日常から欠ける者
はい、どうもー、佐々木幹二ですよー。
なんか昨日、色々あって大変な感じだったんだけど、というか、途中から記憶が無いんだけど……まずはね、誰かこの状況を説明してください。
「んにゅ……むぅ、佐々木君」
「あ、あははははー、こ、これはなんてエロゲだろーねぇ?」
頬をひくつかせながら、僕は見覚えの無い天井を眺める。いや、よく考えたら、最近、この天井を見たことがあるというか、ここ、白鷺さんの部屋なんですが。
そして、僕、なんか白鷺さんと同じベッドで寝ているんですが。
「あれ? あれ? おっかしーなぁ、記憶が無いよ? この状況をギャグで切り捨てるには余りにも情報が無いよ? んでもって、どうして僕と白鷺さんは半裸なのさ?」
正確には下着以外、お互いに何も付けていないみたいです。うん、ある意味男子の夢みたいな状況だけどさ、夢は所詮夢でしかないというか、実際に起こってしまったら、ひたすら焦ることしかできないというかねー。
「ふみゅ……あ、佐々木君」
「おはよう、白鷺さん。寝起きで悪いけど、この状況を説明して欲しいな」
白鷺さんは寝ぼけ眼を擦りながら、むにゃむにゃと、はっきりしない口調で、でも、僕の耳にはしっかりと理解できるように呟いた。
「昨日は、激しかった」
アウトぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
なにやってんの、僕!? というか、ナニやっちゃたの、僕!? むしろ、あの状況下から、こういう状況に持ってくることが恐ろしいよ、僕!!
「そっかー、そうかぁ……」
うん、これはもう、ぐだぐだ言っている場合じゃないよね? こういう関係になってしまったんだから、きっちりとけじめはつけないといけない。
僕の気持ちにも、ケリをつけないといけないね。
「白鷺さん」
「んー、なに?」
「結婚しよう」
「……………あう?」
白鷺さんはしばらく寝ぼけた頭で首を傾げていたが、やがて僕の言葉の意味を理解してくれたのか、だんだんと目を見開いていき、顔が朱に染まっていく。
「今まで曖昧なことしか言わなかったけど、ちゃんと言うよ。僕は白鷺さんのことが大好きだ。けど、僕らはまだ中学生だから、そういう関係にはなるのは早いと思ってたんだ」
「あ、あの、佐々木君?」
「でも、たとえ一夜の過ちでも、こういう関係になったなら、僕は男として、責任を取りたいんだ」
僕は、柔らかな白鷺さんの手を握り、ゆっくりと体を起こして白鷺さんに言う。
「僕と結婚して欲しいんだ。今はまだ、ただのガキだけど。だけど、絶対に君の隣に居られるような人間になるから、だから……ずっと君の隣に居てもいいかな?」
「さ、佐々木君……」
白鷺さんは潤んだ瞳で僕を見つめ、そっと手を握り返してくれた。
「ありがと、とても嬉しい」
はにかんだ笑顔で、応える白鷺さん。
普段、無表情な彼女の、そんな笑顔は、僕の心をどうしようもなく掴んでしまった。ああ、こりゃ、もうだめかもしれない。さすがにこんな笑顔を見せられたら、僕はもう何も言えないや。
とまぁ、そんな感じに白鷺さんにめろめろになっている僕へ、白鷺さんは笑顔のまま言葉を付け加えた。
「例え、昨日、私と冬治が佐々木君を治すために色々やった結果、私の人格の一つを佐々木君の右腕の変わりに構成することになって、その副作用を抑えるため、できるだけ近い距離で密接に過ごすためにこんな状況になっていることを、佐々木君が勘違いした台詞だったとしても、私はとても嬉しい」
「にゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
僕の絶叫は、自棄に空々しい青空に響いていった。
■■■
「佐々木君! 佐々木君! 佐々木君!」
美鶴が見たことが無いような、必死の形相で、片腕を失った佐々木さんを揺さぶり続ける。しかし、佐々木さんは何も反応しない。
