~サーギィス~
王の間にたどり着くと、荘厳な玉座に灰色の肌をした巨漢の化け物が座っており、その傍らにサーギィスが立っていた。
アイリスを先頭にして、巌隆一郎、轟太郎がその後ろに付いて近づいていく。
十メートルほどの間を空けてアイリスが立ち止まった。
「深淵の王、ゲアト様におかれましてはご機嫌麗しく」
尊大な態度で言ってのけると同時、アイリスは詠唱なしで片手で魔法を打ちはなった。
ゲアトは微動だにしなかった。
魔法の障壁が発生し、アイリスの魔法がかき消える。
「彼の国の愚かなる一族の末裔か。よもやよくもこの我の前に現れることができような」
「よもやもよくもでもありません。今度は封印ではなく、その存在ごと消滅させて差し上げようと遠方から伺いましたのよ。歓迎してくださってもよろしいのではなくて」
そんなやり取りを聞きながら巌隆一郎はサーギィスの動きを注視していた。
「思いあがるなよ、小娘。人間がこの我を滅すだと」
「思いあがっているのはどちらかしらね。五百年前と今は違うのよ。この時代には私がいる。それだけであなたが消えるのに十分な理由だと思わなくて?」
「ほざけッ!!」
ゲアトが手を大きく振り払うと、昏い色をした槍が複数飛んでくるが、即座にリュリュが障壁を展開した。
アイリスもリュリュもその属性は光であり、ゲアトが使う深淵の力、冥属性と呼ばれるものに対抗できる力がある。
それだけに、光に属する強力な魔法使いであるアイリスの言葉は大言壮語ではない。
もしこの場でゲアトとアイリスが一対一で戦うのであれば、時間こそかかるだろうが、最後はアイリスが必ず勝つはずだ。
だが、この場にいるのはアイリスとゲアトだけではない。
最強の魔法使いである、サーギィスがいる。
「この世界では五百年の時を経て、ゲアト様の偉大なる御力に疑念を抱くものまでいる始末でございます。オルテリスの末裔たる姫君を葬ることでご威光をお示しください」
「サーギィスよ、貴様に言われるまでもない」
ゲアトは玉座から立ちあがり、両手を大きく広げた。ゲアトの周囲に暗闇が集まり始める。
アイリスのあたたかな魔法と違い、禍々しさが漂っていた。
「深淵では貴様にはぬるかろう、末裔よ。光の生まれぬ永劫の闇に食らわせてやろう」
ゲアトの動きに合わせ、アイリスが何事か魔法の詠唱をはじめる。アイリス、轟太郎と目配せする。
「集え! 冥き死よ! テネブレ――」
ゲアトが詠唱を言いきる前に、巌隆一郎はサーギィスへ、轟太郎はゲアトに向けて飛びだした。
一瞬で距離を詰める。
あらかじめリュリュに魔法をかけてもらい、速度をあげてもらっていた。
すれ違いざまの一撃、サーギィスは巌隆一郎の攻撃を予見していたかのように避けた。
「ふむ。魔力はないが、ただのか弱き人間ではなかったか」
振りかえりながら蹴りから殴打を繋げるが、距離を取られ、すべて避けられる。
サーギィスはふわりと浮かびあがり、後方へと飛んでいた。
即座に追撃に入ろうとする。しかし、サーギィスの腕が振り払われ、そこから炎が蛇のようにしなりながら迫ってきた。
「ちッ」
身体を炎の下にすべり込ませ、前方に転がりながら距離を詰める。床に手をついて身体を支え、回し蹴りを放った。
「ふっ……、小賢しい真似を」
胴体には当てられなかったが、伸ばしていた腕を蹴り飛ばすことができた。
サーギィスの魔法の扱いは優れている。間合いの取り方も相当に上手い。
しかし、やはり体術には疎い。
ちらりとゲアトの様子を一瞬だけ窺う。
アイリスと轟太郎はやはり優勢なようだ。そう時間を待たずに決着をつけられるだろう。後は、ゲアトが死ぬまでの間、サーギィスを野放しにしないことだ。
できるだけ距離を離すように誘導する。
壁際にまで追いつめたところで、サーギィスは足を止め、巌隆一郎を見て得心したように頷いた。
「ほう。なるほど」
「あん?」
「いや、なに。君はずいぶんと戦い慣れているようだ。いつ私の意図を察したのかね」
「テメエには関係ねえことだ。とっとと死ね!」
素早く肉薄しようと、力を込めて一歩を踏みこむ。
「だが――惜しいな、魔法には慣れていないようだ」
その瞬間、身体の動きが止まった。
「が……な、これ、は……!」
腕を振りかぶった状態のまま、身体がほとんど動かせなくなった。
まったくではない。少しずつ動いてはいる。
だが、この状態では一撃すら届かない。
