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いつも心にBGMを  作者: 六助
復讐鬼
34/45

過去と未来の境界線

 思えば、私と弟の仲はあまりよくなかったと思う。

「姉さん、勝手に俺の部屋に入らないで」

「はぁ? 入ってないし」

「……俺の部屋からエロゲーが消えているんだけど?」

「だから知らないし。母さんに取りあげられたんじゃない?」

「いや、ついさっき姉さんの部屋に入って探したら、姉さんのPCの中にディスクがあったから、姉さんが犯人だよ」

「正直悪かったけど! 歩だって人のこと言えないよね!?」

 こんなつまらない言い争いを、毎日しながら、時々、殴り合って喧嘩をしながら、こいつなんか居なければいいと思いながら、お互いに過ごしていた。思い返してみれば、私がやけにつっかかっていたけど。

 でも、姉弟の関係なんてそんなもの。

 ブラコン、シスコンなんてものは現実世界には滅多に存在しません。一番近くに居る厄介な他人。こういう表現が多分、一般的な姉と弟の関係だと私は考えている。

 実際、私はあまり弟が何を考えて行動していたのか、さっぱり理解できなかった。

「…………」

「なに、歩。今の隅で体育すわりなんかして。しかも、ご丁寧にヘッドフォンまで」

「…………」

「ひょっとして、なんか学校で嫌なことあった? ははっ、ざまーみろ」

「…………」

「無視かよ」

 弟は時々、世界全てを拒絶するみたいに、ヘッドフォンを耳に当て、部屋の隅で丸まる。そういう時はどれだけ私から話しかけても、絶対に反応しない。自分以外の全てを無視し、世界で自分がたった一人だと、孤独感にでも浸りたかったのだろうか? それとも、わずらわしい物が嫌だったのだろうか?

 私は弟の考えていることなんてさっぱりわからなかった。

 けど、一つだけ分かっていたことがある。

 きっと弟は――――――この世界が嫌いなのだ。

 だから、弟が私以外、街の人を全部磔にして殺したときも、「ああ、やっぱりな」という感想しか湧かなかった。

 きっかけがあれば、弟は、そういう存在になってしまうと、分かっていたから。

 でも、今でも私は分からない。

 あの十字架が並ぶ静寂の街の中、私はわけも分からず泣いていて、警察に保護されるまで、ただただ、ぐずぐずと泣いていただけだ。とてもやかましくて、わずらわしい存在だったと思う。私が弟だったら、迷わず殺しているぐらいに。

 なのに、どうして弟は私を殺さなかったのだろう?

 灼熱の怒りで燃え上がる思考の澱で、燃えカスの私は無感情にそれだけが気になっていた。



●●●



 気持ち悪い、と俺の母親は常に思っていた。

「どうしたの? 冬治」

 穏やかな微笑。

 聖母と呼称しても違和感の無い、まさしく偉大なる母性の象徴にも慣れるであろうその笑顔の内側は、『虫』だった。

 母親から俺に対する感情は、『虫』と同じだった。

 ああ、なんだこいつは。気持ち悪い。姿かたちから、その存在まで、気持ち悪い。人を見透かしたような無機質な瞳が気持ち悪い。この思考も読まれているのかと思うと気持ち悪い。ああ、触れたくも無い。気持ち悪い。

 俺から見ても母親は『善人』だった。心のあり方は多少潔癖なところがあったが、それでも、充分『善人』と言い切ってもいい人間だったのである。

 なら、悪いのは俺か。

 俺がこんなあり方をしているから、きっと全てが悪いのだ。始めにあったのは、そんな自虐にもならない刷り込み。けど、皮肉なことにこの刷り込みのおかげで、俺は幼少期、まだ【サトリ】の力を制御できない時期を乗り切った。

 相手の心がどれだけ醜かろうと、自身も醜悪であるから、さほど気にしない。むしろ、ああ、同類かとばかりに微笑んでみた記憶もある。やがて、人の醜さに飽きた俺は、人に美徳を探すことにした。

