弱い日常
目標がある奴が妬ましかった。
夢がある奴が眩しかった。
成績はそれなりに悪くて、要領もそれなりに悪くて、愛想なんかはもう最悪で。そんな人間でも、やっぱり青春という奴に憧れていて。
けど、結局、何もできなかったダメ人間が、俺だ。
高校を卒業してからは、ふらふらとバイト生活に明け暮れた。一ヶ月も経たずに辞めることもあったし、一年以上続いたところもあった。
はっきりと言っておく、俺は弱い人間だ。
どこぞの従妹のように強く無いし、更にその幼馴染の中学生みたいに『無敵』なんかじゃありはしない。ただのフリーターだ。自分の欠点を知っているくせに、楽なほうへ逃げ続けて、それを直そうともしない。そんな自分のダメさ加減を受け入れてしまったダメ人間だよ。
だから、ある意味、ファウストの言葉に俺は納得してしまった。
願いをかけて戦う十二人のラスボスは俺なんだと、理解できた。きっと、俺たちはそういう奴らの敵になるために生まれてきたんだと思う。
ファウストという魔法使いの人格がどれだけ歪んでいて、その実験がどれだけ醜悪だったとしても、俺は最後まで役目を全うしてやろう。
それがせめて、俺なんかを選んでくれたファウストに対する恩返しなんだから。
■■■
化物だ。
ああくそ、『探偵』という属性を持っている彼なら、いずれは私を見つけてくると思ったが、いくらなんでも早過ぎる。
「いつも心にBGMを」
彼がそう呟くと、真っ白なペンキをぶちまけたような吹雪が、彼の周囲から発生していた。吹雪は瞬く間に私の視界を白に染め、真夏の住宅街を氷漬けに。
「……ちょっと意外だったね。まさか君が、周りの人間ごと私を殺そうとするなんて。君のようなヒーローは、大抵、罪の無い一般市民を傷付かないかと思ってたのに」
私のあからさまな挑発に、彼は鼻で笑うだけで対応。
――――なるほど、そういうことか。
「やっと気づいたか、間抜けが。やはり、お前は【魔法使い】の名を継承するには足りない器だったみたいだな。はっ、あの赤毛野郎でも、あの状況じゃ、さすがにミスするってか」
「ははっ、随分勝手なことを言ってくれるじゃないか」
一体、いつからだったのだろう? 私の周りが……いや、この町ひとつを丸ごと強力な幻術で偽装されていたのは。
だけど、まだチェックメイトには程遠いよ。
「ふふふ、まさかちょっと私を出し抜いた程度で――――」
「もういい」
ぱぁん。
そんな乾いた音が響いた。音源は、私の右手から。ちょうど、奇襲しようと右手に魔法具を召喚した瞬間に、魔法具ごと私の右手が弾け飛んだ――弾け飛んだ? 私の腕はともかく、私が造った魔法具の中で、最高傑作の『グラム』を?
「あぁ、脆弱」
やけに通りがいい、男の声だった。決して美声では無いが、強制的にでもそれを意識せざるを得ないような。そんな、ある種の理不尽を感じさせる声。
「我輩はがっかりだ、冬治。これがあの【魔法使い】の継承者とは信じなくない。まるで木綿豆腐の如き脆さだ」
聞こえるのは声だけだったが、先代の記憶を継承している私には、その声の主を知ることができた。いや、思い出したといった方が良いだろうか?
「まったく――――これでは我輩の【スクリブル】の性能実験にもならん」
多々良 直哉。
委員会が誇る物質創造系の異能者であり、有里冬治が持つ凶悪な鉄パイプを制作した奇人だ。彼が作り出す【スクリブル】という作品の数々は、先代が作り出した魔法具とまるで遜色が無い。それどころか、凌いでいる印象すら受けた。
そして、有里冬治と違い、敵対者には一切の情けもかけない。
「たかがステルス性能が付いた射撃程度で崩れるようでは、楽しみようが無い。冬治、貴様のアレでさっさと殺すがいい」
「テメェに言われなくても、もうやっている」
忘れていたわけじゃなかった。
でも、この『冬の世界』だけはどうしようもない。
一面に広がる白銀。
真夏の空すら覆いつくす吹雪。
ただ、彼がそこに立っているというだけで、彼を始点に世界が凍り付いていく。それはもちろん、私も例外じゃない。
この冬は全てを終わらせる終焉の証にして、【グリモア】の最後のページだ。その継承者である私の魔法は恐らく、全てを凍りつかせてしまう。
「はは、なんてチートな……」
「それをテメェが言うかよ、天城美幸」
確かにまぁ、いきなり女子高生だった私が魔法使いだもんな……あ、やばい。冷気が脳にまで達して思考が鈍くなってきている。
というか、このままじゃ死――――
「んじゃ、何も遺さず死んでいけ」
なぜだか思い出したのは、あのうだつの上がらないフリーターが作ったすきやきの味。それなりに美味しかったけど、多分、私の方が美味しく作れるんだよなぁ。
■■■
「バイトを終えて家に帰ると、知り合いの魔法使いが瀕死の状態で台所に倒れていました。周りには散らばった食材があり、それを考慮してみると、このバカは瀕死の状態で料理をしようとしていたらしい。何を言っているかわからないと思うが、俺もわけわかんねぇ」
しかも、いつものマント姿じゃなくて、普通にどっかの制服着てるし。しかもそれ、血まみれになってて、サスペンスな状況だし。
……とりあえず意識を確認してから、救急車を呼ぼう。
「あー、テステスー。生きてますかー? 生きてたら元気に返事しろー」
