第六章 獅子の尻尾を踏みつけた
腰があぁ…座り続けたせいで腰があぁ…!!
(さて、どうしたもんか…)
こちらの返答を待っているのか、エリゼネアはお辞儀をした姿勢で固まっていた。ちなみに、彼女の服装は帝国に潜入するために選んだのであろうかビジネススーツである。その服装と礼儀作法のせいで、懐かしくも忌々しい王国特有の堅苦しさを一層のこと思い出してしまった…。
「ちょっと!!アストさんを迎えに来たってどういうこ…!?」
「黙りなさい、この獣風情が」
「っ!?」
思わずミレイナは叫んだがエリゼネアは右手にレイピアを召還し、その切っ先をミレイナに向けて黙らせた。細かい装飾が施されたレイピアの柄には小粒のルビーがはめ込まれており、エリゼネアの魔力に反応して怪しく輝いていた…。
王国軍の魔導隊が所持する剣や槍には小粒の宝石や鉱石がはめ込まれている。これらの鉱石等は魔法行使を補助する効果を持っており、所持者が使用する魔法の威力を底上げする役割を果たす。
ちなみに使用する鉱石が大きければ大きい程得られる効力も大きいが、同時にコントロールが難しく反動も大きい。そのため軍ではエリゼネアのルビーのような小粒サイズが標準装備である。
「あなたのような下等種族が我々王国貴族の前に居る時点で不愉快なのです。それ以上喚くと言うのなら、醜く無様に生き残った同類ごと根絶やしにしますわよ?」
「なっ!?…あんた、よくも言ったわね……!!」
「ミレイナ、ここは落ち着いてくれ…」
エリゼネアの物言いに全身から殺気を溢れさすミレイナ。かつて王国軍総出で行われた化猫族一斉迫害…通称『猫狩り』によって家族を失った彼女からすれば当然の反応であるが、ここは耐えてもらいたい。渋々ながらもアストに宥められ、彼女は落ち着きを取り戻した…。
「…さて、今になって人違いですって言っても誤魔化されないよね?」
「当たり前でございましょう?元々わたしたちは噂や眉唾程度の情報では動かず、確実な根拠と証拠があって初めて動くのが王国軍。それはあなたもよく御存知のはずですが…?」
「…だよねぇ」
本当に困ったことになった…。国を抜け出してから約2年、もうとっくに行方不明から死亡扱いになったものだとタカを括っていたが甘かったようだ…。
しかも彼女の苗字である『カリーヌ』は恐ろしいくらい身に覚えがある…。
「一応尋ねるけど『カリーヌ』って…」
「えぇ、わたくしはあなたが縁談の話を蹴飛ばした『アリシア・インダルディア・カリーヌ』様の縁者となりますわ。第二王女とはいえ王族からの見合い話を断るなどとは、本当に身の程知らずにも程がありますわよ…?」
マルディウス王国には国を統治するにあたって『政治』『経済』『宗教』『武力』『技術』『学問』のそれぞれを六つの王族が担っている。その中で『インダルディア家』は『武力』を担う存在であり、王国軍関係の者なら誰もが尊敬し、畏怖する存在なのである。
---そんな王家の次女様から昔、縁談の申し込みがあったのだが…即効で断った。
なぜ一兵士に過ぎない自分にそんな話が来るのか分からなくて怖かったのもあるが、何よりその頃は既にフィノーラに惚れており、他の女性のことなど眼中に無かったのが一番の理由である。
「…ちょっと、初めて聞いたわよその話?」
「私も聞いてないですよ。アストさんって昔からモテたんですか?」
「……あれ、そうだっけ…?」
ヤバイ…。別にどうでもいいかと思って言わなかったのだが、彼女らにとってはそうでは無かったようだ。その証拠に、テーブルの下に隠れている両足が二人にグリグリと踏みつけられている。結構、地味に痛い…ってかフィノ!!君は本気でやったら駄目だってあ痛たたたたたたた!?