「これを受けても動けるか。大したものだ。ユグリエのような凡愚ではなく、君のような駒があれば私も楽ができたのだがね」
ユグリエ、その言葉で思い当たる。影縛りだ。
相手の影の動きを制限することで相手の身体さえも封じる。サーギィスが壁側に逃げたのは、巌隆一郎の影をサーギィスに引き寄せる為だったのだ。
完全な失策だった。
なぜ思い至らなかったのか。
作中でサーギィスが使ったことがなかったから、忘れていた。
この魔法は、作中ではユグリエが使っていたものだ。サーギィスが使ったことは一度も無かったが、そもそもユグリエが手に入れた影を使う魔法はサーギィスが教えたものだという設定なのだ。
ならば、使えないはずがない。
「そこで見ていたまえ、真の強者足るものが生まれる瞬間を」
そして、サーギィスは影に消え、姿を消した。
「くッ、アイリス! 轟太郎!」
全力で叫ぶ。こちらにサーギィスがいないことに気づけば、アイリス達は注意するはずだ。
だが、ゲアトと戦いながらサーギィスにまで気を配れるかどうか。
そのまま動けないでいると、リュリュがこちらに駆け寄ってきた。
「光の躍動、癒しの雫、優しき導きを与えたまえ! キュア!」
穏やかな光に包まれ、次の瞬間、身体が解放される。
つんのめり、転けそうになるとリュリュが支えてくれようととっさに手を伸ばしていたが、その小さな身体で巌隆一郎の巨体が支えきれるはずもない。
巌隆一郎はなんとか転けずにすんだが、逆にリュリュが地面にころんと転がってしまった。
「きゃーっ。あいたたたっ……」
「うおお、すまん、リュリュ大丈夫か」
「はい。ゲンリューイチロウさんはだいじょうぶですか」
頷いて答え、すぐにゲアトを確認する。どうやら間に合わなかったようだった。
久遠とアイエーがこちらに向けて駆けてくる。
アンチセキュリティというのを起動しているうちは、アイエーも戦闘には加われないので、端っこにいて隠れていたほうがいいだろう。
リュリュをその場に置き、アイリス達の下に向かった。
「サーギィス、あなた最初からこうするつもりだったのね」
「無論だ、忌々しい姫君よ。私は元より王など必要としていない。凡愚の頂点にある王など、玉座に骸を座らせておけば良いのだよ」
サーギィスの足下にはゲアトが倒れている。すでに絶命していた。
「私が求めるは、ただこの深淵の力のみ」
ゲアトの心臓を握りつぶし、そこから手に入れた結晶をもって、深淵の力を行使する。
最強の魔法使いサーギィスは、いま冥に属する魔法まで手に入れていた。
サーギィスはゲアトの属性である冥に対し、有効な攻撃ができない。
そのため、ゲアトとアイリスをぶつけ、その隙を狙って力を奪ったのだ。
こういう奴は非常に厄介だ。巌隆一郎は胸中で悪態をついた。
自分の強さを自覚していながら、うぬぼれるわけではない。
最善の行動を取る。この敵を相手に全員で掛かって倒そうとしたして、どれほど時間が掛かるか。
世界が滅亡するまで、残り四〇分ぐらいはあるだろうか。その間に倒せるだろうか。
時間が差し迫ってくると、それまでに意識しなかった危機感が生まれてきていた。
「これ以上力を求めてどうするの。世界でも支配するつもり」
「凡愚の集まりでしかない世界などに何の価値があるのか、私にはわかりかねるな。凡愚をいくら集めようとも無価値だ。更なる知識を求めるのに理由などあるまいよ。……ふむ、そうだな、強いて理由をあげれば、私自身の未来の為に力は必要なのだ」
「あなたはすでに十分強いと思っていたけれど」
「十分とはなんだね。忌々しい姫君よ、私は私の力を何かに対して相応であることを求めたことなどないよ。力は常に得続けるものだ。そこに上限などない」
巌隆一郎がサーギィスに踏みこむのと同時、反対側で轟太郎も動いた。アイリスは詠唱をはじめている。
深淵の力を手に入れたサーギィスの魔法は、原作で何度も見ている。
だが、実際に相対すると、想像以上の速さと威力だった。
「ちぃッ!?」
冥い色をした剣や槍がすさまじい速度で襲いかかってくるだけでも脅威だというのに、サーギィスが盾を展開しているために、攻撃をまともに届けることができなかった。
速度で差をつけた轟太郎が辛うじて数撃を与えているようだが、それでもなんとか触れているといった程度でサーギィスを一歩も動かすことはできていない。
降り注ぐ魔法の雨を殴り返すことで防御する。
魔法に拳で触れることができなければ、いまごろ串刺しになって地面を転がっていることだろう。
