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お前のデータはあずかった!  作者: kasasagi
第一章//アイオーンの悪夢
10/23

~BlankDef~

 アイエーの説明を聞きながら、久遠は腑に落ちないものを感じていた。


 アイオーンの悪夢が自らの定義をもって、現実世界の定義を書き換えて消滅させる。

 可能ではあるかもしれない。

 現実世界とアイオーンの悪夢はその存在に強度に違いはあっても、定義によって成り立っていることには変わりはない。

 定義が揺らげば世界も揺らぐ。それはどちらでも同じだ。


 しかし、決定的な違いがひとつある。


 アイオーンの悪夢が存在しなくても現実世界は存在するが、現実世界が無くてはアイオーンの悪夢は生まれない。

 アイオーンの悪夢はその在り方、コーデックの獲得を現実世界に委ねている。

 アイオーンの悪夢は発生すると、コーデックをまず手に入れ、存在を確立させる。

 そして自分が何者なのか、何処から来たものかを知る。知らないのは、何を為せばいいかだけだ。


 現実世界に恨みがあるとすれば、このアイオーンの悪夢が現実世界を消滅させようと考えるのもわかる。

 しかし、それでは定義の書き換えという迂遠すぎるやり方を取る必要がない。

 もっと単純に、現実世界のデータベースに相当するものに、いまの世界を維持できないように定義を書き加えればいいのだ。そうすれば、一瞬で世界は消滅する。


 ただ、この場合はおそらくその世界に存在するものまで消滅するわけではなく、いま現実世界に存在するすべてのデータは他世界によって新しく構成される。

 なにも知らずに生きている人や動物にとっては、何事もなく世界が続いていくということになる。

 もちろん、データ移動による欠損が起こる可能性はあるが、全体から見れば変化はないと言える。

 それをしないということは、このアイオーンの悪夢には、なにか定義を書き換えなければならない理由があるということだ。


「あと三時間ちょっと……」

「はい。ご主人様は一足早く別世界に行っておいてください。アイエーもちょっと用事をすませたらすぐ行きます」

「えっ、ダメだよ。このデバイスがないと、アイエー困るんだから」

「遠隔処理できないですか? できそうでしたけど」

「できなくもないけど、たぶん、処理落ちしてアイエー動けなくなると思う」

「ちょっと試してみるです」


 アイエーはぴょんと軽快に飛びはねるようにして、VX02DNとの通信を切った。ディスプレイに表示されている『BlankDef』が待機状態になる。


「『オブジェクト:none→IA セキュリティ:aeon』、コマンドインジェクション! ネコもどき、腹をみせてご主人様に服従するです!」


 VX02DNが通信状態に入る。

 通信中、通信中、通信中……。


 そして、十数秒後。


「ふぇッ!?」


 びょんとアイエーの身体が跳ねた。


「あばばばばさdfj;lkqあwせdrftgyふじこlp;@:」


 そして直立不動になり、何事か呟きながらぶるぶると振動しはじめる。

 同時に、それまでじっと行儀良くおすわりしていた獣がごろんとひっくり返り、久遠に甘えるような鳴き声をあげた。

 時間差はあったが、いまコマンドが実行されたということだろう。

 それからアイエーが復活するまで、三分ほど時間が必要だった。



「と、とんでもねーです……。まだ身体が震えてるような気がします」

「コマンドインジェクションはかなり負荷が低い操作のはずなんだけどね。このデバイスでだいたい処理できるようにしてあるから、やっぱりちゃんと直に繋げておいたほうがいいよ」

