世界をBetに
私は偽物だ。
私だけ仲間はずれだ。
私だけ、幸せになれない。
私だけみんなから嫌われている。
ああ、なら、せめて。
せめて――――――私を忘れないで。
愛さなくていいから。
好意も持たなくていいから。
憎悪でもいいから。
貴方の心に傷をつけよう。
絶対に、私を忘れないように。
●●●
「賭けをしようよ、佐々木君」
白鷺さん――いや、カナエはまるで無邪気な子供のような笑顔で僕に提案した。
「私が賭けに勝ったら、無理やり貴方の記憶から私以外の記憶を消します」
「あのさ、僕は賭けを受けるなんて一言も――」
「佐々木君が勝ったら、私が何でも一つだけ願い事叶えてあげる」
無視ですか、そうですか。
まぁ、確かに立場的に僕が意見できる場合じゃないしね。
「……賭けの条件は?」
カナエは無邪気な笑顔のまま答える。
「世界が滅ぶか、滅ばないか」
外見からは想像もできない、魔王の如き台詞を。
「あ、もちろん。私は世界が滅びる方に賭けるよ!」
「いや、ちょっと待ってよ。もっと詳しいことを話してくれないと困るって。世界の定義は? この惑星のこと? それよりももっと広い定義? 後はタイムリミットとかは?」
僕は内心動揺しつつも、何とかそれだけ言葉を紡ぐ。何も口答えできない立場の僕に出来るのは、出来る限りカナエから情報を引き出すことぐらいだから。
「んー。そうだね……じゃ、この惑星を世界と定義しよう。私は全知じゃないから、宇宙に他の生命体がいるか分からないし。タイムリミットは一週間ね。ちなみに、私が直接世界を破壊してやるーってことじゃないからね? それだと一瞬で終わっちゃうから」
「うわーお、実はカナエって今まで会った人たちよりもでたらめだったりする?」
「むふふ、私ってほら、基本的に何でもできるから」
やや照れたように言うカナエだったが、こちらとしては背筋が凍る思いです、はい。というか白鷺さん、カナエの人格を封印していた君って実はこっそりと世界を救っていたんだねぇ。
「えーっと、さっきの説明から推測するに……君は『直接』手を出さないだけで、実はこっそりと何か仕掛けてたりするでしょ? でなきゃ、一週間なんて具体的な時間がどこから出てきたのか、さっぱりわからないし」
「へぇ、さすが佐々木君。こんな荒唐無稽な話にもう対応したんだ」
「スケールがでかすぎて、現実感が無いだけだよ」
僕がそう言って肩を竦めて見せると、カナエは綻ぶように笑った。その笑顔は、ほんの少しだけ白鷺さんに似ていたと思う。
「謙遜しなくていいよ。私……というか白鷺美鶴は君のことを世界中の誰よりも強い人間だと思っていたみたいだし。それこそ、どこかの『最強』なんか鼻で笑っちゃうぐらいに、ね」
「いやいや、そんなに強い人間だったら、このどん詰まりの状況をとっくにどうにかしているってば」
「うふふ」
うん、本当に過大評価はやめて欲しい。人間関係はともかく、僕自身はいたって『普通』の高校生なんだからさ。
「さて、この話題になると決着が付かないからね。佐々木君の質問に答えるよ。うん、その通り。実は、私がこの隔離世界に君を拉致って閉じこもる前に、ちょっとだけとある人物に細工を施してきちゃったのでしたー」
「うわー、最悪だー」
話を聞く限りじゃ、このカナエという人物は『世界を一瞬で破壊する』ぐらいのことは簡単にやってのけるらしい。そんな奴が仮に、自分の力の一部でも誰かに貸し与えることができたとしたら? ああ、もう、賭けになってないじゃん、これ! もはや、ただの事後承諾みたいなもんじゃん!
