一瞬の隙をつかれ、拳を振りかざした腕を取られてしまい、腹部に裏当てを喰らった。
あばらに鋭い痛みが走る。折れてはいないだろうが、身体の内部に直接ダメージを当てられたような痛みだった。
「……ふっ、あまい」
効果的な一撃を取れたとみて、すぐに正源が距離を取った。
正源の戦い方はこれがあるために非常にいやらしかった。
重い一撃と、間合いを獲得する速さ、そしてすぐに消える気配。
ただの撃ち合いでは負ける気はしないが、障害物の多い広い場所で戦うのは難しい相手だ。
ふたたび龍司に意識を戻すと、アイリスと轟太郎が応戦していた。正源の気配を探るが、どこを移動しているのか、姿が見えない。
と思うと、壁際を走って龍司のほうへと向かっているのを見つけた。
どうやら、アイリスと轟太郎の攻撃に合わせて龍司に仕掛けるつもりのようだ。
すぐに玉座へと向かう。壁際に追いやられたアイエーと久遠、リュリュが心配げにアイリス達を見つめていた。
「無事か!」
「あいつらお前の友達じゃないですか!? アイエーを虫みたいに放り投げやがったです!」
アイエーがわなわなと怒りに手を震わせている。よほど癪に障ったらしい。
「友達なわけねえだろ。ただ、不幸なことに昔から付き合いがあるってだけだ」
「もう、時間が……。はやく回線にアクセスして本体をシャットダウンしないと間に合わなくなります……」
久遠が沈んだ表情で言った。残り二〇分を切っている。
巌隆一郎は龍司に向かって走った。早く叩きのめさなければいけない。
しかし、距離を詰めながらも、巌隆一郎には龍司に勝てるイメージがまったく浮かんで来なかった。
相手は強者だ。それも、巌隆一郎よりも強い。
アイリスと轟太郎と力を合わせて、どこまでやれるかに掛かっている。
巌隆一郎が龍司に飛びかかると、同時にアイリスの魔法、轟太郎の挟撃、正源の暗器攻撃が龍司に迫った。
アイリスはともかくとして、この場でもっとも脅威であるのが龍司だと考えているのは、巌隆一郎だけではないのだ。
互いによく知っているからこそ、自然に生まれた連携だと言えた。
「……仕留める」
「小僧共が、すこしは年寄りをいたわらんかい」
「とっととくたばれ!」
総攻撃を前に、龍司は正面に構え、腕をあげた。
「ふッ! それがお前達の本気か!」
アイリスの魔法の重圧を背中に受けながら、全力で拳を振りきる。
避けられるタイミングではない、ガードも間に合わないはずだ。
取った、と確信した。
「その程度が! お前達の本気か!」
攻撃は届いた。
直後、巌隆一郎の視界から龍司も、轟太郎も、正源も消えていた。
――何が、起きた。
身体を動かす。動く。顔も動く。辺りを見回した。
そして、やっと自分が倒れていることに気づいた。床に叩き伏せられていたのだ。
正源も、轟太郎も、離れた場所に倒れていた。起きる様子はない。
上でアイリスの詠唱が聞こえた。
「小賢しいと言っているだろう、小娘!」
次の瞬間、石がぶつかるような硬質な音がなったかと思うと、アイリスの悲鳴が聞こえた。頭をそちらに向ける。
龍司は瓦礫を拾いあげて投げつけたのだ。
巨大な瓦礫のわきに、アイリスが倒れている。
「ふン……」
リュリュがアイリスの元に駆け寄っている。アイエーと久遠達も付いてきていた。
龍司は倒れたアイリスには目もくれず、その場で腕を組んで立ちつくしていた。
「テメエ……」
膝をつき、身体を起こす。
痛みはさほどないように感じたが、それはほとんど錯覚だったということがそのときにわかった。思った以上に身体はぼろぼろになっている。
起きあがろうとした巌隆一郎を前にして、龍司の目が見開かれた。
「ほう。巌隆一郎、貴様はさすがに頑丈だな。もう起きたか」
「どういうつもりだ、おい……。わかってんのか、世界が滅びるってんだぞ、俺だって信じられねえが……こんな馬鹿げた空間があって、魔法使いやらなんやら出てきてんだぞ、マジで滅びるかもしれねえんだぞ!」
「深淵の獣たるこの我が世界の支配者だ、世界のひとつやふたつ滅ぼしたところで――」
「そんなことは、どうでもいいんだよ。支配者だと? テメエも死ぬんだぞ、世界が滅びりゃ。冗談ですませられるのは身内ですんでるときだけだ。こんなところで暴れまわって、どういうつもりだって聞いてんだ!」
「……貴様こそ、わかっているのか」
「あん?」
龍司の視線に、ふいに真剣味がまざった。
ひさしく、そんな目は見たことがない。
思わずたじろいだ。
「話は聞いたといった。世界は滅ぶ、オレが死ぬ、お前も死ぬ。そうだな。それで、そのことがオレ達の戦いに、なんの関係がある?」
「……」
