~語られない言葉~
アイリスとリュリュに簡単な自己紹介をしながら、階段を昇る。アイリスの魔法のおかげでかなりスピーディに進むことができた。
飛翔魔法というものの応用で、移動の負担を軽くすることができるらしかった。身体が異様に軽い。
実際に、先ほどは体力のある巌隆一郎と轟太郎が先行していたのだが、いまはその必要もなく、全員揃って昇ることができていた。
「生リュリュと生アイリスに会えるなんて大感激です。サインくださいです」
アイエーがそんなことを言いながら、どこかからペンと色紙を取り出す。
この非常時になにをやっているのかと呆れながら、巌隆一郎も便乗してサインをもらった。
生徒手帳にリュリュの可愛らしい文字が書かれている。
家宝がまた増えた。家に帰ったらスキャンしてすぐに取りこまなくてはならない。
「アイエー、もうだいじょうぶ? そろそろ『BlankDef』の動作も最適化されて落ち着いたみたいだけど」
「はいです。アンチセキュリティは使用率92%で安定してますよ。たぶん、ファイルマネージャぐらいなら同時に使用できるです」
「でも、あんまり無茶しちゃダメよ。まだ完全に調整したわけじゃないから」
まもなく、最上階への階段に繋がっている大部屋の前に来た。アーチ状の大きな扉に魔法による装飾が施されている。
原作通りであるなら、ユグリエがこの先にいるはずだ。
あらかじめ、ユグリエの対処法と作戦については、アイリスと打ち合わせしておいた。
世界滅亡までの時間はすでに一時間を切ろうとしている。ピアリールとの争いに想像以上に時間が掛かってしまっていた。もはや、ユグリエ如きにかまけていられる時間はない。サーギィスはピアリールよりもはるかに強いのだ。
アイリスが先行し、扉を開く。
壁にいくつもの松明が置かれた薄暗い部屋だった。大小様々な物が散らかっている。松明が尽きれば、部屋は一瞬で暗闇の中に沈むだろう。
アイリスとリュリュ、久遠達を前に行かせ、巌隆一郎と轟太郎は身を低くして気配を消しながら扉の脇にある暗闇に位置した。
「よくぞいらっしゃいました、姫君」
薄い暗がりの中から、ぼうっと一人の男が浮かびあがる。
それは比喩ではない。事実、男はそこに潜んでいたのではなく、発生したのだ。
影を渡って、そこに現れた。それはユグリエの魔法のひとつだ。
紳士帽子にステッキ、白い仮面、黒いマントを羽織っている。
人相を悟らせないようにしているその姿は、作中におけるわかりやすいほどの伏線でもある。この場では、まったく関係のないことではあるが。
「私はあなたに会いに来たのではないのよ、ユグリエ。そこをどきなさい」
「ククッ、そう急くものではありませんよ。彼はすでに深淵の王を手中にしております。いかに姫君、貴女と言えども敗北は必至」
「あなたが心配することではないわね。ゲアトもサーギィスもすぐに深淵に送り返してやるわ。態度次第ではあなたもね」
ユグリエは大仰な身振りで敬意を表するような真似をした。
「それでは姫君――私のご提案はお気に召されるかと存じあげます」
「なにが言いたいの?」
「私、ユグリエは姫君にお仕えし、かの怨敵、サーギィスを討つ刃となりましょう」
アイリスは穏やかに返した。
「サーギィスを裏切るのね」
「まさか、裏切るなどと。もとより私はあの男に仕えていたわけではありませぬ故。彼の者とは一時、目的を共にしただけにございます。しかし、それも深淵の王に触れようなどという大それた望みの前に瓦解しました。あの男は破滅しかもたらしませぬ。私の望みは偉大なる為政者によってこの大陸の統一が為されることであり、そこに多大なる繁栄を願っているのですよ。その主君として貴女様を――」
「戯れ言はいいわ。自分の国を捨てて他国で暗躍し、サーギィスを裏切り、次は私というわけね。いざその時が来たら、殺して成り代わるつもりなのかしら。サーギィスの望みが大それた望み? 違うでしょう、あの男にとってはそれは大それた望みなどではないわ。大それた望みというのは、貴方のように、自身の器もわからず大陸を支配しようなどと考えることを言うのよ、エンデュロア」
