ヒーローの条件
「賭けに続きなんだけどね、カナエ」
自分の言いたいことを叫び尽くしたカナエは、木製の床にへたり込んでいた。眼は充血で赤くなり、頬はまだ濡れている。
「僕が勝った場合の条件を言っていいかな? さすがに、世界が救われます。ここから出れます、だけじゃこっちのやる気も出ないし、そっちのスリルも足りないと思わない?」
「……」
カナエは僕を見上げ、無言で頷く。
「よし、それじゃさ、もしも僕が賭けで勝ったなら、カナエは僕らと友達になってね?」
「え? な、なんで?」
心底分からないといった風に首を傾げるカナエに、僕はため息交じりで教えてやった。
「だってさ、カナエも『白鷺さん』なんだろ? 例え、元になった人格が違くても、それでも僕によっては白鷺さんの中の一人だ。だから、僕は友達になりたい」
中学生でも分かる、当たり前のことを。
「仲間はずれは誰だって嫌だろ?」
きょとん、と目を丸めてこちらを眺めるカナエ。それと多分、カナエと一緒に僕を見ているであろう、白鷺さん。
色々と鈍いお二人へ、僕はさらりと言葉に弾薬を込める。
「あ、もちろん、同情とかで友達になろうって言ってるんじゃないぜ? たださ、好きな女の子とは仲良くしておきたいのさ、男子中学生って奴は。例えそれが、白鷺さんの中にある、無数の人格の一つでも」
こういうのはハーレム趣味って言うのかな?
ま、どっちでもいいや。どの道、全部白鷺さんなんだから。浮気なんてしようがありゃしないぜ。でも、微妙に釈然としないような感じもあったりするんだよなぁ。
「……変な人だね、佐々木君は」
僕が意味あるんだか、無いんだか分からないことで葛藤していると、カナエはくすり、と笑みを零した。白鷺さんの笑い方と、似ていた。
「いいよ。ただし、世界が滅ぼされなかったらね。言っておくけど、私が選んだ人は凄いよ。あの人の愛はきっと、世界なんてあっさり滅ぼしてしまうんだから」
「ふぅん。へー、そーなんだー」
「あ、ちょっとむかつく言い方。ひょっとして馬鹿にしている」
「いいや?」
カナエが選んだ世界の破壊者が、それだけ凄い奴なのか、僕は知らない。けど、焦る気持ちも無い。なぜなら、僕は確信しているからだ。
どれだけ窮地に陥っても、例え存在が消えかかっても、あの時と同じように、『あの人』は仏頂面で現れて、あっさりと誰かを救っていくのだから。
「僕は馬鹿にはしてないよ。ただ、知っているだけさ」
あの時、怒りと絶望に飲まれてしまいそうな心を、あの人はそっけなく、冷たく、けれど紛れもなく僕らを助けてくれた。
だから、僕は信じるまでも無く知っているのだ。
「この世界にヒーローが居ることを」
●●●
観念して正直に言ってしまうと、この俺、有里冬治は多少シスコンである。と言ってもあれだ、妹に対して恋愛感情を持つほどではなく、ごく一般的? な少々可愛がりが過ぎる兄貴だと思ってくれて構わない。しかし、それは致し方ないことなんだ、わかってくれ。だってそうだろ、思春期真っ只中の餓鬼に、超絶美少女で性格が良い義妹が出来たんだ、思わず『これなんてエロゲだよ!?』とツッコミを入れてしまった俺は正しい。
さて、そんなわけでシスコンの俺は妹である有里冬花を、それはもう可愛がりながら接してきたわけで、今までまともな喧嘩なんてしたことは無い。だから、少しばかりこの俺でも緊張しているのさ。
――――――――なにせ、生まれて初めての兄妹喧嘩だからな。
「冬治さん……いえ、お兄ちゃん。色々聞きたいことはありますが、少し待っていただけませんか? このゴミを処分してからお伺いいたしますので」
「はいストーップ、妹。確かにこいつはゴミだし、そこで転がっている男もろくでもないが、それは一応殺人になる。お前の手が汚れるからやめろ」
「……ふふっ、ゴミ扱いとは随分――」
「んでもって、テメェは口を開くな、寝てろ」
「ごふぅっ!?」
大事な妹との会話の途中、雑音が入り込んでいたので、シャットダウンさせる。ふぅ、これで冬花との会話に集中できるな。
「あの、お兄ちゃん? 人に殺すなと言っておいて、結構な勢いでその人のお腹に蹴りを入れましたよね? えっと、その人、一応女の子ですよ?」
「冬花よ、外道、悪党に人権は無いんだ」
「さすがお兄ちゃん! そういう容赦に無いところ私好きです! 付き合ってください」
「はっはっは、気持ちは嬉しいが兄妹だぞぅ」
我ながら頭の螺子が外れた気持ち悪い掛け合いをしながら、俺と冬花は互いに距離を取り合う。軽口を叩きながら、相手の隙を窺うのは基本中の基本だからだ。