「…楽しそうですわね。で、いい加減茶番はおやめになっていただけます?わたくし、さっさとあなたを連れて本国に帰りたいのですが…」
じゃれてたらエリゼネアが額に青筋を浮かべてこちらを睨んでいた。おそらく彼女は典型的な『王国人』。魔力を持たない種族を下等と称し、常に見下した態度を取る…。
そんな彼女にとって、魔力を持たない人間が溢れたこの国で亜人が経営する飲食店に長居をすることなど、吐き気がするとでも言いたいのだろう…。
---本当に仕方のない奴だ…。
アストはのそりとテーブルから立ち上がり、ため息を吐いた。そして口を開く…。
「……じゃあ、帰国の準備をしてもらおうか…」
「アストさん!?」
「…」
ミレイナは驚愕の声を上げ、フィノーラは沈黙する。その様子を満足そうに見ながらエリゼネアは笑みを浮かべた。よほど帝国から帰れることが嬉しいと見える……だが、お生憎様…。
「それはよかった。それでは早速、荷物を纏めて…」
「うん。とっとと荷物を纏めて一人で帰ってくれ、カリーヌさん。」
「はい、早急に手配を……今なんて仰いました…?」
エリゼネアが信じられないとでも言いたげな表情で問い返してくる…。ミレイナに至ってはキョトンとしていた。ただ一人、フィノーラだけはアストが何を言うのか分かってたらしく、全く動じていなかったが…。
「僕は王国には帰りたくない。だから諦めて帰ってくれ」
「何故です?このような魔法も使えぬ愚図だらけのこの国に、いったい何の理由があって留まると言うのですか?」
「…強いて言うなれば、『本当の居場所』を見つけたってとこかな?」
かつて王国にあると信じていた自分の居場所。だがそれは、偽りとマヤカシで塗り固められた仮初のものだった。それに気づいてからというもの、王国には自分にとって心から安らげる場所も時間も無いと感じ、毎日が不毛なものに感じた…。
---彼女に出会い、この国に来るまでは…。
「というわけで、諦めてくれないかな…?」
とは言っても、王国軍の人間が素直に『はい、そうですか』と言うわけ無いと思うが…。すると案の定、エリゼネアはさっきと打って変わって歪んだ笑みを浮かべて此方を睨んできた。
「…ふふふ。『若き大魔術師』だの『猫に呪われた男の子』だの謳われた男がどんな者かと思えば…何てこと無い、ただの異端者で愚か者というわけですか。この"亜人もどき"が……」
「御託はいいから早く帰ってくれない?」
その言葉と同時にエリゼネアはレイピアの切っ先を再度此方に向けてきた。しかも今度はアストの方にである。そして魔力を剣に篭め、いつでも魔法を放てるようにし始めた…。
「ふん!!これでもわたくしは王家直轄部隊ですわよ?言って聞かぬなら力で捻じ伏せるまで!!」
「へぇ、君に出来るのかな…?」
「寝言は寝て言ってくださいまし。何が魔衛士最強…所詮『猫に呪われた男の子』など王国の汚点にしかならぬというのに、何故"あの方"はこいつを連れ戻せなんて仰ったのか……」
何で今頃帰って来いなんて言ってくるのかはこっちが聞きたい。自分と同等の実力者なんて他にも居る事には居るだろうし、何より今は冷戦状態にあるため表立った戦闘は行われてないから兵士自体不要なはずである。考えれば考えるほど分からない…。
まぁ、今それは置いておくとしよう。先に尋ねておきたいことがあった…。
「時にカリーヌさん、あなた自分自身の手で化猫族を殺したことあります?」
「ちょ、アストさん!?」
その質問に思わずエリゼネアより先にミレイナが食いついた。何故目の前の相手に自分の同族を殺したかなんて尋ねた?そう問い詰める前にエリゼネアが口を開いた。
「…残念ながら一度もありませんわ。『猫狩り』が最も盛んな時期は別の任務の真っ最中でしたからね、本格的に参加できませんでしたの。参加できた方は本当に羨ましいですわ、何せ大陸から害獣を一斉に駆除する機会なんてそうありませんもの」
…本当に心から残念そうに言いやがったコイツ。ミレイナは怒りで呼吸も荒くなり、今にもエリゼネアに飛び掛りそうになっていたがフィノーラが抑えていた。
「離してよフィノーラ!!コイツは…コイツだけは私が!!」
「落ち着きなさいミレイナ。"巻き込まれるわよ"…」
「あら、別に掛かって来ても構いませんわよ?そうすればまた一匹、害獣が消えてこの世のためになるというものです……あははは…!!」
「…お前、お前えええええええええええええ!!」
目に涙を溜め、顔を赤くしながら激昂するミレイナをエリゼネアは嘲笑った。これには流石にフィノーラもカチンと来たが、それでも受け流す…。
---なんせ自分の予想が正しければ、表面上冷静を装っているアストはおそらく…
「…話が逸れましたね。もう一度だけ確認しますけど、カリーヌさん自身は『猫狩り』に参加してないし、化猫族を殺してないんですね?」
「えぇ。誠に不本意ながら…」
「…そうか、それはとても残念だ」
「は…?」
---"大切な仲間と一族"を侮辱された彼は本気で……キレてる…
「半殺しで我慢できちゃいそうだ…」
---その言葉と同時に、エリゼネアは個室のドアと店の扉をぶち抜いて外に吹き飛ばされた…。
まるで見えない何かに殴り飛ばされたような衝撃を受け、店内から外の商店街へとぶっ飛ばされたエリゼネア。10メートル以上転がったあと、激痛で顔を歪めながらヨロヨロと立ち上がる…。
「がはっ!?ごほっごほっ…!!……い、いったい何が…!?」
アストの口から宣告のごとき言葉が出たと思った時には、既に自分は店の外へと弾き飛ばされてしまった…。自分は剣に魔力を篭め、いつでも魔法が撃てるようにしていた筈である。それにも関わらず、奴は自分より先に何かを仕掛けた…。
「いったい、奴は何を…?」
「簡単なことだよ。魔力を一瞬で固体化させたて殴っただけさ。あ、ちなみに『人払いの結界』を使ったから人目は気にしなくていいよ?」
「っ!?」
視線を向ければ粉砕された扉をくぐってアストが外に出てくるところだった…。言われてみれば、来る時は人で賑わっていた筈の繁華街には人っ子一人いなかった…。
しかもこの男は今なんて言った?"魔力を一瞬で固体化"だと…?王家直轄の自分でさえ魔力の固体化には数秒かかるというのに!?