アイリスの魔法だけが頼りだが、そのアイリスも苛烈な攻撃に耐えきれなくなり、魔法の詠唱が遅れはじめているのが目に見えてわかった。
打開しなければいけない。このままではなぶり殺しにされるだけだ。
「轟太郎!」
「応ッ!」
サーギィスを挟んで半周ぐるっと周り、轟太郎と合流する。
そして同時にサーギィスへと突っこんだ。
轟太郎が走れるよう、巌隆一郎がすべて攻撃を弾く。盾を前にして、巌隆一郎はそれを勢いよく殴りつけた。だが、冥い色をした盾はびくともしない。
轟太郎は盾を飛び越え、サーギィスへと襲いかかっていた。
「ふぅーっ……おおォッ!」
サーギィスの意識が轟太郎に向いている瞬間を狙い、周囲に展開されている盾を一度に持ち上げる。
「うぅぉおおッ!!」
あまりの重さに腕が抜けそうだった。
なおも気合いを入れて、持ち上げられるだけ持ち上げる。
それほど大きな隙間である必要はない。
数十センチ、それだけ持ち上げられれば十分だった。
もう少しというところで、巌隆一郎は冥い槍に狙われていることに気づいた。
だが、いま手を離すわけにはいかなかった。多少の痛みは耐える他ないと思い、痛みが来る方向を意識して歯を食いしばったが、降りかかってきた槍が魔法の障壁によってさえぎられる。
視線だけ動かすと、どうやらリュリュが魔法で援護してくれているようだった。
「情けないとこ、見せらんねえな!」
さらに力を込め、一気に腰の部分まで持ち上げることができた。
直後、その隙間にアイリスから放たれた魔法が潜りこむ。どうやらこちらの意図を察してくれたらしい。
次の瞬間、盾が消える。
周囲を冥い盾に覆われていたサーギィスの姿が露わになった。サーギィスは玉座まで下がって距離を取った。
「やはり、こうなるのか。忌々しい姫君よ。私の邪魔をするのは、いつでも貴様だな。最後の最後までよくやってくれるものだ」
「嬉しくもないけど、よくよく縁があるわね。でも、それも今日までだわ。隠者として探求の道に生きるなら見過ごすこともできた。あなたは、もうそれすら出来ないほどに強すぎる。ここであなたは死ぬのよ。この大陸の歴史にあなたの影は残さない」
サーギィスに向けられたはずのアイリスの凄味に、思わず背筋が怖気だった。
サーギィスという最強の魔法使いであり、いまや深淵の王の力すら手に入れた強者を前に、これほど毅然と立ち向かえる少女。
ファンタジーだからこそ許される王女であり、魔法使いであり、絶対の強者。
その立ち姿は、まさに孤高だった。
リュリュの真意をわかったつもりでいたが、あれだけでは足りなかったかもしれない。
リュリュの気高さは、この孤高にこそ付き従うものなのだ。この少女のためであれば、命をかけても惜しくない、そう思わせられるのもわかった。
巌隆一郎はアイリスとサーギィスを結ぶ直線に割って入り、すかさずそのままま突っこむ。すぐに轟太郎も並走してきた。
「……これほどの騎士を従えてくるとはな」
サーギィスが不愉快なものでも口にしたかのように、言葉を吐きだした。
その手が中空から黒く輝く剣を取り出す。
いよいよ本気になったようだ。
後ろからアイリスの魔法が飛んでくるのがわかった。器用にも、巌隆一郎達の横や上を抜けるように弧を描きながらサーギィスへと向かっていく。
サーギィスは小さく展開した冥い風でそれを弾き、残りを剣で払おうとしていた。その間に距離を詰め、真正面から殴り掛かる。
柄の動きから剣筋を読み身を避けながらカウンターを加える。
だが、サーギィスにまでは届かない。突き出した左腕に魔法の剣が刺さる。
「ぐああッ!? クッソいってえなちくしょうが!」
「盾となって死ぬか、それも良かろう」
「ハ、人の心配してるヒマあんのかぁッ!」
「――なにッ!?」
巌隆一郎が魔法を受けているうちに、轟太郎は背後に回っていた。
強烈な体当たりを受け、サーギィスがよろめいた。
その一瞬を狙い、おとりにした左腕を引きながら、右手を振り抜く。サーギィスの顔面を捉えた。
それだけでは終わらない。まだ、アイリスがいる。
王の間に相応しきアイリスの声が高々と響く。
「ローミナスは永遠を識り、フラウレドは永遠を紡ぎ、ラティエは永遠を祝福する! 悠久の彼方よ、我が呼びかけに応えよ! デアクラルス!」
上方ですさまじい光の奔流が起き、ひとつの大きな光弾が出来上がった。うねりながら進み、サーギィスを包んだ。