「冬花、考え直す気は無いか? この通り、俺は五体満足だぞ。ついでに、冬の呪いも解除されたからな。もうお前に無理をさせることもないぞ」
「はい、それは純粋に嬉しいです」
冬花は実の兄すら見惚れてしまうほど、静かで美しく微笑み、直後、壮絶な怒りで表情を一片させた。
「ですが! それはそれとして! このゴミをぶち殺さなくては気がすみません。この怒りに抗えるほど、私はお兄ちゃんみたいに強くないので」
人形の如き美貌を崩し、獣が威嚇するように犬歯を剝き出しに冬花は吠える。
「本当はこんな理不尽を敷いたこの世界も壊してあげたかったですが、お兄ちゃんに免じて、それはやめます。ですが、そこが限界です。妥協点です。そこの二人は殺します」
錯覚でなければ、怒りに彩られ、吠え猛る冬花の姿は、俺に似ていると思った。父親が地学手も、どうやら兄妹は似る者らしい。
こうやって、同じ間違いを犯そうとする所も。
「冬花、俺は殺人の重さを知っている。苦しさも知っている。俺はそれをお前に背負わせたくない。お前にあの重さを背負わせるぐらいなら、力ずくでも止めてみせる」
「できますか? 武器も、呪いも、魔法も持たないお兄ちゃんが」
「ばーか。兄妹喧嘩にんなもん必要ねぇよ。聞き分けの無い妹を叱るにゃ、拳骨一つありゃ充分なのさ」
冬花は無言のままこちらを見据え、周囲に白い花々を展開させる。
「子ども扱いしないでください」
「レディの扱いして欲しけりゃ、お転婆はやめとくんだな――」
俺の軽口が終わるか否やというタイミングに、白い花の中でも特に鋭い、白薔薇が俺に向かって放たれた。花弁を知らしながら、音速で俺の体を貫かんと迫り来る。
「よっと」
当然、俺はそのタイミングも白薔薇が放たれる方向も知っていたので、軽いステップを踏むだけでそれを回避した。続く連弾も、壊れたラジオから鳴り響くBGMにあわせて、ステップ踏んで華麗に避ける。
「そういえば、お兄ちゃんは【サトリ】でしたね。先ほどは私の意識を読み取って避けたのですね」
「ちなみに、考える前に体を動かすなんて芸当しても無駄だぜ? そういう思考も読み取れるし、人の無意識だって俺は読み取ることが出来る。といっても、集中して読まなきゃさすがに無理だけどな」
「わぁ、凄い。さすがお兄ちゃん。ところで、私が今、何を考えているか分かりますか?」
「うーんとな、妹。兄が思わずドン引きするほどのエロ思考をぶつけてきやがるのをやめなさい。いや、それよりそんなの何処で知った!?」
「杏奈さん経由です」
「薄々分かってたぜ、畜生!」
軽口の応酬を繰り広げながら、俺は無数に飛んでくる白の弾丸を回避し続ける。見た目はただの花に過ぎないが、あの中身は、【魔法使い】の魔力やら【今代最強】の力なんて物騒な物が詰まっているので、当たったらやばい。加えて、冬花が操っている異能の本当の恐ろしさは、対象が一定の距離内に存在しているのなら、相手の『強さ』を白い花として顕現させ、自在に操ることが出来ることだ。つまり、近距離攻撃は実質封じられている。更に言えば、瓦礫などを投擲しての遠距離攻撃も、花の花弁に守られた冬花には届かない。届いても危ないから、絶対やらないけど。つか、基本的に俺から冬花に攻撃を加えることは出来ない。なんとか時間を引き延ばして説得したいところなんだが……やっぱり、そう簡単にはいかないか。
「咲き乱れろ、強き花よ」
冬花の言葉に従い、俺の視界全てを埋め尽くすように花が咲き乱れた。
そう、心を読む相手は厄介だが、その対処方法は大体決まっている。その中の一つが、飽和攻撃。オーバーキル。相手が対処しきれないほどの大火力で、一気に勝負を決めること。一対一の状況だったら、俺はそもそもこんな状況に追い込まれるようなヘマはやらないのだが、先に雑魚二人が冬花にやられた所為で、あちらの弾は無限に近い。むしろ、今まで遊んでくれたのが幸いだったという話。
「お兄ちゃん、少し痛いけど我慢してね」
ぱちんっ、軽快に冬花は指を鳴らす。
瞬間、全ての花々が俺に向かって放たれ、避ける間も無く、当然、防ぐことも出来ずに、無数の強さに体を貫かれた。
●●●
「冬治君、ヒーローの条件って知っていますか?」
まだ幼い俺は、親父が問いに対して、何も考えることなく「強さ!」と答えた。すると、親父は苦笑しながら、俺の言葉を嗜める。
「確かに、強さも大切ですね。強くなければ大切な人を守れませんし。ですが、冬治君。ヒーローの敵だってとても強いですよ? 時々、ヒーローだって負けてしまうほどに」
俺は一瞬言葉に詰まった後、夢見がちなガキらしく「じゃあ、愛と勇気!」と自信満々に張って見せた。