「馬鹿な!!だとしても発動するのが早すぎる…!!」
「…疑うのなら試せばいいさ、王家直轄(笑)さん!!」
「ッ!!貴様!!」
明らかに馬鹿にされたのが分かり、エリゼネアは激昂して剣を空に掲げ詠唱を唱え始めた。発動させるのは『魔導式』による雷撃…。
「【天に住まう先人よ 我に仇名す悪魔に 鉄槌の光を】!!」
彼女は己の魔力を直接雷に造り替え、それを剣に纏わせた。エリゼネアの剣から青白い稲妻が迸り、周囲に火花を散らす…。
「もう今更命乞いなんて受け付けませんわよ?【バンライ・ガン】!!」
呪文と同時に振り下ろされた剣から複数の閃光が放たれ、一直線にアストの元へと殺到した。それを前にピクリとも動かないアストを見てエリゼネアは勝利を確信する……しかし…。
「…君、貴族上がりのモグリだろ?」
---彼女が放った閃光は、全て彼が軽く手を振っただけで消滅してしまった…
「なっ!?詠唱も無しに!?」
「『魔導式』ってのは反魔力物質や魔法による介入を受けやすい。故に、現代の戦場において魔導式による魔法は牽制及び不意打ちに用いるのがセオリーだ。」
圧倒的な実力の差を段々と理解し始め、ダラダラと冷や汗が流れてきたエリゼネアを他所にアストは言葉を続けた。
「それを君は何だい?敵の目の前であんな発動に時間が掛かる魔法を使うなんて、敵に『準備してくれって』言ってるようなものだよ?……それと、詠唱無しに魔法を発動なんて…」
そして、彼は再度手を軽く振るった…。
「一流の魔法使いなら誰でもできるんだよ…」
---その瞬間、彼の背後に100本以上のナイフが出現した…
「なん…ですって……!?」
先ほど放った雷撃魔法は自分が使える魔法の中で最も強力なものなのだが、同時にとばせる閃光の数は精々10本前後である。なのに目の前の男はその倍以上の数を精製し、しかも"一本一本に過剰な程魔力"を纏わせていた。あんなもの、一本でも喰らったらただでは済まない…!!
「ま、待って!!少し待ってくださ…!!」
「やだね」
完全に心が折れかけたエリゼネアだったが、そんな彼女にアストは無慈悲にも死刑宣告をする…。そして彼が手を振ったと同時に、刃の大群が一斉にエリゼネアに襲い掛かってきた。彼女は咄嗟に魔法で障壁を作り、それを防ごうと試みるが…。
---ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!
「ッ!!きゃあああああああああああああああああああああ!?」
鋭く光る凶器の弾幕は絶え間なく殺到し、エリゼネアを障壁と悲鳴ごと飲み込んだ…。それでも尚、彼女は歯を食いしばりながらナイフの弾幕を防御し続ける。障壁にぶつかってナイフが砕ける度に衝撃
が両手を襲ったがそれでも耐え続ける…。
エリゼネアがそんなに必死な状況にも関わらず、アストは涼しげな態度で語りかけてきた…。
「…さて、最後のチャンスをあげよう。」
「ッ!!何を!?」
この期に及んで何を言うのだこの男は!?軽く混乱しかけながらも障壁で弾幕を防ぎ続ける彼女に彼は語り続ける…。
「さっきの言葉、全部取り消してもらおうか…?」
「王家直々の命令を取り消せるわけな……!!」
「違う。そっちじゃない…」
---『害獣』という言葉を取り消せって言ってんだ…
亜人を見下すことが当たり前の王国貴族…その典型的な者とも言えるエリゼネアは唖然とした。あのフランデレン卿が…『猫に呪われた男の子』が化猫族の肩を持つというのか!?