エンデュロア。サーギィスを排除しようして連合を組んだ国のうちのひとつであるルロス朝ミラーフギル帝国の第三王子で、自身が皇帝になれないことに怒りを覚え、サーギィスとの戦いの最中に散々戦線をかき回した挙げ句、サーギィスに寝返ったという男だ。
要するに、風見鶏な雑魚だ。
「……ククッ、姫君はご聡明であらせられる。いつお気づきに?」
ユグリエが仮面を脱いだ。その声が変化する。仮面にかけられた魔法によって声が変化していたのだ。
「帝国で戦ったときによ。あなた、あまりにも慣れすぎてたわ」
「ふむ、やはりあの戦に出るべきではありませんでしたか」
「どちらにしろ、あなたの提案を受けることはないけれどね。私、弱い男は嫌いなのよ、知ってるでしょう」
「それは失礼を。サーギィスと共倒れになってくださるのが一番良かったのですけれど、では、姫君、貴女方から死に誘ってさしあげましょう」
松明の火が一斉に消える。久遠が小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。
すぐに壁際を走り、距離を詰める。反対側は轟太郎がカバーしている。ユグリエの正確な位置はわからないが、おおよそどこに出てくるかはわかっている。
原作では、ユグリエは影を複数利用することでアイリスに若干の苦戦を強いた。
つまり、逆に言うと、部屋が完全な闇で覆われていては、ユグリエは上手く戦えないのだ。
どこか松明の火をつけることで影を生みだし、そこから攻撃してくる。ならば、対応の仕方は簡単だ。
走る巌隆一郎の数メートル先にある松明の火が灯った。
「真なる光よ、我が下に連なる道を照らせ! クロスブレイズ!」
瞬間、眼を強く閉じる。
瞼の裏で光が走ったのを確認し、眼を開いた。アイリスの魔法によって部屋が明るく照らし出されている。
ユグリエは光によってあぶり出されていた。
端正な顔を歪め、迫りくる巌隆一郎の姿を見つけるとステッキをかざす。魔法を打とうとしているのだろう。
だが、それはあまりにも遅い、ずさんな反応だった。ユグリエはすでに巌隆一郎の間合いに入っている。
「はッ――!?」
「種が割れたんだ、マジックショーは仕舞いだろ?」
懐まで飛びこみ、掬いあげるように腹を殴り飛ばした。
その感覚に、すさまじい違和感があった。だが手は止められない。続けざまに、身体が浮かび上がったユグリエの顔を蹴り飛ばす。
壁に打ちつけられ、ユグリエは派手な音を立てて地面に落ちた。
「が、がっ……ば、ばかな……」
何が起きたのかもよくわかっていないようだった。焦点の合わない目でそれだけ呟き、ユグリエは倒れた。
そして、その姿が分解されるようにして消えていった。
手を二、三度握りしめてみる。まさか二撃で終わるとは思っても見なかった。
轟太郎と二人がかりで畳みかけてなんとか倒せるかもしれないという程度の目論見だったのだ。
「わー、ゲンリューイチロウさん、お強いんですね!」
近寄ってきたリュリュがそんなことを言いながら、可愛らしく胸元で拍手した。思わず抱きしめそうになった。
「本当にね。魔法使いじゃないからどうかと思ったけど、これならサーギィス相手でもなんとかなりそうね。立派な拳闘士だわ」
「いや、それは……」
ユグリエに関しては、あらかじめ知識があったからというほうが大きい。
種が割れたら雑魚と化す相手と、そうでない相手がいる。
サーギィスは、間違いなく後者だ。
「しかし、上手くいきすぎじゃのう。この男は相当に弱かったということかの」
「違います。強さでいえば、あのドラゴンに若干劣るぐらいだと思います。そういや言い忘れたです。お前らの力、いまはセキュリティ相手に99%通るようになってるですよ」
アイエーがさらりと言ってのけた。
「なに?」
「アンチセキュリティの影響です。なんやかんやあって空間にも影響を与えてるです」
「……アンチセキュリティはアイオーンの悪夢内にシステムを構築することで成り立っています。歪みというプログラム全体に影響を与えるんです。言ってしまえば、アイエー以外の全員が、アンチセキュリティになっている状態ですね」