「それも必要な要素ですね。しかし、それも悪党だって持っていますよ。人は愛のために罪を犯すし、狂うこともある。そして、巨大な悪を行うことは意外と勇気が要る者です」
ここら辺で、【サトリ】の能力を使って答えをカンニングしてもよかったのだが、親父に対してはそういうことは出来るだけやりたくなかった。でも、もう幼い俺は、自分の中にあった答えを全部言い切ってしまったのである。俺が困ったように見上げると、親父は優しげに微笑んでから、問いの答えを教えてくれた。
「ヒーローの条件、それはですね――どんな状況でも格好付けることです」
その答えに、思わず、「えー」と答えてしまったのを覚えている。それじゃ、ヒーローじゃなくて、ただの格好付けじゃないかと。
「ふふふ、不満そうですけど、冬治君。ヒーローなんてそんな物ですよ。『誰かを助ける俺、超かっけ―』と自分に酔いながら戦うんです。でなきゃ、やってられませんからね」
今思い出しても、うちの親父は子供に対して妙に世知辛いことを教え込む親だった。恐らく、この時もその中の一つだったのだろう、と俺は軽くため息を吐きながら聞いていたと思う。
けど、最後に親父が付け加えた言葉が、今でも心の中に強く残って残っている。
「けれど、よく考えてみてください、冬治君。どんなに辛い状況でも、強がりでもいいから格好つけることが出来る人が居たとしたら、それは紛れも無くヒーローだと思いませんか?」
俺の脆い心を、無理やり支えてくれるどでかい柱として、揺るぐことなくそびえ立っている。
●●●
「どうして?」
冬花の口から紡がれるのは、疑問の言葉。
「ねぇ、お兄ちゃん、どうしてなんですか?」
ありえない出来事が起こってしまったが故に、現実逃避。
「どうして、そんなになってまでも立っていられるんですか!?」
妹よ、お前がそんな顔をして驚く姿、初めて見るぜ。まったく、妹の意外な一面が見られるなんてな。やっぱり頑張ってみるもんだぜ、人生。
「どうしても何も、妹の攻撃なんて兄にはさっぱり通用しないもんだ、知らなかったのか?」
もっとも、妹のおねだりは効果抜群だったりするがな。はっはっは。
「誤魔化さないでください! 今、お兄ちゃんの体には【今代最強】と【魔法使い】の強さが突き刺さって、お兄ちゃんの意識を叩き伏せられているはずなんです!」
「と言っても、この花は半分幻みたいな物で出来てるだろ? 物理的に叩き伏せられたのならともかく、この程度なら、俺はまったく問題ないな」
実は気を抜いたら、すぐに精神が叩き潰されてしまいそうだが、ま、そこら辺は気合と根性と見栄で切り抜けてやろう。なぁに、妹のためだ、多少心が軋もうが関係ない。
「ついでに言うのならな、冬花。お前の兄を舐めるな。あんな雑魚の強さ程度、俺の足を止めることすらできねぇよ」
万力で押さえつけられたかのように動くことを拒否する足を、なんでもないように駆動させる。筋肉の筋が何本かぶち切れてしまったようだが、とりあえず、今、見栄を張るのには何の問題も無いな。
俺は一歩一歩、噛み締めるように冬花に向かって歩いていく。
「なら、お兄ちゃんの強さを!」
体の内側から、白い花が咲き乱れ、急速に俺の力を奪っていくが、笑って誤魔化す。なぜなら、まだ壊れたラジオから、狂ったようにBGMが鳴り響いているから。とっくにトラックは終わったはずなのに、なぜか知らないけど、俺の耳の中でリピートしているから。
まだ、誤魔化して進むことが出来る。
「残念だったな、冬花」
心にBGMが響き続ける限り、俺は無敵なのだから。
「お前じゃ、俺の強さを操ることは出来ない。なぜなら、俺の強さは俺一人だけの物じゃないからな」
そして、俺を一人にしないと誓ってくれた人が居るから、何処までだって歩いていけることが出来るんだ。
「あ、う……」
ついに俺は冬花のすぐ近くまで辿り着いた。
手を伸ばせば、すぐに触れ合える距離だ。だから、俺は手を伸ばす。
「ひゃぅ!?」
怯えて首をすくめる冬花の頭に、優しく掌を乗せる。
「……え?」
不思議そうに俺を見上げると冬花。
ああ、そうだな。個人的にはこの場面でデコピンでもよかったんだが、んなことしたら、後で大森さんから何言われるか分かったもんじゃない。
だから、最後まで格好つけてこの台詞を、妹に告げる。
「ただいま、冬花」
本当に、随分待たせてしまったけれど。
「あ、うぁ……お、お兄ちゃん……」
妹を泣かせてしまったけれど。
俺はやっと、あの冬の世界から、この温かな世界に戻ってくることができたんだ。
泣き叫ぶ妹を撫でた掌から伝わって来た体温が、それを教えてくれた。