「なぜ…なぜ害獣の味方をするような真似を!?化猫族はあなたを"その姿"に変えた張本人なのでしょう!?どうして憎もうとしないのです!?どうして怨まないのです!?」
「……今でも有名なのか、その話…」
『猫に呪われた男の子』の話を思い出したアストは思わず頭に手を置いた…。常に変身魔法で隠している本物の耳が生えているであろう部分に手を置ながら呟いた…。
「……本当にその通りだったら、どれだけ良かったことか…」
誰にも聞こえないように、とても小さな声で呟いた…。それと同時にナイフの弾幕も止み、それに合わせるようにエリゼネアが障壁を解除してその場にへたり込む…。
「ぜぇ、はぁ……何故攻撃を止めたのです…?」
「いや謝る気無いみたいだからトドメ刺そうかと…」
「…え?」
そう言ってアストは右手に小さな火の玉を作り出した。それを見て彼女が異変を感じた時には、もう手遅れだった。周囲には不自然なくらいに砂塵が舞っており、それも自分に纏わり付くように一箇所にだけ集中して漂っているのである…。
エリゼネアは最後まで、それが全てアストが飛ばしたナイフが粒子化したものだと知ることは出来なかった……何故なら…。
「いくら君でも粉塵爆発くらい知ってるよね…?」
「っ!?や、やめ…!!」
エリゼネアに最後まで言わせず、彼は火の玉を放り投げた。そして…
---小さな火の玉により生まれた巨大な爆炎は、轟音と共に彼女を悲鳴ごと飲み込んだ…。
「あ~らら、派手にやられてらぁ…。人の警告無視するからこうなるんだっての……何が『王国を抜けた腑抜けなんて私一人で充分ですわ!!』だ…」
アストとエリゼネアが戦っている場所から大分離れたその建物の屋上で、ひとりの男が望遠鏡でその一部始終を観察していた。結果は予想通りアストの圧勝、エリゼネアは手加減された挙句気絶させられたようである…。
男はその金髪に昔の船乗りが好んだ黒い三角帽子を被せ、白いズボンと黒いチョッキの上に蒼いコートを羽織っていた。腰には黒いサーベルがぶら下げられている。
「まったく…。王国出身者が王国の精鋭部隊の実力を知らんってどういうこっちゃ……って、おいおいアスト!!カリーヌ嬢をどこに捨ててやがる!?」
望遠鏡に映ったのは失神したエリゼネアを魔法で浮かせ、ゴミ捨て場に放り投げるアストの姿だった。自分の記憶が正しければ今日は燃えるゴミの日だったような…。
「…まぁ、いいか」
---スパーーーン!!
「よくありません!!」
「…これはこれはクラリーネ嬢、居たんですか?」
「居ましたとも。あなたがソレ(望遠鏡)を取り出した時から…!!」
振り向けば、王国軍魔導隊の白い制服を身に着けた深緑色の髪をした女性が立っていた。年齢は自分と同じで20歳を過ぎた程度だろうか?
「…21歳です」
「心を読まないで下さいよ。てか、俺とタメだったんですか…」
彼女はその制服が表すように王国軍の人間である。本来なら、『空賊』である自分は真っ先に逃げるか戦闘状態に持ち込もうとするのだが今回は少し訳ありである…。
「それはどうでもいいですから早くエリゼネアを回収してきて下さい。いくら"あんな"でも死なれたら後味が悪いので…。」
「りょ~かい、スポンサー兼お目付け役さん。雇われたからには報酬分の仕事はキッチリしますぜぇ。例えゴミあさりでも…」
「……なんか申し訳ありません…」
「いいえ、お気になさらず。それでは失礼…」
そう言って彼は…世界を又にかける『蒼風一味』の首領である彼は即座にその場を後にした…。行き先は勿論ゴミ捨て場だが、そんなことは大して気にしていない…。
(さ~て、色々おもしろくなってきた…!!)
---王国から持ち掛けられた合同作戦
---二人の王国貴族を乗船させての航海
---帝国への潜入任務
---そして何より…
(取り敢えず、改めてバカップルの様子でも見に行くか…)
---かつて空白地帯で共に死に掛け、共に生き抜いた二人との再会を思い浮かべ、男は薄っすらと笑みを浮かべた…
彼ら3人の出会いについてはその内書きますが、早く知りたい人は短編『英雄は酒瓶片手~』をどうぞ~。