~聖なる魔法使い~
>>genryuichirou
ピアリールの鳴き声を聞き、巌隆一郎は階段を何度か飛びおりてショートカットしながら久遠の元に急いだ。
どういう原理かわからないが、ピアリールが復活したのだ。
アイエーが久遠をかばうようにして立っている姿が遠く、視界に入る。
下方ではピアリールが飛びあがってきていた。
余計な時間を食っている暇はないという焦りがあった。
またピアリールと戦えば、サーギィスの元にまでたどり着けるかどうかすらわからない。そもそも、なぜピアリールが復活したのか。このままでは先に進めない。
ピアリールの姿が視界の届く範囲にまで上がってくる。その身体は先ほどと何も変わっておらず、満身創痍であるように見える。
しかし、痛みは捨てたと言わんばかりにピアリールは身体を壁や階段にぶつけながら昇ってきていた。折れた翼で、蛇行して飛びながらだ。尋常な様子ではない。
久遠達の元にまでたどり着く。轟太郎はまだ来ていないが、すぐに来るだろう。
「おい、お前らは轟太郎と一緒に先に行ってろ」
「ダメです! いま解析してるところです、アイエーは動けません!」
「解析? それができりゃ、アレはどうにかなるのか」
視線でピアリールを示す。アイエーはコンソールを忙しく操作している。
隣にいた久遠が、巌隆一郎の問いに応えた。
「はい。アンチセキュリティを構築するんです。……ただ、負荷が大きいので、一度発動すると終了するまでアイエーがほとんど動けなくなります」
「動けなくなる? まあいい、それが終わるまで時間を稼げばいいんだな」
轟太郎の位置を確認する。ピアリールよりは先に着きそうだった。
この場で戦闘を始めればアイエーの邪魔になるだろう。
階段の手すりに手をかけ、一階分飛びおりる。
そこからさらに下へ向かって走り、ピアリールとの距離を目算する。
十メートルほどの距離まで近づいたとき、ピアリールの頭目がけて階段から飛びおりた。
「――ゥッゥツツッッッ!」
潰れた喉でなおも叫ぶように、傷ましい声でピアリールが啼いた。
その眉間に全力で拳を振りおろす。
「オラァッ!!」
打ち勝てる、そう思った。先ほどまでのピアリールであれば可能だったはずだ。
だが、想像以上の衝撃が巌隆一郎を襲った。身体ごとはじき返される。
ピアリールはそのままの勢いで巌隆一郎に身体ごとぶつかってきた。
「な――なにぃッ!」
殴打の反動で身体が浮かび上がった瞬間、腕を交差して防御する。
ピアリールから体当たりで打ち上げられ、直後、その分厚い尾がしなりながら巌隆一郎目がけて襲いかかってくる。避ける術はない。
強かに壁に打ちつけられ、階段に転がった。
ピアリールが掠れた声で叫ぶ。勝利の咆哮とはほど遠い咆哮だった。
背中と腕の痺れにさらされながら巌隆一郎は立ち上がった。
「こいつ、さっきよりも強くなってやがる……よりにもよって、こんな状況でかよ」
階段の上という足場、通りにくい攻撃、残り少ない時間。
良い状況とは言えなかった。
ピアリールが腕を振りかぶりながら突進してくる。その眼に理性は見てとれない。
階段の上方へと向けて飛びあがり、間一髪のところで避ける。
ピアリールの片腕が壁にめり込む。反撃に移ろうとしたそのときだった、一瞬の間もおかずピアリールはもう片方の腕を振りかざしてきた。
蹴りで迎撃するが、またもや打ち負け、逆に吹き飛ばされる。床を殴りつける反動で上下反転していた身体をひっくり返し、階段から落ちないように受け身を取った。
力も、速度も跳ね上がっていた。
しかし、それでもなお、戦いについていけそうな感覚があるのが厄介だった。
本来の力通りに攻撃が通るのであれば、間違いなく勝てるはずなのだ。それが、感触でわかる。
