魔王
その戦闘は傍から見ても、藤崎の劣勢は明らかだった。
「くそっ、このチート野郎が! とりえあず、チートって付ければ良いってもんじゃねーんだぞ!?」
藤崎から放たれる無数の札は、ありとあらゆる自然法則を持って、チート男子を追い詰めようとする。けれど、札から放たれる雷、敵を飲み込もうとする炎、圧殺せんばかりの土砂、窒息させようとする水塊、その全てをチート男子は微動だにすることなく防いでいた。
「ははっ、これが僕の『絶対防御』だ! 僕が『敵』と認識した者の攻撃は全て自動的にこの障壁が守ってくれるんだよ!」
チート男子の周囲一メートルぐらいだろうか? 藤崎の札が、どんな攻撃を仕掛けようが、そこから先へ、絶対にチート男子へ近づくことすらできないのだ。まるで、そこに見えない壁があるかのように。
「ほら! 今度はこっちの番だ! 堕ちろ、炎帝!」
チート男子が黒い剣を頭上に掲げると、その上空に、巨大な炎の塊が出現。人一人どころか、十人ぐらいはすっぽりと飲み込んでしまいそうな紅蓮が、黒い剣が振り下ろされると同時に、僕たちへ落ちて来る。
「ちぃっ! 護法結界!」
藤崎が幾枚もの札を空中に展開させ、それを防ごうとするが、
「無駄無駄無駄ァッ!!」
出力に圧倒的な差が有るのか、札は一瞬で焼き尽くされ、僕らを吹き飛ばすかのように炎が爆散した。
「あぁ、くそが!」
憎々しげな声をあげ、藤崎は僕の腕を掴み、強制的に地面に倒れさせた。
「こふっ」
思わず、肺から息が漏れる。
叩き付けられた背中の衝撃で、しばらくまともに息ができない。
でも、藤崎には感謝しなければ。
「ったくよー、お前が俺の教え子で、白鷺のお気に入りじゃなきゃ、ぜってー、助けないのによー。はぁ、もう、不幸だ」
軽口を叩く藤崎だけれど、その背中はひどい有様だった。寂れたスーツは焼け剥がれ、背中の皮膚は火傷どころか、炭化している部分すらある。
「えーっと、藤崎先生? その怪我ってかなりやばくないですか?」
「うっせ。致命傷じゃないだけ、儲けもんなんだよ、くそ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、藤崎は立ち上がった。
よろめきながら、再びチート男子を見据えて、札を構える。
「……正直、意外なんですけど。まさか、藤崎先生が僕を助けてくれるなんて。僕、学校で何かやばい事が起きたら、まっさきに藤崎先生は生徒を見殺しにするタイプだと思っていました」
「おう、そういうことは思っていても口に出すな? うっかり、お前を見殺しにしたくなるだろうが」
けらけらと笑いながら、答える藤崎。
ぼろぼろになりながら、死に掛けながら、憎まれ口をたたきながら、それでも生徒を守ろうとする藤崎の姿を、僕は不覚にもかっこいいと思ってしまった。少なくとも、僕が今までに会った教師の中では一番だと思う。
だからこそ、ここで死ぬのは惜しい。僕の日常的に考えて。
「あは。あははははははっ! まーだ、あがくんですかぁ、先生? 僕が苛められている時は全然助けてくれなかったのに、そいつは助けるんですぁ? 不公平なんじゃないですかぁ?」
絶対的な力にでも酔っているのか、チート男子は醜く顔をにやつかせながら藤崎に訊く。粘っこく、陰湿に。間違っても、物語の主人公にはなれない口調で。
対して、藤崎の答えはあっさりとしたものだった。
「いや、お前、俺のクラスじゃねーし」
「…………へ?」
よほど意外だったのか? チート男子は呆けたように口をまん丸に開く。
「ぶっちゃけ、教師に幻想持ちすぎなんじゃね? 誰だって、いじめなんて面倒な問題に関わりたくねーんだよ。だから、てめぇが受け持つクラス以外は不干渉。つまり、うちはうち、よそはよそってことだ」
「……そ、そんなの、き、詭弁――」
「んじゃお前、一度でも俺に助けを求めたか?」
藤崎の言葉の刃が、実にあっさりとチート男子の心の壁を切り裂いた。
「そりゃ、俺だって教師やってたんだから、いじめの相談されたら、親身になって対応するぜ? けどよ、お前は俺に何か言ったかよ? 何かを頼んだかよ?」
「う……あ」
言葉の刃は、たやすく心の壁を切り刻む。ちっぽけな自尊心でできた紙切れの壁などが、正論という名の刃を防ぐことなどできるわけが無い。
「結局さ、お前は苛められている自分が可愛かったんだよ。自分が可愛かったから、何も動こうとしないで、誰かが助けてくれるなんて妄想してたんだよ。はっ、くっだらねー! 今すぐその剣で腹でも切り裂いて、自殺したらどうだ? チェリーボーイ君?」
「う、うぁあああああああああああああああああああああああっ!!」
醜い叫び声だった。
例えるなら、醜く超え太った豚の断末魔のような……ああ、それじゃ、豚に失礼か。僕の目の前に居る動物は家畜と呼べない。あんな腐った生き物、誰が食べるだろうか?