いい加減な説明だったアイエーの言葉を、久遠が引き継いだ。
それでもいまいちよくわからなかったが、なんにせよハンデが取りのぞかれるというのは朗報だった。どうやらユグリエを殴ったときに感じた違和感はこれだったらしい。
残すところはサーギィスとゲアトのみになり、世界が滅亡するまでの時間は一時間を切っていた。
最後の階段を昇る前に、巌隆一郎はリュリュを引き留めた。自然、全員の足が止まる。
「なあ、リュリュ。ここに残っててもらえないか」
サーギィスとの戦いの中でリュリュは殺された。アニメでの映像が脳裏に浮かび上がる。
この場にはアイリスだけではなく、巌隆一郎と轟太郎もいる。
サーギィスを相手にしたとしても、同じ結末になるとは限らない。
しかし、そもそも戦闘が得意ではないリュリュは、サーギィスとの戦いについていけない。
作中でも、サーギィスとまともに戦えるのはアイリスしかいないのだ。
リュリュより強いであろう魔法使いも、騎士も、誰も戦いには参加しなかった。
最後の戦いはアイリスとリュリュの二人だけで挑んだのだ。その結果、帰ることができたのはアイリスだけだった。
「そうね、リュリュは残ってたらいいわ。すぐに戻ってくるから」
アイリスからも言われ、リュリュは顔を曇らせた。
「わたしはやっぱり足手まといですか」
「あなたはあまり体も強くないし、妖精としてもまだ子供だからね。ここまで付いてきてくれただけでも十分よ」
「姫さま……」
アイリスがリュリュを抱きしめるが、リュリュはその手をゆっくり押しのけ、首を振った。
「リュリュも、行きます。ダメですか?」
リュリュがアイリスに続けて、巌隆一郎の顔を見上げてくる。
ダメだと答えたかった。それができなかったのは、その許しを乞う顔があまりに傷ましかったからだ。
巌隆一郎では、リュリュに強く言いつけるようなことはできない。
初めて、好きになった子なのだ。
「……逆に聞くが、どうして行きたがる。戦いなんて血なまぐさいのは、嫌いなんだろう」
リュリュはそういうキャラクターだ。戦いを望む者ではないし、戦いたくないと明言している。
その彼女が作中で戦いの場におもむく理由は、ついぞ語られなかった。
戦いを忌避するものが自ら志願した戦いの中で死ぬ、なんと皮肉なことだろうか。そんなことが起きるのは現実世界だけで十分のはずだ。
リュリュは面映ゆそうに笑った。
「姫さまは、お強いですから」
「――」
巌隆一郎は、言葉を失った。
アイリスはリュリュの頭を小突いて「なにそれ、私の力ばっかりあてにしちゃダメよ」と言って苦笑している。
アイリスは気づいていないのだろうか。気づけないのかもしれない。
アニメを見て、ゲームをプレイして、小説と漫画を読んできた。リュリュが出てくるシーンは何度も見返した。
だからこそ巌隆一郎はリュリュのその言葉の真意がわかってしまった。
強者はひとり、戦場に立つ。
ずば抜けた強さを持っているというのは、そういうことだ。
誰と戦っても、どんな戦いにあっても、最後はひとりだけになる。
サーギィスは強い、だがアイリスも強い。
そして、最後に立っているのはどちらか片方だけだ。
だからこそ、リュリュはアイリスに付いていくのだ。戦いを嫌うからこそ、そんな場所にアイリスをひとり行かせるようなことをしない。
ひとり、戦場に立たせるようなことをしない。そのためだけに、自らの命を危険にさらしてまで戦場におもむく。
なんて、おろかな選択だろうか。あまりに馬鹿馬鹿しいやり方だ。
戦いとは、そういうものではないはずだ。強者と弱者があり、必ず勝利と敗北がある。そういうものだ。
なら、リュリュは。この心優しい少女は、いったいなんなのか。彼女は弱者なのだろうか。サーギィスという強者に握りつぶされた少女は、戦いに敗北したのだろうか。
彼はリュリュが死んだ瞬間を、頭の中で何度も繰り返し再生した。
――世界滅亡まで、残り00時間51分05秒。