無理もないだろう。異能者でもない人間が、いきなり魔王の力に侵されかけたんだ。 なんとか一線を越える前に引き戻すことができたが、下手したらもう二度と意識を取り戻すことが無いかもしれない。
「佐々木君! ねぇ……コーリング、カナ――――」
「やめろ、美鶴。更に状況を悪化させる気か?」
よほど大切な人だったのだろう。美鶴は、自分が封印した最大級の災厄すら解き放って、佐々木さんを助けようとしている。
「でも、それ以外に、佐々木君を、助ける手段なんて!」
まったく、あんな無表情な奴が、よくもここまで……。
「落ち着け、助ける方法なら存在する」
だからまぁ、これは選別だぜ、美鶴。
「魔法で傷付いたなら、魔法で癒せば良い。そして、幸いなことに、今の俺にはそれができる」
「……冬治、一体何を?」
残念ながら、佐々木さんの容態的に応えている暇は無い。
俺は静かに魔法の呪文を唱える。
「いつも心にBGMを」
瞬間、俺の中から冷たい冬が零れ出す。
暑苦しいBGMが世界中に流れ出し、俺をあの冬の世界へ引きずり込む。
思考は現実から夢想へ。
決して消えることが無い、冬の世界へ移行する。
「驚いた、どういう風の吹き回しだい?」
雪と荒野で作られた世界。
その真ん中に、赤髪の魔法使いが、不敵な笑みを浮かべていた。
「時間が無い、簡潔に言うぞ」
俺は魔法使いへ、睨みつけるように視線を向け、要求を伝える。
「お前の力を貸せ。俺の力だけじゃ、佐々木さんを助けられない」
「ふふ……まさか君が、この私に頼みごととはねぇ」
何がおかしいのか、魔法使いはくすくすと、忍び笑いを漏らす。
「まぁ、それは君自身が納得しているならいいんだけどね。それで、私が君に力を貸してさ、何か良いことがあるのかい?」
「魂の欠片をやる」
魔法使いの笑みは、一瞬で凍りついた。
「それは、本気で言っているのかい?」
「ああ、対価としては充分だろ?」
「…………」
魔法使いにしては珍しく、渋面になり、しばらくぶつぶつと何かを呟く。
そして、腹の底から吐き出したようなため息と共に、答えが返ってきた。
「今ほどね、君に取り憑いたことを悔やんだ時は無いよ。本当に、見ているこっちの身が持たないよ、君の決断は」
「戯言は聞いてねぇ」
「いいよ、わかったよ。その契約をのもうじゃないか。けどね、冬治」
魔法使いは、どうしてか知らないが、まるで、あの時の大森さんのような顔で俺に言った。
「君はもう少し、自分に優しくしてもいいんじゃないかい?」
聞いて損した。
魔法使いの言葉はいつだって戯言染みているけど、ここまで無意味で俺を苛立たせる言葉は初めてだった。
■■■
その異変には、大森杏奈が一番初めに気がついた。
「あ、あのね……冬花ちゃん、兄想いなのはいいんだけどねー、こう、そろそろ、兄離れというか、もうちょっと他のことにも目を向けてもいいんじゃないかなー?」
杏奈はいつも通り、冬花の兄自慢を長々と聞かされた後に、思い切って訊ねてみた。杏奈のクラスメイトでもある兄に嫉妬したということもあるが、それ以上に、『何の愛情も感じられない』のに、必死に、自分を誤魔化すように言葉を続ける冬花の痛々しさに耐え切れなくなったのかもしれない。
だから、杏奈は自分が嫌われるかもしれない、というリスクも侵してその言葉を口にしたのである。
全ては、愛しい冬花のために。
「……え?」
けれど、返って来たのは、罵倒でも非難でもなく、
「もう、何を言ってるんですか、杏奈さん。私に兄なんていませんってば」
事実の否定だった。
冬花は自分に兄が居たという事実を、本当に覚えていなかった。まるで、兄の存在を、丸ごと記憶から削り取られたかのように、冬花は彼を忘却した。
「あれ? 杏奈さん? え、えええ?」
杏奈は、冬花の忘却が信じられなかった。
けれど、それ以上に、杏奈は――――――
「ど、どうしたんですか? どうして、泣いているんですか?」
なぜだか知らないけれど、冬治の存在が完全に忘れられたことが、どうしようもなく悲しくて、仕方なかった。




