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いつも心にBGMを  作者: 六助
復讐鬼
32/45

復讐するは我にあり

 大殺戮。

 六百六十六人の人間を十字架に貼り付けとし、異様なオブジェを町中に建てた異業。

 ほんの数年前に、そんな災害規模の殺戮を実行した異常者がいる。

 名を水面歩。

 極々平凡な家に生まれ、特にこれと言って特筆すべき点もなく、凡庸な人生を送っていたはずの少年。

 こぞって、メディアは社会の闇やら、教育の問題性やら、凶器の管理など、わけのわからない理屈を並べ上げ、それで彼を理解した気になっていた。そう錯覚させようとしていた。

 だが、実際に彼の心を読んだ俺だけは、そうではないと断言できる。メディアは全て的外れで、学校でも皆、論外な話題で盛り上がっていた。

 けれど、たった一人だけ、そう、俺の義妹である有里冬花だけは唯一、彼の理由に近しい物を言い当てていた。

『静かになりたかったのかな?』

 何気無く呟かれた冬花の言葉に、過去の俺は、かつて親父が水面歩を射殺したときのことを思い出す。

 放たれた銃弾に胸を貫かれ、鮮血が舞い、今にもそのか細い命が途切れそうなとき、水面歩は、

「ああ、これでやっと一人きり――――」

 満足げに、そう最後の言葉を紡いだのだ。

 死の間際、彼の心から伝わってきたのは、圧倒的な疎外感。

 自分以外を認めることができない、欠陥だらけの精神。

 他人を化物としか見れない、彼の目。

 他人の感触が茨でしかなかった、彼の手。

 きっと彼は、生まれてくる世界を間違えたのだ。本当だったらきっと、俺がこの内に留める、そう、誰も居ない、誰も関わってこない、触れることすら出来ない『冬の世界』に生まれなければいけなかった『最終人類』だったのである。

 彼の生涯には味方は一人も折らず、彼の見方を理解する人も、誰もいなかった。

 今思えば、彼ほど『冬の世界』に相応しい人はいなかっただろう。きっと、彼がこの『冬の世界』の主となったのなら、あっというまに世界を終焉の雪原に閉じ込めるはずだ。

 だから、きっと親父に殺されたことはきっと、水面歩にとっては最良の結末だったと思う。人並み外れた異常者のくせに、必死で凡庸を装った聖人だった、彼にはきっと、誰かに殺されるしか心安らぐことはできなかったのだから。

 ――まぁ、どちらにせよ、加害者の意見だ。

 残された者にとっては、どうでもいい。自分の家族が殺された、ということに比べれば、そんなものは聞くに値しない戯言だ。

 復讐者とは過去に囚われ、怒りでしか歩みを進むことが出来ない者である。

 どんな聖人だろうと、彼らの歩みを止めることはできない。

 己の衝動を満たすまで、彼らは一振りの刃となって、怨敵の血を求め続ける。

 それが、水面みなも かえでという復讐鬼だ。

 もはや、殺すべき怨敵すらも失い、ただ、その怒りをばら撒くことでしか自己を保てない、哀れな鬼だよ。



●●●



「それでですね! そいつったら、本当に嫌味な奴なんですよ! まるで人のことなんか全部見透かしたように笑って、『はんっ、貴方程度に欲情する余地はありませんので、ご安心を』とか要ってくるんですよ!?」

「うわー、それはさすがにダメだよねー」

「そう! ダメダメなんですよ、あいつは!」

 桐生探偵事務所に行く道程で、思いの他私は変なTシャツのお姉さんこと、水面楓さんと意気投合した。どうやら、お姉さんも身内にいけ好かない奴がいたらしく、私と一緒に『いけすかない男』の愚痴合戦になっていたのである。

「私の弟も人の気持ちをまったく考えない奴でねー。やれ、あいつの所為でどれだけ私がフォローに回ることになったんだか」

「大変ですねぇ、楓さんも。男ってば、いつも『自分が全部解決する』とか、『自分だけでいい』とか、勝手に自己完結しちゃいますもんねー」

「ほんと、ほんと。それで残される方の身にもなって欲しいのよね」

 どうやら楓さんには、二つしたの弟がいるらしく、主に彼の愚痴ばっかりを言っていた。と言っても、半分は惚気というか、『結局、私が一番弟を理解しているんだよね!』とか『小さい頃は私のあとばっかり付いてきたくせに』などと、若干ブラコンの気が見られますね、この人。

 やれやれ、この愚痴も愛情の裏返しって奴なんだな、きっと。

「でも結局、杏奈ちゃんはその男の子のことが好きなんだね、きっと」

「……………………………………………………へ?」

 本当に思いもしないことが、楓さんの口から言われた。

 好き?

