~妖精~
「そこのあなた、大丈夫……ではなさそうね」
アイリスはそのまま中空を飛んできて、巌隆一郎がいる場所の手前に着地した。
「あれは、ピアリール、だったのでしょうね。愛嬌のある子だったけれど、あんなに変わり果てて……」
作中で、アイリスは敵ながらもピアリールのことを気に入っていた。
最後の戦いのときも、トドメを刺すのを止めて逃がしたほどだ。
「さっきまで下で寝てたんだがな。いきなり起きあがってきた。ボロボロのくせして、よく戦ってた」
「そうね、ゲアトが復活したんでしょう」
アイリスは上方を見上げた。わかるのだろうか。魔力というものがあるのならわかるのかもしれない。
「深淵の力にあてられて、生ける屍になったんだわ。かわいそうに」
そういえば、そんな設定があったなということを思い出す。
作中での深淵とは、現実世界で言う常世、あの世のことで、ゲアトはその王なのだ。
死者を支配するという設定も存在し、実際、作中では一度復活しかけたときに、とある国を死者の兵で襲わせたことがある。
ピアリールがいた場所を寂しげに見つめ、アイリスは胸もとで手を組み黙祷した。
金髪のツーサイドアップ、碧眼、軽装ながらも気品漂う佇まい。
背は久遠よりも断然高く、一六〇は超えているように見える。リュリュの身長なら覚えているが、アイリスの身長までは覚えていない。
まるで本物のようだ。
アイエーが先ほど魔法のようなものを使ったとき、久遠が説明したことを思い返す。本物の花と同じ性質だが、花ではない。このアイリスはアイリスではないのだろうか。
ぼうっとアイリスの黙祷を眺めていると、ふいに視界が歪んだ。
手すりを掴んで寄りかかる。思った以上にでかい攻撃を喰らってしまっていた。
防御を捨てて突っこんでくるドラゴンを相手にすれば、この程度は仕方ないのかもしれない。
まだサーギィスを殴り飛ばしていない。こんなところで倒れるわけにはいかない。
アイエーにまた魔法を使ってもらう必要がありそうだ。
巌隆一郎はアイリスに背を向け、階段を上がろうとする。
「待ちなさい、どこに行くの」
「どこって……サーギィスをぶちのめしに行くんだよ」
アイリスがため息を落とした。
「あなたとアレにどんな因縁があるのか知らないけれど、私に任せなさい。あなたのぶんまで片をつけておくから」
「そりゃありがたい提案だが、こっちにはこっちの事情もある。一応、俺達の世界の存亡も掛かってるしな」
「一応って、ずいぶん軽いのねえ。まあいいけど、行くにしてもまずそのケガをなんとかするのが先よ」
「そりゃわかってるが」
「そこに座って待っていなさい」
肩に触れられただけで、驚くほどあっさり壁際に押しつけられた。
巌隆一郎の足取りが弱くなっているのもあるが、それを踏まえても体重差があるのだ。ただの女子に抑えこまれるようなことはないはずだ。
アイリスは、力も相当なものなのかもしれない。
姫であるアイリスが直々に魔法でも掛けてくれるのかと思って座って待っていると、上から誰かが降りてくる音が聞こえた。複数人いるようだ。久遠達だろう。
視線で出迎えようと階段の先を見ると、曲がり角から天使が現れた。
「姫さまー、ご無事ですかー」
自分の眼が大きく見開いたのがわかった。
「わあ、すごくおっきい人ですねー……ひぃッ!?」
リュリュだ。
リュリュである。
リュリュである。
荒れはてた地を緑溢れる大地に帰す美貌、世界の境界から意味を失わせる愛らしさ、あらゆる生物に救いをもたらす至高の信仰の頂点にあるもの。
リュリュである。
「姫さま、なんですかこの人。すごく、怖いです……」
「さっきまで戦ってたみたいだから、気が立ってるのかもしれないわ」
「でも、なんか……そういうのじゃないような……」
おびえるリュリュの姿をみて、ハッと我に返る。
これはダメだ。
巌隆一郎は自分の顔を数度叩き、にやけ面と血走った眼を元に戻した。平静に努め、居住まいを正す。
「リュリュ!」
「えっ、はい」
「結婚してくれ!」
「えぇーっ!?」
「ダメよ。リュリュは私の愛人なんだから」
「えぇーっ!? ちょ、え、姫さま、なんですかそれ初耳ですよ!? はーなーしーてー!」
アイリスに後ろから抱きかかえられ、リュリュは両腕をばたつかせている。
すさまじい破壊力をもつ可愛さだった。これほどの兵器を人が所有した過去があっただろうか。
彼女が一人いれば世界などいくら滅んでも構わないと思える。
「あのー、どこかでお会いしましたか?」
暴れるのを諦めたのか、アイリスにぶら下げられながらリュリュが言った。
巌隆一郎は力強く頷いてみせる。
「アニメでもゲームでも漫画でもノベライズでもフィギュアでもアプリでも、ありとあらゆる媒体で追っかけてきた! 妖精リュリュ、俺の命、俺の人生そのものだ!」