「でも、ご主人様を連れていくわけには……」

「だいじょうぶ。このアイオーンの悪夢が世界を滅ぼすなら、それを止めたらいいよ」

「うぅん、ご主人様のプログラムを使ったアイエーならできるかもしれないですけど……本体がどこにいるのかわからないですよ。探す時間がありません」


 いま久遠達がいるアイオーンの悪夢の歪みを止める時間はあっても、本体を探してそこから対処するということはできない。

 そして、歪みだけ止めても本体がまた歪みを再起動すれば意味がなくなる。

 しかし、それなら再起動させなければいいのだ。


「それもだいじょうぶ。この歪みの管理者を止めた後、通信経路を使って本体をシャットダウンさせるから」

「そ、そんなことできるですか!?」


 セキュリティシステムは本体のシステムに大きな影響を及ぼすプログラムだ。

 扱い方次第で本体を落とすことは可能になる。

 アイエーがいるいまならそれは難しいことではない。


「説明は、見つけてからにしようね。アイエー、他にもいろいろできることあるでしょう」

「はいです。いろいろありますね」

「数字も一緒に書いてると思うけど、それアイエーに対する負荷を示したものだから、気をつけてね。あんまり高負荷をかけるとアイエーがフリーズしちゃうだろうから」

「ギャース!? フリーズしたらどうなるんですかっ」

「『BlankDef』は自動で落ちるけど、アイエーは……」

「アイエーは……?」


 アイエーがごくりと唾を飲みこんだ。


「……とにかく気をつけてね」

「わぅ!? ご主人様どうして教えてくれないですか! ひどいです!」


 腕に飛びついてくるアイエーを宥めながら、久遠は実行ファイルへと向かった。



 城の真正面の扉をあけると、壁や階段のあちらこちらが崩れた広間の中空に、君臨するようにしてドラゴンがいた。

 アイエーから事情は聞いていたが、先ほどの獣よりも数段大きいその姿に圧倒される。


 その眼が侵入者である久遠を捉え、ギロリと鋭くなる。


 しかし、よく見ると、ドラゴンはすでにボロボロになっていた。

 羽は両方とも折れ気味になっており、飛びながらもまともに滞空できずにふらついている。

 牙も折れ、爪は欠けている。身体が鱗で覆われているためか、血が流れているように見えないのは、久遠にとって不幸中の幸いだった。

 彼女はドラゴンの傷ましい有り様から目を背ける。たとえデータであっても、生き物のこんな姿は見たくない。


「お前ら、まだ生きてますかっ!」


 アイエーが焦った様子で声を張り上げた。

 久遠もさっと辺りを見回す。久遠と近い歳の男の人が一人と、犬が一匹いると聞いていたが、その姿はどこにもない。


 ドラゴンが降りてきた。

 半ば墜落するような降り方で、強い衝撃が地面を伝わってくる。

 ドラゴンは痛みを訴えるためなのか、それとも敵を前に奮起するためなのか、天井を仰ぎながらかん高い声で咆哮した。

 すかさず、アイエーが久遠の前に立つ。


「『オブジェクト:none→IA セキュリティ:aeon』コマンドインジェクション! ピアリール、おすわりです!」


 しかし、ドラゴンは何も反応を示さない。

 勢いよく息を吸い込みはじめると、ドラゴンの口元から炎が覗いた。


「あれっ、あれっ!? どうしてですか!」

「アイエー、実行ファイルにはコマンドは与えられないよ! ワイルドカードで防いで!」

「ワイルドカード、ワイルドカード……これですか! 『オブジェクト:none』ワイルドカード! そこらへんの瓦礫、こっちに集まって盾になるです!」


 瞬間、久遠達の前に瓦礫が積みあげられ、ドラゴンが放った炎を防いだ。

 しかし、その瓦礫が炎の圧力に押され、こちらに向かって倒れてこようとしていた。


 アイエーは瓦礫に指を向けて、「あっちがこっちでこれをあっちで」と言いながら頭を抱えている。

 瓦礫の盾を作る処理で、一時的に処理落ちしてしまったのだ。

 久遠はアイエーを抱きかかえて、すぐに後ろに向かって走りだした。


 その足下に大きな影が広がる。肩越しに振りかえると、一際大きな瓦礫がこちらに向かって倒れてこようとしていた。


 間に合わない――そう確信した。


「ふぎゅっ、お、おしゅひんさま」


 アイエーを強く抱きしめて、その場にうずくまる。痛みを覚悟し、身を強ばらせた。