「殺すっ! 殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅっ!!」
もはや、まともな理性を感じさせない声で、喚きたてるチート男子。余りの小物ぶりに笑いそうになるが、残念なことに、彼が持っている黒い剣の力は本物だ。
「というか、どうしてあんな解りやすい挑発したんですか?」
「いやな、ぶっちゃけ、まともに戦っても勝てなさそうだから、時間稼ぎ兼心を折ろうとしたんだが……わりぃ、失敗した」
こりゃ、失敗したなー、と笑う藤崎。
…………まったく、肝心なところで頼りにならない教師だなぁ、ほんと。
「ああ、でも、大丈夫だ。なんとか、お前だけは助けてや――――」
「藤崎先生。ナイフとか持ってませんか?」
「……は?」
体の節々は痛むが、問題ない。体はまだ、動く。
「だから、刃物ですよ、刃物! ほら、持っているなら、さっさと出す!」
「お、おう?」
藤崎は戸惑いながらも、懐から隠し持っていた短刀を僕に渡した。
「お前、ひょっとして戦う気か?」
「いいえ、あのうざい生き物を殺すだけです」
「殺すってお前……」
なぜか、藤崎は僕に信じられない物でも見たような目を向け、苦々しく顔を歪める。
「くそ! お前の倫理観については今度説教してやることにして! 大体、その短刀じゃ、あいつの防御は敗れないぞ? 一応、そいつにも呪は仕込んであるが、そもそも、あの防御は概念レベルにまで達してやがる。委員会で訓練を受けてる俺でも勝てねぇんだ。一般人のお前が勝てるわけ無いだろ?」
「はっはっは、それじゃ、その幻想をぶち壊すということでー」
僕は刀身を柄から抜き、そのまま柄を捨てる。ここから先は、ほとんどギャンブルみたいなものだから、できるだけ余計な荷物は持ちたくないのだ。
バカ野郎、お前は逃げろ、など、教師らしからぬ罵倒で僕を止めようとする藤崎を無視し、僕は一歩、踏み出す。踏み出した先には、ぶつぶつ怪しげなことを呟き続けるチート男子の姿が。チート男子は、黒い剣を上段に構え、さまざまな感情をぐちゃぐちゃにかき混ぜた目で僕を睨んでいる。黒い刀身に、黒い霧のような者が集まっているので、恐らく力を貯めている状態なんだと考えられる。
「わかった! 逃げるときのお守りがわりと思って、刃物を渡した先生が悪かった! だから、いい加減聞き分けろ! お前が死ぬと、白鷺の奴が悲しむんだよ!」
その言葉だけは、聞き流すわけには行かなかった。
僕は、一度だけ振り返って言葉を返す。
「僕は死にませんよ、藤崎先生」
そして、古いドラマの名台詞をパロりながら、全速力を持って駆け出した。
「だって! 白鷺さんが大好きだから!!」
後ろで藤崎が喚くが、もう聞こえない。
ひたすら集中。短刀の正しい使い方なんて知らないが、ひたすらこの刃をチート男子の胸を貫くことに集中。
「舐めんなぁっ! もう、お前なんか敵じゃねーんだよ! 先輩っ!!」
目の前のチート男子は突進してくる僕を見ても、微動だにしない。ずっと剣を上段に構えたまま、僕を嗤っている。
それもそうだ。
なぜなら、チート男子には『絶対的防御』がある。自分の敵の攻撃なら、どんなものだって防ぎ切る、とても反則的な能力が。
――――――そう、思わず『完璧』だと勘違いしてしまう、欠陥だらけの防御機能が。
「え?」
間抜けな声だった。
その声の持ち主は、自分の腹に刺さっている短刀の存在が信じられないのか、あれほど頼りにしていた黒い剣を手放し、震えた手でソレを確認した。
「ち、血がっ、血がぁあああああああああっ!」
短刀が刺さったところから流れ落ちる、真っ赤な血液を。
「ど、どうじで!? 絶対、『絶対防御』はっ!?」
あまりにもあっさりとやられた所為か、自分の敗因もわかっていない様子。このまま死ぬのを待っても良いけど、さすがそれは哀れすぎる。