「あー、えー、あー……はい?」
「リュリュのためなら命をかけられる。だから結婚してくれ! なんなら、妹になってくれてもいい!」
「えぇー、えぇー……?」
土下座する勢いで頭を下げながら巌隆一郎はリュリュに詰めよった。
リュリュの顔をより近くで見るためにさりげなく近づいてもいた。
あまりの可愛さに奇声を発しつつ踊りだしそうになるのを堪えながら、リュリュの困惑した顔を脳裏に焼きつける。
「ちょっと、やめなさい。あなたがリュリュのことを好きなのはわかったけれど、そのいかつい身体で詰めよってこないで。リュリュがおびえるでしょう」
アイリスにぐいぐいと頭を押しのけられる。
確かにアイリスの言う通りだった。リュリュは涙目になっている。涙目でも可愛い。むしろ涙目だからこそ可愛い。このまま持って帰りたい。
そう思いながら眺めていると、リュリュがうめきながら身を守ろうとし始めていた。怖がらさせすぎたのが明白だった。
「うぉっ! す、すまない」
後ずさりながら土下座して謝ることで、なんとかリュリュに許してもらうことができた。
リュリュから回復魔法をかけてもらい、感激のあまりに涙を流しそうになる。
身体を治してもらっているときに、久遠とアイエー、轟太郎もやってくる。
アイエーは「qあwせdrftgyふじこl」などと奇妙なことを喋りながら、久遠に抱っこされていた。
久遠が言うには、後数分はこの状態だろうということだ。不気味なことこの上ない。
「しかし、久遠、なんでいきなりあの二人が出てきたんだ」
「アンチセキュリティです。原型になっているものから、セキュリティに対して適格なデータが選択されたんです。セキュリティ、あのドラゴンたちの対抗勢力といったほうがわかりやすいでしょうか」
セキュリティであるサーギィスに対して構築された、アンチセキュリティ。
そういう理屈であれば、出てくるのはアイリスぐらいしかいないだろう。
作中で、アイリスとサーギィスの強さはあらゆるキャラクターの中でもずば抜けている。
サーギィスは三つの国が連合を組んで兵士を出したうえでも手に負えないような魔法使いで、アイリスはそのサーギィス相手に一対一で戦えるほどの実力者だ。
そして、リュリュは戦う力こそさほどないが、回復や補助、アイリスの身の回りの世話、暴走しがちなアイリスの抑え役などサポート要員として重要な位置にいる。アイリスがいれば、そこにリュリュがいてもおかしくはない。
そのアイリスとリュリュは喋る犬である轟太郎で遊んでいた。
「わっ、わぁ、すごいですね。ゴウタロウさん、力持ちなんですね。すごいです。犬さんに乗るなんてはじめてです」
リュリュは轟太郎に乗ってはしゃいでいる。巌隆一郎は「リュリュの犬にならいつでも俺がなってやるのに」とつぶやきながら、その様子を眺めていた。
「頭もいいし、たいしたものねえ。うちに連れて帰りたいわ。城の警備につかない?」
「ほっほ。嬢ちゃん方なら使いの犬猫に事欠くことはあるまいて。わしはいまの貧相な小屋が気に入っとるんでな」
むしろ自分がリュリュに飼われたいものだとしみじみ頷く。
リュリュに毎日散歩してもらえて、エサをもらえて、頭まで撫でられたら最高だろう。お返しにリュリュの全身を舐め回すのだ。
「ふぁっ……ふぁ……はッ!?」
唐突に、久遠に抱かれていたアイエーがびくんと身体をのけぞらせた。きょろきょろと辺りを見回す。
久遠が地面に降ろすと、アイエーは汗をかいているわけでもないのに腕で額を拭うような仕草をした。
「ふぅ、危うく電子の海に還るところでした。悪魔が反復横跳びしながら手招きしてたですぅ」
「えらい愉快な悪魔だな。そいつなんか勘違いしてんじゃねえのか」
「電子の海? ディラックの方程式は、いまのところアイオーンの悪夢とはあんまり関係ないと思うけど……」
「えっ、ディラックって誰ですか。ご主人様のお友達ですか」
「えっ、なんでそう思ったの? ぜんぜん違うよ。すごく頭が良くて、すごい概念を生みだした偉い人だよ。ハードウェアが追いついたら、そんなに時間が経たないうちにまた一段と有名になるかもしれないね。それに量子コンピュータが確立したら、アイオーンの悪夢も進化するから、そのときになったらアイエーにも関係してくるかもね」
「りょーしコンピュータですかー。ご主人様はいろんなこと知ってますね!」
「アイエーも、たぶんすぐにいろんな知識を手に入れると思うよ」
二人のやり取りを聞きながら立ち上がる。
今日一日でずいぶん手ひどくやられてしまっているが、アイエーやリュリュのおかげで肉体的にはまったく問題なく、精神的な疲労もゼロだ。
リュリュの癒しの魔法に心まで癒されるのである。リュリュが最強であることは疑いようがないだろう。