 辺りに、瓦礫が叩きつけられる音が聞こえた。


 しかし、数秒経っても何も起きない。

 久遠の背中に何かが降ってくることはなかった。


 恐る恐る、目を開ける。


 うずくまったまま左右を見ると、先ほどまで無かった瓦礫が転がっている。

 やはり瓦礫の壁は倒れこんできたのだ。久遠はなぜ無傷なのか不思議に思い、後ろを振り返った。


「ちッ、ちょっと休んでたらこれだ」


 大きな男の人が、その身体よりももっと大きな瓦礫を押さえて立っていた。

 久遠達には、あれが降ってくるはずだったのだ。


「これでも喰ってろ!」


 男の人は抱えていた瓦礫を振りかぶり、ドラゴンに向けてすさまじい勢いで投げつけた。

 ドラゴンは瓦礫をまともに正面から当てられ呻く。

 視線でこそこちらを睨みつけているが、首を支える力すら残っていない様子で、弱々しく頭をもたげて深い呼吸をついている。


「ほいっ、もう一丁じゃ」


 そして、その頭目がけて犬が一匹、飛びおりてきた。

 ドラゴンは頭を激しく叩きつけられ、一際からだを大きくぐらつかせたかと思うと、ずしんと音を立てて倒れ臥した。


「かーっ、まいるぜ、マジで。こいつタフすぎるだろ」

「ペッラペラな軟弱さのわりに、ヒグマ並にしぶとかったのお。少々骨が折れたわい」

「ヒグマってこんなにしぶといのかよ。遭遇したくねえなぁ……。つうかお前、戦ったことあんのかよ」

「山に入って食いもんをあさっとると出てくるぞ。いきがった妖怪が挑んであっさり返り討ちにされるのもよくある話じゃ」


 犬が軽快な足取りでこちらに向かって歩いてくる。


「だいじょうぶかの、嬢ちゃん」

「え、えぇ……はい」


 アイエーと会ってからは、この世界に対していろいろな妄想をしてきていたが、さすがに犬が喋っている場面に遭遇する日が来るとは思わなかった。

 しかも、話を聞く限りでは、この犬が喋る現象は、アイオーンの悪夢とはまったく関係ないようだ。


「お前がアイエーのご主人様とやらか。久遠だったか。俺は久瀨巌隆一郎だ。で、こっちは轟太郎。喋る犬だが、まあ気にするな」


 男の人は短く自己紹介をすると、唐突に制服の上着を脱ぎ始めた。


「あ、え、えっ!?」


 久遠は目を丸くして、座ったまま巌隆一郎から距離を取ろうとした。


 すると、腕に抱えていたアイエーが久遠の束縛から抜け、ひょこっと顔を出す。


「ふぅ、ご主人様、あんまり強くされると苦しいですよぉ――ってギャース!! お前なにやってるですか!?」


 巌隆一郎は上着を地面に放りだした後、カッターシャツのボタンに手をかけていた。

 久遠は頬が赤くなるのを感じながら、両手で目を覆った。指の隙間から様子を窺う。


「あん? 思った以上にやられたんでな、クソ、この制服どうしたもんか。母さんにめちゃくちゃ怒られそうだなこれ。全部、龍司と正源のせいにしちまうか」


 見ると、確かにカッターシャツのところどころに血がにじんでいる。

 思わず「あ……」と小さく声がもれる。

 それを聞かれたのか、巌隆一郎は傷口を軽く叩いた。


「この程度の傷、よくあることだ」

「たしかに平気そうですけど、そんなことよりご主人様に汚らしいもの見せるなってんです。ぶちのめしますよポンコツ」


 アイエーに「いいよ。気にしないから」と小声で告げると、アイエーはしぶしぶといった様子で頷いた。


「それにしても、よく倒しましたね。お前ら見るかぎり、引き分けって感じですけど」


 アイエーはドラゴンと巌隆一郎、轟太郎を順に見ていく。

 ドラゴンは満身創痍の上で倒れているが、巌隆一郎や轟太郎もかなり疲弊しているようだった。


「いや、まあ、確かにな。ダメージが通らんってのは、思った以上にめんどくせえわ。それでこのざまだ。俺もまだまだ鍛え方が足らんようだ」


 巌隆一郎は自分の手にバシンと拳を打ちつける。その口振りから悔恨が滲みでていた。


「同じ条件じゃったら、こうはいかんかったろうがのう。だが、あんな軟弱もんにここまで粘られたのだから、わしもまだまだ未熟ということじゃの」

「その鍛えりゃなんとかなるみたいな物言いやめてもらえませんかねぇ……。あのドラゴン、容量から考えて、人間換算じゃ千人分ぐらいの強さはあるはずなんですけど。お前らの攻撃は一割も通らなかったはずなのに、そんな状況で倒せること自体めちゃくちゃおかしいんですよ、わかってんですか」


