魔法使いと冬の王
状況は予想以上にひどい有様だった。
委員会からが仕込んでおいた監視者は既に倒れ、美鶴の友達は魔王の魔法具に侵されてしまいそうに成っている。
だが、間に合った。
あの時と違い、俺は瀬戸際の所で間に合うことができたのである。
「……私の研究を邪魔したことは、まぁいい。けど、一つだけ訊きたい。貴方はどうやってここに? これでも、私が敷いた結界は上々の代物だったはずだが? 少なくとも、そこで倒れている術士が放つ使い魔程度じゃ、外に情報を出せない程度には」
「そうだな。もしも、グリモワールから欠損した知識の中に、『どんな状況下だとしても、対象が危険に陥ったら術者に信号を送る使い魔』なんて物がなけりゃ、俺はまったく、気づきもしなかっただろうよ」
漆黒のローブに身を包んだ【魔法使い】――ファウストは、ふむ、と頷く。
「確かに盲点だったね。私はてっきり、君がグリモワールから削った知識は、『冬』に関連する物だけだと思っていたよ」
「大抵はそうだから、安心していいぞ」
「ははっ、心にも無いことを。あの終末の『冬』を所有しているとうことはつまり、私が知りうる全ての魔法を終わらせることができるということだ。むしろ、他の魔法なんて、それに比べたら瑣末に過ぎない」
ファウストは飄々と肩を竦めた。その仕草は、かつて俺が戦った【魔法使い】を連想させる。意図的に模倣しているのか? それとも、グリモワールに蓄積された記憶に引きずれているのだろうか? 魔法による心理障壁により、詳しい心情は、サトリである俺でも知ることはできない……どちらにせよ、俺がやるべきことは一つだけだ。
「ああ――だから、安心しろ。これからお前は、そんなことを考える必要も無くなる」
校庭の地面に突き刺さった鉄パイプを引き抜き、俺は野獣の笑みを浮かべる。
「これから俺が、その頭を潰してやるんだからな」
「ははっ、それは怖い」
死合いの合図は、ファウストが鳴らした指の音。
ワンアクションで展開されるのは、無数の剣。剣の形状は、どれも同じレイピアであり、全てが『対象を貫く』という特性を持つ。一度、術者が視認した対象なら、どれだけ離れていようが、空間を跳躍し、確実に対象を刺し貫くという、必殺の魔法。
しかし、その魔法の脆弱性を、俺は既に知っている。
「おせぇ」
空間すら跳躍して、対象を刺し貫く剣。けれど、対象を『刺し貫く』ために、対象の周囲で、一度具現化しなければいけない。そして、その具現化する一瞬で、俺は全ての剣を鉄パイプで砕いた。
「くたばれ」
次いで、ファウストとの間合いを二歩で詰める。間合いを詰めるのに、速さは必要ない。ただ、相手の呼吸を読み、意識の死角を突くことができればいい。
後は、相手の頭に鉄パイプを振り下ろせば、オッケーだ。
「さすが、魔法使いを殺した男だね。では、これならどうかな?」
鈍い金属音と共に、俺は鉄パイプが防がれたことを知る。
鉄パイプの打撃を防いだのは、ファウストのローブから這い出た黒い泥だ。それは、まるで生き物のように、うねり、ファウストの体に纏わりつく。
「ありとあらゆる概念を受け止める、混沌の泥だよ。これは、私が造ったオリジナルの魔法でね、防御性だけなら、既存の魔法の中でもダントツだ。加えて……」
俺は幾度も鉄パイプを繰り出すが、その全てを泥は防いだ。相手の呼吸を読み、意識の死角から攻撃をしている俺が、ことごとく防がれている。
なるほど、そういうことか。
「この泥は対象の攻撃に自動的に反応して、防御姿勢を取ります。『ストームブリンカー』の絶対防御の上位互換といった所ですよ」
確かに、心を読むサトリに対して、心理障壁と自動防御はなかなか良い手段だ。できうる限り心を読ませないようにすることと、例え、読まれたとしても関係なく、攻撃を受け切る無敵の盾。
この反則具合、どうやら本当に【魔法使い】本人のようだ。前の【魔法使い】は、強力な魔法憑きをいくつも、端末としてばら撒き、捜査をとことんかく乱させたからな、確認はとても大切だ。
「これで王手ですね、冬の王」
ファウストはまるで、犯人を追い詰めた名探偵の如く、人差し指で俺を指す。