まぁ、『普通』の人なら、あえて解説してあげるところだろうしね。
「うーんとさ、後輩君。なんで君はそんなに驚いているのかな? だって、君は自分自身で言ったじゃないか? そう、『お前なんか敵じゃない』ってね」
「……あ、ひ」
いやぁ、本当に賭けに勝ててよかった。本当に、あの防御の機能が、言葉通りでよかった。あれが、害意のある攻撃を全て防ぐ、とかだったら僕の負けだったし。
「わかったかい? 簡単な話だろ? 剣は敵の攻撃なら、絶対に防ぐ。そして、僕は君の敵じゃなった。ただ、それだけだよ」
「な、なんだよ、それ! 屁理屈じゃないか! くそ、なんだよ、そんなので、僕、が……そうだ、回復、回復呪文をっ!」
必死の形相で、チート男子は落としてしまった黒い剣を探す。どうやら、アレを所持していなければ、魔術は使えないらしい。そろそろアドレナリンから醒めて、痛みがやってくる頃だろうし、そりゃ大変だ。
「後輩君、お探しの物はこれかな?」
だから、さっさと終わらせてあげよう。
「ああああっ、それっ、僕のっ!」
僕が持ってる黒い剣を見ると、チート男……いや、後輩君は泣き叫びながら、僕から剣を取り返そうとする。けど、動けない。動こうとしたところで、自分の腹に刺さっている物を思い出し、その痛みで泣き叫ぶ。
醜く、醜く、吠えるように。
うん、『普通』に考えて、これはうるさいよねぇ。
「だから、殺そう」
黒い剣は思った以上に切れ味が良く、首の骨に引っかかることもなく、あっさりと後輩君の首を切り落とした。
多分、切り落とした痛みは鋭すぎて感じられなかっただろうし、なかなか首切りも慈悲な殺害方法なのかもしれない。
「佐々木、お前……」
藤崎が苦虫を噛み潰したかのような顔で僕を見ている。
「わかっているのか? お前は、お前は今! 人を殺したんだぞ!? なのに、なのにお前はどうして!?」
どうして? いやいや、こっちが聞きたいぜ、藤崎先生。
「僕は殺されそうになったから、殺しただけですよ? 正当防衛ですし、そもそも、こんな異常事態で僕は犯罪に問われないと思いますが?」
「そうだけど、そうだけどよ……それだけしか、感じないのか?」
やれやれ、と僕は肩を竦めて応えた。
「誰だって誰かを殺して生きている。これは、人間なら……いや、生きている物だったら全部当てはまる法則ですよ? だから『普通』のことです。『普通』のことなら、僕は動揺しない」
僕はどこにでもいるモブな人間だ。
だから、僕がやったことはありふれた『普通』なことなのである。
「人殺しは『普通』のことですから」
そうでなければいけない。
人を殺す覚悟ぐらいしなきゃ、どうして白鷺さんの隣に居られるのだろう?
「くすくすくす、それでこそだよ、佐々木幹二くん」
黒い剣を持つ右手から、底知れない闇のようなものが湧き出て、僕の体に纏わりつく。それと同時に、僕の背後から、脳髄をかき回されるような、不快感を煽る声を聞いた。
「全てを自分の定義した価値観で当てはめ、それを絶対的な物として扱う。自分自身の『普遍』で全てを捉え、人間としての禁忌すらあっさりと踏み越える」
声の質自体は普通の女の子なのに、その声が、まるで蛇の舌のように、僕の背筋を舐めているような、そんな悪寒が全身を包む。
「ぐっ」
自分の身に迫る異常事態、警告する悪寒を振り切って、僕は声の方へ振り向いた。
「そんな君だからこそ、魔王となるのに相応しいのさ」
そこには異常が居た。
世界からはみ出た、世界が許容してはいけない、異端が居た。
真っ黒いローブを頭からかぶり、全身真っ黒。けれど、ローブの置くから除く赤い瞳だけは、妖しく、僕を捕らえている。
そして、そいつは不敵な笑み零しながらこう言った。
「初めまして、佐々木幹二。私は【魔法使い】ファウスト。世界を幸せにする者さ」