 私が、あの冬治君を?

 無愛想で、皮肉屋で、私のことを生きのいい玩具程度にしか考えていないような奴を?

「いやいやいいや、それはありえませんって!」

「そうかな? 本当に大嫌いだったらもう『あいつのことなんてさっさと忘れよう』ってなると思うけど?」

「それは……ですね、その……そいつが私の愛しい人の兄でして……そう! だから、仕方なく! 嫌々に! わざわざ探してやっているんですよ!」

 そうだ、そうに決まっている。

 それ以外に理由なんて、あるもんか。

 無い、よね?

「顔が赤くなっているよー?」

「これは怒りです! 血圧が上昇しているんですよぅ!」

 確かに前に助けられたことはあったけど! 妙に気遣いが出来る部分もあったけど! すぐに自分だけ犠牲にして何も無かったことにするから、放っておけないけど! これは違うって! 恋とかそういうステキなものじゃないから!

「もー! だから、私はあいつのことなんてだいっ嫌いなんですってば!」

「はいはい。わかったってば」

「にやにや笑いながら、言われても!」

 楓さんは、ふふふ、と柔らかな微笑を浮かべた後、どこか寂しさを感じさせる大人びた表情で私に語りかけた。

「でも、きっとその男の子は貴方のことが好きだと思うよ?」

「…………いやいやいやいや、さすがにそれはどうですかね?」

「ほら、好きな子ほど苛めたくなるって言うじゃない」

「子供か!?」

「男なんて、いつだって子供だよ」

 むぅ、た、確かに。

 冬治君はどうせ、私以外の女の子とはまともにおしゃべりしたことがなさそうなコミュ障っぽいし。きっと、学校のアイドルの私と接していくうちに恋が芽生えた可能性も無きにしもあらず!

 最初は告白とかばりばり断られたけど、そこはほら! 私も打算込みだったし! あいつは人の心を読めるし! きっと、それから色々あって……? あったかな? 色々。主に私が冬治君を追いかけて捕まえて、叱って、逃げられて、また捕まえての繰り返しだったような?