 げんなりした様子でアイエーがため息をついた。



 アイエーがワイルドカードを使って巌隆一郎達の治療をしていると、巌隆一郎が久遠に話しかけてきた。


「おい、久遠……あー、呼びすてでもかまわんか?」

「……あ、は、はい」


 邪魔にならないよう壁際にそっと立っていたので、いきなり話しかけられてびくついてしまった。


「お前、なんでこんなところに来たんだ。危ねえだろ。アイエーがなんかお前のために、世界を用意してるとかどうとかわけのわからんこと言ってたはずだが」

「それは……だって、この世界を滅亡させるわけにもいかないし……」

「そりゃたいそうなことだが、べつにお前みたいなちっこいのがやることじゃあないだろう」

「……」


 身体の発育が悪いことは久遠が気にしていることのひとつだった。体格をからかわれたことは数えきれない。

 久遠は黙ってその言葉を聞き流そうとした。


 次の瞬間、久遠の様子を見たアイエーが巌隆一郎の顔をグーで殴り飛ばした。


「黙るです筋肉だるま!」

「いでぇ!? お、お前なにすんだおい。つうか、いてえ。お前なんでいきなりバカ力になってんだ。めちゃくちゃ貧弱だったくせに」

「ご主人様のおかげです! ご主人様がアイエーのためにプログラムを作ってくれてパワーアップしました。これでアイオーンの悪夢をボコボコにしてポイーできます」

「さっきやられそうになってなかったか」

「あ、あれはちょっと、まだ使い方がよくわからなかったです。でもこれからです! アイエーの手柄はぜーんぶご主人様の手柄です。ご主人様が世界を救ってくださるってんだから、お前らは平伏して感謝するがいいですよ」

「そりゃかまわんがな、アレをぶっ飛ばす役目は譲れんぞ」

「勝手にすりゃいいです。ご主人様の盾が増えるのは一向に構わんです」


 アイエーはコンソールをいじり、最後にデータのチェックを終えると、ワイルドカードを終了した。


「ほら、終わりです。ずいぶん良くなったんじゃないですか」


 それまで座っていた巌隆一郎と轟太郎が立ち上がった。

 腕を回したり、飛んだりして身体の調子を確認している。

 巌隆一郎が感嘆の声をあげた。


「ほお、こりゃなんだ。どういう理屈だ」

「疲れもとれとるのう。風呂上がりの気分じゃな」


 アイエーはしばらく唸って首を傾げると、久遠に顔を向けた。


「ワイルドカードは、アイオーンの悪夢の定義、宣言に沿って任意の事象を引き起こすことができるんです。この歪みの原型になっているものがあるんですけど、その中にある事象を引き起こしたもので、たぶん、原型の中では魔法って言われるものだと思います」

「魔法!? マジかよ……」

「魔法というと、西洋の妖術じゃったかの。ほう、嬢ちゃん、そんなものが使えるんか」

「いや、使えねーですよ」

「あん? どういうことだ」

「……あの、アイエーは効果を再現してるんです。本当の魔法じゃなくて、原型から引き出した事象で……たとえ話になりますけど、本物の花をそっくりに真似た工芸品を作ってるみたいなものです。匂いも色も、ぜんぶ同じですけど、それは花ではないんです」

