魔王と業火
ああ、寒い。
冬の世界は相変わらず、俺を蝕む。
何も考えず、何も感じなくても、じわじわと心を壊死させる。
「こうやって向かい合ってみると、なかなか感慨深いね。正直、君がこんなに私の呪いに耐えられるとは思っていなかったよ」
俺の目の前には、あの赤髪の魔法使いが微笑んでいた。吹雪に紛れながらも、うっすらとそその輪郭を浮かび上がらせ、俺に視線を合わせている。
どうやら、今日の配役は『話し相手』らしい。
「誰も君を好きにならない。君に好意を持っていた者は、冬の寒さによってその感情を凍りつかせてしまう。そして、その冬に閉じ込められた君もまた、心がどんどん寒さによって凍らされていく。正直もう、君にまともな感情は残っていないだろう」
世界最後の魔法使い。
そいつが俺にかけた呪いは、決して誰にも解くことができない。この身を凍らせんとする吹雪は、俺が死ぬまで晴れることは無いだろう。
「私が言うのもなんだが、君はさっさと自殺でもして楽になった方がいいんじゃないのかい? できるだけ君が苦しむところを見るために、わざわざ君に取り憑いた悪霊がそう言うんだ。今の君は、それくらい見るに耐えないんだよ」
目の前でごちゃごちゃとうるさい。
こいつは初めて会ったときから、勝手なことばかり言う。口が減らない。死人に口無しなんて、誰が言ったのだろうか。
「殺した相手に心配させることばかりしているから、私の口数が減らないのさ。大体、君もわかっているはずだよ? 君が【魔法使い】としての権限を行使すればするほど、君の心は、加速して――」
黙れ。
「……君は本当に救いようが無いね。そのくせ、他人を決して見捨てないんだから、性質が悪い。どうしようもない」
黙れ。
彼は他人じゃない。他人だったら、俺は助けない。俺はただ、自分の生活圏内を自衛しているだけなんだよ。
「その言葉を本気で言っているから、君は救いようが無いんだよ、冬治」
■■■
黒い霧が僕の体に突き刺さる。
剣を持っていた右手から、腕の中を蛇が這うような感触がさっきからずっと消えない。それどころか、段々と這い寄る蛇の感覚が心臓へと近づいていく。
「ぐ、あぁ……がぁああああああああああっ!?」
「良い悲鳴だね。魔王の誕生を祝うにはちょうど良い」
ファウストと名乗った魔法使いが、くすくすと含み笑う。
声の質や、フードの外から見える体のラインで、ファウストというのは女の子というのはわかるのだが、その素顔は、フードの奥に隠されていて、はっきりと認識できない。
だけど、これだけはわかる。
この人は危険だ。
どれだけこの人と時を過ごそうと、僕はファウストという異常を『普通』と定義することできないだろう。
決して、日常にはなれない異常。
それが、僕がファウストに抱いた、ただ一つの感想だった。
「しかしね、随分と回りくどいことをしてしまったよ。本来なら、その剣は君に与えようと思っていたんだけど、どうにも、君の周りにやっかいな人間が居てね、こういうやり方でしか干渉できなかったんだよ」
「てめぇっ、俺の教え子にっ!!」
藤崎が怒声を上げながら、無数の札をファウストへ放る。無数の札はそれぞれ、異なる自然法則を引き起こしながら、ファウストへと迫った。
「話の途中だよ、君」
ぱちんっ、と指が鳴る音だけが聞こえた。
ただ、それだけだった。
「く、そ……し、らさ……」
僕の視界の端で、藤崎が鮮血に染まる。
まるで、コマ送りの途中で無理やり割り込んだように、無数の剣がファウストの現れ、藤崎へと降り注いだ。
あっさりと藤崎の札は掻き消され、無数の剣が藤崎の体に突きたてられる。無数の剣に串刺しとなった体は、鮮血を散らせながら地面に付す。
確認するまでも無い、致命傷だ。
僕の担任だった、あのやる気の無い教師は、殺されてしまったのだ。
「――――おまえぇえええええええええええッ!!」
生まれて初めて、本当の殺意という感情を、僕は知る。
関係無い人間だったなら、僕はどうでもよかったと思う。一度目は気味悪がって、二度目は慣れたから無関心。けれど、三度目だけは違う。三度目は、僕の身内を殺された。僕の日常の一部を欠損させられた!
目の前の、こいつに!!
「がぁああああああああああああああああああああっ!!」
喉の奥から獣の雄たけびが沸きあがる。
身を焦がすような憎悪が、右腕の蛇すら飲み込んで、体中に行き渡る。
「……素晴らしいね。やはり、上級の魔法具ともなれば、扱う人間にも適性がある。あんなクズみたいな人間じゃだめだ。その身一つで、上級魔法具の使い手を下し、王の器を持つ者……そう、佐々木幹二。君こそが、真に魔王の名が相応しい」
あァ、さえずるなよ、外道。
お前は僕が殺す。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す!
そのためには、どんな手段だって使ってやる。
「魔王だろうが! なんだろうが! 知ったことか!? お前を殺す力が得られるっていうなら、僕は! どんなふざけたファンタジーだって、『普通』に組み込んでやる!」
例え、その結果、僕の日常が破綻したとしても、今、この怒りの業火に身を投じなければいけない。
それが、僕が失くした日常に唯一手向けられることなのだから。
「あはははははっ、凄い凄い! これは水面歩クラスの収穫だ! そうだ、これくらいでなければいけない。これくらいでなきゃ、あの冬の王には……」
さえずる音は排除。
ただ、感じるのは、己の身の熱さのみ。
もう何も考えなくいい。ただ、僕の中の熱さに身を任せて、荒れ狂う一つの嵐になればいいのだ。
全てを理不尽に破壊するような、そんな――――
「おいおい、そんなんじゃ、好きな女の子が泣いちゃうぜ?」
そんな、熱さは一瞬で冷めた。
投げかけられる絶対零度の言葉は、僕の憎悪なんて一瞬で凍らせ、怒りという感情を殺しつくす。
「う、あ?」
どっ、という何かが地面に突き刺さる音。そして、僕の視界に、くるくると回る黒い物体が現れた。
よく見ると、それは僕の片腕で、タールに浸かったようにどす黒く染まっているが、あの黒い剣を握っているところから、確かだと思う。
「【魔法使い】有里冬治の名に於いて、この魔法具を破棄する」
冷たく言い放たれた見えない弾丸が、黒い剣を、僕の腕ごと破壊する。
あっけなく、砕かれた氷のように弾けて、結晶と成って散っていく。
「一般人が頑張りすぎだ。あんたはただ、美鶴の奴といちゃいちゃしていればいい」
冷たい口調だというのに、妙に優しい言葉。
どこかで聞き覚えがあるだけど、それを考えるには、余りにも僕の意識は脆くて。熱から冷めた心地よい気だるさと共に、僕の意識は闇に沈んだ。