「あのー、冷静に考えれば考えるほど、あいつが私を好きになる理由が薄いんですが?」

「恋に理由なんていらないんだよ?」

「でも、ある程度の理屈は必要でしょう」

 私とあいつはきっと、そういう関係じゃないんだってば。

 別に友情とかでもないけど、愛情では絶対無い。うん、だって私が好きなのは冬花ちゃんなんだし。

「あははは、やけに頑なだねー」

「人間誰しも、譲れない所ってありますよね?」

「そっかー」

 やっと楓さんは納得してくれたのか、神妙な顔で頷いている。

 ふぅ、私も女子だけど、女子の恋愛に対しての食いつきはちょっと異常だよね。

「でもさ、杏奈ちゃん。その男の子が消えて欲しいくらい嫌いなわけじゃないでしょ?」

「そりゃ、まぁ」

 そこまでいったら、むしろ憎しみだし。

「居なくなったりしたら、それなりに寂しいし。色々言われてむかついても、近くに居た方がどこか安心できるでしょ?」

「…………言われてみれば、そうかもしれませんね」

 遠くに居るよりは、近くに居た方が安心だ。あいつは気付くとすぐに消えてしまうから、近くに居てくれた方が、余計なことを考えなくて済む。

「そして……結局、割とそいつのことを気に入ってたりしない?」

「…………否定はしません」

 悪戯に微笑んでくる楓さんに、私は苦々しく吐き捨てた。

 否定はしませんよ、ええ。否定はね。

「ふふふ……」

「むぅ、年下からかって楽しいですか? お姉さん」

「はい、とっても」

 聖母みたいな微笑み向けやがって。

 まったく、人のことを言えた義理じゃないけど、なかなかこの人も腹黒い。

「あのね、杏奈ちゃん。私は今、とっても嬉しいんだよ」

「なんでですか?」

 私はもうこの人相手に外面を被るのをやめ、堂々と唇を尖らせながら訊ねる。

「だって、こんな可愛い子が自分の恋について必死に悩んだり、否定したり、凄く青春しているんだよ? それってとってもステキなことじゃない?」

 ……恋云々は置いておいて。

 どうして、この人はここまで他人のことで一喜一憂できるのだろう? 正直、私が他人の恋愛関係に興味を持つのは下世話なゴシップ的な感情もいいところで、楓さんみたいに、こんな純粋な気持ちで見ることなんてできない。

 でも、本当に居たんだなぁ、こういう人。

 他人の幸せが自分の幸せ、みたいな、そんな頭の中がお花畑だけど、決して嫌いになれないような、そんな人が。

「それにね」

 楓さんはまるで聖母の如く、全てを慈しむような笑みで私に告げた。


「桐生冬治に近しい者を殺せることが、とっても嬉しい」


「え?」

 告げられた言葉の意味を理解する間もない。

 次なる異常として、楓さんの手には一本の抜き身のが。鞘は既に放り投げられて、かんっ、という乾いた音をアスファルトに響かせている。

「貴方に恨みはありませんけど、貴方が死んで悲しむ人に恨みがあります。だから、死ね。無関係に、むごたらしく、意味も無く理不尽に死ね」

 笑顔のままだった。

 私と恋愛話をしたときの笑顔のまま、触れたらそのまま消し飛ばされてしまいそうなほどの怒りが、私に向けられていた。

 間延びする世界。

 鈍く光るのは死神の鎌の如き、彼女の刀。

 あの時と同じだ。

 殺人鬼にナイフを振るされたときも、同じように、世界が間延びして……でも、この刀はナイフと違って、間延びした世界でも、なお速い。現実だったら、ほんの一瞬。瞬く間に殺人が行われているのだろうな、と思った。

 いや、ひょっとしたら私はもう死んでしまって――――

 赤色が舞った。

 たくさんの赤色が、絵の具をぶちまけたみたいに飛び出て、驚いた。

 一番驚いたのは、頬に掛かるその赤色が思ったよりも冷たかったことで。

 二番目に驚いたのは、


「間に、あったぞ……ああ、間にあってやったぞ!」


 勝ち誇るような、安堵したような、不思議な表情を作る冬治君の姿。

 ねぇ、どうして君はそんなに必死なのさ?

 まるでヒーローみたいに両手を広げて、私を庇って、思いっきり肩から腰まで斬られちゃっているし。そんなになってまで、私を守るように目の前からどかないし。

「桐生冬治ぃいいいいいいぁあああああああああっ!!」

「吼えるな、鬼が」

 笑みが崩れ、目を剝いて鬼哭する楓さんと、胸を切られてなお、不敵に笑う冬治君。

 私が瞬きした後には、両者は一般人程度の私じゃ見ることも出来ない速さで戦い始める。火花が幾つも散って、その一瞬あとに、金属音が遅れて聞こえた。

 そんな、常識外の戦いがどれくらい続いたのだろうか?

「ちぃっ」

「がぁっ!」

 決着は、二人の苦悶の声と共に訪れた。

 冬治君の左腕がひゅんひゅん、と綺麗な弧を描きながら飛ぶ。

 楓さんは、アスファルトをぶち抜いて、大きなクレーターの中心となって、大地の中へ叩き込まれた。

「う、腕……冬治君、腕!」

「うるせぇ、捕まってろ」

 冬治君らしくない乱暴な口調と共に、私は残った右腕で脇に抱えられた。そのまま、異常なほどの跳躍力を見せる冬治君に抱えられて、私は夏空を飛ぶ。

 ぐるぐると頭の中を疑問が駆け巡る。

 もちろん、そんな私にろくな思考が出来るわけなんてありゃしないわけで。

 けど、なぜかわからないけど、そんな場合じゃないのは分かってるんだけど、つい、何の間違いかしらないけど、思ってしまったのだ。

 『また、会えた』って。


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