「貴方が一度、【魔法使い】を殺せたのは、万全の準備があったからだよ。貴方が何度も彼の思考を読み、優秀な委員会のエージェントが確実に【魔法使い】を殺せる算段を立てたから、貴方は彼を殺せたんだ。でも、今は違う。貴方は、何の戦略も無しに私の前に現れた」
相手の神経を逆撫でするような不快な声が、淡々と俺に対しての死刑宣告を読み上げていく。
「そして、貴方の切り札である『冬の世界』も、この場で展開してしまえば、そこの少年も巻き添えにしてしまう。だから、王手なんですよ、冬の王」
……その通りだ。まさしく、ファウストの言うとおりだった。本来、【魔法使い】はその場任せの戦闘で倒せるほど、易くない。何度も戦力を測り、強力なバックアップを受けなければ、到底打倒し得ない難敵だ。正直に言うと、俺が【魔法使い】を殺せたのも、ほぼ奇跡に近い。そして、奇跡に二度目は無いのである。
「――――まぁ、確かに王手だろうな」
だからこそ、本当に助かった。
まだ、ファウストと名乗るこの【魔法使い】が、先代と比べることすらできない、未熟者で本当に助かった。
「だが、チェックメイトには程遠い」
ぱぁん、という弾ける音が校庭に響く。
俺が振るった鉄パイプが、泥を弾き飛ばした音が、高々と響いた。
「……なるほど、そういうことかい」
ファウストは自身が誇る魔法を吹き飛ばされたことで、一瞬、呆気に取られていたようだが、すぐに立て直す。
「まさか、【スクリブル】という代物が、そこまで強力な物だとは思っていなかったよ」
「別に……お前の魔法みたいに、反則染みた効果なんて無いさ。ただ、この鉄パイプに込められた【異能】は、『どんな対象にも干渉できる』ってだけだ」
どんな概念でも受け切る混沌の泥。
どんな対象にも干渉できる鉄パイプ。
両者の関係はまさしく、矛盾している。そして、この矛盾を制するのは実に簡単な法則だ。無敵の盾と最強の矛、両者がぶつかった場合、勝つのは――――当然、持ち主の技量が高い方に決まっている。ただ、込められた力が強いほうが勝つ。それだけのことだ。加えて、『どんな概念でも受け切る』などという守備範囲が広い者より、ただ、『対象に干渉できる』という、部分特化の方が通りやすい特性もある。
「そもそも、反則級の魔法なんざ、どれだけ先代が使ってきたと思っているんだよ? これっくらいの特典がなけりゃ、やってらないさ」
「確かに。ですが、まだ私の優位が崩れたわけではないよ?」
そう告げるファウストからは、事実、まだ雰囲気に余裕が感じられた。それもそうだ。俺が相手の防御に干渉できるうになったところで、相手にはまだ、グリモワールに記された、万を超える魔法が存在するのだ。既に手数でこっちを圧倒している。状況は変わらず、俺が不利だっただろう。
しかし、俺の『時間稼ぎ』は無事に成功した。
「……そろそろ、だな」
俺の呟きに、目の前のファウストが小首を傾げると――――
「我が神に願い奉る。眼前の怨敵を束縛したまえ」
ファウストの足元から召喚された幾本の鎖が、黒いローブごと、その体を束縛する。
「魔力を根こそぎ使った、特性の束縛術だ。いくらテメェでも、数分は保つぜ?」
術を行使したのは、剣で串刺しにされていた藤崎という、諜報員だった。己の体を串刺しにしていた剣を引き抜きながら、血反吐と共に藤崎はファウストへ言葉を吐き捨てる。
「上出来だ、不死者」
「へっ、そんな代物じゃねーよ。ただ、蘇生術の一つや二つでも用意してないと、委員会の諜報部隊にゃ居れらないんでね」
他者の心が読めるということはつまり、こういうことを仕掛けることもできるということである。どれだけ精巧に死んだ振りをしていようが、俺には見分けることができ、そいつの思考を読み取ることにより、相手の意識を操って、先ほどのように隙を作ることも容易い。
「ふむ、窮鼠猫を噛むとはまさしく、このことだな」
だが、その身を拘束されてもなお、ファウストの態度は崩れない。
「確かに少し動きづらいが、魔法の行使が封じられたわけではない。そして、魔法が使えるなら、私は君たちを殲滅するのに、動く必要すらないのだよ?」
その通りだ。