「ふふん、ところがどっこい! そこら辺の力配分はしっかり考えてあるから、安心していいよ、佐々木君!」
「心読まれたっ!? くっ、読心術か!?」
「ううん。普通に分かりやすい顔をしていたよ、佐々木君」
「……おー」
最近、色んな人からそれを言われるんだけど、そんなに僕って分かりやすいリアクションしているのかなぁ。なんか、微妙にショックです。
「安心して。私が賭けに勝ったら、そんな悩みなんて意味なくなるから」
ついでに世界もなくなるよな! ええい、落ち込んでいる場合かよ、僕! どうやら、今、この瞬間、世界の命運とやらは、本当に僕とカナエの間でやり取りされているみたいだし。僕はどこぞのバトル漫画みたいに相手の力量なんかは測れないけど……相手が嘘をついているか、嘘をついていないかぐらいは分かるから。
カナエという存在が、その気になったら世界を破壊できることぐらいは理解できた。
「生憎、僕はそういう小さな悩みを抱えながら生きるのが割りと好きでね……話を続けよう。僕は世界が滅びない方に賭ける。というか、そうしなければこの状況から脱することができないだろうしね」
「うん。ぶっちゃけ、私。佐々木君には選択肢じゃなくて愛と絶望しか与えないつもりだし」
えへ♪ と軽く舌を出しておでこをこつん、と叩くポーズをするカナエ。くそう、白鷺さんの体じゃなったら、思いっきりそのデコに真っ赤に腫らせてやれるのに。
ええい、落ち着け、僕。ステイ、僕。これは恐らく相手側の戦略で、わざとうざい態度をとってこっちの冷静さを削るつもりなんだ。
「…………ごめん、久しぶりに表に出てきて、その…………さっきのアレは忘れてください」
「ガチでへこんでる!? 一時のテンションに身を任せた結果だったの、あれ!?」
真っ赤にした顔を両手で隠しながらうずくまるカナエの姿を見て、急速に苛立ちが治まり、代わりに妙な憐憫が生まれた。うん、時々やっちゃうよね? テンションが思いの他高くなっちゃって、うっかり滑ったりとか。
「うぅ……もういいや。とりあえず、言いたいことは言えたし。賭けも出来たし。ちょっとお布団の中に入って反省会しよう」
「妙にリアクションが生々しいね、君!」
なんだろう? さっきまで超然とした態度を保っていたのに、一気に親近感が湧いたというか、身近に感じるようになっちゃったんだけど?
「あうー。美鶴の中でこっそり勉強してたんだけどなー。そもそも、美鶴がコミュ障だからなー。元々、管理者になるような人格だって、まともなはずないしぃ。うう、正直、【全能】より普通のコミュニケーション能力が欲しい」
「おい……色々とおい」
「あ、ご飯とかは時間になったら勝手に出てくるから。こう、空中からぽんっ、みたいに」
「汁物だったらどうするのさ!?」
「ちなみに、ご飯はほとんどカップ麺です。安心して、ちゃんとポットもあるから」
「栄養バランス的に安心できないよ! つか、どうして白鷺さんも含めて、君らはカップ麺が大好きなんだ!?」
「安くて簡単で美味い……つまり究極の料理」
「三分で究極の料理が作れてたまるかぁ!」
なんかこう、白鷺さんとの日常を彷彿させるやり取りをしつつ、カナエは僕の目の前か消え失せた。と言っても、普通に戸から出て行っただけなんだが、次の瞬間に戸を開けたら、どれだけ見渡しても見つからなかったので、あながち間違いではないと思う。
「……はぁ」
完全にカナエが消えたのを確認した後、僕は大きく息を吐き出した。今まで我慢していた分、どっと身体中から嫌な汗が噴き出す。
うん、さすがにきつい。今まで数々の非日常を体験してきたからこそ、ある程度対応出来ていたけどさ、僕はこれでも普通の高校生だからね? いきなり朝から不意打ちを喰らって、そのまま世界を賭け金にしましょうなんて展開、さすがに取り繕うので精一杯だったよ。
「うーん、カナエの言葉が全部本当だとすると、委員会からの救助を期待するのも駄目だろうしなぁ。やっぱり、僕がどうにかしなきゃ駄目か。でもなー、僕って分かりやすいし、その気になったら人の心も読めそうな相手に、説得とか通じる?」
妙に親近感が沸くところもあるけど、基本的に相手は超越者だ。僕たちと同じ理屈で動いているかどうかも、わからない。そうなると、僕と白鷺さんの愛の力で、主人格である白鷺さんを起こす方向がいいのだろうか?
「や、でも……目の前に居る人を否定して会話を進めようとか、それはさすがにね」
例え世界を滅ぼす相手でも、僕は相手の存在を真っ向から否定するのは嫌だ。お前なんか、居ないほうがいいと、存在ごと否定するのは嫌だ。
「あー……賭けに勝てれば一番、話とか和解が進みそうなんだけど――」
「ふむ、それは少し難しいね。あまりお勧めできる手段ではないよ」
…………え?