その為、想像したよりもダメージが通らないというのが枷になっている。相手のほうが弱いはずなのに勝ちの目が見えてこない。
負けるはずがない、だが勝てる気もしないという微妙な感覚が動きを鈍らせていた。
「やれやれ、まいったなこりゃ」
構えながら、彼は数手先の敗北を予感した。
敗北は何度経験しても、慣れない。
倒れ臥し、動かない身体を実感し、そして自分を見下ろしながら立っている何者かの姿を思い浮かべると、はらわたが煮えくり返る。
だが、立っても勝敗はひっくり返らない。そういうものだ。
強いものが勝つわけではない。弱いものが勝つわけではない。事実として、勝ったものだけが勝者だ。
弱さを言い訳にして敗北を受け入れられる者はそれでいい、それもひとつの選択だ。
だが、強さを理由にして勝利を捨てる者は許されない。
勝者なしの戦いはあってはならないのだ。勝ったものは勝者でなければならない。
いま、巌隆一郎がこのまま起きずに敗北を認めたとして、誰が勝者たり得るだろうか。彼は階段の踊り場に突っ伏しながらピアリールの姿を想像する。
知性を失い、痛みを捨て、誰と相対するでもない。ただ自壊しながら周囲に呪いを振りまくように当たり散らす化け物。
あれが勝者だ。
勝者か。
――勝者なのか? 否だ。
あれは、勝者などではない。
あんなものはただ強者の皮を被っただけの敗者だ。
敗北を受け入れるべきなのは、自分ではなく、あの化け物だ。
正しい勝負は受け入れられる。だが、間違った勝負は正さなければならない。
巌隆一郎は立ち上がった。まだこの身体は戦えるということが、わかっている。
相手は勝者ではない。
ならば、負ける道理はない。
輝きを失ったピアリールの眼が、ふたたび立ちはだかった巌隆一郎の姿を捉える。尾が激しく振りあげられ、一瞬のうちに薙がれた。それを身体捌きで受け流し、肉薄する。
胴から首、顔への連撃を加え、さらに残っていた牙の片方をひねり千切った。
ピアリールは痛みを訴えることもなく、巌隆一郎目がけて噛みついてくる。
とっさに左腕をあげ、それをその牙に押し当てる。左腕がピアリールの顎に挟まれた。
「うぉオオッ!!」
噛まれた左腕に全身全霊の力を込める。ピアリールが彼の腕を咬み千切ろうと首を動かすが、微動だにさせない。
動けないピアリールの眼を右腕でそれぞれ殴り潰す。
そして、下顎を上から叩きつけ、左腕を逃がした。
左腕から血が滴り落ちているのがわかる。しかし、まだ動く。なにも問題はない。
ピアリールはよろめきながらまだ彼に立ち向かってこようとしていた。
もはや生き物としての体を為しているのかどうかすら定かではない。屍がエサを求めてさまよっているようだった。エサなど、もう必要ないだろうに。
巌隆一郎の姿を見失い、階段の上をうろつき始めたピアリールを横からけり飛ばす。
もう動くなと悼むように願うが、ピアリールはなおもすすり泣くような咆哮をあげながら折れた翼を持ち上げる。巌隆一郎は下唇を噛み、構えた。
そのとき、後ろから高らかに響く声が聞こえた。
「白き炎、青き器、昏き鎖を斬り払う光よ! 聖なる灰を曠野に満たせ! 舞え、ホーリーフレイム!」
肩越しに視線だけで振りかえると、その視界を白い炎が駆けぬけていった。
ピアリールにその炎が次々と降りかかり、そして身体が燃えていく。まもなく炎は骨まで燃やし尽くし、ピアリールは灰となって消えていった。
中空に浮かんでいるのは、ひとりの少女だった。
サーギィスが出てくるというのであれば、彼女が出てきてもなにもおかしくはない。妙に合点がいった気持ちで、巌隆一郎は少女の姿を認めた。
幻の国オルテリスの姫、アイリス。
アニメの中の少女が、巌隆一郎の前に姿を見せていた。