「他人の汚点を探すよりも、美点を探した方が気持ちよくありませんか?」

 いつもは俺の生き方に口を出さない親父が、珍しく忠告してくれたことだったから、という理由もある。

 だから俺は、綺麗な物を探すことにした。

 人の心は雑多で、混沌としていて、はっきりしない。大抵の場合は清濁混ざって、よくわからない雑音に聞こえるし。色はごちゃごちゃしていて、曖昧だ。

 その中から、輝ける物を見つける作業は、存外、楽しかった。輝ける物を見つけられたら、どれだけ勘に触る相手でも、まぁ、なんとか付き合っていけることが出来るし、なにより、好きな人の、より好きな部分を知ることが出来たから。

 他人の美点を眺めていくうちに、俺は自分の能力を恥じた。

 心は覗き見るものではなく、相手を思いやり、察してやるものだということが、やっと理解できたのである。能力を封じたすぐ後は、まるで、世界から急に音がなくなったみたいな違和感に襲われ、しばらくの間、ヘッドフォンで耳の中にBGMを響かせなければ落ち着かなかった。世界のあまりの静けさに、恐怖を覚えてしまったのだ。

なんとか半年間、ヘッドフォンを使って療養するころで、いわゆる一般人と近い感覚にまで耳を慣らした。他者の心を必要に駆られなければ読まないように自制し、他者との交流は、他の一般人と同じく、手探りで、相手の仕草や動作から心を察するところから始める。最初はあまりの空気の読めなさに、自分も呆れてしまったものだが、幸いなことに友にも恵まれ、なんとか支えられながら、人並み程度には空気を読み、相手の感情を思いやれることができるようになった。まぁ、時々、それが行き過ぎてしまい、能力を使っていないのに「お前、心が読めるの?」と言われるようになってしまったのだが。

 やっと『まとも』になれた中学生時代、四苦八苦しながら、諦めず自分自身を改新させ続けてきた俺に対するご褒美なのか、俺に異父の妹が出来た。というか、そんな奴が居たことはしっていたのだが、自分のことばかりに集中して、その存在をすっかり忘れていたのである。

「初めまして、お兄さん。私が妹の有里冬花です。これからよろしくお願いしますね」

 初めて会った妹は、綺麗だった。

 なんというか、外見もそうなのだが、些細な動作からにじみ出る内面の美しさが、今まで俺が見てきた人間の中で、郡を抜いていた。一瞬、封殺していた【サトリ】の能力を使って、その心のうちを覗き見てみたい、と思ってしまうほどに。

 それから数ヶ月は、本当に楽しい日々だった。

 俺を気持ち悪い虫としか思っていなかった母親も、産んだ妹の影響なのか、前よりも余裕が出来ていて、俺を前にしても偽りの笑顔を浮かべない程度には寛容になっていた。

 今思い返しても、黄金に輝く幸せな記憶だった。

 それが崩れたのは、親父が死んでからか。

 ジェンガの重要なピースを間違って抜き取ってしまったみたいに、そこから、俺の幸せだった日々は音を立てて崩れ、倒れた。

 復讐。

 身を焼く憎悪に任せて、【魔法使い】を追った。日常の何もかもを置き去りにして、俺はひたすら親父の敵を追い、魔法に憑かれた狂人どもと戦った。封殺していた【サトリ】の能力を容赦なく使い、委員会と呼ばれる組織と手を組み、ひたすら戦い続ける狂乱の日々。

 幸いだったのは、俺と一緒に戦ってくれる仲間を見つけられたことか。

 何度も破れ、何度も必死に逃げ延びて、そして、俺はやっと仲間たちと協力して、【魔法使い】を追い詰めることに成功した。

 その時、俺は初めて【魔法使い】の心を読むことができた。

 これほど、人の心を読んで後悔したのは、後にも先にもこれっきりだと思う。

 同じだった。

 そう、同じだったのである。

 ―――――俺と【魔法使い】の精神性が。

 異端だと思っていた。

 異常だと思っていた。

 俺なんかじゃ、到底意味も理解できない、わけの分からない文字の羅列のような、そんな物だと思っていた。

 けど、違う。

 【魔法使い】は、アレイスター・クロウリーという魔術師は、ただ、人の心を知りたかっただけだったのだ。

 俺が人の美点を知りたがっていたとすれば、アレイスターは人の汚点を知りたがっていた。

 人の醜さを通して、あいつは人を理解したかったのだ。自分と他人は、余りにも違いすぎたから、少しでも他人に近づきたくて。それが、世界を自分の実験装置にしてしまった【魔法使い】の始まり。

 親父の忠告が無ければ、そうなっていたであろう俺の未来の姿。

 ああ、なんて自己嫌悪。

 俺はそこまで醜悪になれる存在だったのか? 