「うにー、す、すき焼きぃ」
「斬新な返事だなぁ、おい」
とりあえずは生きているみたいだ。
ぺちぺちと軽く頬を叩くと、ファウストは不快そうに眉を顰めた後、いきなり目を見開いて覚醒する。
「が、ガスの元栓閉めなきゃ!」
「起きた瞬間、それか。いくらなんでも庶民的すぎるだろ、魔法使い」
「うっさいわい! ガスの元栓はね、しっかり閉めなきゃ火事になる可能性がdieで……あ、おかえり」
「おう、ただいま」
そういえばお前、いつもナチュラルに不法侵入だよな? という疑問は置いといて、とりあえず状況を確認することに。
「いや、まいったね。普通に女子高生として世を忍んでいたら、いきなり宿敵に遭遇しちゃってさ。おまけに町ごと丸々幻術で隔離した上で、秘密兵器を呼んでいたし。さらに、最終手段である『冬の世界』も使ってくれちゃってまぁ――ほんと、よく生き延びることができたと思っているよ」
死線を潜った話を、まるで世間話のように語るファウスト。ちなみに、衛生上いけないということなので、血まみれの制服から華麗にジャージ姿へコスチュームチェンジしてました。俺のお気に入りのジャージでした。
それはさておき、ファウストは見事な手際でたまねぎや鶏肉をカットしている。他の食材から考えるに、どうやら親子丼をこれから作るつもりのようだ。
「ぶっちゃけ、四分の三ぐらいは死んでいたね、私。右手は思いっきり吹っ飛ばされたし」
「いや、お前……吹っ飛ばされたにしては、普通に包丁握ってんだけど、それ」
「ははっ、そんなもの、生やしたに決まっているだろう?」
「なにそれこわい」
「ふふ、冗談だよ。本当はちょっと時間を巻き戻して復元しただけ」
「そっちの方が怖いわ!」
そんなこんなで雑談を繰り広げていると、ファウストの料理が終わった。ぱっ、と見た限りでは、そこらの定食屋で売っているのと遜色が無い。
「いただきます」
うん、うまいな、これ。鶏肉は固くなりすぎない程度に炒められて、ちょうどよく下味が付いている。たまねぎはしゃきしゃきと、程よい触感を与えてくれて、卵は優しくその全てを包み込む。そして、よくご飯にあっている。ついつい、箸でご飯を掻きこみたくなるほどだ。
「料理、うまいんだな」
「これでも一応乙女だからね」
ふふん、と鼻を鳴らしながら、ファウストは薄い胸を張ってみせた。つくづく、所帯じみた魔法使いである。
「それだけ料理うまけりゃ、良い嫁さんになるんだろうな」
「ははっ、それはどうだろうね? なにせ、私は頭が狂っているからね。まともに誰かに恋できるような脳内構造になっているとは思わないな」
片頬だけ動かした、乾いた笑みだった。自嘲なのか、陶酔なのかは分からないが、ファウストはくっく、と含み笑うと、続けて言葉を紡ぐ。
「私は生まれた時からどこかおかしくてね。綺麗は汚い。汚いは綺麗。という感じにね、ちょいと人と感じる価値観が違っていたのだよ。人が醜いと思うことを美しいと思い、人がおぞましいと思うことを好ましく思う。魔法使いになるまでは、随分とそれで苦しんだよ」
懐かしいというよりは、痛ましいという顔だった。まるで、自分の黒歴史を曝け出している少年のような――いいや、そんなに微笑ましくは『痛さ』では無いか。
「魔法使いになってからは、解放されたね。自分がやりたいことはあらかたやったと思う。人の愛情を引き裂き、希望を絶望に置き換えて、綺麗を汚く塗りつぶした。自分の愉悦を満たすために、本当に色々やった……だというのに」
じっと、ファウストは電灯にかざした右目を見つめる。俺が見た限りでは、何の変哲も無い、普通の女の子の手だった。とても、それが吹き飛ばされていたなんて信じられない。
というよりは、
「今更、役者不足を感じるなんてね。滑稽な話だよ、まったく」
ファウストという目の前の女の子が、そこまで大した存在のようには、俺は思えない。確かに、無いかしら普通ではない雰囲気を纏い、常識を超えた力を扱うが――それだけだ。
あの、【最後の魔法使い】ほどの異常さは感じられない。理を超越し、自らの実験のために、世界を引っ掻き回した、トリックスターに比べれば、ファウストという魔法使いが纏うそれは、途端に凡庸な物になる。
当たり前の話だが、上には上が居る。
ただ、それだけの話なのだ。
「彼らにとって、私は、ラスボスというよりは、せいぜい中ボスが良いところだろうね。実際、私は地べたを這いずり回るような無様さをもって生還したわけだし」
「……そっか」
俺が相槌を打つと、ファウストはそれ以上何も言わず、親子丼を食べ進めた。もくもくと食べ進め、ご飯粒一つ残さずに完食した。
「さて、くだらない愚痴につき合わせてしまって悪かったね」
ファウストは肩を竦めて、俺に語り掛ける。
「色々妨害はあったが、無事、弱肉強食ゲームは最終段階まで移行した。つまり、君にはもうすぐ、ラスボスとして戦ってもらう。拒否はさせないよ?」
「拒否はしないが。食べ物を出すしかできないラスボスって……なぁ?」
「…………これも貴重な実験結果だと思うことにするさ」
苦笑するファウストへ、俺はワンモアオーダーを使って、香り豊かなブレンドコーヒーを出して見せる。
「まぁ、少なくとも食後の一杯には困らなそうだけどな」