「三年前だったか。お前が拳を引くようになったのは。オレ達の戦いは、殴り合いはいつでも真剣勝負だったはずだ。中途半端に終わることはなかった。――だが、お前はなんだ。そこでなにをしている? なぜ、いますぐにでもオレを叩きのめしてやろうとしない。昔のように」
「……分別をわきまえるようになっただけだ」
三年前。
リュリュのことを好きになってから、巌隆一郎はそれが取り立てて目立たないようにするため、常識的な行動を心がけてきた。
龍司達との立ち回りも、そのひとつだった。
龍司達とやりあえば、派手な殴り合いになる。どうしても目立ってしまう。
巌隆一郎だけが目立つのは、それでも良かった。
だが、巌隆一郎が目立つことで、巌隆一郎が好きなキャラクターであるリュリュをけなされるようになるのは避けたかった。
だから、できるだけ騒ぎを小さく収められるようにした。そうするようになった。それだけのことだ。
そういえば、龍司がわけのわからない設定を持ちだすようになったのは、そのころからだった。
「分別? 分別だと? はッ、笑わせるなよ!」
「それ以外のなんだって言いやがる」
「違うな、巌隆一郎。貴様のそれは腑抜けと言うんだ。戦える場所で戦える人間が戦わず、なにが分別だ。いまお前の目の前にあることを考えろよ。世界が、お前自身の死が、そこにあるんだぞ。これだけの状況でもなお、それでも貴様は分別がどうだとほざくのか! オレに話し合いでも持ちかけてここを退くように諭すのか? ほざけるならば、ほざいてみろ」
だったら、どうすればいいというのか。龍司は動けるはずだなどと言うが、もう身体は動かない。
ここで立ち上がって龍司に殴り掛かったところで、勝敗は見えている。
轟太郎もアイリスも、正源すらも倒れているこの状況で、ひとり龍司に立ち向かったところで勝ち目はない。
勝者は、龍司だ。いまさらあがいてもどうにもならない。
なにも言えずに睨みつけていると、龍司がなにかに思い当たったように声をあげた。
「……そういえば、もう時間がないと言っていたな」
龍司の視線が巌隆一郎から剥がされた。
「ならば、少々早くなっても構わんだろう」
龍司が歩きだす。巌隆一郎のほうではない。アイリス達に向けてだ。
「テメエ、なにするつもりだ!」
「先ほど、お前はあの男と戦っているときにアレを庇っていたな。お前が好いている女、確かリュリュとか言ったか。アレを殺せば、少しは貴様もまともになるか」
その声が聞こえたのだろう。アイリスの傍らにいたリュリュ達が困惑した様子で龍司に視線を向けた。
「ふざけんじゃねえぞテメエ! 冗談じゃ――」
「この状況で冗談を言うとでも思うのかよ、お前は」
腕の痺れが取れない。立ち上がろうとするが、足にも力が入らなかった。
龍司がリュリュへと近づく。リュリュはおびえた様子で後ずさろうとするが、龍司にすぐ追いつかれてしまっていた。
「う、うぅっ……」
龍司がリュリュに手を伸ばそうとしたとき、龍司の背中に光が襲いかかった。
アイリスが身体を起こし、魔法を放ったのだ。
「その子はあんたのような戦闘狂が近寄っていい子じゃない。離れなさい、殺すわよ!」
倒れていてもなお、その凄味は巌隆一郎にまで伝わってきた。
だが、龍司は歯牙にもかけない。
「強者が弱者に資格を求める必要があるのか。雑魚は寝ていろ。この世界が滅ぶまで、永遠にな」
リュリュの首に龍司の手が伸びる。だが、その手に飛びつく影があった。
「やめろですぅ! リュリュにさわらないでください!」
アイエーが龍司の腕に飛びつき、それを防いだ。久遠が悲痛な声をあげる。
「アイエー、ダメだよ! あぶないよ!」
龍司は虫でも振り払うように、腕を積んできたアイエーを放り投げた。
アイエーが地面に転がり、久遠が駆け寄る。アイリスはリュリュを助ける為に、必死に魔法を唱えようとしていた。
巌隆一郎だけが、そこで呆然とそれを眺めていた。
それは、なんだったのだろうか。
怒りというには、あまりに穏やかすぎた。しかし、平静というには、あまりに熱すぎた。
この不甲斐なさは、いったい誰が、どうやって自分に押しつけているのだろう。
久瀨巌隆一郎は、いったい何の為に勝とうとしていたのだろうか。
「おいッ!」
足の震えを取るように、頭を振る。身体を動かせるまで動かす。
それだけだ。後先など、知ったことではない。
「もう知らねえぞ、俺がぶっ倒れるまでぶちのめしてやる。たとえお前がボロボロになろうが、だ。覚悟しろよ、龍司」
「ほう……」
龍司が振り返り、巌隆一郎と相対した。その顔には獰猛な笑みが浮かべられている。
「深淵の獣たる我にどこまでやれるか、見せてもらおう」
――世界滅亡まで、残り00時間10分30秒。