 だから俺は、復讐の怒りと、拭いきれない嫌悪感を持って、【魔法使い】を殺した。頭を砕いて撲殺し、埋葬した。

 そして――――冬の呪いを受けた。

 弾こうと思えば、その呪いは弾けたのかもしれない。でも、その時の俺はひどく疲れていて、それ以上に、誰かに自分の罪を罰して欲しかったからだろう。

 冬の呪いを受けてからは、随分楽だった。

 誰もが皆、俺を恐れ、嫌うから、誰に気を使う必要も無い。ただ、身を刺す寒さに耐えて、やがて訪れる終わりまで、ひたすら身を震わせていればよかったから。

 心が凍り付いて、壊死する。

 誰とも触れ合えない孤独は、思いの他俺の心に絶望を与えてくれた。あれほどの俺を慕ってくれた妹でさえ、俺を本能的に嫌っていた。妹自身、それが許せなくて、矛盾を受けいえれずに引きこもってしまったけれど。

 どうせ俺が死ねば、この冬は魂ごと存在を終わりにしてくれるらしいので、俺はそれでいいと思っていた。

 なのに、


「貴方のことが好きです、付き合ってください」


 俺は大森杏奈という少女に出会ってしまった。



「ん……」

 いつの間にか俺は眠っていたようだ。

 迂闊だったと思う。復讐相手に追われていて、割と致命的なダメージを受けているのに、暢気に居眠りなんて……え?

「おはよう、やっと起きたか。このバカ」

 瞼を開けると、にんまりと笑う大森さんの顔が目の前にあった。後頭部には、なにやら柔らかな感触が。

「さんざん、吠えた後はぐっすりだもんねぇ。うふふ、君の寝顔を思うぞん分堪能させてもらったよー。いやぁ、冬治君でも寝ている時は可愛いもんだよねぇ」

「……うわぁ」

 無様だ。

 今の俺は、この上なく無様である。

 大森さんに釣られて、久しぶりに感情を吐き出してしまった。おまけに、それを丸ごと受け止められた。この世界中、誰からも触れられない呪いを受けているはずなのに、『そんなの知るか、バーカ』と、こっちの事情なんて無視して、無理やり抱きしめられた。

 なんたる不覚だ。

 いつもだったら、にやにやと実にむかつく笑みを浮かべているこの大森さんに皮肉の一つでも返すところだろう。なのに俺は、一瞬、その笑顔に心を奪われてしまった。

 悪戯を成功させた子供みたいな、無邪気な笑み。

 電灯の光を零れさせる天然色の茶髪。

 じっと、俺を見つめる栗色の瞳。

 ああ、正直に言おう。

 うっかり惚れてしまう程度には、大森さんの笑顔に心を奪われていた。

「どーしたのかな? 学校のアイドルに膝枕をしてもらって、胸がドキドキなのかなー?」

「……どちらかというと、もう学校のアイドルじゃなくて、駅前のゲーセンに君臨する『茶髪の魔王』として有名ですけどね、貴方」

「どうしてゲーマーとしての通り名をっ!? はっ、まさかストーカーとか?」

「いえ、クラスの人が噂しているのを耳にしました」

「……嘘、超ばれてるじゃん」

 私のイメージがぁ、と頭を抱える大森さんの姿を見て、俺はやっと安堵の息を吐く。やっぱり、これだ。大森さんはこんな役回りが似合っている、うん。

 大体、さっきときめいたのも何かの間違いでしょう。だって大森さんですし。いや、大森さんが美少女なのは分かるんですよ? でも、ほら、俺は美少女には冬花で慣れているし? どちらかというと大森さんとは仇敵というか、漫才相手というか、とにかく、恋愛が絡まない感じの関係ですから。

 今回の膝枕だってどうせ、俺の驚く姿が見たかったからで……

「大森さん。正直に答えてください。今、足の感覚あります?」

「……んー、多少?」

 てへ、と舌を出すむかつく仕草をした大森さんの膝から慌てて起き上がり、凍傷になりかけているその太ももに手を当てる。

「ひゃっ、冬治君!?」

「違いますから。そういうラブコメ的なアレじゃないですから」

 【魔法使い】の記憶を参照し、症状に的確な回復呪文を施す。温かな白い光に包まれ、大森さんの太ももの赤みが薄れていく……ふぅ、成功だ。終わりを宿すこの身では、ほとんどの魔法は制限されて使えない。だから、数少ない使用可能な回復魔法が効いて、本当によかった。