「へえ。んじゃ、正確には魔法ではないけど、魔法と同じことができるってことか。結局すげえじゃねえか」


 巌隆一郎が天井を見上げ、気合いをいれるように「よし」と意気込んだ。

 久遠もつられて上を見る。途中まで階段が続いており、その先は奇妙な空間になっている。アイオーンの悪夢の亀裂だろうか。


「じゃあ、後はあの優男をぶっ飛ばすだけか。……だが、ちッ、ピアリール相手でこのザマじゃ、サーギィスだとさらに苦労しそうだな」

「ほう、あの男も強いのかの」

「かなりな。でたらめ強い魔法を使う。魔法を実際に食らったらどうなるのかわからんが……」


 巌隆一郎と轟太郎が話している隣で、アイエーがコンソールを眺めて首を傾げていた。


「ご主人様、データを管理するやつってないですか。こいつらにアクセス権限わけちゃったので上手くできませんです」

「ファイルマネージャは入れてるはずだけど」

「ふぁいるまねーじゃ……これですか」


 データの一覧がざっと表示される。

 その文字はアイオーンの悪夢の一部としてデコードされているので久遠には文字が解読できない。

 しかし、アイエーには読めるはずだ。いずれ、この文字も解析しておく必要がある。


「うぅん? 管理者権限持ちのデータが三つあるですよ。あの男だけじゃなかったですか」

「サーギィスの仲間ってことか? あー、そういやユグリエがいたな。雑魚すぎて忘れてたわ。もうひとりは……なんだ。誰だろうな」

「でたらめ大きいデータが二つと、ピアリールより小さいのが一つです」

「サーギィスがどれかわかるのか」

「大きいほうの一つですね。もうひとつ大きいのも同じところにいるです」

「となると、召喚終わったか。深淵の王ゲアトだな。まあ、そいつはたぶん放っておいていい。だが余計厄介なことになったな」

「まあ、この三つぐらいならアイエーだけでなんとかなります。……ん? 外部データが五つ?」


 コンソールと向かいあっていたアイエーがふいに怪訝な表情を見せた。


「どうしたの、アイエー」

「なんか外部データがあるですよ。ここにはご主人様と筋肉だるま達の二人と一匹しかいないから三つのはずなのに、ぜんぶで五つあるです。人間かネコかわかりませんけど、紛れこんだですかね」

「あ、あれかな」


 久遠はビルの壁に出来ていた入り口を思い出した。

 物理的な入り口がある以上、何が入ってきていてもおかしくはない。野良猫や犬、人が紛れこんでいてもおかしくはないだろう。


「おい、あんま時間ねえんじゃねえのか。とっとと行くぞ」

「あぅ、そうでしたです。まさかアホに指摘されるとは……」


 アイエーから聞いた、定義書き換え宣言終了の時刻まで残り三時間を切っていた。急がないと間に合わなくなる。

 『BlankDef』は問題なく起動しており、VX02DN側の処理にもほとんど問題ない。これなら他の機能も使えそうだ。


 ただ、充電が残り少なくなっていた。

 『BlankDef』の常時起動での消費が大きいようだ。予備のモバイルチャージャーはまだあるが、最後まで保つだろうか。

 新しいものを取り出して接続し、充電の減りから残りの時間を推測する。あと三時間は問題ない。このペースなら、通常の運用であれば、電池切れの心配はない。


 破壊された階段をアイエーのワイルドカードで修復し、階段を昇る。

 巌隆一郎達のペースは速く、体力のない久遠ではついていけなかった。ずいぶん後ろをのろのろと走ることになった。

 アイエーは久遠の隣で軽快に走りながら、様子を見守ってくれている。


 しばらくすると息が上がり、歩いて昇らなければならなくなった。巌隆一郎達の姿はすでに見えない。


「アイツらはりきりすぎです」

「アイエーも、先、行ってていいよ」

「行きませんよ。アイエーはご主人様と一緒に行くんです」


 アイエーはそう言って、おだやかに笑う。久遠も自然、口元がふっとゆるんだ。


 アイエーといると久遠は時々、自分を見失うことがある。

 それは喜びや悲しみとも似つかない静かな高揚で、ひどく感情を揺さぶるものではないけれど、俯きがちな久遠の視線をゆっくり引っ張り上げてくれるものだ。視界が広がるような気がする。


 事実、彼女はアイエーに会ってからというもの、ごくまれではあるが、何かが自分にはできるんじゃないかという気持ちを抱くようになっていた。

 それは自信というにはまだ幼いものだったが、アイエー用のプログラム『BlankDef』を作ったり、アイオーンの悪夢解析プログラムを作ったりすることにも繋がった。


 いまも、こうしてアイエーが隣にいると、出来ることを探してみようという気になる。

 それはおそらく、勇気と呼ばれるものだ。


 アイエーといっしょなら、きっともう俯かないで生きていけるだろう。



 ――世界滅亡まで、残り02時間37分05秒。



 >>Kuon1

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