こちらとあちらでは、基本的な火力が違う。このまま戦ったとしても、勝機は薄いだろう。
「そうか……んじゃ、動くなよ?」
【魔法使い】の防御ですら易々と打ち破る、圧倒的な火力の持ち主が、援軍にこなければ。
「コール、カトリーナ。命令、天を落とせ」
「――了承」
それは光の柱だった。
夜空を全て照らすような、光の鉄槌だった。
「くっ、これは! あの【殲滅者】の――――」
膨大な破壊の塊はファウストを飲み込み、言葉さえ掻き消してしまう。
破壊の余波に、俺たちすら巻き込まれ、十メートルほど体が吹き飛ばされた。
美鶴が所有する人格が内の一つ、カトリーナ。形状はドラゴン。広域殲滅特化の、絶対なる破壊を撒き散らす戦闘要員だ。
そして、そのカトリーナの難点は、攻撃する前に、いくらかチャージが必要だということ。つまり、『時間稼ぎ』は元々、この攻撃のためだったのだ。
「ってて、美鶴の奴、完全にぶち切れてやがるな。おい、あんたは大丈夫か?」
「……無理」
俺と共に吹き飛ばされた藤崎は、どうやら体力の限界に達したらしく、意識を途絶えさせる。蘇生したてで全力の術を行使し、挙句、あの余波に巻き込まれたんだ、一瞬でも意識を持っていたことすら、賞賛に値するぜ。
んでもって、あの一撃を耐え切ったファウストも、賞賛に値する。
「先代の奴でも半身をぶち飛ばした一撃なんだが……お前、どうして五体満足なんだ?」
「っつ、あぁ、は……はは、これでも身を守る術には長けていてね」
砂煙の中から浮かびあがるファウストの姿に、四肢の欠損は見られない。どうやら、未熟ながらも、才能が無いというわけではないようだ。
「……で、それがお前の素顔ってわけか?」
「あははは、恥ずかしいから、余り見ないで欲しいね」
五体満足ながらも、当然、ファウストは無事というわけではなかった。その身を隠していたローブはボロボロに破れ、焼け爛れた素肌が曝されている。
そして、ローブの奥に隠された素顔も。
「あまりこの顔は好きじゃなくてね。だってほら、【魔法使い】なんて大仰な肩書きの割には、ちょっとインパクトが薄いだろ?」
普通の顔だった。
赤毛ということを除けば、ごく一般的な日本人の女の子の顔つきだった。中学生か、高校生ぐらいの、どこにでも居るような女の子の顔だった。
「……顔が嫌いなら魔法で作り変えたら良いだろうが? それくらい、朝飯前だろ、ファウスト? いや、天城美幸?」
「さすが、ですね。もう心理障壁を突破しましたか」
弱々しく笑うファウストだったが、まだ、その笑みには焦燥が見えない。恐らく、こちらの読心が深部に達していないことを見透かしているのだろう。
「これ以上、こちらの心を読まれるのは勘弁だよ。今日は私の完敗ということで、大人しく尻尾を巻いて逃げようと思うのだが、どうだろう?」
「――――舐めるな」
灼熱の怒りが込められた言葉が、頭上から降る。
それと同時に、満身創痍のファウストの胸へ、美しい銀の刃が突き刺さった。
「お前はここで死ね」
突き刺したのは、上空から落下してきた美鶴。その手には美しい造りの日本刀が握られ、顔には一切の表情が無い。
ああ、よほど佐々木さんを傷つけたのが許せないんだろう。完全にぶち切れている。
「……いやいや、悪いけど、それは御免だね」
しかし、突き立てられたファウストの体は既に陽炎。実体が存在しない。
「その魔法は見たときが無いな。オリジナルか?」
「まぁね。これでも、ちょっとした自信作だよ」
俺や美鶴の目を掻い潜って、逃走することが可能な魔法か。俺としては、混沌の泥より、こっちの方が厄介なんだがな。
「それじゃ、諸君。今回は負けてしまったけど、次は勝てるように頑張るよ。では、また」
「――待て!」
美鶴の制止も虚しく、ファウストの体は陽炎の如く揺らめき、その場から完全に消え去った。
【魔法使い】ファウスト。
本名、天城美幸。
先代と比べ、ありとあらゆる面で劣っているが、防御と逃走については限りではない。
「ちっ、厄介な」
なんて皮肉だろう?
かつて【魔法使い】と戦った時は、瀕死になりながら逃げ回り、何とか勝機を見出そうとしていた俺が、今度は【魔法使い】を追う立場になるなんて。