「……おっと」

 そういえば、片腕が切り落とされていたのを忘れていた。

 俺は大森さんを治した安堵感で、うっかりバランスを崩してしまい、そのまま床に後頭部を叩き付ける――

「あぶなっ」

 その前に、大森さんの腕に抱かれていた。

 ちょうど、さきほどのように。背中に手を回される。

「……大森さん?」

「なーに?」

「これじゃ、折角凍傷治したのに、意味なくなるじゃないですか。離してください」

「やだ」

 即答しやがった、こいつ。

 背中に手を回されて抱きしめられているから、お互いの表情はわからないが、恐らく大森さんはあのむかつくにやけた顔をしているのだろう。

「離しましょう。危ないです」

「やだ。冬治君だって、私の胸の感触もっと味わいたいくせに」

「…………人があえて話題に出さなかったことを」

 こうもぎっちりと抱きしめられていると、正直、ものすごく胸が当たるというか、もはやそんな次元の話ではなくなってしまうのだ。

 とにかく、柔らかい。んでもって、温かい。おまけに、なんか柑橘系のいい匂いもするし。誰かに抱きしめられるのなんて本当に久しぶりだから、うっかり惑ってしまいそうになる。

「うっかり、このままで居たいとか思っちゃいそうになりますので、無表情野郎に好かれたくなかったら、今すぐ離してください」

「へー、いいこと聞いたなぁ。このまま抱きしめていたら、冬治君は私のこと好きになっちゃうのかー」

「……マジで、冗談抜きに、このままじゃ体温奪われて危ないから離せ」

「絶対嫌だ。離したら、冬治君はどっか行っちゃうじゃん」

 背中越しの言葉に、思わず俺は息を詰まらせた。

「折角捕まえたのに。やっと、むかつく貴方に一泡吹かせることができるのに。ここで離したら、もう触れられなくなっちゃうじゃん」

 もうダメだ。

 泣いてしまいそうだ。

 ずっと我慢していた物が、強がりで固めた上っ面が、臆病心を無理やり縛り付けていた鎖が、粉々に砕けてしまう。

 ダメだよ、それは。俺はこの『冬』を罰だと思って、世界中の誰からも触れられないと思うことが、罰だって思っていたのに。

 抱きしめられたら、救われてしまうじゃないか。

「…………はぁ。大森さん、一度しか言わないので、よく聞いてくださいね」

「ん? 今更なんだ? 私は絶対に離さないぞー。徹底抗戦してや……へくち」

 くしゃみしてるじゃないですか、もう。

 どこまで我慢強いんですか、貴方は。

 どこまでバカなんですか、貴方は。

 まったく、そんなのだから――――


「実はですね。一番初め、俺たちが交わした言葉の最初。大森さんに告白されたとき、嘘だと分かっていても結構嬉しかったんですよ、俺」


 俺みたいな奴に好かれるんだよ、バーカ。

「え?」

 大森さんが言葉の意味を理解する前に、一度、俺の方からぎゅっと抱きしめ返して。

「今ではまぁ、ついこっちから告白したくなるぐらい、好きですよ」

 言葉が最後まで伝わるか、伝わらないかのところで、大森さんの意識を『終わらせる』。もう一度、大森さんの意識が『始まる』まで――つまり、眠りから醒めるまでに全てを終わらせおこう。

 脱力した大森さんの体を、そっとベッドに寝かせ、この部屋に厳重な守護結界を施す。その対価として、体の六割まで魔法に侵食されるが、問題ない。大森さんの迎えはもう呼んで置いたし、これで絶対に大森さんの身の安全は保障される。だから、問題ない。

「損傷部分を再構築――実行」

 欠けていた片腕は、一瞬で氷の魔法で代替される。

 崩れてしまった心の鎧をかき集めて、絶対零度で凍りつかせて纏いなおす。

「さぁ、因果を終わらせてやろう」

 俺の形見であり、復讐鬼の仇であるトレンチコートを靡かせて、既に世界を染め始めた黄昏の中を駆けた。

 終焉の時は、近い。


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