今、僕でもカナエでも無い声が聞こえたんですけど? しかも、なんかどこかで聞いたことがあるような? 僕は声のした方を振り向くと、そこには真っ赤な頭髪をした、学生服姿の男がいた。顔は何処かでみたような気がするんだけど、というかこの人形染みた顔はあの人で間違い無いんだけど。でも、あの人はこんな不良みたいな髪色していないし。というか、すると思えないし。
「えと、どちら様ですか?」
「ん? 私かい?」
その赤毛の男は――――――有里冬治と同じ顔をした男は、彼が絶対に浮かべることが無いであろう、『全てをゴミクズと見下す穏やかな笑み』で答えた。
「悪い【魔法使い】さ」
これが、僕と全ての元凶である【最後の魔法使い】との初対面だった。
●●●
世界を破滅させることが出来る者とはどんな人物だろう?
ありえないほど強大な力を持っていること?
信じられない狂気に身を染めていること?
確かに、どちらでも可能かもしれない。けれど、奇妙なことにそのどちらの条件も当てはまっている存在がこの世界には存在するのだが、まだ世界は存続している。これはひとえに、彼らが世界を滅ぼす理由がないというだけで、その気になってしまえば世界なんてものはあっさりと消えてしまうだろう。
しかし、きっと彼らがその気になることは無い。なぜなら、強大な力を持つ者も、狂気に見を染めた者も――この世界に依存しているから。この世界が存在しているからこそ、その者は強大な力を持つ意味があり、この世界が存在しているからこそ、その者の狂気がある。だから、きっと彼らは世界を滅ぼすことなんて出来ない。
では、どんな人物が世界を滅ぼすのか?
それは――――
「有里冬花さん、だね?」
遮光カーテンで締め切られ、昼だというのに数センチ先すらも見えない闇の中、有里冬花の耳に、聞き覚えの無い少女の声が聞こえた。冬花はそれに応えることなく、ただ「ああ、いつもの幻聴か」と呟いて、自分のベッドに身を沈めている。
冬花には欠落があった。
それが何かはよくわからないが、ある時を境にとてつもない虚しさがずっと胸の中に生まれて、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまうことがあった。なんで悲しいのか理解できなかったけれど、流れ出る涙が止まることはなかった。
それでも、冬花はまだ耐えられた。
隣に大切な友人である大森杏奈が居てくれたから。冬花は大森杏奈の下心に気付いていたが、それも込みで、杏奈という人間が信頼に値すると思っていたのである。だから、適当に彼女のセクハラ染みた言動をかわしながら、ゲームをするのが冬花によっての癒しになっていた。
しかし、それも三日前から途絶えている。
杏奈の両親から、杏奈が居なくなってしまったと連絡があったのだ。
冬花が感じたのは、圧倒的孤独。
もちろん、冬花には彼女以外に友達も居るし、大切にしてくれる両親だって存在する。それでも、冬花は孤独を感じていた。まるで、誰も居ない冬の世界に、一人きりで投げ出されたみたいに。
それも無理はない。
なぜなら、冬花は無くなった存在と、杏奈を愛していたのだから。
世界中の何よりも、二人に愛を注いでいたのだから。
自分の中の愛が枯れてしまうほどに。
「うーん、このままじゃ話は聞いてもらえないだろうし……そうだ! まずは君が失った物を少しだけ返してあげよう!」
再び、幻聴の声が闇の中で響く。
うるさい幻聴だ、と僅かに冬花が眉を顰めた。その瞬間、
「さぁ、思い出せ。君が愛した存在を」
愛すべき存在(最愛の兄)を思い出した。
「あ、あぁああああああああああああああっ!!」
このか細い少女のどこからそんな声が出るのかと疑いたくなるほどの、絶叫。
それは歓喜であり、また残酷な世界に対する怨嗟だった。
「ついでに、彼と彼女の現状もぶちこんであげよう♪」
続いて、冬花の脳内に再生されるのは、彼女の兄と友達である杏奈の姿。
二人が終焉の存在へと変換されていくエンディング。
そして、それを救った存在について。
「取引をしよう。なーに、君も絶対に気に入ると思うから! というか、その状態じゃ、イエスしか言えないよね?」
声の言う通り、今の冬花にはまともな判断など出来ない。
ただ、あるのは彼女の愛が反転した憎悪と狂気。
この事態を招いた【魔法使い】への殺意と、残酷な世界への憎悪。
「うん。彼の記憶から探ってみたけど、やっぱり君は極上の存在だよ」
少女の声は楽しげで、無邪気で、だからこそ底知れぬおぞましさがあった。
けれど、それよりも――――――
「待ってて、二人とも」
圧倒的な感情の奔流の果てに、月を連想させる静かなで美しい笑みを浮かべた冬花の姿が、世界にとってはありえないほどの異物だった。
世界を壊せる【破壊者】となり得る者。
それは力の大きさでも、狂気の深さでもない。
ただ、世界よりも愛する者が存在するか否か。資格を持つ者とそうでない者の差は、たったそれだけなのである。




